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103 嫌われる洋人、しかし優しい老人


 俺の眼の前には桶に入った水を運ぶ老人の姿……。


 俺は地面に座り込んでいる。


 疲れていた。


 シャネルは宿屋で交渉中だ、これでもう4件目。どこもシャネルの姿を一目みるや宿泊を断ってきた。


 なんて国だ、と思う。こんな国に来なければ良かったとも。


 そもそも俺はどうしてこのルオの国に来たのだ?


 そうだ、木ノ下だ。あのギャル女がこの国にいるはずなのだ。しかし一つの国からたった一人の人間を探すなんて砂漠で針を探すようなものだ。


 ……できるはずがない。


 もういっそのこと帰ろうか。ホームシックではないが、どうしてかドレンスの町並みが懐かしくなってきた。


 シャネルが宿屋から出てきた。


「ダメだったわ」


「そっか」


「ええ」


 俺の隣にシャネルは座り込んだ。自慢の服が汚れるというのにお構いなしのようだ。シャネルもそうとう参っているのだろう。


「こんなことって初めてだわ」


「うん」


「私って美人だと思ってたのだけど」


「あ、いや。それはね」


 美人だとは思うけど。


「人に拒否されるのってこんなに辛いのね」


「無視されるのはもっと辛いぜ?」


 俺はやられたことがある。イジメの初期段階だ、無視から始まり、嫌がらせ、暴力と発展していった。


「久しぶりに悲しい気分だわ」


 しかしシャネルは無表情だった。もしかしたらシャネルは悲しくなるとそれを隠すために無表情になるのかもしれない。


「なあ、もう帰ろうか?」


 俺はちょっとだけ勇気を出して言ってみる。人間、逃げるのにも勇気がいるものだ。


 思い出すのは初めて学校に行くことをやめた朝。学校に行くのは地獄だった、でも行かないことはできないとそう思っていた。しかし無理して学校に行ってもその先に待っていたのは自殺くらいのものだっただろう。だからこそ俺は勇気を持って逃げたのだ。


 だからこそ、だからこそ、俺はいまこうして生きているのだと思う。


「どこによ?」


 とシャネルは聞いてくる。


「ドレンスさ。もうこんな国は出よう」


「ダメよ」


 しかしシャネルははっりと否定した。


「どうして」


「だってこの国にはシンクの復讐相手がいるのでしょ。ならそいつを殺すまでこの国を出るべきじゃないわ」


 シャネルははっきりと俺を見つめる。


 その目には力強さがあった。


 なんて優しくて気高い人なのだろうか。彼女は俺のためにそう言ってくれているのだ。


「良いのかよ、この国にいたらひどいことたくさんあるかもしれないぜ」


「良いのよ、貴方と一緒なら」


 シャネルが俺の手を握ってくれる。その手はちょっと冷たい。けれどきめ細やかできれいな手だった。


 俺は恥ずかしくなって立ち上がる。


「あはは、ならもうちょっと頑張ってみるか!」


 バカか、俺と自分にあきれる。


 この場合頑張るのはシャネルの方だろうに。


 でも照れていて正常な判断が失われている。くそ、シャネルはときどき可愛いから好きだ。いつも可愛ければ大好きだけどたまにやべえから減点だ!


 でもいまは好きだ!


