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トガギン  作者: 水上 弾
4/10

4

 店の奥、エレベータに乗り込んで、地下へ。


 この先に、罪を保管するための金庫……禁忌(きんき)(くら)と書いて『禁庫(きんこ)』があるのだという。

 それがどんなものか、想像もつかないのだが。

 オレは事態を()すに任せてしまう気に、すっかりなっていた。


「頭がいいからって、学者だとか研究者だとか教師なんかになるような奴は馬鹿だ」


 道中には数多(あまた)の扉があり、これらの錠前(じょうまえ)を八木沼が字・手・目を使っていちいち開けていく。

 しかし数が数だけにやたらと時間がかかっていた。


「本当に頭がいいんだったら、犯罪者になればいい。

 水のないところには、あるところから()んで(そそ)げばいいんだ。

 金だって一緒。あるところ、ある奴から()る。それが一番シンプル。シンプルなことが一番いい。

 ……そう思わねぇ?」


 暇つぶしの雑談。オレは思うことも思わぬこともごちゃ混ぜにして口にする。

 八木沼のほうも手元が忙しく、どこまで真面目に受け答えしているのかは分からない。


「普通の人間は、頭がいいだけでは犯罪など出来ませんよ。本田様、貴方はもっとご自身の特別さを知るべきだ」


「オレが? 特別?」


「そう。もちろん罪を犯して逃げるには、頭がいる。そもそも追われないようにするためにもね。

 しかし、罪を耐えるのに要るのは心です。底抜けに混沌とした、心がね」


 鍵が開いた。

 八木沼に(うなが)され、先へ。

 ……また扉だ。


「混沌なんて、オレには無いよ。オレはただ我慢なく自由に生きたいだけだから」


「おや、自覚はないのですか。自由の追求は、それはそれは混沌と混迷を(ともな)うものですよ?

 ――それよりもわたくしが気になるのは、本田様が具体的にどのようにして捕まらずにいられたのか、ということですね」


「……。それこそ、特別なことは、何も」


「本当に?」


「あぁ。オレはせいぜい指紋(しもん)靴跡(くつあと)を残さないようにしたくらいだ。それでオレを見つけられないっていうんなら、追う方が馬鹿なんだろうさ。

 ……そう、向こうが馬鹿なんだ。どいつもこいつも、この犯罪にはこの犯人像、この原因にはこの因果……アホかっての」


 鍵が開いた。

 八木沼に促され、先へ。

 ……また扉だ。


(やつ)ら、想像もしないんだよ。

 物盗(ものと)りに入った家で、ついでに住人を細切れに解体していく人間の存在も。

 殺しに入るついでに、全財産を持ち出していく人間の存在も。

 簡単だぜ? 

 死体を派手に壊せば怨恨(えんこん)だと思われる。犯人は強い恨みを持つ人間だってな。

 金をごっそり抜いて行けば、金銭目的だと思われる。場当たり的な窃盗犯だろうってな。

 罪を犯したこともない人間の想定する犯罪心理なんて、的外れもいいとこだ」


「なるほど。やはり貴方は上客だ」


 鍵が開いた。

 八木沼に促され、先へ。


世辞(せじ)はいいよ。……それより、いい加減まだか? 扉、多すぎるだろ」


「心配されなくとも、これで最後ですよ」


 最後の、木製の扉はノブがあるだけで、一つの鍵もなかった。


「どうぞ。そして改めまして、ようこそクライム・バンクへ。ここが心臓部でございます」


「……広っ」


 まず最初の感想はそれ。広い。

 とにかく広い。


 次に、監獄(かんごく)のようだ、と思う。

 全方全面コンクリ打ちっぱなし。

 殺風景で、中央が吹き抜けになっていて、各階の外周ぐるりをバルコニー状の通路が囲っている。

 ここは三階に相当し、天井はまだ高い。

 あちこちに梯子(はしご)、上下にはこれで行き来するのだろう。

 

