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150 忠義の袁


 ティンバイの屋敷についた。


 するとなんということだろうか、屋敷の前でティンバイ本人が待っているではないか。


「おせえぞ、兄弟」


 恐ろしげな三白眼で睨みを効かせ、俺に言ってくる。


「いそいで来たんだけどな」と、適当に答える。


「よう、あんたも来たのか。相変わらず派手な服装だな」


 ティンバイがシャネルを見て言う。


「どうも」と、シャネルはつれない返事だ。基本的に服のことを褒められれば喜ぶシャンルだが、男性に褒められても嬉しくないのだろうか。


「で、ティンバイ。なんでわざわざ外で待ってるのさ」


「なぜだと思う?」


「知らねえよ」


 知らないから聞いたんだ。


 ティンバイは深々と溜息をついた。その息が白い。


「俺様はな、別に兄弟を待っていたわけじゃねえ。まして中で待ってるやつに一人で会いたくなかったわけでもねえ」


 ほう、誰がかが中にいるのか。


「誰がいる」


「驚くぜ、北陽海軍の元帥様さ。こういうのは全員で出迎えるべきだ、そう思ったから兄弟を待った。ただそれだけだ」


「光栄だね」


 どうして俺を待つのか、よく分からないけど。


 たしかあれだよね、元帥って軍隊で一番えらい人。そんな人がここに来ているなんて、なんだか不思議だ。


 なんにせよ入るぞ、とティンバイは俺たちをしきる。いや、まあティンバイがこの馬賊の攬把ランパだからそれで良いんだけどね。


「ったくよ、この寒いのに外で待たせやがって」


 いや、そっちが勝手に待っていただけだろうと言ってやりたいが黙っておいた。


 他人の気持ちを慮ることのできる男、榎本シンク。なんでも良いけど「おもんぱかる」って不思議な日本語だよな。ぱってなんだよ、ぱって。お前本当に日本語か?


「あらあら、やっと来ましたね」


 フウさんが廊下にいた。


 その先には部屋がある、俺も入ったことはないがいわゆる応接室というやつだ。ときどきティンバイにワイロなんかを渡しに来る役人が詰め込まれる部屋だ。


「おう、これで全員揃ったな」


「ま、顔役はそうですね。私と貴方、そしてシンクさん。カブリオレさん、久しぶりですね」


「お久しぶりです」


 シャネルは警戒するようにフウさんに頭を下げた。


 そういえば昔、シャネルはフウさんが気に入らないと言っていたような気がする。よく覚えてないけど。


 どうしてだろう、こんなに美人なのに。いや、美人だからか? シャネルの考えることはよく分からねえからな。


「ねえ、シンク」


 シャネルが小さい声で耳打ちしてくる。


「なんだ?」


 ティンバイとフウさんはなにやら話し込んでいる。深刻そうだ。たぶん打ち合わせってやつだろう、こんな直前になって?


「私、あの人に名字を教えたかしら」


「フウさんに? いや、覚えてないけど」


 でもまあ、わざわざ教えなくてもシャネルの名字を知る機会があったのかもしれないし。


 そこらへんはよく分からない。


「よし、入るぞ」


 どうやら打ち合わせも終わったよう。


 ティンバイが扉をあける。


 中はティンバイの趣味通り、派手目な部屋だった。なにより目を引くのは部屋の隅においてある熊の剥製。よく温泉とかで見るやつね。え、見ない?


 さて、部屋の中には二人の男がいた。ティンバイが来るのを待っていたようだ。


 一人は白髪のてっぺんをハゲあがらせた老人。その顔には深いシワが刻まれており、しかし衰えているように見えるかと言えばそうではなく。むしろ赫灼かくしゃくとした印象さえもつ程に活力に満ちた目をしていた。