 俺はいい気分であたりを見回す。


 さっきから桶で水を運んでいた老人がまだそこにいた。


「おい、ジイさん。重そうだな、持ってやるよ」


「なんじゃお前。こんなもん1人で運べるわい!」


 元気なジジイだ。しかしやっぱり重たいのか顔は少しつらそうだ。


「無理すんなよ御老体ごろうたい、持ってやるから」


 水桶といっても1つではない。棒の先に1つずつぶら下がっており、肩で担いで2つ一気に運べる


タイプのものだ。たぶん飲水のみみずなのだろう、かなり透き通った水だった。


「ふん、往来で洋人ヤンレンとちちくりあっとるやつの手なんぞ借りるものか」


「ヤンレンってなんだ?」


 俺は聞きながらも老人の肩から水桶を下ろしてやる。そして自分で持ち上げる。


 あ、けっこう重たい。


「洋人は洋人じゃ。ああいう白やら金やらの髪のやつらじゃよ」


「なんでそんなに嫌ってるんだよ」


 この老人はどうやら話をしてくれるみたいだ。なあに、人間歳をとると話し相手に飢えるるものさ。このさいだから色々聞いてみよう。


「あいつらはこの国を無茶苦茶にした。なんじゃ、最近の若いもんはそんなことも知らんのか」


「あいにくと俺もヤンレンじゃないけど外国人ではあるんだよ」


 実際には異世界人だけど。


 そりゃあ異世界からしたら俺のもといた世界だって異世界だからね。


「そうなのか、とりあえずそれをわしの家まで運べ」


「はいはい」


 桶を持った瞬間、もう運ばせる気満々なのだろう。老人はいきなり態度がでかくなった。


「そっちの洋人もついてこい」


「言われくてもそうしますよ、シンクと離れちゃ困るもの」


 俺たちは老人についていく。


 言った手前老人の家までこの水を運ばなければならいのだが……。


「この上じゃ、わしの家は」


「え、ここかよ!」


 見上げる。


 なが~い階段がある。


「さあゆけ、若いんじゃから!」


「はいはい、行きますよ!」


 というかこの老人じゃあこの階段を登るだけで日が暮れそうだ。やはり手伝ってよかった。


 にしても、なんでこんな長い階段なんだ?


 奉天の街は平地にあったから、ここはもともと丘かなにかだったわけだろうか。なんでそんなところに好きこのんで家を立てるかねえ……。


「頑張って、シンク」


 シャネルに応援されてよっこらせと階段を登っていく。


「ほれほれ、頑張るんじゃ」


「ジイさん、よくこんな階段毎日登れるな」


「修行じゃよ、修行」


 なんのこっちゃら。


 しかしたしかにこれは良い運動――もとい修行になりそうだ。でもいまどき階段を登って修行するって、古いスポコン漫画じゃあるまいしありえないよ。


 えっちらよっちらと階段を登る。


 なんとか登りきったとき、俺は後ろを振り返ってみた。


 奉天の街が一望できる、思っていたとおりかなり広い。鳥のようにばつぐんに良い俺の目は、この街で暮らしている人の姿、一人一人を映した。誰もが忙しそうで、でも誰もが生き生きとしていた。


「絶景じゃろ」


 と、老人が自慢気に言う。


「良いもん見られたよ、ジイさん」


 老人はこっちに来い、とまた歩きだした。


 きちんと地ならしされた地面、その先には平べったい家が立っている。俺はその家を見て、なんだか10円玉に描かれた平等院鳳凰堂を思い出した。あれをミニマムにした感じの家なのだ。家は赤く塗られている、かなり派手だ。


 でもそれはどうやら住居というわけではないらしく、その裏には隠れるようにして質素な、しかし広めの家が建っていた。


「こっちじゃ」


 台所、というべきか。そこだけ他とは切り離されて独立した部屋に水桶を運ぶ。台所から住居の方へは扉などではつながっておらず、一度外に出なければならないようだ。なんて不便な家。


「よっこいしょ」


 俺は水を置く。


 ずっと持っていたから肩が痛くなっていた。


「お前さん、なかなかやるのう」


「なにが?」


「その桶じゃ、一度も地面に置かずにここまで持ってくるとはのう」


「ま、これでもいちおう鍛えてますから」


 と、これはちょっと嘘だ。実際には鍛えてなんてないけれど、でも異世界に来てからはいろいろ切った張ったの経験が多くて自然と体ができてきたのだ。


「お主ら、泊まるところがないんじゃろ」


「あ? なんで知ってんだよ」


「宿屋の前であんなふうに話しとったらな。そもそも洋人というだけで目立つんじゃ、盗み聞きをしておったわけじゃないぞ」


「ああ、そういうこと」


「すいません」と、なぜかシャネルは謝る。


「どうせなら泊まっていくとよい。洋人を泊めてくれる宿なんぞこの街にはないじゃろ」


「本当かい、ジイさん!」


「うむ、水を運んでくれたお礼じゃて」


「ありがとうございます」


 シャネルが頭を下げると老人は奇妙な顔をした。


「ま、洋人が全員悪いやつという法もあるまいて……」


 そのつぶやきは何かしらの意味を持っていた。


 どうしてこの国では洋人がこんなに嫌われているのだろうか?


 俺にはまったく分からなかった。



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