117 馬賊のご褒美
夜、奉天に帰ると、いつもの酒場ではなく今日はもっと広い酒場に行くことになった。
当然だ、いつもの酒場では20人も人が入ればすし詰めになってしまう。今日は50人以上もいるから、大きな酒場になるのだ。
俺もこの街に来てそんな大きな酒場に入るのは初めてだった。
酒場はちょっとしたパーティーホールといった感じで、円卓がたくさん並べられてそこには料理がこれでもかと乗っている。
しかも舞台まであって、その上ではよく分からない演劇までやっていたのだ。
「すごいなあ」
「攬把のはからいさ、あの人は仕事のあとはこうして酒を振る舞ってくれるんだ」
ダーシャンがなぜか自慢気に言う。
ふうん、と俺は右から左に聞き流す。
酒はとりあえずアルコール度数を高めましたという感じの渋いもので、料理はなぞの肉を焼いただけのものだ。たぶんジャイアントウコッケイかなにかだろう。いや、知らないけど。
「はいはい、みなさん。集まってください」
軍需と呼ばれる、いうなれば馬賊の会計係のような男が俺たちを集める。メガネをかけた優男で、肌は白くて、ついでに出っ歯だ。
俺たちはおの男からそれぞれ今日の分の報酬を受け取った。
どうやら馬賊には普通の給料――これはたいした額ではない――の他に、危険手当のようなものでこういったボーナスが出るらしい。
俺はもらったお金から4割をダーシャンに渡す。そういう約束だった。
「おう、まいど」
「なあ、馬とかモーゼルとかっていくらくらいするの?」
「そりゃあピンキリよ。モーゼルの相場はけっこう高いがな、他の粗悪な銃なら残った金でも買えるさ。その変わり信用はならねえがな。自分の命をあずけるもんだ、銃も馬も良いのを選びな」
ダーシャンは意外なほどに優しい様子で俺に言ってくれる。
だから俺も「うん、わかった」と素直に頷いておいた。
もしもこの馬賊家業を長く続けるのならば、2つは絶対にそろえるべきだろう。
しかし俺はいつまでこの仕事を続けるのだろうか。
どうやらティンバイは木ノ下――木大后に会いに行くつもりらしいが。でもそれこそ一介の馬賊がどうやって女帝に会うというのだろうか?
謁見するつもりだろうか。
でもティンバイはそういう男ではない気がする。
「なあ、ティンバイは長城を超えるって言ってたけど、どういうことだ」
俺はダーシャンに聞いてみる。
「はあ?」
ダーシャンは酒を飲んでいてよく聞いてなかったようだ。
「だから長城だよ、長城! 超えるんだろ?」
「超えるって、誰が?」
「ティンバイだよ」
そういうとダーシャンは大笑いをした。
「おいおい、誰にそんなこと聞いた? そりゃあそうなれば面白いとは思うがな、まさか攬把といえど長城をお超えにはなさらんさ」
そう言われても意味が分からない。
長城ってなんなのだ?
「あのさ、長城ってなに? どこにあるの?」
「長城は長城さ、奉天からはるか南の方にある。そこを超えればルオの国の中心、中原へと出るんだよ。古来からそこをとった男が天下を取るって言ってな。ま、ようするに俺たち馬賊からすれば中央政府のなわばり。つまりは敵地ってわけよ」
「ほえー」
ようやく飲み込めてきた。
長城とはつまり、万里の長城のことだ。
そりゃあそうか、パリィに凱旋門があったようにルオの国に万里の長城があってもなんらおかしくはない。
たしかあれは昔の中国が異民族の侵攻を防ぐためにつくった長い城壁だったはずだ。たぶんここでいう長城も同じようなものだろう。
ん? ってことは俺たち馬賊が異民族なのか?
まあそうだな、政府に反逆している悪者っていったら、そのとおりだからな。
「もしも攬把が長城を超えたらそりゃあ全面戦争さ」
ダーシャンがうっとりするように言う。
たぶんティンバイは胸の内を配下にも語っていないのだろう。
しかし俺ははっきりと聞いたのだ。
『長城を越えるために仲間が必要だ』
ティンバイはそう言って俺を誘った。
なんという不遜。
なんという大胆。
なんという傲慢。
それが俺たちのリーダーであるティンバイなのだ。
やつは天下をとる気だ。
それが分かったとき、俺はやはりこの馬賊に入ってよかったと思った。だってそうだろ、天下をとるということは最終的に木ノ下のもとへ行くということだ。
長城を超え、ルオの首都へと。そこで俺は木ノ下に会う。
そして……復讐するのだ。
俺たちは酒をたらふくのみ、料理をたらふくたべ、おおいに語り合った。たいていは愚にもつかない猥談だった気がする。
どうやら明日は休みをもらえるらしく、全員がハメを外した。
「さて、そろそろ行くか」
と、ダーシャン。
「どこに?」
俺はそろそろ帰ろうと思っていた。
さすがに強い酒を飲みすぎた。ぐでんぐでんだ。帰ってシャネルに抱きつこう(無理)。
「お前、殺して、酒のんでときたら次にやることは決まってるだろうよ」
「寝る?」
「女だよ、女」
その瞬間、俺は酔いが一気に冷めた。
――キタコレ!