 通路沿い、壁という壁には鉄の、両開きの扉。

 また扉かとも思うが、ここに辿(たど)()くまでに(くぐ)って来たものと違い、それら全てにはそれぞれ番号が振ってあった。


「ここ、地下だよな……」


「えぇ。集めた罪で満杯になるたびに増築しておりましたら、このように。

 さぁ、こちらです」


 梯子を二つ昇る。

 空中回廊を三つ渡る。

 

 連れていかれたのは「十八」と書かれた扉だ。 

 ずっとそこで待っていたのか、あの()せっぽちがいて、オレたちへ(うやうや)しく礼をする。

 そっと、八木沼が彼女の頭を撫でた。


「御苦労さま、ヒツジ。開けてくれ。

 ――さぁ、本田様。見えますでしょうか。こちらが貴方様の禁庫でございます。この一室にて、クライム・バンクは貴方様の罪を絶対に、完璧に、完全に保管いたします」


「ふーん……」


「では、罪を取り出しますので。どうぞ、中へお入りになって」


「……いや、お前、先に入って」


「ほう?」


 一瞬きょとんとした八木沼は、しかしすぐに察したのか、気遣うように笑った。


「もちろん本田様を閉じ込めたりなど(いた)しませんが。気が利かず、申し訳ない。

 ヒツジ? 決して扉が閉じないようにね? そう、そのまま、手を放さないで。

 ――さぁ、本田様」


「……」


 先に入室した八木沼に招かれ、禁庫へ、一歩。


「っ、」


 寒い。


「寒いですか? それとも、暑いのですかな?」


 八木沼は、不思議なことを(たず)ねてきた。


「寒い……。冷凍庫みてぇだ」


「それは結構。じきに慣れます。……あぁ、この寒さは預かったものを劣化させずに(たも)つために必要なのだ、とでもお考え下さい」


「……」


 禁庫の中を見回す。


 ここだけでもそこそこの広さだ。十六(じょう)くらいだろうか。

 中はやっぱり全てコンクリで、部屋は定規(じょうぎ)を当てたみたいに、きっちり立方体に作られている。

 明かりは天井に埋め込まれているらしく、見上げれば白い光が目をくらませた。


「で? ここで何すりゃいいんだ? さっさと終わらせてくれ、寒くて仕方(しかた)ねぇ」


「何をするか?」


 八木沼は喉で笑った。


「もう済んでおりますよ」


「は?」


「首、にございます」


 首。

 はっとする。

 オレの首。

 そこには、なんだこれ? 首輪。

 首輪がある。犬の。


「なん、だよ、これ? お前の仕業(しわざ)か、八木沼!」


「いいえ。それは貴方の『仕業』ですよ。本田様。

 その首輪、犬の首輪にお心当たりは?」


 心当たりだと? 知ったことか。

 犬は嫌いなのだ。

 犬は……。


 ――小学生のときに初めて盗みに入った。

 学校で流行っていたゲームを買いたかったから。

 その家の番犬に()えられたので、黙らせるために石で殴り殺してやった。


 ――中学生のときに初めて人を殺した。

 最中にその家の飼い犬が噛みついてきたから、飼い主を済ませた後で電子レンジに突っ込んでやった。

 傷は()羽目(はめ)になった。


 ――高校生のときに初めてクスリをやった。

 トリップした勢いで、犬の散歩をしていた女を犯して殺した。

 わめく犬は何回か蹴ったら死んだ。


 ――……ついこの前も適当な家に押し入った。

 鉢合(はちあ)わせた勝気(かちき)そうな女は殴っても蹴ってもオレを非難するばかりで、泣き声一つ上げないし、不在だった妹の居所も言わないし。

 ムカついたから帰宅してきた両親を目の前で殺して、飼い犬も殺してやった。

 女は思いつく限りのことをしてから殺した。


 犬は……。

 犬は嫌いなんだ。


 なんで? 

