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「あ、あ……」
目の前に、あいつがいた。
信じられなかった。嘘だったらいいと思った。この状況は、私が一番恐れていたものなのだから。
「す、すまない、その、様子がおかしかったから気になって……」
あいつが何か言っているが、全く頭に入ってこない。
頭の中でいろんな感情がぐるぐると回っていた。
聞かれたのだ、聞かれてしまった。
私が好きだと言っているところを。
何でこうなった?どうなっている?どうすればいい?
考えれば考えるほど頭が混乱して何も考えられなくなる。
「ご、ごめんなさい」
混乱の中、とっさにでたのはそんな言葉だった。
その言葉が口からでた瞬間、混乱していた頭が一気に冷静になった。
もう取り返しのつかない状態になっていると。
終わってしまったのだと、そう思った。
「え?」
「ごめんなさい気持ち悪いことを言って。
元男なのに変なことを行ってごめんなさい」
一度謝罪の言葉が出ると止まらなかった。
きっと、嫌われただろう。
元男に好きだなんて言われたら気持ち悪いと思うのが普通だ。
「……ごめんなさい」
俯いて、搾り出すようにもう一度言った。
あいつの顔を見る勇気はなかった。
耳を塞がないことだけが、私に出来る最大の努力だった。
きっと、拒絶の言葉が返ってくるだろう、と思った。
そして、それはこれまでの生活が終わりを意味するのだろうとも思った。
「なんで、謝るんだ」
「え?」
だから、そんな言葉が返ってきたとき、聞き間違いかと思った。
「なんで、謝るんだ?」
何でってそれは、私が元男なのに好きだなんていったからで、
「気持ち悪いわけないだろ」
「え?」
「それで気持ち悪いって言うんなら、俺だって気持ち悪い奴だ
……俺も、お前のことが好きだ」
え?
「う、うそ」
「嘘じゃない」
だって、ありえないだろう。そんな都合のいいことがあるわけがない。
あいつは別に同性愛者じゃなかったはずだ。
「あのな、想像してみろよ。元男だとか、そういうことは置いておいてさ。
外見が好みの子と半年も一緒に暮らして、料理作ってもらったり世話してもらったりしてたら普通男がどう思うか」
……いや、まあ確かに、そういわれてみれば、それは男の夢のような気もするけれど。
家事をするのは奴隷として当然のことだし。
「朝起きたら、朝飯のいい匂いがして、リビングに行ったら笑顔で挨拶してくれて、昼に弁当を開けたら丁寧に作られた料理が並んでいて、家に帰ったら、嬉しそうな顔でお帰りなさいって言ってくれて、暖かい晩飯が出来てた。
……俺は単純なんだよ。そんなことをされたら意識しないわけないだろうが」
あいつは、自分の髪を軽くかき回した後に視線を逸らしながら、そう言った。
それは、あいつが照れているときの、昔からの癖だった。
……じゃあ、まさかいいのだろうか。
本当にいいのだろうか。
「……これからも、いっしょにいていいの?」
「ああ。いてくれないとこまる」
視界がにじんだ。
泣き顔を見せたくなくて、とっさに俯く。
すると頭に暖かさを感じた。
頭を、あいつが撫でていた。
それはあの時の、奴隷商から助けてもらったときの暖かさと同じだった。
次から次へと涙が溢れてきた。
「う、ひっく、う、うあああああ」
安堵と喜びで、私はあいつにすがり付いて、ただ泣くことしか出来なかった。
次の日、いつもと同じ時間に起きた。
窓から、夜明けの光が差し込んでいる。
「……?」
いつもと同じ朝、のはずだが何か違う気がする。
こう、なんというか、心から重石が取れたような、すがすがしい気分だ。
「……えっと」
違和感を覚えながら体を起こすと右手が引っ張られる。
見ると、あいつが私の右手を握りながら、ベッドに突っ伏すように眠っていた。
その瞬間、昨日のことが一気に思い出される。
ベッドで泣いていたこと。
その現場をあいつに見られたこと
そして、好きだといってもらえたこと。
「ああ……夢じゃ、なかったんだ」
口に出すと、視界がまた滲んだ。
そして、そのまま泣き出しそうになって――
軽く頭を振り、涙をこらえた。
泣いている場合じゃない。私にはやることがある。
あいつは昨日言っていた。朝起きると朝ごはんの匂いがするのが嬉しかったと。
だったらそれをしたい。
あいつに喜んでもらいたい。
右手から、ゆっくりとあいつの手を離し、立ち上がった。
部屋から出てキッチンへと向かう。
その途中で窓から空が見えた。いつもと同じ、朝焼けの空だ。
でも、それはいつもよりずっと綺麗に見えた。