グラス 十三杯目
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結局その後、レオ丸は外に出ることなく、エルヴィンと近況報告や互いの“研究”に関する意見交換などを行った。
先ほどの件があったとはいえ、やはり〈せ学会〉の一員としてはその思考や発想には信頼が置けるし、自分とは違う視点には一目置いている。
エルヴィンもまた、自身のモンスターやかつて〈レイドクラス〉であったモンスターとの会話で得た情報を、惜しげもなく共有する。
双方にはそれだけの信頼関係と、この世界に関する渇望があった。
「……しかし、自分らそんなこと考えとったんかい。まさか、〈忘却の狼王〉をなぁ……。
ちょいとお話しをばしてみたいけど、大丈夫なんかな?
いきなり尻に噛み付かれて、ギャーオー!って叫ぶ羽目にならへんかな?
まぁ、自分らが骨までしゃぶられてへんねんから、大丈夫やとは、思うけど。
それにしても……。
つくづく、自分とユストゥス君の発想と言うか思い付きには脱帽やな」
「とんでもない。元々ユンは体のことがあって、イズモに行くこと自体は決めていたんです。
そのついでに、〈契約術式〉の応用実験しよう、と打ち明けられまして」
レオ丸は腕を組み、尋ねる。
「アレやな、所謂〈筆写師〉がそれ相応のレベルの紙とインク使えばでっちあげられる、っていう」
「そうです。
あ、もう実際に試されているようですね」
「ワシも道中いろいろあってな?
で、それをモンスター相手に拡大したったわけやな。……うまくいったから大したモンや。
夏の甲子園の決勝戦、1点負けの9回裏2アウトからのギャンブルスタート並みやな?」
その言葉に、エルヴィンは少しだけ顔を顰める。
「いえ……どちらかというと双方の思惑が一致した、というのが正しそうでして」
「なるほどなぁ……。ほな、こないな事も出来るんかもしれへんな?」
「何ですか、その思わせぶりな言い方は?」
「いやな、既存のモンスターと契約を結ぶ際にな、名付けをして“種別”から“個”という個性を持たせた上で更に区別化を図れば、特殊な“個体”に変容せぇへんか?ってな」
「……済みません、それやりました。その結果が、先ほど触れました〈忘却の狼王〉です」
「……ここにいる間に、他の事例考えるか、でっち上げるかするさかいに、ちぃーっと待っててんか?」
「お願いします」
加えて、レイドモンスターや〈古来種〉との邂逅によって得た情報やユストゥスの着想を共有する。
流石のレオ丸も、その情報に関しては絶句する。
「……こん世界の“粗”っぽいけど、いや待て、ちょいと考えさせてんか。
軽々なことは言えんよってに」
「……実際、アイツともう一人で〈冒険者〉解体してますし、信憑性はあると思っています」
その言葉に、レオ丸は眉を上げる。
そして、テイルザーンとの話を思い出す。
何があったのか、聞きたい。
自身の、好奇心がむくむくと頭をもたげる。
だが、目の前の彼とてその一員なのだ。むしろ、中心人物のひとりだと言ってもいいだろう。
だからこそ、細心の注意を払わなくてはならない。
彼らとの関連は、決して弱いものではないと思っている。
だが、これは個人ではない。明確に、個人対ギルドという構図だ。
その点を考え、少しだけ逡巡するものの、
「……なぁ? さっきこっちの知り合いに、自分らのところは《円卓》から目ぇつけられてるて聞いたんやが、ホンマなんか?」
率直に聞く。
すると。
「あー」
エルヴィンは困ったように声を上げる。とはいえ、痛いところを突かれた、という感じではなく。
(……どう説明したらエエんやろ、って感じやんな?)
