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トガギン  作者: 水上 弾
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 猟犬たちは、腹を満たすと空気に()けて消えた。


 まるで全てが悪い夢だったみたい。


 人を殺した。

 私の家族を殺した男を、私がこの手で、殺した。


 わるいゆめみたい。

 まるで実感がない。

 私の人殺しの証拠は、この血溜(ちだ)まりと、私自身の魂の(けが)れだけ。


 なんだか、ひどく疲れてしまった。


 私はつい今しがたやり()げたことに放心し、壁に背中を預けて、冷たい床に座りこんでいた。

 八木沼さんがどこへだか電話をかけるのを聞き、蟹沢(かにざわ)さんがお店のシャッターを降ろすのをぼんやりと眺めていると。

 目の前にマグカップが差し出される。


「え?」


「あ、あの……どうぞ……」


「あぁ……。ありがとう、ヒツジちゃん」


 受け取ると、ホットミルクだった。

 ハチミツでも入っているのか、(ほの)かに甘い香りがして、私は、どうしてだろう……、


「あれ? なんで、」


 涙が(あふ)れて止まらなかった。


 安堵(あんど)だろうか。

 恐怖だろうか。

 罪悪感か、それとも解放感か、あるいは達成感かもしれない。

 とにかく復讐をやり(おお)せた私は、いろんな気持ちを()()ぜにして、頬を()らしていた。


 ヒツジちゃんがオロオロとしている。

 いけない、泣き止まなければ。そうは思っても……。


「……父さん、母さん、エヴァンス。――姉さん。私、やったよ……」


 私は細く、私にだけ聞こえるように、(つぶや)いた。のに。


「えぇ。やりましたね」


 ――気付くと、八木沼さんが私の隣に立っている。

 爪先(つまさき)血溜(ちだ)まりを踏み、靴についた赤で床に顔文字を描いていた。……なんて悪趣味。


「お見事でした。これで貴女様の復讐は完遂(かんすい)した。

 あれほどまでに『罪』を展開できるとは、いやはや。呼べても犬二・三頭が限度と思っておりましたが、お見逸(おみそ)れしました。才能ですね」


「……嬉しくないよ」


 八木沼さんなりのお世辞(せじ)激励(げきれい)なのかもしれないけれど、私は正直なところを答えた。

 すると彼は心底楽しそうだ。


(かたき)()ったのに、嬉しくないと?」


「…………。そっちじゃなくて。罪を使うのに、才能があるのなんかが」


「確かに『罪を使う』こと自体にも罪が発生し、()(まと)いますからね。イコール、咎人(とがびと)である才能というわけですから、お気持ちは察します。

 今宵(こよい)、貴女は何の罪もない人間を、罪で殺した」


 いじわるな、言い方。


「まぎれもない罪人ですね、貴女は」


「…………」


 そう、罪人。

 どんな形であれ、どんな相手であれ、人を殺せば罪人だ。

 法がどうとかすら関係ない。魂が、罪を負うのだ。


 そして、いつか自らの罪によって裁かれる。

 私が殺した、この男がそうであったように。

 きっと、私も……。


 首に巻いた罪の首輪が、少し()まった、ような気がした。


鏑矢(かぶらや)様。よろしければ貴女が今日犯した罪を、当店でお預かり(いた)しますが。もちろん、その首輪も(ふく)めて」


 あぁ、本当に八木沼さんは悪魔なんだ。

 私を無罪潔白にしてくれるって。なんて甘美な、優しい誘惑なんだろう。

 きっといつもこんな風に、罪を保存して循環させて流通させて、そして増やしていくのだろう。


「……うぅん、いい。預けない」


「本当に? よろしいので? 貴女、罪人ですよ?」


「うん。私は(つぐな)う。自首する。私が憎んで私が殺した男と、同じことはしたくないから」


 それに。


「それに、罪を預けることは合法かもしれないけれど……やっぱり、いけないこと、罪だよ、それは。

 罪を預けて無罪になっても、魂は、罪を負ったままなんだ」


