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それは、にこやかな、えぇと、少年、だった。
どう贔屓目に見てもそうとしか言えない。
最初の痩せっぽちの少女よりは年上だろうが、さっきの目つき悪い女よりはずっと若い。せいぜい高校生くらいのものだろう。
なんだこいつ、バイトか?
ガキは、制服でもスーツでもなくタキシード姿で、片眼鏡をかけている。
手には白い手袋、そして年季の入った杖を携えていた。
コスプレ趣味でしかあり得ない格好ではあるが、どういうわけだかこの少年には、雰囲気のせいかピタリと嵌まっている。
「わたくし、当クライム・バンクの支店長、八木沼と申します!
この寒い中ご来店いただきまして、誠にありがとうございます!
お客様のお名前を伺ってもよろしいですかな!?」
テンションたけぇな。
……じゃ、なくて。
今こいつ、支店長と言ったか?
「お客様?」
「……本田、将人」
面食らったせいで、ぽろりと口から出てしまったのは偽らざる本名で。
ガキは満足したように頷いてから、対面に座った。
「本田様。本日はようこそいらっしゃいました! クライム・バンクのご利用は初めてですよね? あぁ、わたくしどもご新規のお客さまは大歓迎でございます! 見ての通り、お恥ずかしい話ではありますが、当店は閑古鳥の鳴く有り様でして。お客様に足を運んでいただけるよう努力はしているつもりなのですが、いや言い訳でございますね。で、本日は口座のご開設で? よろしいですねぇ、ただいまキャンペーン中でして、新たに口座を作られたお客様にはクライム・バンクオリジナルの目覚まし時計を――」
「ちょっと、待て。待てって」
くるくると回る言葉に掌を見せると、八木沼と名乗った少年はきょとんとしながらも口を結んだ。
「どうかなさいましたか?」
「いや、支店長って言った? 支店長? ここの? お前が?」
「はい。支店長の八木沼でございます。
……はっ! 申し訳ございません本田様! 大変失礼を致しました、どうぞ名刺を、」
「いやいや、名刺なんかいらねぇから。
は? なんだ。なめてんのか?」
「……と、申しますと?」
「お前みたいなガキが店長なわけねぇだろうが! うさん臭ぇ銀行だと思ってたけどやっぱりだな! 本物はどうした? 裏に隠れてコソコソ伺ってるわけか」
「いえ、ですからわたくしが、」
飯塚さんはケンカを売るなと言っていたし、自分でもそのつもりでいた。
だが向こうが売ってくるって言うなら話は別だ。
「責任者が面も見せねぇようなとこ信用できるわけねぇだろうが! いいからとっとと本物つれて来い! でなきゃオレは帰――」
椅子から上げかけた腰が、
「お客様。」
ぴたりと凍りついてしまう。
八木沼の、たった一声で。
カウンターの向こうで微笑んでいるだけのこの小僧の、何か、空気だけが。
決定的に変質していた。
端的に言えば、オレは呑まれたのだ。
その、蛇のようにまとわりつく、その、八木沼のどろりとした、その、視線に……。
八木沼は、あくまで丁寧に、落ち着き払って、言った。
「お客様、ねぇ本田様。どうかご安心ください。
もしや、ご自身が追われる身だから、通報されることを警戒している? 心配は要りません、警察は我々にとっても疎ましいものですから。
それに、わたくしはこのクライム・バンクを取り仕切る、まぎれもない支店長にございます。
もっとも――仮にわたくしが支店長でなかったとして、一体どうだと言うのです? 本田様は罪を預けて、潔白になるためにご来店下さったのでしょう?」
「……。……できんのかよ、本当に」
八木沼は表情を改めて、元通りの暖かさでにっこり破顔した。
「えぇ、もちろん。クライム・バンクですから。
では、まずはこちらの用紙の、ここ。この枠の中に、ご記入をお願い致します」
借りたペンで氏名やら生年月日やらを埋めていると、あの痩せっぽちの少女が盆を持って静々とやって来た。
こちらにはアルコールの注がれた銀のコップ、八木沼の方にはマグカップ、ホットミルクか?