果たして。
エルヴィンは説明に困った、と隠さずに表情に出したまま、口を開く。
「……全く以て、難しい話ではないんですが。
あー、レオ丸殿は“下界”の情報について、どこまでご存じですか?」
「……なんなん、その奥歯に物挟まったような言い方? そんなに厄介なんか? それとワシは“まだ”現世の修行者やで?」
あー、と再度声を上げ、エルヴィンは胡散臭いものを見るような視線をこちらに無遠慮に向けながら話し出す。
「♪ヒビキ♪とはもうお会いになりましたよね?」
♪ヒビキ♪、と言われ、
「ああ、あの若くて足のきれいな〈武闘家〉のお嬢ちゃんやな? ハル君とえらいイチャコラしとった」
第三者としての、客観的な意見を述べる。
「いや足への言及は避けますけど。
……実はアイツ、現実では読者モデルなんだそうですよ」
「はぁ……はぁ!? なんで読者モデルがゲームやっとんねん!! で、何のとりえもなさそうなフツーの少年とイチャコラしとんねん!! 世の中間違っとるで!!」
「お怒りはごもっとも。ですが本人達は至って天然でして。今ではユン以上の“震源”でしてね。困ったものです。
話戻しますが、彼女を目当てにゲーム始めた連中も、この〈大災害〉に巻き込まれましてね。
……しかも、当初彼女はススキノにいたんです。そして、その連中も」
その言葉で、全てが分かった。
人間のおぞましさに、誰にでもあり得ることに、そして自分にもあり得たことに。
素直に吐き気を覚える。
「だから……ユストゥス君は『やらかした』んやな?」
「流石、ご理解が早くて助かります。私も、その話はあまりしたくないんです。
だからこそ、俺達は《円卓会議》そのものを完全には認めていません」
その言葉に、大まかな事のいきさつを理解する。
はっきり言えば、彼らの掲げることは綺麗事だ。
掲げるだけなら誰でもできる。掲げたまま、維持することができないだけだ。
だから、失敗すると分かっていることはしない。
それこそが賢い選択だからだ。
だが、彼らはそれをして、あまつさえ維持している。
(……そりゃ、《円卓会議》には眩しいやろな。潰したくなる気もわかるで)
そんなレオ丸の表情を見てか、エルヴィンは照れたように笑い、続ける。
「いくつかは完全に偶然、って部分もあると思いますけどね。ただ、少なくともユンは明確に“筋”を読んで、この世界を歩いています。
この、現実にも近い世界で。
間違いもあります。ただ、それを修正し、“失点”を最小限にする能力こそ、あいつの“強み”です。
……いや、考えてみれば、人間は大なり小なり、そういう力は持っているものです。だというのに、俺やダッドリーはそれをすっかり忘れてしまっていた。
いや、これは言い過ぎかもしれませんが、《大災害》を経験した面々は多少、“逃避”に走ったんだと思います。
『ここは現実ではない』という、“逃避”を。
でも、ユンは。“蒼瀧 潤”という男は。自分を見失わないことだけを、最初から掲げていた。
『やりたいことをやる』。アイツが最初に掲げた目標ですよ。
……それは当然でありながら、特殊なことに聞こえてしまう。
現代人、特に日本人は、それを忘れてしまっていますからね。
だから、アイツの元に皆が集まった。皆が忘れ、しかし蒼瀧だけが持っていた。
それがまぶしくて。
それがうらやましくて。
……流石に、ここまで好き勝手やるとは思っていませんでしたがね」
最後の苦笑は、誰に向けてのものだったのか。
レオ丸は目の前の狐尾族の青年に、少しだけ眩しそうに笑いかける。
「若い、若いなぁ、エルヴィン君。
しかし、その通りかもしれんな。誰もが、分かりやすい免罪符を買い求めたわけやな。
それを買わなかった、いや見向きもしなかったんがユストゥス君、か。
……案外、自分で発行してそうやな、あん野郎?」
「……それで“家族”増やしちゃ世話ないんですがね……」
「また増えたんか!?」
レオ丸の言葉に、エルヴィンが心底疲れた様子で答える。
「……あいつは来る者拒まずなんで、“あの二人”が“嫁”のマネジメントしてます。
ただ、最近は〈大地人〉も候補に入ってきて、更に混沌としてまして……」
「……嫁のマネジメントて、初めて聞く単語やな? 一昔は女子高生でも無理あったんに……草葉の陰でドラッカーさんも複雑な顔してそうやな?」
「……私も初めて使いましたよ。
まだ30に届いてないんで、若いつもりだったんですがね……」
だが。
レオ丸はそのことに一番驚く。
「……え? あれ、そーなんか?」
「……え? あれ、そんなに老けて見えます?」
そして二人は。
顔を見合わせたまま、低い声で笑い続け。
「……夕食ですけど、大丈夫ですか?」
呼びに来た♪ヒビキ♪に怪訝な顔をされた。
――□――
その♪ヒビキ♪に先導され、レオ丸とエルヴィンはリビングに向かう。
「レオ丸さんって、凄腕の〈召喚術師〉なんですよね?」
笑みを含んだ♪ヒビキ♪の言葉には素直な敬意が込められていた。
そのことに気恥しさを感じながらも答える。
「どこの観点で凄腕と判断するかは分からんけども、年期は確かに入っとるで? なんせ、自分が生まれる前からやっとるからな」
「あ、そうですよねー。それだけ長いと、お知り合いの人ってすごい人ばっかりなんですか?」
随分とざっくりした聞き方やな、と思いながらエルヴィンを見る。
「うーん、そこもどんな観点かに依るけど、確かに知己は多いな?