「……決意は固いのですね? 絶対に、どうしても、罪は預けない?」


「うん。八木沼さんは、残念だろうけど」


 この人は、この首輪の形した罪をクライム・バンクで持っておきたかったはずだ。

 これだけの力がある罪ならば、次の罪と悲劇を生むのは簡単だろうから。

 ――だからこそ、私が持ったままにして、私が償うんだ。


「でも、ありがとうは言わせて。

 八木沼さんとクライム・バンクのせいで私の(かたき)は捕まえられなくなったけど……八木沼さんとクライム・バンクのおかげで、私は私自身の手で、復讐を()げられた」


「いいえ。全ては貴女の才覚と、覚悟の賜物(たまもの)です。我々は、何も」


「…………。じゃあ、私、これで。警察、行くから」


 立ち上がる。

 と。

 八木沼さんの声音が、変わった――


「あぁ、それは叶いませんよ」


「え……?」


「警察は貴女を取り合いません」


 いたずらが成功したような、八木沼さんの顔。

 私はさぞ、ポカンとしていたことだろう。


「貴女はここで働くのです。ここ、クライム・バンクで。住み込みでね」


「え、え?」


 何を言っているんだろう? 

 話が(きゅう)()ぎて、全くついていけない。


「ちょ、ちょっと待って、え? なに、なんのこと?」


「貴女、罪の融資を受けるとき、ご自身の『人生』を担保(たんぽ)にしたでしょう」


 ほら書類、と鼻先に突きつけられる紙切れ。

 そこにあるのは契約内容……人生を担保に、罪を借りる(むね)

 と、私自身のサイン。


「借りたものには利子を付けて返さなくてはならない。貴女は返済に必要なだけの罪を犯し、その首輪に合わせて返さなくてはならないのです。

 ……が、それは嫌なのでしょう? 償いたいのでしょう? その首輪さえ、禁庫には入れないのでしょう?

 では仕方ない。当店は契約に(のっと)り、担保から回収することに(いた)します。貴方の人生は担保分、当店のものです」


「……ちなみに、返済に()る罪って、どれくらい? 私いま、人殺ししたんだけど……」


「そんなものは使用した罪の補填(ほてん)分にしかなりませんよ。

 分かります? 罪は『使え』ば『減る』んです。当たり前でしょう? 物は使えば減っていくのだから!

 そんなねぇ、一人殺したくらいで、しかも正当で情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)の余地が多分にある復讐殺人では、返済には全然足りませんとも」


 話についていけず呆然とする私を、八木沼さんは……八木沼は、楽しそうに(のぞ)()んでくる。


「大丈夫ですか?」


 大丈夫じゃねぇよ……。


「じゃあ、なに? 私、ここの従業員になんの?」


「返済分、罪を犯すのが嫌だと(おっしゃ)るのなら。

 別に、わたくしはどちらでも構いませんが」


 この人……。


「本当に、悪魔だね……」


 それが私が出せる最後のぐうの音だった。


 白旗を上げた私に、八木沼は満足そうに頷く。


「ようこそ、鏑矢(かぶらや)果穂(かほ)。今日から貴女は、クライム・バンクの一員です」


 ――こうして私はこの世の悪を増大させ、増長させる、最低な業界の末端になった。


 上司は悪魔で、財産は(かたき)の残した首輪だけ。

 返済分に持っていかれる人生が果たしてどれくらいか……考えたくもない。

 いろんな意味で終わってる。


 それでも、私は、晴れやかだった。


 きっと、私が悪人だからだろう。

 復讐が終わって、心が軽いなんて。


「では、さっそく最初の仕事ですよ果穂(かほ)。はい、モップ」


 八木沼は、この時ばかりは裏なく、(いつく)しむように微笑んだ。

 何故だかは、私には分からないけど。


「まずは床掃除から。その血溜(ちだ)まりを残らず()()って、元通りのピカピカにしてくださいね。貴女が汚したんですから」


 あぁ本当に。なんて意地悪な人なんだろう。


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