104 龍への弟子入り
早朝、俺は独りで老人の家から出た。
なんだか朝早くに目が覚めてしまって暇だったのだ。当然シャネルは起きていたが散歩に出ようと言っても首を縦に振らなかった。
――「そんなに散歩ばっかりしてどうするのよ」
たしかにその通りだろう。
でも俺はそれくらしかやることがないんだ。
これで近所にカラオケでもあればぼっちカラオケも考えたが、この異世界にそんなものあるわけないからね。
で、けっきょく今日も散歩だ。
「なんだ、この建物?」
昨日見たとき思ったけど、なんだか豪華そうな建物だ。老人の一人暮らしには絶対に不必要だろ
う。それどころか掃除が大変なだけだし。
入り口は階段の方だな、と歩く。たぶんそちらが正面なのだろう。
なんだか子供の頃に近所の神社に勝手に入り込んだことを思い出した。そのとき一緒にいたやつも、この異世界のどこかで生きているはずだ。
「おじゃましまーす」
とりあえず言ってみる。
扉を開けて、中へ。
誰もいない。
……ちっ。
心の中で舌打ち。
もしかしたらキュートでロリィで狐耳な神様とかがいてくれるんじゃないかと思ったが、さすがに異世界もそこまで甘くはないようで。
「なんだここ、道場か?」
床は木造だ。
奥の方は壇になっておりそこには鏡のようなものが飾ってある。
それだけで道場っぽいな、と思うのだが、それに加えて壁には木刀や槍、はてはヌンチャクまでもがかかっている。まさか飾ってあるわけではないだろうから、やっぱりここは道場なのだろう。
これで老人の一人暮らしにはおかしな建物の謎が理解できた。
つまりここは何かしらの武道の鍛錬が行われている場所で、そういう意味ではここに来るまでの階段も本当に修行のいっかんなのかもしれない。
俺は壁にかかった武器の中から一番興味があったヌンチャクを手に取る。
「ほわたぁぁあああ!」
適当に叫びながら振り回す。
びっくりするくらい手に馴染む。やっぱり『武芸百般EX』のスキルのおかげだろう。
クルクルとヌンチャクを回し、右手から肩、肩から回ってきたのを今度は左手、そしてさらに回転させてまさに自由自在だ。
あれ、俺ってかなりイケてる?
あとでシャネルに見せてやろう、もうここまで早いと手品みたいなもんだろう。
「まだまだじゃな」
いきなり言われてびっくりする。
驚いて飛び上がったほどだ。
「うわっ!」
「垂直跳びはなかなかじゃな」
「なんだよジイさん、いつの間にいたんだよ!」
「お前さんがヌンチャクを振り回して遊びだしたくらいからじゃ」
「けっこう最初からだな」
俺は壁にヌンチャクを戻す。
勝手に使っていたけど怒っている様子はなさそう。むしろジイさんはもっとやれとでもいうように俺にたいして木刀を投げてきた。
それをキャッチ。
「お前さん、剣士じゃろ?」
「まあいちおうそういうことになってる」
昨日は肩に剣を担いでいたから、それで言っているのだろう。
「振ってみよ」
「これを?」
とりあえず振ってみる。
剣道なんてしたことないけれど、異世界に来てからはただ棒きれを振り回してるだけでもサマになってしまう。体が勝手に動くのだ。
「スジは良いの」
「どうも」
褒められて悪い気持ちはしない。
「しかし弱い」
「弱い?」
この俺が?
まさかこの異世界に来てからそんなことを言われる日が来るとは思わなかった。
でも確かにそうかもしれない……。俺は、俺が思っているよりも強くないのかもしれない。
いままで何度負けた?
こんなチート級のスキルを持っていながら何度も死にかけている。そのたびに『5銭の力』を使って生きながらえてきた。
「ま、お前さんはまだ若いようじゃ。ふおっふおっふぉ」
ジイさんは目を細めて笑う。
なんだか俺を挑発しているようだ。
「ジイさんは、強いのか?」
だからその挑発にのってやる。
「少なくともお前さんよりはな」
こんな小柄な老人が俺よりも強いだって? 冗談じゃない。
こっちだって異世界に来てから何度も修羅場をくぐってきたんだ。
「御老体、あんたはここの道場主なのか?」
「そうじゃよ、と言っても弟子をとるのはもうやめたがの」
「そうかい」
俺は剣を置こうとする。あまりここでムキになるのも大人げない。いや、俺のほうがどう見ても子供なんだけどね。しかし、老人の目が険しく光った。
「打ち込んでこい」
突然とんでもないことを言う。
「はあ?」
「その木刀でわしに打ち込んでこい。お主、どうやら世界の広さを知らんと見える」
「世界の広さねえ――」
たしかにそういうのとは無縁かもしれない。
きっとこの世界にはまだまだ俺の知らないことがあって、それは一生かかっても全部を知ることなんてできっこないのだ。
だからこそ、知る機会を大切にしていきたい。
俺は木刀を構えた。
まさか本気でやるつもりはない。しかしこの老人は自分の腕にそれなりに自信があるのだろう、ならば胸を借りるつもりでやってやる。
じりじりと間合いをつめる。
しかし老人は動かない。まったく構えもしない。本当に大丈夫か? とは思ったが、振り下ろすその瞬間に体は自動的に動いた。
まるで雷が落ちるかのような一太刀。
加減するつもりが、そんなものまるできかなかった。
――まずい!
