138 リンシャン
さきほどまでは蒼穹ともいえるほどの青空だったのに、またたくまに雨雲だらけになっている。
というよりも、まわりは夜になっているように思える。
いくら異世界といえど、いきなり天気がどころか昼夜まで変わるようなことはない。
カッ、と稲光が見えた。
「きゃっ!」
スーアちゃんが怖がって俺に抱きついてくる。
砂糖菓子みたいな甘い匂いがした。
「一雨くるぞ! 兄弟、どっかで雨宿りをする!」
「よし来た!」
俺たちは馬の速度を上げた。雷で馬たちは興奮しているが、そこはなんとか手綱を握る。
なにかしらの雨宿りできる場所、大樹でもなんでも良い。そういうものを探す。
「くそ、見渡す限りの荒野で嫌になるぜ!」
「あ、あそこはどうですか?」
スーアちゃんはが見つけたのは岩が壁のように隆起した地形だった。そこは小さな洞窟のようになっており、雨が振っても簡単にしのげそうだ。
俺たちはその洞窟のような空間に入る。
「クソ、まったく運がねえ」
「まあまあ、こうして雨宿りもできたことだし」
「でも、ぜんぜん降ってきませんね」
たしかに。すぐに降り出すかと思ったが、雨はまだ降っていない。
こんなに真っ暗な曇天なのに。雷だって鳴っているのに。
なんだか異常な気がした。
俺の勘が、とてつもない嫌な予感を察知する。
なんだ、これは?
自分でも分からない。
だが、雲の先、天の先からなにかが来る。
「なんだ、ありゃあ」
最初に気づいたのはティンバイだった。
その言葉で俺も天を仰ぎ見る。
ふざけるな、と俺は思った。雲から巨大ななにかが出ている。まるで蛇行する蛇のように雲から青い体が出ては消えを繰り返す。
その姿、全貌は暗い雲に囲まれ見ることはできない。
しかしあれは間違いない。
龍だ。
「あ、あわわ……」
スーアちゃんが洞窟の奥へと逃げていく。それを俺たちは止めない。俺だって逃げたいくらいだ。
だが幸い、まさかこちらを気づいてはいないようだ。あんな遠くから、上空から俺たちを見れば米粒のようなものだろう。このまま大人しくしてれば龍は去っていく、はずだ。
だがそれは甘い考え、希望的観測でしかなかった。
去っていくと思われた龍は、あろうことかそのまま上空に停滞する。
「おいおい、まじかよ……」
猛烈に嫌な予感がする。
ふと気がつくと、ティンバイが震えていた。いや、違う。震えているのはティンバイではない、やつの持つモーゼルだ。
「なんだ?」
ティンバイもそれに気づきモーゼルを取り出す。
カタカタ、カタカタとモーゼルは振動する。その銃身にはティンバイの色鮮やかな魔力がこもっている。まるでいまにも溢れ出そうとするように、カタカタ、カタカタと窮屈な物質の檻から出ようとしている。
「お、おいティンバイ! その銃、やべえぞ」
「なにがだ?」
「上手くは言えない、だけどその銃はやばい。今すぐにでも捨てるべきだ!」
「バカいうな、こいつは俺様の父親の形見だ。おいそれと捨てられるかよ!」
ならば捨てるわけにはいかない。
それに俺は察してしまった。もう捨てたところで遅い。
――気づかれた!
雲を裂くようにして、龍がその尊顔を表す。巨大な、俺が見たことのあるドラゴンに輪をかけてでかい。獰猛な口はグロテスクに開いており、人間など簡単に噛み砕きそうな牙が覗いている。
目は黄色く、濁っており、しかししっかりとこちらを見ていた。
ゆっくりと、龍は旋回しながら上空から降りてくる。
その姿が全て見えたとき、俺は気を失いそうになった。
でかい、でかすぎるのだ。
全長100メートルはあろうかという巨体。その体は全てが頑丈そうな青い鱗で覆われており、周囲には雷が鳴り響いている。
「兄弟、お前は鳳先生を連れて逃げろ」
「なに言ってんだ」
「俺様が時間を稼いでやる」
「バカ言うな無理だ!」
あんな巨大な龍相手に攻撃なんて通じるわけがない。俺のグローリィ・スラッシュだって傷はつけられるかもしれないが倒すことなんてできないだろう。
「じゃあどうするっていうんだ、泣いて見逃してもらうかよ!」
「そもそもどうして龍はこっちにを見ているんだ、それが分からない」
敵意はあるのだろうか。
もしかしてただこちらを観察しているだけではないだろうか。
それを最後の望みにする。こちらから手を出さなければ相手からも何もしてこないのではないだろうか。
龍はゆっくりと俺たちの元へとその恐ろしい顔を近づけてくる。
ゆっくり、
ゆっくり、
ゆっくり。
そして、龍が口を開いた。
そのとき、俺たちは信じれない言葉を聞いた。
――「ティンバイ」
龍が人語を喋ったのだ。
「なっ――」
なんで、という言葉は口にできなかった。
「リンシャン?」
それよりも、隣にいたティンバイの言葉が衝撃だったのだ。
「え? そ、それって――」
一度だけ聞いたことがある。
ティンバイの好きだった人の名前。
龍はまるで俺たちから逃げるようにまた天へと昇りだす。その速度は先程までのゆっくりさではない。早く、早く、この場を立ち去ろうとしているようだ。
「リンシャン、リンシャンだろ!」
ティンバイはなおも叫ぶ。
だが龍は振り返ることもしない。
そのまま雲の中に消えていく。
そしてしばらくすると、あたりは嘘のように晴れ上がった。
先程までここに龍がいたなどと、実際に見た俺すらも信じられないほどに。たぶんティンバイはもっと信じられない思いでいっぱいだろう。
事情はよく分からないが、あの龍がティンバイの想い人なのだろうか?
俺にはただの龍にしか見えなかった。
しかしティンバイとその子はなにかしら繋がっているのだ、俺たちには分からないような部分で。
「リンシャン、リンシャン! ふざけるなよ、どうしてリンシャンが!」
俺はなにも声をかけることができなかった。
それくらいにティンバイは落ち込んでいた。
もしこれがずっと会いたかった人との再開ならば、そんなのは悲しすぎる。ティンバイが何をしたというのだ?
俺は見たこともない神様を恨んだ。
最低だ、こんなことって。
獣のように叫び声をあげるティンバイ。
その叫びは荒野に響き渡るのだった。




