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トガギン  作者: 水上 弾
9/10

9

 痛い、痛い。


 息が、……だめだ休むな!


「くそっ、くそっ!」


 命からがら、やっとここまで来た。


「くそっ! くそがっ!」


 トガギンのドアを、肩でぶつかるようにして乱暴に開ける。

 吊り下げられたベルが、ガラガラと(やかま)しく鳴いた。


「おや本田様」


「八木沼ぁ……」


 昼も夜も変わりなく、そこにいるのは八木沼。

 この悪魔は、寒気(さむけ)がするほど白々しく驚いて見せる。

 ……どうせ全部知ってるくせに!


「こんな時間にどうなさいました。……怪我もしてらっしゃる」


「てめぇ……っざっけんじゃねぇぞ!」


「落ち着いてください。まずは止血しませんと」


 指摘されると傷が思い出され、痛みが倍になるようだった。

 全身から(こぼ)れる血のせいでくらくらする。

 湧き上がる怒りのせいでくらくらする。

 追われる恐怖のせいで、くらくらと。


「救急車を呼びましょう。それとも馴染(なじ)みの闇医者のほうがよろしいですか」


 とか何とか言っておいて、こいつは立ち上がりもしないのだから。


「くせぇんだよ八木沼ぁ! 全部てめぇの仕込(しこ)みだろうが!」


「穏やかじゃありませんねぇ。どうしたというのです。一体何がありました?」


「何がだと? テメェがけしかけたバケモノのせいでこのザマだ!」


 左手を突きつける。

 そこには、くそっ、小指が根元から欠けていて……。


 ほう、と八木沼は息をついた。

 その態度に頭がカァっと熱くなる。

 刃物さえあればこの悪魔を()してやったのに。落としたナイフは拾う間もなかったから。


 ふむ、と八木沼はもう一度息をついた。


「バケモノ……ですか」


「女だよ、女ぁ! とぼけてんじゃねぇ! 

 制服の小娘が、首輪! オレの、預けた罪! 巻いて現れやがった! てめぇが寄こしたんだろ!」


 ようやく得心したようで、八木沼は鷹揚(おうよう)に頷く。


「それで、本田様はその少女に襲われた、と」


「そうだよ! 聞いてねぇぞ罪が『使える』なんて……っ! あんな、バケモノ、犬! あんな風に、くそっ!」


 あれじゃあ魔法か……本物の悪魔じゃねぇか!


「本田様。その襲撃は、当方の(あずか)()らぬことです。そもそも貴方を害する理由もメリットも、我々にはない」


「っ、……じゃあ、あのメスガキはなんでオレの首輪をしてやがった! お前がくれてやった以外にねぇだろ!」


「くれてやってなどおりません。融資(ゆうし)したのです」


 あんまりにもあっけらかんと、(わる)びれもせず、八木沼が言うものだから。

 一瞬頭が真っ白になる。


「……なんだって?」


「ですから、融資いたしました。貸し付けたのでございます。

 ――本田様、ここはクライム・バンク、罪の銀行ですよ? 

 罪を預かり保管する。

 そして罪を求める方へ、当方の裁量でもって融資する。当然、(のち)に利子を付けて返していただきますがね。

 本田様の首輪は、その少女に貸し付けられた、という訳ですな」


 こいつは、何を言っている?

 融資。貸し付けるだと?


「き、聞いてねぇ、聞いてねぇぞそんなの!」


「えぇ。始めのご説明の際に、本田様が『知らないうちに自分に罪が降りかからなければ何でもよい』と(おっしゃ)いましたので。(はぶ)きましたね。

 覚えていらっしゃいませんか? お(たず)ねになりたい事がございましたら都度(つど)ご遠慮なくお問い合わせください、とも申しましたが」


「……っ、だからって、そんな重要なことは教えろよ!」


「おや本田様、罪の借り受けにもご興味があったのですか? でしたらご相談して下さればよかったのに!

