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……左様でございましたか。まだお若いのに、ご家族を。
つらいお話しをさせ、申し訳ありません。どうぞ、粗茶ですがお飲みください。落ち着きますよ。
お客様の事情はよく分かりました。当方も、協力する吝かではありません。
……が。生憎、クライム・バンクは慈善事業ではございませんので。
重ねてお聞かせ願えますでしょうか。
お客様は、その目的のために、『人生』を賭ける覚悟が。お有りでしょうか?
もしその覚悟をこちらにご記入いただけるのであれば。
えぇ。その目的、必ずや、果たされることでしょう。
そこからのオレの日々は、実に豊かなものだった。
ここ数週間オレをじわじわと追い詰めていた報道はぴたりと止み、世間は次のニュースをやり玉に挙げている。
もう何に怯えることもない。もう何に煩うこともない。
「こんな自由が他にあるか? なぁ」
「……ぅ……ぁ、……、」
死にかけのガキは、時おりビクリと痙攣しながら血と微かな息を吐くばかりだ。聞いてんのか?
まぁ、いいや。
財布、通帳、印鑑、パスポート、箪笥預金、貴金属、臓器などなど。
この家の金になる物はほぼ全部かき集めた。
これだけ派手にやっておけば、警察は犯人が一人とは思わないだろう。……もう、偽装する必要も、あんまりないんだけど。
あとはこのガキか。
フローリングは血の海だ。
父親と母親と祖母を殺されて、自分も死にかけているガキは虚ろな目から、恐怖のせいか痛みのせいかポロポロと涙を流していた。
息がさらに小さくなる。
「あぁ、おい。まだ死ぬなよ? キレーに腸を引きずり出して、冷凍しなきゃ。新鮮じゃなきゃ、売れないんだからさ」
用意した液体窒素が沸騰する。
ガキからがっくりと、力が抜けた。
「あぁだから。死ぬなってば」
>>>>>>
その深夜のこと。
「なんでクライム・バンクが存在できるのか、ですか?」
罪の預け入れのついでに訊ねてみたところ、八木沼はふむと黙考する。
「……最大の理由としては、我々が禁庫を生成・管理する技術を持っているから、ですが、」
「んにゃ、そういうことが聞きたいんじゃなくて、」
でしょうね、と八木沼も頷いた。
オレは言葉を探す。
「あー、だから……クライム・バンクに罪を預ければ、もうそいつは無罪だ。裁けないんだろう? 犯罪者にここへ駆けこまれたら、警察はおしまいだ。
ここは、そんな厄介なところなのに、なんで放っておかれる? なんで警察はクライム・バンクを取り締まらない?」
「ふむ」
八木沼の思案顔というのは珍しい。悪く言えばいつもお気楽そうだし、まぁそれが転じて超然として見えたりもするのだが。
そして、いつになく真面目な調子で口が開かれた。
「我々と警察との間には、不可侵条約があるのはご存じですよね」
「あぁ。そもそもそれが分からねぇ。なんでそんなものが存在できるんだ?」
「実はこれ、司法の側から持ちかけられたものなのですよ」
意外だ。
てっきりトガギンのほうが、何かコネクションか取引材料みたいなものを持っているのかとばかり。
八木沼は、蓋さえ開ければ単純な話ですよ、と前置きする。
「事件が、起こりますね。すると警察は、人員と予算を裂いて犯人を捜します。
さて犯人がすぐ捕まればめでたしめでたし。
しかし困るのはなかなか見つからない、捕まらない場合です。捕まえるまで延々、継続して人員と予算を当て続けなくてはならない。被害者への対面もありますからねぇ。事件が大きければ大きいほど、捜査員を削減することも、おいそれとするわけにはいかない。
その間にも別の事件は起こりうる。
未解決事件の上に、未解決事件。
悪循環ですね。人員と予算は有限です。それらを増やそうにも、税金も一定です。けれどもランニングコストは嵩み続ける。悪循環。
……そういうケースが、存外多いことは、本田様。貴方が一番よくご存じかと」
確かにそうだ。
オレは、オレが特別だなんて思わない。捕まらずに逃げ続けるなんて、オレに出来ることなのだ、他に出来る奴がいたっておかしくない。
きっと、オレより凶悪な罪人は、闇間にごまんと蠢いていることだろう。
「要するに、正義は膿んでいる。
21世紀に突入してから、今日に至るまでの半世紀で、ずっと緩やかな増加傾向にある犯罪に対して。凶悪になり続ける、咎人たちに対して。
10年前の犯罪発生率、警察の検挙率をご存知ですかな? 今はそのどちらもが当時の5分の1ですよ、5分の1!
……この世の犯罪者を全て捕えることなど、今となってはもはや不可能。そんなことを目指せばどれだけ金のかかることか! とてもじゃないが国が立ち行かなくなる。正義のために国を沈めるなんて、それこそ正気の沙汰じゃない。
けれど、しかし! 犯罪を認め、見過ごすことは断じて出来ない! 我が国は法治国家、国そのものが正義を体現せねばならないのだから!
……だから、クライム・バンクが頼られたのです。犯罪者が、犯罪者でなくなるシステムが、彼らには必要だった。犯罪者を捕えず裁かずとも減らすために。犯罪者でなくなったのなら、もう追えないのだと。彼ら自身を納得させるために」
「……それを、オレみたいなのが、利用してるってわけね」
なんともまぁ、歪んだ話だ。
正義はついに手が回らなくなり、それでも正義が為されるために、罪のほうに逃げ道を作ってやるなんて。
のみならず。オレはその仕組みを使って、『罪』を量産している。
「なんだ、」
だから、自然と出た感想だ。
「正義より、悪のが強いのか」
言うと、八木沼は我が意を得たりとばかりに、にんまりと口角を上げた。
「物語と現実は違いますから」
オレも、つられてにやりとする。
「正義のヒーローは漫画にしかいないってことね」
「それも当然でしょう。正義は損にしかなりませんが、罪は金を生みますから。
続ければ、どっちが強いかなんて子どもにも一目瞭然」
あぁ、全く、その通り。
罪を犯しても決して捕まらない、裁かれない今のオレは。
「じゃあ今のオレは。誰よりも、金持ちなわけだ」
八木沼は、大きく満足そうに首肯した。
まぁそれも、罪の使い方を、知っていれば、ですけどね。