 そしてもう一人。こっちは知っている。


 ――北陽海軍のワンだ。


「よう、弟弟子」


「ふん、お前のことを兄弟子だなんて思ったことねえよ」


 こいつのせいで師匠はまだ目を覚まさないのだ。いまもこの屋敷の一室で医者に観られている。


 ティンバイは無言で部屋の奥に進むと、上座にどっしりと腰を下ろした。いかにも不機嫌そうだ。


 ふところからキセルを取り出す。すかさずフウさんが火をつけた。


 誰にも喋らない。


 無言だ。


 まるでティンバイが何かを言うのを待っているよう。


 そしてティンバイは一服つけると、ため息のような煙を吐いた。


「まさか独立して真っ先にルオから来る客人があんたとはね――。『忠義のユアン』」


「その二つ名を聞くのも久しぶりだよ」


 袁と呼ばれた老人は、いかにも柔和な表情でそう答える。


「では『英雄』とでも呼べば良いのか? 三十年以上も前のグリースとの戦争であんたが手に入れた二つ名だ」


「それもいまではキミのものだろう、張作良チャンヅォリャン


トエ。そうだ、いまは俺様が英雄だ。そして俺様は民から願いを聞き入れ、この奉天をルオから独立させた。分かるだろ、民はもうお前たちについていくことを嫌がっている」


「そうだろうね。して、キミは長城を超えるつもりか」


「当然だ」


 老人はまるでイタズラをする子供に微笑みかけるように笑った。


「当然か」


 老人はまったく戦争とは関係のない場所で笑っているように見える。この人が北陽海軍、つまりルオの正規軍の長なのだろうか。


 老人の後ろにいる王はずっと俺を睨んでいるので、俺も負けないように睨み返す。


「たとえばこういうのではどうだ? ティンバイ――」


 袁老人はティンバイのことを優しげにあざなで呼んだ。


 いつもならばそれで怒るティンバイなのだが、今回はなにも言わない。


「――長城からこっちは我々が。そちらはキミたち奉天軍とでも言おうか? キミたちが統治する。これは事実場、ルオが国土を失ったこととなるが誰も文句は言わないだろう。キミたちも無駄な争いをせずにすむ」


「無駄な争い、だと?」


「犠牲は少なくてすむだろう」


「あんたは和平の特使として奉天に来たのか?」


「そうだとも」


 袁老人はしっかりと頷いた。


 こういった戦争を嫌う人のことをハト派と言ったりするが、どうやらこの人はそのハト派らしかった。平和の使者。


 しかし後ろにいる王はそうではなさそう。挑発するように俺をにらみ続けている。


 こいつとの決着はまだついていないのだ。


「わりぃが爺さん、俺様は剣を引くつもりはねえ。この奉天から、ルオの首都に向かって軍を進める。それはすでに決定された事項だ」


「その決定を覆してほしい、とお願いしているのだ。独立だけで良いではないか、満足するべきだ。人には分相応というものがある」


「分相応だぁ! 言っておくがな、俺様は国が欲しいなんて思ったことは一度もねえ! ただ自分のできることをやっていたらこうなっただけだ。その俺が分不相応ならば、お前んとこの大将はどうだ! 宮殿にふんぞり返って指示を出すだけの女のどこに相応さがある!」


「……木大后ムータイホウ様もよくやっておられる。あの御方には天命がある」


「夫をぶっ殺して手に入れた天命か!」


「言い過ぎだぞ、ティンバイよ。三十年の間、この国をもたせてきたのはあの御方だ。少なくともティンバイ、キミではないだろう。壊すだけならば誰でもできる、しかしあの御方はそれを守り通してきたのだ」


「おかげで国はガタガタだ。民は飢えている。それもこれも、三十年前の戦争にお前たちが負けたからだ、違うかよ!」


「それでも必死でやったのだ、もう言うな」


「必死でやりました、だから許してください。それで死んでいったやつらが納得するかよ!」


 俺は、ティンバイがこんなに声を荒らげるのを初めて見た。


 それはいつもの冷静な恐ろしい彼ではなく、どこか子供がダダをこねているように見えた。


「ならばキミはどうするのだ。いまいちど国を立て直したとして、もし賠償金を払わぬというのならばグリースはまた攻めてくるかもしれんぞ」


「おう、来るなら来いってもんだ、俺様は絶対に負けねえ。あんたらの大将に天命があるならば、俺様には人命がある。民が望むままに俺様は戦うまでだ!」


「民が望むままに……か。よろしい、ならば長城を超えるが良い、ティンバイよ。この『忠義の袁』がキミを待とう。良いか、これは人と人の戦いだ。絶対に天命などというようなものに手出しはさせない。約束しよう」


「それはあの龍かい?」


 ティンバイは聞く。


「そうだ」


 袁老人――いや、袁将軍は頷いた。


 この人の目はたしかに武人のそれだ。まさに将の器、間違っても老人のものではない。


ハオ。良いだろう、俺様たちは長城を越える。そして国をとる。覚悟して待っていろ」


「よろしい、ではこの老体に鞭打って私も迎え撃とう。なあに、この『英雄袁』、この生涯でただの一度も負け戦はしなかった」


「ふん、グリースに負けておいて」


「局地戦では勝ったよ、若い者は知らんだろうがな。ティンバイ、キミは噂に違わぬいい男だ。もしも私が五十若ければキミの下につきたかったほどだ」


「いまからでも良いんだぜ、俺の馬賊は来るものを拒まない」


「いまさら木大后様を裏切るようなことはできないよ」


「ふん」


 袁将軍は立ち上がる。


 そうすると、意外なほどに身長が小さかった。


「榎本、決着は戦場でつけようぜ。まさかそれまでに死にはしないだろうな」


「当たり前だ、俺はお前を許さないからな」


 北陽海軍の二人の将は部屋を出ていく。


 会談の時間は意外なほどに短く、それはつまり交渉がはっきりと決裂したことをしめしていた。


「ったくよ、なにしに来たかと思ったら和睦の話かよ」


「攬把、いまの話は受けても良かったんですはないですの? 少なくとも受けたふりをして、数年間は力をためても」


 フウさんが聞く。


「……その間にいったいどれほどの民が飢えて死ぬ? そんな中でも木大后は贅の限りをつくした生活をしているんだぞ」


「そうですね、攬把のおっしゃえる通りです」


 ティンバイはつまらなさそうにタバコをふかす。その煙は天に登って、少ししてかき消えるのだった。



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