例えばエルヴィン君とは現実でも知り合いやし、君らんとこの葉月嬢、彼女とは以前からの知り合いやで?」
「えっ!? エルヴィンさんはどうでもいいとして、“先生”……あいや、葉月さんとお知り合いなんですか?」
その言葉に、いろいろと思うことはあるが、気になった部分だけを聞く。
「……“先生”? どういうことや?」
「あ、葉月さんはアタシの先生なんです、いろいろ……えっちなこと以外ですよ?
現実で……あ、これ言っていいのかな、いいか、葉月さんは学校の先生なんです。で、アタシも将来教職を目指しているので、いろいろと教えてもらっているんです」
ちょっと早いですけどね、と頭を掻く彼女に対して。
「はー、よう考えてるんやな……」
それ以前に、彼女は既に“帰る”ことを視野に入れて動いていることにも驚く。
(これが、ユストゥス君のところの子達、ってことか)
頼もしさと同時、そら恐ろしいものを感じる。
もしも。
例の、『この世界で一万回死んだら現実に戻れる』という、荒唐無稽な話をしたら彼らは、どうするのだろう。
複雑な思いを抱いたまま、レオ丸はいい香りの漂うリビングへと入って行った。
―― ――
頭からすっぽりと布きれを被った男は、珍しいものを見るように、きょろきょろと辺りを見回す。
「これが、“今の”アキバ……」
低く、落ち着いた声。
その声には、かつて捨てたものへの郷愁が含まれていた。
「……」
辺りの露店を見ながら。
ゆっくりと。
おっかなびっくりに。
背の高い男は。
“待ち合わせ”に指定された場所を、目指す。
――□――
〈月光〉の〈料理人〉以外の自己紹介が終われば、次は自分の番だ。
席を立ち、口を開く。
「初めてのお歴々にご挨拶をば。
拙僧は西武蔵坊レオ丸と申しまして、故あってミナミの街から独り旅に出ました一介の<召喚術師>。
各地を巡っての道中、そこなユストゥス君らとお会いした次第。
そのご縁を伝って、此方にたどり着きまして。
……いろいろと行き違いはございましたが、今はこのような場をご用意いただき、ありがとうございます」
合掌し、頭を下げるレオ丸に、ユストゥスが小声で話しかける。
「……何人か、今のうちに“ご家族”お喚びいただけますか? そろそろ私も怖くて……」
言われ、彼の後ろの二人に気付き、思わず悲鳴が出そうになるも何とか飲み込む。
(そういえば、随分と離れとったな……)
よっしゃ、とつぶやいたレオ丸は、懐から一枚の絹のハンカチを取り出し、大きく広げた左の掌に被せる。
「アブラカタブラちちんぷいぷい! アマミYさんにアヤカOちゃん、ユイAちゃんにタエKさん、ヒアウィーゴー♪」
レオ丸が素早くハンカチを取り去った瞬間、隠されていた掌の上に濃密な何かが現れた。
そして、それがビッグバンのように一気に弾ける。
「遅い!」
〈吸血鬼妃〉のアマミYはいきなり怒り出し。
「……なぜ私を?」
〈獅子女〉のアヤカOは不服そうに。
「お久しぶ~りね♪ 貴方に呼ばれたの♪」
〈首無し騎士〉のユイAは〈首無し馬〉に騎乗し、相も変わらず古い歌を歌いながら。
「あら、お久しぶりですわね、ユストゥス様と……その他大勢ども」
〈家事幽霊〉のタエKはおっとりと、そして多少の毒を吐きながら。
それぞれその場で一言を告げる。
「アマミYさん!!」
「こっちこっち!!」
「あンの生臭、今の今までわっちを忘れておりんした!! 如何様な折檻……いやさ“教育”をすればよいでありんすか!?」
「それはねー」
「うぇへへ、えへへへ……」
最後は絶対に違う。
さっさと帰りたいオーラを放ち始める不機嫌そうなアヤカOに対しては、
「はーい焼き魚でーでっかいにゃんこ!!」
キッチンから焼き魚を持ってきた♪ヒビキ♪が、焼き魚をハルに押し付けてから、空気を読まずに飛び掛かる。
Tips:
♪ヒビキ♪は猫派で、しかも過度のスキンシップをする。ただでさえスキンシップを嫌がる猫が多いというのに、巧みに捕獲して手籠めにし、恐怖のどん底に陥れること多数。