これが噂に聞くあれか。社会人になって先輩に風俗に連れて行ってもらえるという。
「ダーシャンさん」
「あ、なんだてめえ。気持ち悪い。なんだよダーシャンさんって」
「行こう。さあ行こう」
「なんだてめえ、乗り気だな。もしかしてそういうの好きなのか?」
好きか嫌いかでいうと好きだ。
いや、ごめん。厳密には分からない、だって童貞だもの。たぶん好きだと思うよ、だって男の子だし。
「よーし、じゃあ行くか。おおい、一緒に女を抱きにいくやつー」
ダーシャンが号令をかけると何人かの男が手を上げてついてきた。
もうここまでくると大親友みたいな気楽さだ。
「俺、最近女に逃げられてよー」
「まじでー?」これ俺。
「俺なんてめんどうくさい女捨ててやったぜ」
「お前っていつもそうだよなー」
「そういやパオトウはどうなんっすか、最近」
「いやあ、俺に合う女がいなくてよぉ」
「そりゃあな、そんなデブいとそうだろ」これ俺。
「うるせえよ」
「体位も限定されますもんね」
「やべえって、ダーシャンに乗られた女とか潰れるだろ」これ俺。
「だからパオトウはデブ女しか抱かねえんだよな、潰さないように」
「わっはっは、てめえら青龍刀のサビにしてやろうか」
「そういやあよ、こいつ今日が初めての経験らしいぜ」
「そうなんっすよ」
「ほうほう、そうか。じゃあパオトウであるこのダーシャン様がおごってやるぜ」
「マジすか? あざーっす」
「初めてかぁ、思い出すなあ初めてのときを。もうだいぶ昔だなあ」
「シンクの初めてってどうだったんだよ? お前もけっこう若いだろ」
「え!? 俺? お、俺か」これ俺。
「そうそう」
「あーいや。うん。すっごかったよ。うん」これ俺。
「やっぱりすごいのか! うわぁ、楽しみだな」
「もうね、うん。すごいなんてもんじゃないよ。もう無我夢中で、なんかあっという間に終わったね。うん。だからお前は大切にしたほうが良いよ、ほら初めての経験って一生に一度じゃん? 大切だよ、うん」
「そうなのか、いいアドバイスだぜ!」
……ごめん、すっげえ嘘ついた。
童貞だからね、俺も。
しかしそれも今日までだ! 嘘から出た真、ひょうたんからコマ、身から出たサビ!
うん、てきとう言ってまーす。
俺たちはちょっと怪しい通りにきた。客引きとでもいうのだろうか、いろいろな女の人が立っている。
男どもは飢えた獣のように女の人によって行く。
俺はあえて静観をきめこんだ。
なんせこっちは童貞だ、とりあえず他の人の様子を見てやりかたを学ぶべきだろう。
ふんふむ、とりあえず話しかけて、お金をちらつかせて、そしてみんなそこらの建物の中へ消えていくわけだな。
よーしわかったぞ!
やり方を学び、さて俺も! と、そう思った瞬間、とんでもないことに気づいた。
――あれ??? もう女の人、いなくね?
「ま、まじか……」
思わず独り言。
まさかみんないなくなるとは。俺は1人で立ちすくむ。
なんだか昔、学校で2人組を作ってと言われて1人だけ残ったときのことを思い出した。
「ううっ……そんな……」
しかし考えようによっては良かったのかもしれない。
やっぱり初めてはシャネルが良いからな。どこの女とも分からない人で童貞を卒業するなんてダメだよ。
相手は処女、これは必須事項です。童貞と処女の夢のコラボレーションを実現するまで、俺はがんばります!
半分本気。だけどもう半分は負け惜しみ。
「帰るか……」
みんな建物の中に消えていった。いまごろ中でエロいことでもやってるのだろう。
「ふん、どうせ性病もってるよ!」
こういうのを酸っぱい葡萄という。
俺はさっさとシャネルが待つ長屋へと帰ろうとする。なにも連絡をしていないから心配していることだろう。
「あ、あの……」
しかしいきなり引き止められた。
小さな女の子だ。小学生くらいだろうか。
なんでこんな場所にいるんだろうか?




