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店の奥、エレベータに乗り込んで、地下へ。
この先に、罪を保管するための金庫……禁忌の庫と書いて『禁庫』があるのだという。
それがどんなものか、想像もつかないのだが。
オレは事態を為すに任せてしまう気に、すっかりなっていた。
「頭がいいからって、学者だとか研究者だとか教師なんかになるような奴は馬鹿だ」
道中には数多の扉があり、これらの錠前を八木沼が字・手・目を使っていちいち開けていく。
しかし数が数だけにやたらと時間がかかっていた。
「本当に頭がいいんだったら、犯罪者になればいい。
水のないところには、あるところから汲んで注げばいいんだ。
金だって一緒。あるところ、ある奴から盗る。それが一番シンプル。シンプルなことが一番いい。
……そう思わねぇ?」
暇つぶしの雑談。オレは思うことも思わぬこともごちゃ混ぜにして口にする。
八木沼のほうも手元が忙しく、どこまで真面目に受け答えしているのかは分からない。
「普通の人間は、頭がいいだけでは犯罪など出来ませんよ。本田様、貴方はもっとご自身の特別さを知るべきだ」
「オレが? 特別?」
「そう。もちろん罪を犯して逃げるには、頭がいる。そもそも追われないようにするためにもね。
しかし、罪を耐えるのに要るのは心です。底抜けに混沌とした、心がね」
鍵が開いた。
八木沼に促され、先へ。
……また扉だ。
「混沌なんて、オレには無いよ。オレはただ我慢なく自由に生きたいだけだから」
「おや、自覚はないのですか。自由の追求は、それはそれは混沌と混迷を伴うものですよ?
――それよりもわたくしが気になるのは、本田様が具体的にどのようにして捕まらずにいられたのか、ということですね」
「……。それこそ、特別なことは、何も」
「本当に?」
「あぁ。オレはせいぜい指紋と靴跡を残さないようにしたくらいだ。それでオレを見つけられないっていうんなら、追う方が馬鹿なんだろうさ。
……そう、向こうが馬鹿なんだ。どいつもこいつも、この犯罪にはこの犯人像、この原因にはこの因果……アホかっての」
鍵が開いた。
八木沼に促され、先へ。
……また扉だ。
「奴ら、想像もしないんだよ。
物盗りに入った家で、ついでに住人を細切れに解体していく人間の存在も。
殺しに入るついでに、全財産を持ち出していく人間の存在も。
簡単だぜ?
死体を派手に壊せば怨恨だと思われる。犯人は強い恨みを持つ人間だってな。
金をごっそり抜いて行けば、金銭目的だと思われる。場当たり的な窃盗犯だろうってな。
罪を犯したこともない人間の想定する犯罪心理なんて、的外れもいいとこだ」
「なるほど。やはり貴方は上客だ」
鍵が開いた。
八木沼に促され、先へ。
「世辞はいいよ。……それより、いい加減まだか? 扉、多すぎるだろ」
「心配されなくとも、これで最後ですよ」
最後の、木製の扉はノブがあるだけで、一つの鍵もなかった。
「どうぞ。そして改めまして、ようこそクライム・バンクへ。ここが心臓部でございます」
「……広っ」
まず最初の感想はそれ。広い。
とにかく広い。
次に、監獄のようだ、と思う。
全方全面コンクリ打ちっぱなし。
殺風景で、中央が吹き抜けになっていて、各階の外周ぐるりをバルコニー状の通路が囲っている。
ここは三階に相当し、天井はまだ高い。
あちこちに梯子、上下にはこれで行き来するのだろう。
通路沿い、壁という壁には鉄の、両開きの扉。
また扉かとも思うが、ここに辿り着くまでに潜って来たものと違い、それら全てにはそれぞれ番号が振ってあった。
「ここ、地下だよな……」
「えぇ。集めた罪で満杯になるたびに増築しておりましたら、このように。
さぁ、こちらです」
梯子を二つ昇る。
空中回廊を三つ渡る。
連れていかれたのは「十八」と書かれた扉だ。
ずっとそこで待っていたのか、あの痩せっぽちがいて、オレたちへ恭しく礼をする。
そっと、八木沼が彼女の頭を撫でた。
「御苦労さま、ヒツジ。開けてくれ。
――さぁ、本田様。見えますでしょうか。こちらが貴方様の禁庫でございます。この一室にて、クライム・バンクは貴方様の罪を絶対に、完璧に、完全に保管いたします」
「ふーん……」
「では、罪を取り出しますので。どうぞ、中へお入りになって」
「……いや、お前、先に入って」
「ほう?」
一瞬きょとんとした八木沼は、しかしすぐに察したのか、気遣うように笑った。
「もちろん本田様を閉じ込めたりなど致しませんが。気が利かず、申し訳ない。
ヒツジ? 決して扉が閉じないようにね? そう、そのまま、手を放さないで。
――さぁ、本田様」
「……」
先に入室した八木沼に招かれ、禁庫へ、一歩。
「っ、」
寒い。
「寒いですか? それとも、暑いのですかな?」
八木沼は、不思議なことを訊ねてきた。
「寒い……。冷凍庫みてぇだ」
「それは結構。じきに慣れます。……あぁ、この寒さは預かったものを劣化させずに保つために必要なのだ、とでもお考え下さい」
「……」
禁庫の中を見回す。
ここだけでもそこそこの広さだ。十六畳くらいだろうか。
中はやっぱり全てコンクリで、部屋は定規を当てたみたいに、きっちり立方体に作られている。
明かりは天井に埋め込まれているらしく、見上げれば白い光が目をくらませた。
「で? ここで何すりゃいいんだ? さっさと終わらせてくれ、寒くて仕方ねぇ」
「何をするか?」
八木沼は喉で笑った。
「もう済んでおりますよ」
「は?」
「首、にございます」
首。
はっとする。
オレの首。
そこには、なんだこれ? 首輪。
首輪がある。犬の。
「なん、だよ、これ? お前の仕業か、八木沼!」
「いいえ。それは貴方の『仕業』ですよ。本田様。
その首輪、犬の首輪にお心当たりは?」
心当たりだと? 知ったことか。
犬は嫌いなのだ。
犬は……。
――小学生のときに初めて盗みに入った。
学校で流行っていたゲームを買いたかったから。
その家の番犬に吠えられたので、黙らせるために石で殴り殺してやった。
――中学生のときに初めて人を殺した。
最中にその家の飼い犬が噛みついてきたから、飼い主を済ませた後で電子レンジに突っ込んでやった。
傷は縫う羽目になった。
――高校生のときに初めてクスリをやった。
トリップした勢いで、犬の散歩をしていた女を犯して殺した。
わめく犬は何回か蹴ったら死んだ。
――……ついこの前も適当な家に押し入った。
鉢合わせた勝気そうな女は殴っても蹴ってもオレを非難するばかりで、泣き声一つ上げないし、不在だった妹の居所も言わないし。
ムカついたから帰宅してきた両親を目の前で殺して、飼い犬も殺してやった。
女は思いつく限りのことをしてから殺した。
犬は……。
犬は嫌いなんだ。
なんで?