最近では、エルヴィンの召喚生物である〈百虎の王〉がその毒牙に掛かって腰抜けになり、未だに♪ヒビキ♪を恐れている。
「私はでっかいにゃんひゃああ!!」
冷静沈着なアヤカOとは思えない、素っ頓狂な声が上がる。
「うわぁー……ちょっと毛は固いけど、このくらいならきちんとトリートメントしてあげれば大丈夫。
それにしても……野趣溢れる筋肉だなーあ、ここ変なコリある。重いものでも乗せ……ああ、そうか……」
ゆっくりと、しかし確実に〈獅子女〉の毛を手指で梳き、筋肉の緊張している部分をなぞり上げる♪ヒビキ♪。
「ちょ、ちょっとひゃうん!?」
それに合わせて艶めかしい声を上げるアヤカO。
そのギャップに、思わず喉を鳴らす男衆。
「……なぁ、ユストゥス君?」
「……いや、ウチはそこまで下ネタにアグレッシブじゃないですよ? 以前も言いましたけど」
「……葉月嬢の教育、行き届き過ぎなんと違うか?」
「……してないと思うんですが否定できない。猛省します」
とりあえず、♪ヒビキ♪をアヤカOから引きはがすことから始めた。
「……それと、レオ丸さん。食事前に〈首無し騎士〉はともかく、〈首無し馬〉は攻めすぎだと思うんですよ、私?」
言いながらも、なぜか〈首無し馬〉の断面をまじまじと見るユストゥス。
Tips:
ユストゥスは生物の構造フェチ。あこれどこにも出してない設定だ?
恥ずかしそうに、声なきいななきを上げる〈首無し馬〉に。
「……減るもんじゃなし、もうちょっと」
首元を掴みにかかりそうな様子の狼牙族に、突っ込む。
「なんで自分はそんなにグロ好きやねん!! 違う意味で戻すわ!!」
その言葉に、
「〈首無し馬〉戻ったら、そちらの〈首無し騎士〉さんもお帰りになるってことですよね!?」
そこはかとなく必死な様子のキルエリーヒに対し、なぜかレオ丸ではなく自身で答えるユイA。
「そーです!! あたしとコシュは一蓮托生です!!」
「じゃあSTAY!! アタシの隣で!!」
「おっけーです!! でもそっちのわんこの言う通り、コシュはよその部屋に行かせますよ!!」
「わんこって……」
「ここでもいいです!!」
「えーで」
「いいんです!!」
「らじゃーです!! ちなみにあたしの名前はユイAです!! ふーあーゆー?」
「〈吟遊詩人〉のキルエリーヒです、ユイAさん!!」
「ざっつらいと!! じゃあキリリン!!」
「素晴らしい声質です!! ぜひお話を!!」
「あたしは好きなだけですけど!!」
「いいんです!!」
なぜか同じテンションのキルエリーヒとユイA。
Tips:
キルエリーヒは歌うのが好きで、現実では専門教育を受けるべく音楽大学に入り直したほど。
「……逆らわんほうがエエかな?」
「……ええ、お願いします。
キリーのスイッチ入っちゃったなぁ……」
「……小柳○ミ子で?」
「……欧陽○菲でも、小○旭でも入りますよ?」
「全然違うやん!!」
「でもA○Bだと入らない」
「……それは、分かる気がするなぁ……」
「あれ歌じゃないですからね」
「……『意見には個人差がある』ってテロップ入れとき」
Tips:
『今夜も生でさだ○さし』でお馴染み。
そして。
タエKはユストゥスの隣に立つ。
ぐるり、とテーブルを確認してから、つぶやく。
「……お食事の用意はもう済まされておりますのね?」
「ええ、今日は皆様に楽しんでいただく、これがコンセプトでして。
そこには、タエKさんも含まれます」
その言葉に、
「……それは、遠回しの“宣戦布告”と?」
〈家事幽霊〉の分厚い眼鏡に隠された目が妖しい輝きを放つ。
だが、ユストゥスは気付かない振りをしながら笑いかける。
底意地の悪そうな笑みで。
「いえ、“戦力増強”のお手伝いですよ?」
その言葉の意味に、〈家事幽霊〉は似たような笑みで答える。
「……面白い」
「くはは」
自分の“家族”は随分と大概だな、と思ったことも多々あるが。
それを上回り、あまつさえ既に馴染んでしまった目の前の連中に対して。
(もうこいつらどうにかして)
レオ丸の、偽らざる素直な思いだった。