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トガギン  作者: 水上 弾
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8

 おや、と思う。


「見つけた、見つけたぞっ!」


 いや、(うら)まれること自体に不思議はない。

 あちこちでいろんな形で、人を(そこ)なってばかりなのだ。どこでどんな怨恨(えんこん)を買ってもおかしくないだろう。

 このノリは仇討(あだう)ちにでも来たのだろうが、それだって別に驚くほどのことじゃない。


 だがこの相手は……なんとも。


 少女だ。女子高生。

 何で分かるかって、そりゃ制服だもの。羽織(はお)ったコートの前を開けているからそれが(うかが)える。

 巻いたマフラーが()けかかっているところを見ると、さては走って来たのか。


「本田、将人(まさと)だな……」


「そうだけど。誰?」


 少女の握った(こぶし)が震えている。

 これは……本当に復讐(ふくしゅう)か。


 ため息が出る。

 ()められたものだ。

 もちろん得物(えもの)の一つも持っているのだろうけど、女の細腕(ほそうで)ではむしろ返り討ちだとか、考えなかったのだろうか。

 その結構な顔立ちで、男でも釣って連れてくればよかったのに。

 

 ポケットの中で、ナイフを指でなぞりながら(たず)ねる。


「どっかで会ったっけ?」


「……鏑矢(かぶらや)って名前を、覚えているか」


 少女の押し殺した声。

 ……鏑矢? 参ったな、名前を覚えるのは苦手なんだ。


 ――一瞬。彼女の勝気そうな目元に、何かを思い出しかけるが。

 結局何も出てきはしない。


 少女は歯を()く。


「吉祥寺の強盗殺人! 忘れたなんて言わせない! 私の父さんと母さんを殺し、飼い犬のエヴァンスも殺して……姉さんを犯して殺したことを!」


「……」


 覚えてない。

 どれのことだ? 吉祥寺?


 せめて無言を(つらぬ)いたけど、まぁ表情に出たんだろう。

 少女はぎりぎりと激昂(げきこう)していった。


「覚えて、ないの……? 私はお前を忘れたことなんてないのに!」


「あー……いや、だったらなんで君は生きてんの? 見られたらオレ、君のこともその姉さんと同じにしてるはずだけど」


「クローゼットに隠してくれた……姉さんが、私を! お前に犯されて、拷問されても、姉さんは……私は旅行中だって、言い張って……」


 あったかなぁ、そんなこと。

 まぁ殺すパターンのときはいつも、家族写真なんかで確かめて、その家に足りない住人があった場合には念入りに所在を(たず)ねているから。

 その吉祥寺の事件とやらが、いつも通りだとすれば、あったんだろう。


 不覚ではある。

 顔を見られたなんて、以前であれば背筋が(ちぢ)み上がるくらいの。

 今は? 

 どうでもいい。

 オレの罪はとっくにトガギンの禁庫の中だ。当然その、吉祥寺のも。


 そういえば、買い物に行った女、まだ戻って来ないな。


「私は! お前を探した! 警察にも言ったけど、私も動かずにはいられなかったから!

 顔から、名前を調べて、今日ついに! 辿(たど)()いたんだ!」


 キャンキャンうるさい。犬みたいだ。


「そりゃご苦労さまでした。で? どうすんの?」


「……え?」


「だから。オレを見つけて、どうすんのさ」


 あぁなんだか。

 愉快になってきた。


「警察を呼ぶ? 無駄だけどね。トガギンって知ってるかなぁ。信じられないかもしれねぇけど、オレは罪を預けて、もう無罪になっちった! 警察はとっくに、オレの相手なんかしないよ。

 じゃあ君が自分で復讐する? したらオレのほうが警察呼んじゃうけどね。今オレ、善良な一市民だし。

 ……てめぇは現れんのが遅すぎたんだよ。とっくの昔に! オレは自由だ!」


 立ち上がり、少女の襟首(えりくび)(つか)む。


「やっ、」


「ほら、刺すなら今だぜ? 何か持ってきてんだろ。刃物か、それともスタンガンか? 催涙(さいるい)スプレーくらいなら簡単に手に入るよなぁ! 早くしないとオレが先に刺しちゃうぜ!」


 抜き出したナイフを小娘の鼻先に突きつけると、あぁ、いい。憎悪の目が、一瞬恐怖に()れた。

 そうしてすぐに、自分を鼓舞(こぶ)するように怒りで表情が燃えた。

 その目がいい。すごくいい。


 この娘を食ったら、すごく美味(うま)そうだ。


「なぁ、オレは君の姉さんをどんな風にシた? 見てたんだろ、教えてくれよ。箪笥(たんす)ん中で、姉さんの(あえ)ぎ声を聞いてたんだろ? 君のことも同じようにヤってやるからよ。自分と姉さん重ねてみろ、復讐なんかブッ飛ぶくらい良くしてやる」


「……ってない」


「あ? なんか言ったか?」


「お前は、分かってない。何も分かってない」


「なんだと?」


 その目が、今度は鬱陶(うっとう)しい。

 どんな苦痛にも恐怖にも、変わらず射ぬいてくるような、侮蔑(ぶべつ)の目……あれ、どこかで……?