だって。
あいつら、オレがイケナイコトをすると、きゃんきゃん責めるんだもの。
「そう。その首輪は貴方の罪の『形』です。禁庫は、貴方の罪に形相を獲得させる。それが、その首輪こそが、本田様の罪の象徴」
「……っ、」
ぞわりと背筋が慄いた。首輪の、革の感触に。
「ぐっ、くっ、!」
外さなければ、この首輪を。
けれども金具をいじっても、爪で引っ掻いても、引っ張っても、だめだ、くそっ、だったらナイフで……っ。
「取れねぇ……っ!」
「取れませんよ。犯した罪は、償わなければ、贖わなければ、雪ぐことなど出来ません。罪を除くには、罰せられなくてはならない」
「じゃあっ、」
「ですから。ほら落ち着いて、刃物を仕舞ってください。首を切ってしまいますよ?
……罰は嫌なのでしょう? だからその罪、わたくしどもが預かると、申しているのです」
すっと寄って来た八木沼の目は、男のくせに、ひどく蠱惑的で。
鏡のように、その双眸にオレが映る。
怯えた子どものような、自分。
すっと伸ばして来た八木沼の手つきは、男のくせに、ひどく蠱惑的で。
オレの首に、触れた。
ナイフを落とす。
「――はい、これにて本田様は無罪となりました」
「……え?」
いつの間にか、八木沼の手に首輪がある。
……オレの首には、もう何もない。
「お時間を取らせてすみません。しかし、これで大手を振って生きられますよ。本田様は自由の身です」
自由……?
「終わり……終わり……? これで……? もう……?」
だって今一瞬、あれ?
というか、どうしたって外れなかった首輪なのに。
あれが本当に罪の象徴だというのなら。
「なんで?」
取れたんだ?
オレの、問いの形にすらなっていない疑問に対して。八木沼は誇らしげに微笑んだ。
「クライム・バンクですので」
今は八木沼の手の中にある、オレの罪。
オレの身にはもう無い、オレの罪。
オレと、罪とはもう、触れ合ってもいない。
オレは自由なのか。
「……。……。……ぷっ。くくっ……」
なぜだろう。
「あっは、あはははははははは!」
笑いがこみ上げてきて、止まらなかった。
「本田様?」
「こんな! こんな簡単に! これだけで! オレの罪が取っ払われるなんて!」
これが笑わずにいられるか?
べつに夜、眠れなかったことなどない。
飯が喉を通らなかったこともない。
それでも自由に生きるのに、この罪というやつが、煩わしいとは昼夜を問わず思っていた。
まさかこんな、こんなことだけで、肩の荷が降りるとは。
「あーぁ……ははっ、バッカみてぇ。こんなんで罪が、ねぇ」
「おや。信じていただけませんか? なんでしたら、」
「いや信じてる。もう文句なく信じてるよ」
八木沼の言葉を遮る。
そう、もう信じずにはいられない。
だって今、オレの心はどこまでも晴れやかだ。まるで生まれ直したみたい。
分かるものなのだ。罪を負ったことを、魂が理解するように。罪を降ろしたこともまた、魂で分かるのだ。
「あんがと。さっぱりした」
「それは何より。では、首輪の形に致しました本田様の罪は、これよりこの十八番禁庫にて厳重に保管します」
「おう、やってやって」
八木沼はガラス細工を扱う手つきで、床に首輪を置いた。
ポツンと一つあるだけの首輪……これじゃこの禁庫が、いったい何のためにこんなに広いのだか分からない。
……あぁ、と。思い至った。
きっと、この禁庫の大きさが、人の犯せる罪の最大なのだ。
オレの罪はあんなにちっぽけ。部屋の一角を埋めるにも満たない。
なんだ、とも思う。
これまでで、あれだけのことやってみても、この程度の罪なのか。
じゃあオレなんて。
全然、善人の範疇だったんじゃないか。