だが俺が振り下ろした木刀は空を切った。
「ふおっふおっふぉ」
老人が不思議な笑い方をする。
木刀は老人のすれすれに振り下ろされている。
まったく当たっていない。
いな、そうではない。あたらなかったのではなく避けたのだ。まるで流れる水に剣を振り下ろしたように、老人の体は俺の一撃を紙一重で避けた。
「ジイさん……あんた……」
「どうじゃ、まだやるか?」
俺は今度こそ加減などもとよりするつもりなく木刀を振り下ろした状態から逆に切り上げる。
不意打ちだ。
さすがに卑怯かと思ったが――。
しかしやはりこれも当たることはない。
「太刀筋は良い、抜群じゃ」
俺はさっと後ろに下がり距離をとる。
「褒められてる気がしねえよ」
本音で言い返す。
こんどこそ剣を置いた。
勝てる気がしない。そう思えるほどの実力差があった。
こんなに強い人間だ、さぞ素晴らしいスキルを持っているのだろう。俺はそう思って『女神の寵愛~視覚~』のスキルを発動させる。これで他人のスキルを確認することができるのだ。
老人のスキルが可視化される。
『中唐』
『人徳』
その2つだけだった。
「ジイさん、武道系のスキルを持ってないのか!?」
俺は驚いて思わず叫んでしまう。
てっきり何かしらのスキルがあると思っていたのだが。
「お主はスキルがないと剣が振れんのか?」
「そんなことはないけど」
スキルとはつまるところ才能だ。とくにこういった武道系のスキルなんかはそれがあれば上達が早いとかその程度のもの。
「そんなもの無かろうと自らの研鑽次第でなんとでもなる。ときにお前さん、剣を握ってどれくらいじゃ? その実力じゃ、生まれてからずっと修行を積んできたか?」
「違う、だいたい半年くらいだ」
たぶんそれくらいだろう。
「半年じゃとな! これは面白い、お主はわしと違って才覚の塊じゃのう。だからこそ――才能だけで剣を振っておるきらいがある」
そのとおりだ。
俺はまったく武術経験がない。いや、厳密に言ったら体育の時間に柔道とかやったけどそれだけだ。だから剣だって全部適当。こういうのを我流とか無手勝流という。
「やっぱりダメかな?」
「ダメとは言わぬがな。武術などしょせんは体系化された効率よく敵を倒すための手段じゃ。そこに精神論を入れればそれは宗教となる。けっきょくのところ、相手を倒せればそれで良いんじゃないのかのう?」
老人はまるで俺を試すようにそう言う。
俺はその言葉に首を横に降った。
「それじゃあダメなんだよ。敵を倒すだけじゃあ」
いままでの戦いで俺はいったい何度ピンチになっただろうか。たまたま大丈夫だっただけで、もしかしたら隣にいてくれるシャネルが傷ついていた可能性だってあったのだ。
「ほう、ではお前さんは強くなってなんとしたい?」
俺は真剣に考える。
だが答えは簡単にでなかった。
「分からない」
と正直に答える。
いろいろしたいことはある。ただ負けたくなかったり、復讐をはたすには力が必要だったり、誰かを助けたいって気持ちもちょっとある。
「分からん、とな。では質問を変えよう、お前さんはなぜ剣を握った?」
「それは簡単だよ――」
俺はあの、シャネルと初めて会った日のことを思い出す。森の中で追われていたシャネル、彼女を助けようとして俺は剣を手にしたのだ。
「――シャネルを助けたかったんだ」
「あの洋人の娘か。ふむ、お前さんは分かりやすいやつじゃのう」
「分かりやすいかな?」
たしかにあんまり難しくことを考えないようにはしているつもりだ。
俺はたぶん根暗だ。根が暗いから迷ったりするとその分テンションも下がる。そうなると俺も楽しくないからできるだけハッピーにしているのだ。
だんじて頭の中がからっぽなのではない。(と、思う)
「嫌いではないぞ、お前さんのように分かりやすいやつは」
「なあ……ジイさん。あんたもう弟子はとってないのか?」
老人は片手を上げた。
それでも俺と同じくらいの身長だろうか、本当に小柄な老人だ。
「もう弟子はとらんのじゃ、そう決めた」
「そうか……」
もしよければ弟子入りでも、と思ったのだが。
「しかしお前さんがこの場所におりたいのなら、好きなだけおれば良いぞ」
「え?」
「弟子はとらん、しかし勝手に修行するのは構わん」
俺はペコリと頭を下げる。
よく言うだろ、武道は礼に始まり礼に終わるって。
これで俺はもっと強くなれる、そういう確証があった。
「そういえばお前さん、名前をまだ聞いてなかったのう」
「ああ、これは失礼。榎本シンクだ」
「ふむ、えのもとしんく、とな? よう分からん名前じゃのう。『えの』が性で『もと』が名で、あざなは『しんく』か?」
「あ、いや。榎本が性で、名前がシンク。あざなはないんだ」
「ほう、お前さんは異国の人間か」
「そう、でも漢字はあるよ」
そう言って俺は中空に文字を書いてみせる。
榎本真紅。
複雑な文字だから老人はどんな字を書くのか分からなかったようだ。
「わしは李小華。もっとも、ちまたでは李小龍と呼ばれておるがのう」
そういって小さな龍はまるで俺を飲み込むがのごとく歯を見せて笑ったのだった。