「お前は分かってない。

 罪を取り払ったって、事実は無くならないんだ。

 魂の(けが)れは、無くならないんだ。

 罪自体だって、物になって外れただけで、消えて無くなりはしないんだ! 

 お前は! お前の犯した罪によって! 必ず地獄に落ちるんだ!」


「っ、あぁそうかい! じゃあせいぜい生きてるうちに天国を見とくとするよ!

 だけどなぁ、クソガキ! 今日生き地獄を見るのはテメェだ! 死にたがったって殺してやんねぇからな!」


 さらに強く首を()()げる。

 そしてそのまま宙吊りだ。こんな小娘一人、片手で足りる。


 少女が苦しそうに顔を歪めるのが心地良い。

 それでも、この女は、(しぼ)()して言うのだ。


「っだから、お前は、分かってないっていうんだっ」


「うるっせぇな、マジでハジくぞ!」


 決めた、太腿(ふともも)に刃を突き立ててやる。

 それで大人しくならなきゃ、足もう一本だ。


 ガキはまだ(わめ)く。


「本田将人……っ! お前の罪は、お前に追いついた! この私が! お前の地獄よ!」


「あぁ? わけわからんことを――っ()ぇ!」


 右手に激痛が走り、ナイフを落としてしまった。左手の小娘も同様に。


「てめ、なにを、」


 この女が何かしたのかと思うが、地べたで()()むばかりのこいつに、何が出来る訳もない。


 右手を見る。


「なん、だこれ、……」


 (てのひら)から血が流れていた。何で付いたのか分からない傷。

 待て、見覚えがある。

 これは……歯型(はがた)()(きず)

 噛まれたのか? 何に? 一体いつ?


「……あ?」


 見間違い、だろうか。


 いや違う!


 間違いじゃない。

 今、地面に積もった雪、その上に……足跡(あしあと)が走った。

 そこには何も、いないのに。(ひと)りでに(きざ)まれていく……獣、獣の足跡だっ!


 何頭分も、何頭分も。


 気付けば息遣(いきづか)いを感じる。むせ返るほどに。

 体温も。

 視線も。

 ……殺意も。


 馬鹿な。馬鹿な馬鹿な馬鹿な。

 透明なケモノがいるっていうのか?


 いつの間にかオレは、足跡に、囲まれていた。


「なにがっ、なんでっ、」


「――お前の罪よ」


 ()いつくばっていた小娘が、ゆらりと立ち上がる。

 その拍子(ひょうし)にコートが落ち、マフラーが解けた。


「私の家族を忘れても、これは忘れないでしょう。お前は、自分の罪を『形』にした。

 八木沼さんから聞かなかった? 形になった罪は、物になった罪は、『使う』ことが出来るんだ。道具として、武器として。

 ……ほら、(うな)る声が聞こえる。爪が地を()いてる。牙が鳴って、空気が震えてる。

 ――私の持ってきた刃は、ナイフよりもスタンガンよりも、催涙スプレーなんかよりも、よっぽど鋭いぞ」


「てめぇ、それ……」


 小娘の瞳が、不可思議な金色に輝く。

 いや、目なんてどうだっていい。

 それよりも。

 マフラーの無くなった、その細く白い首に(から)まっているのは。


「オレの、『罪』の首輪か……?」


 ぐにゃりと空気が揺らめいた。


 そして、雪の上に、唐突に現れたのは……犬だ。

 夜闇(よるやみ)を固めたように黒い、大型の犬。

 出した舌が赤い。

 ()いた牙が白い。

 オレを見据える双眸(そうぼう)が金色で。


 それが、何頭も、何頭も。

 みんな、小娘と同じ、オレの罪の首輪を巻いていて。


「本田将人。お前は自分の罪を噛みしめろ」


 どうするかも頭に浮かばない。

 オレはとっくに猟犬の群れに取り囲まれている。

 小娘は、その奥に、女王のように君臨していた。


「私たちは、お前の肉を、噛みちぎってやるから……っ!」


 毛並みを逆立てる犬たちに、肌が泡立つ。


 オレを喰うのか。

 こんなことがあっていいのか。

 オレを喰うのか。


 ナイフで?


 こんなことが。


 どうにかなる?


 飛び来るケモノの、喉の奥が、赤い。


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