153 ハンチャンの娘
――深夜である。
俺は隣でシャネルが寝ていることを確認して、布団から這い出る。
「どうしたの?」
「ぎゃっ!」
ダメだった、起きてた。
「もう夜よ、早く寝ないと明日に触るわ。明日は敵が来るのでしょう?」
「あー、いや。うん」
心臓がドキドキしている。
いや、別に興奮とかじゃなくてね。普通にびっくりしているだけだ。
だって寝てると思ってたシャネルが起きてたんだよ、死体が動き出したのと同じくらい驚くだろ。
「ああ、そういうこと。あの鏡ね」
「さ、察しが良い事で」
それは俺の専売特許なんだけどね。
「見たかったのならこんな夜中に行かないであの場で見せてもらえばよかったのに」
「そうなんだけどさ……」
いや、だってあの場にはシャネルがいたから。
「私、寝てるから。一人で行ける?」
願ったり叶ったりだ。
「うん」
「じゃあ気をつけてね、そと暗いから」
分かった、と俺は外に出る。
まったくもってびっくりした。まだ息があがっている。
気を取り直すように深呼吸。
まあこうして一人で出てこられたので結果オーライだ。
俺はゆっくりとまばたきを繰り返す。しばらくそれを繰り返して暗闇に目がなれる。こうなればもう猫のように夜目もきく。
「よーし、行くか」
独り言。
俺たちがあてがわれたのは空き家だったが、その隣も空き家。そこにはダーシャンとハンチャンが寝ている。ティンバイだけは村長の家に泊めてもらっている。
夜は宴会になるかとおもったが、それはティンバイが断った。
――まだ敵を倒したわけでもねえ。
とのことだ。なるほど彼らしい男気だ。
ま、その分明日の夜は盛大にやってもらおうじゃないの。さすがにこの5人がいればどんな敵が来ても負ける気はしない。いや、フラグじゃないよ。
でも、考えられる最高の5人なことはたしかだ。
ふと、俺はかつて一緒に組んだ仲間たちのことを思い出す。
あのドラゴンを退治するためのクエストで組んだ仲間たちのことだ。とくに槍使いのスピアーのことはよく覚えている。気のいい男だった。
……今度は、あんな思いをしたくない。
戦いで誰か仲間が死ぬなんてまっぴらだった。
なんて考えながら歩いていると神社についた。
おかしいな、なぜか神社の扉が開いている。
中から明かりも漏れている。もしかしたら村の人だろうか。
そっと覗き込む。
すすけた黒髪を後ろで縛った男がいた。ハンチャンだ。
なにやら深刻そうに鏡を見ている。いや、ハンチャンが深刻そうなのはいつものことか。
「おおい、ハンチャン。お前もか?」
俺は声を潜めてハンチャンを呼ぶ。
ぎょっとしたようにハンチャンは振り返り、声をかけたのが俺だということに安心したようだった。
「シンクか……」
「鏡、見に来たの?」
「嘘をついてもしかたないな、そのとおりだ」
「なんだよ、お前も気になっってたのか? もう見た?」
「いや、まだだ。決心がつかなくてな。シンク、先に見るか?」
「じゃあ、遠慮なく」
俺はテコテコと鏡に近づく。
「お前、ここまで明かりもなしに来たのか?」
「まあね、目は良いんだ」
あのクソ野郎。月元を殺して手に入れたスキルのおかげだ。
俺は鏡を覗き込む。
その瞬間、顔をしかめた。
鏡の中でアイラルンがウインクをしていた。
「誰だ、この女?」
「知らねえ」
今度は投げキッスだ。
マジでなんなんだ、この女神は。
「奇麗な人だな。……恋人、いいや。お前にはあの洋人の人がいたな」
「昔の女だよ」と適当に言う。
アイラルンは鏡の中でゲラゲラ笑うと、手を振って消え去った。
どうも俺にこの鏡を見せるつもりはないらしい。
なんだかせっかく夜にこんな場所まで来たのに損をした。