 ……そもそも預けた罪に利子が付くのだって、貸し借りが存在するからですよ。気付きませんでしたか?」


「このっ、悪魔っ!」


 なんてことだ。こんな罠が仕掛(しか)けられていたなんて。

 自由だと思ったのに。自由になれるシステムだとばかり、思っていたのに。


 オレは今、あのメスガキに、復讐されようとしている。

 このオレ自身の()めこんだ、罪によって。


「なら……なら、オレにもだ! オレにも罪を貸せ! 融資しろ! 形になった罪は使えるんだろ! あの犬どもを殺せるくらいの罪を寄こせ!」


「それはもちろん、(うけたまわ)りますけれども。

 しかし、ただ預かるのと違って融資契約の際は、審査にも書類作成にも手続きにも時間が()かりますからねぇ」


 そして悪魔は酷薄(こくはく)に笑う。


「もう、手遅れかと(ぞん)じますが」


「な――」


 八木沼の指さす先、開け放たれたままのドア。

 夜の冷気が吹き込むそこに、一頭の黒犬が立つ。


「おい、……よせ、」


 猟犬は、ゆっくりと(まばた)きをして。


「やめろっ、」


 おんおんと、天に向かって高く()えた。


 ……群れが来る。

 その息遣いが聞こえる、爪の()く音が、牙の打ち鳴らされる音が!

 いやだ、嫌だ嫌だ嫌だ!


「嫌だ、ふざけるな! 助けろ、助けろ八木沼! てめぇの()いた種だろうが!」


「何を(おっしゃ)いますお客様」


 悪魔は、オレを心底(あざけ)るように、ころころと(わら)う。


「これは貴方の種でしょう。貴方が(やしな)い、貴方が(はぐく)んだ罪の結果だ! 貴方の犯した罪の数が首輪の数、すなわち魔犬の数にございますよ!」


 ぐるぐると(うな)りながら店に入ってくる犬は、いったい何十頭いるのか、数えようとしても見当もつかない。

 オレが、今までどれだけの罪を犯してきたのか、記憶に(たず)ねても……見当もつかない。

 そのどれもが金色の目。

 そのどれもが全身に殺意を(みなぎ)らせて。


 オレは、食われる。

 そう、確信させられる。


「――八木沼さん」


 だが、そんな犬たちよりも鮮やかに輝く金眼(きんがん)で、そんな犬たちよりも凶暴な殺意を宿(やど)した少女が、最後に店へ。


 オレは、喰われる。

 そう、確信させられる!


「八木沼さん、邪魔、しないよね?」


「もちろんでございます鏑矢(かぶらや)様。お客様同士のいざこざに首を突っ込むような、出過ぎた真似は(いた)しませんよ。

 ……というより、外でやってもらえません?」


 だが八木沼の言葉を、少女は聞いているのかいないのか。


「よかった」


 顔を(ほころ)ばせ、そしてオレへと何かを放った。


「ひっ、」


 オレの足元に転がったそれ。

 ……刃の出たままの、バタフライナイフ、オレのだ。


「拾いなよ。本田将人」


「はっ、えっ?」


「そして足掻(あが)きなさい。私は今からお前を殺すけど、ほら、それがあれば、もしかしたら生き残れるかもしれないよ?」


 馬鹿言え。

 そんな訳ない。生き残れるなんて、そんな訳……。


 (なぶ)ってやがるんだ!


 ……そうと分かっていても、拾わずにはいられない。

 せめて(すが)るものが一つでもなければ。このまま、崩れ落ちてしまいそうだから。


「はっ、ひっ、はっ、」


「覚悟はいい? じゃあ――殺し合いましょう」


 飛びかかってくる犬。犬。犬。


 今度こそ逃げられない。

 いや、さっき逃げられだって、逃げ『させられた』のだ。


 ナイフを持つ手なんてすぐ喰われた。

 足も。

 胴も。

 肩も。(ひざ)も。腹も。喉も。胸も。爪も。(はらわた)も。目も。頭も。顔も。腕も。


 咀嚼(そしゃく)される。

 オレの全身がバラバラに、別々の口の中で。


 最期には、一欠片だけのオレが床に残った。


「――だから。店の外でやってくださいと、言ったのです」


 八木沼の不機嫌な声を聞き。


 オレは、ついに全部を、喰われ、、、、、


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