 だって。


 あいつら、オレがイケナイコトをすると、きゃんきゃん責めるんだもの。


「そう。その首輪は貴方の罪の『形』です。禁庫は、貴方の罪に形相(けいそう)を獲得させる。それが、その首輪こそが、本田様の罪の象徴」


「……っ、」


 ぞわりと背筋が(おのの)いた。首輪の、革の感触に。


「ぐっ、くっ、!」


 外さなければ、この首輪を。

 けれども金具をいじっても、爪で()()いても、引っ張っても、だめだ、くそっ、だったらナイフで……っ。


「取れねぇ……っ!」


「取れませんよ。犯した罪は、(つぐな)わなければ、(あがな)わなければ、(そそ)ぐことなど出来ません。罪を除くには、(ばっ)せられなくてはならない」


「じゃあっ、」


「ですから。ほら落ち着いて、刃物を仕舞(しま)ってください。首を切ってしまいますよ?

 ……罰は嫌なのでしょう? だからその罪、わたくしどもが預かると、申しているのです」


 すっと寄って来た八木沼の目は、男のくせに、ひどく蠱惑(こわく)的で。

 鏡のように、その双眸(そうぼう)にオレが映る。

 (おび)えた子どものような、自分。

 すっと伸ばして来た八木沼の手つきは、男のくせに、ひどく蠱惑的で。

 オレの首に、触れた。


 ナイフを落とす。


「――はい、これにて本田様は無罪となりました」


「……え?」


 いつの間にか、八木沼の手に首輪がある。

 ……オレの首には、もう何もない。


「お時間を取らせてすみません。しかし、これで大手(おおで)を振って生きられますよ。本田様は自由の身です」


 自由……?


「終わり……終わり……? これで……? もう……?」


 だって今一瞬、あれ?


 というか、どうしたって外れなかった首輪なのに。

 あれが本当に罪の象徴だというのなら。


「なんで?」


 取れたんだ?

 オレの、問いの形にすらなっていない疑問に対して。八木沼は誇らしげに微笑んだ。


「クライム・バンクですので」


 今は八木沼の手の中にある、オレの罪。

 オレの身にはもう無い、オレの罪。

 オレと、罪とはもう、触れ合ってもいない。


 オレは自由なのか。


「……。……。……ぷっ。くくっ……」


 なぜだろう。


「あっは、あはははははははは!」


 笑いがこみ上げてきて、止まらなかった。


「本田様?」


「こんな! こんな簡単に! これだけで! オレの罪が取っ払われるなんて!」


 これが笑わずにいられるか?


 べつに夜、眠れなかったことなどない。

 飯が喉を通らなかったこともない。

 それでも自由に生きるのに、この罪というやつが、(わずら)わしいとは昼夜を問わず思っていた。


 まさかこんな、こんなことだけで、肩の荷が降りるとは。


「あーぁ……ははっ、バッカみてぇ。こんなんで罪が、ねぇ」


「おや。信じていただけませんか? なんでしたら、」


「いや信じてる。もう文句なく信じてるよ」


 八木沼の言葉を(さえぎ)る。

 そう、もう信じずにはいられない。

 だって今、オレの心はどこまでも晴れやかだ。まるで生まれ直したみたい。

 分かるものなのだ。罪を負ったことを、魂が理解するように。罪を降ろしたこともまた、魂で分かるのだ。


「あんがと。さっぱりした」


「それは何より。では、首輪の形に(いた)しました本田様の罪は、これよりこの十八番禁庫にて厳重に保管します」


「おう、やってやって」


 八木沼はガラス細工を扱う手つきで、床に首輪を置いた。

 ポツンと一つあるだけの首輪……これじゃこの禁庫が、いったい何のためにこんなに広いのだか分からない。


 ……あぁ、と。思い至った。


 きっと、この禁庫の大きさが、人の犯せる罪の最大なのだ。

 オレの罪はあんなにちっぽけ。部屋の一角を埋めるにも満たない。

 なんだ、とも思う。

 これまでで、あれだけのことやってみても、この程度の罪なのか。

 

 じゃあオレなんて。

 全然、善人の範疇(はんちゅう)だったんじゃないか。


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