「はい、交代。ハンチャンも見れば」
「……ああ」
「もしかして俺がいると見にくいか?」
なら出るけど、と俺は神社を出ようとする。
だけどハンチャンは首を横に降った。
「べつに良いさ。ただ俺が意気地なしだっただけだ」
そう言うやいなや、ハンチャンは鏡に近づく。
鏡から不思議な光が放たれた。それは魔力の放出だろう、やはりこの大鏡はマジックアイテムなのだ。
浮かびあがってきたのは、小さな女の子。
どこかで寝ているらしい、すやすやと寝息を立てて清らかな寝顔をしている。
「……あれ、この子」
俺はこの子に見覚えがあった。
ハンチャンが顔を抑えて崩れ落ちる。
「ああっ――神よ!」
ハンチャンは男泣きをした。
「なあハンチャン、この子って」
「俺の――俺の娘だ。ありがとう、ディアタナ様。俺はいままであんたのことなんてこれっぽっちも信じちゃいなかった。けどいまは思う、神はいるんだ」
「娘さん、生きてたんだな」
ああ、とハンチャンは頷いた。
ハンチャンは昔、出稼ぎに行っている間に他の馬賊に故郷の村を滅ぼされた。それからずっと、妻と娘が死んだのは自分のせいだと思い続けていたのだ。
しかしいま、死んだと思っていた娘が生きていたということが判明した。
「こんなに嬉しいことはない。あの子が生きているというそれだけで俺は救われた」
「良かったな」
俺はハンチャンの肩に手を乗せる。
ハンチャンは涙を拭って立ち上がった。
「ここに連れてきてくれた攬把に感謝しなければ」
「感謝するなら俺にもしてほしいもんだぜ」
なぜだ、というふうにハンチャンは首をかしげる。
「俺はこの子の居場所を知っているぞ。ハンチャン、お前は俺と違って運が良いな」
たまたま知っている人が近くにいたのだから。
「ほ、本当か!」
「ああ。この子は俺たちと同じ、奉天にいる――俺は一度だけ会ったことがある」
「奉天に!」
もっとも、裕福な暮らしをしているようには見えなかったが。
俺が会ったとき、この子は自分の体を売ろうとしていた。けれどまあ、俺が勘違いして女の子の体を買うことはしなかったのだ。
でもいまはそれで良かったと思う。
戦友の娘を抱くとか洒落にならないからな。
「悪いけどそれ以上の詳しいことは知らない。でも探せば見つかるだろう?」
「ああ、ああ……しかし、俺にそんな権利があるのだろうか。いままでずっと娘のことを探そうともしなかった俺に」
「死んだと思ってたんだ、しかたないさ」
気にするなよ、と俺は笑う。
ハンチャンも笑いかえしてくるが、その笑顔は嬉しすぎて引きつっているようだった。
さて、行くかいと俺たちは神社を出る。
ふむ、良い空だ。
真っ暗な常闇のような空には、しかしキラキラと星が輝いている。
「この星の下にあの子もいるんだ」
「そういや、お母さんのために働いてるって言ってたけど」
べつに嘘は言っていない。
ただ体を売ろうとしていた、ということを意図的に隠しただけ。
「そうか、それは二重に嬉しいぞ」
「良かったな、ハンチャン」
「これで戦いにも身が入ると言うものだ。俺はもう『死にたがりの毛』じぇねえ」
「そうだ、お前は『不死身の毛』だよ!」
「ああ、俺は死なねえ。絶対に」
「あ、待って。あんまり言うのやめようぜ。これフラグだから」
「フラグ?」
「あ、いや」
あかんぞ、戦場で家族の話とかは。
禁句です、禁句!
ま、いざとなったら俺が守るか。
なんとかなるだろ、たぶん。俺の力はそう――誰かを守るためにあるのだから。
俺はシャネルを守りたくて強くなろうと思った。
その範囲をちょっと広げるだけだ。
なあ、師匠――。
ふわり、と空に師匠の顔が浮かぶ。
……あ、別に師匠まだ死んでねえか。ごめーん。