「ありがとう、ヒツジ。
そうだ、十八番キン庫を開けておいてくれるか。すぐ使う」
「は、はい……。十、八番……。わかり、ました……」
少女は頷き、一礼して下がっていった。
「ほら。書けたぜ」
「はい、ありがとうございます」
書類を受け取った八木沼は残りの部分に忙しくペンを走らせながら、時おりマグカップを口へ運んでいる。左利きのようだ。
「それで本田様、本日はどのような罪をお預け入れで?」
顔を上げないまま、八木沼は身構えなしに訊いてくる。
「どんなって……とりあえず、オレにある罪、全部取っ払ってほしいんだけど」
「えぇ、もちろん喜んで預からせていただきますとも。クライム・バンクは扱う罪の量も種類も問いませんので!」
「じゃあオレの罪なんて、何だっていいじゃねぇか」
「わたくし自身の興味でございますよ。不躾をお許しください。職業病の一種でして」
下世話で早死にしそうな病気だな。
そう言いかけて、やめた。
飯塚さんがトガギンを悪魔だと言ったわけが、さっきので少し分かったし。
「あれだ……ちょっと暴力沙汰を起こしてな。つまんないケンカだったんだけど派手にやり過ぎた。でも、向こうから突っかかってきたんだぜ?」
さすがにオレだって人に憚るところであるから、声を抑えて言ったのだが。
「本田様」
くつくつと、八木沼は喉で笑うのだ。
「……なんだよ」
「でまかせは、いけません」
金縁の片眼鏡に光が反射してキラリと輝く。
八木沼は、心底楽しそうにこちらを見ていた。
「まぁ傷害事件も嘘というわけではないようですが。けれども、本当でもない。
だって傷害は、窃盗とは違いますものね。
詐欺とも違います。
強姦とも。
誘拐とも。
脅迫とも。
薬物売買とも。
もちろん――殺人ともね」
なんだって。
「ずいぶんと手広くやっておいでで」
「お、前、……、」
窃盗。
詐欺。
強姦。
誘拐。
脅迫。
薬物売買。
殺人。
まさか、まさか、知っているのか?
オレの過去を。
来歴……犯罪歴を、全部?
なぜ? 今まで一度も、捕まったことはないのに。
どうして。
どうやって。
「なんで……わかった……? 調べたのか? 調べられるわけあるのか?」
「そのために眼鏡をかけておりますもので」
八木沼は、訳のわからないことを言った。
そして付け加える。
「あぁ、器物損壊も。ペットも法的には器物の範囲ですからねぇ。犬はお嫌いで?」
「……」
「分かりますとも。クライム・バンクですので」
こいつ……本当に悪魔か?
「……。なんだよ。じゃあ、オレの罪、全部わかってて訊いたのか? 悪趣味だな」
「申し訳ございません。本田様の口から聞きたかったのです」
八木沼は、音をたてないように、ホットミルクを飲んだ。
「――罪は、ただそれだけでは『他人を損なった事実』でしかありません。罪が罪であるには、実はたくさんの条件がいる。
罰する法のあること。
罰する者のあること……」
聞き入るしか、なかった。
「そして、なにより、罪の意識。
悪と罪とは違うのです。
わたくしには貴方に逆巻く悪が視えても、それが罪であるかは、貴方に問わねば分からない」
「……嘘ついたのに、お前、分かったじゃねぇか」
「嘘をつくのは罪悪感の証拠。『罪』を『悪』だと『感』じる証拠ですよ」
じゃあいったい何と答えればよかったんだ。
いや。
――もう、隠す意味も必要もないのか。
「……口に出せば、追いついてくると、思ってた」
「はい?」
「誰にも言わなかった。直接関わった奴しか知らないはずだ。それも、大方は生きちゃいないが。
だから、オレの罪の全部を知っている奴はいない。お前、以外には」
「光栄にございます」
「口に出せば、追いついてくると、思ってた」
罪が。
オレに。
「オレだけに留めておかなければ。罪がオレに追いついてくると思ってた。
……いや、逆か。
オレだけに留めておけば、いつも痕跡は残さなかったから、罪と無縁でいられると思ってた」
「――普通の人間は、」
その目は何だ。八木沼の。
輝かせている、というか。逆に眩しいものを見ているよう、というか。優秀な子どもを見ているかの、ような。
……感心?
「普通の人間は、罪を秘めておくことができません。
他人に見つけられ、でなければ自ら懺悔し。どんな形にしても、罪を外に出してしまわなければ耐えられない。
罪とは、抱えているだけで苦痛を伴うものなのです。まるで、サボテンを抱くが如く。
それを……本田様、貴方は素晴らしい才能をお持ちだ!」
「ありがとよ。
……まぁ残念ながら今度ばかりはピンチでな。警察に目ぇつけられた。ちょっと前にやった仕事で証拠を残したらしくて、追うほうも本腰ってわけ」
本当、どこでヘマしたんだか。完璧だったはずなんだけどなぁ。
「動くとなれば猟犬のようなしつこさですものね、連中は」
それも今日まででしょう。八木沼はそう言った。
「どうぞ本田様。こちらへ。これより、『禁庫室』へとご案内します」