グラス 十杯目
――□――
「……はっ!?」
レオ丸が気が付いた時。
自分の左手の笹船の上には串と、こぼれたタレしかなかった。
「い、一気に食べてしもうた……」
その事実に驚愕する。
確かに、昨日の晩から何も食べていなかったということで相当の空腹だった。
それでも、否、そこそこ食べる方であるレオ丸であっても、10本の焼き鳥を平らげるのはかなりの骨だ。
だというのに、まだ食べたい、そして指先についたタレを嘗めたい、という感覚に囚われるほどだ。
……そこは流石に自重する。
「お手拭きどうぞ」
目の前に差し出された手ぬぐいのような布を手に取る。
軽く湿っており、ありがたいことこの上ない。
「おおきに。
……至れり尽くせり、てやつやな」
こちらの言葉に、ユストゥスは緩い笑みを浮かべる。
「お客様に粗相をしては、こちらの落ち度ですからね。
特に、今までの道程ではそんなにおいしいものにありつけなかったでしょう?」
「まぁ、確かに。
せやけど、ワシは〈学者〉で人格者やから、知識やら恩義やらはふんだんに頂いてるけどな」
かつてのこともあり、にやり、と笑いかけるが、ユストゥスは特に反応を示していない。
それどころか、笑みを深くする。
「それでしたら、〈月光〉で行う、『オクトーバーフェスト』にいらっしゃいませんか?」
「ああ、さっき、ハル君から聞いたで。
……ビールの祭りやろ? 自分も知ってる通り、ワシはあまり飲めへんのやけど」
だが。
「いえ、要は野外で行うレストランですよ。ただ、時期が時期ですし、今のところこのアキバで発酵食品卸の最大手ですからね。
ビールを飲むことを主とした、ちょっと大人な催しにしたいと考えています。
とはいえ、別に無理に飲まなくても結構ですよ」
その言葉に、少しだけ。
先程までの、淀んだ気分に近いものを思い出す。
それは。
現実で“飲み会”と称される会合にて、あまりいい思いをしたことがないことだ。
(うう……)
思い出しただけで怖気が走る。
ただ、それもほんの少しだ。
なんとか外には出さずには済んだ。
しかし、いつまでもだんまり、というのは相手にも悪いだろう。
だんまりの理由をどうしようか、と考えながら相手へと視線を向け、さてどうやって断るか、と口を開く。
だが。
ユストゥスが先ほどの笑顔ではなく、真剣な表情を浮かべている。
もう少し正確に言うと、目に力が入っている。
ただそれだけなのに、場の空気が一気に変わる。
気付く。
ユストゥスが、静かに怒っているのだ。
その状態に対し。
根源的な恐怖が勝った。
『動けば、喰われる』。
絶対的な捕食者として頂点。
原始からの人類の敵。
狼という、野生。
しかも、目の前にいるのはそんじょそこらの狼ではない。
たった一匹で、人類の集落を陥落せしめる力と、相手を欺き、陥れる知恵を持つ狼だ。
しかし。
困惑、そして違和感も同時に感じる。
ユストゥスという人物とは、数える程度のやり取りしかしていない。
だが、そこからレオ丸が構築した人物像は決して荒々しいものではない。
物腰は比較的穏やかで、こちらから振る少々アレな話題にも理解を示せるし、きちんと返せるだけの学や知己もある。
ただし、女性関係はかなりルーズだ。いつか刺されるんじゃないかと思う。
そして、正直何を考えているかが分からない。先を見通しているような印象も受けるが、行き当たりばったりな部分もある。
それらを抜きにしても、平静で感情的な部分が少ない、という印象が強かった。
だからこそ、困惑を感じたのだ。
こんな簡単に怒りを表すような、そもそも何に対して怒りを示したのかが理解できない。
だからこそ、違和感を感じたのだ。
こちらの様子にユストゥスが気付き、恥ずかしそうに苦笑する。
「や、すみません年甲斐もなく」
何がどう年齢が関係してくるかは分からないが、怒りが解けたならそれでいい。
正直、ここまで生きた心地がしなかったのは久しぶりだ。
だが。
「どうやら、あまり飲み会にいい思い出がないようですね?」
この一言には驚いた。
「な、なんで分かったんや?」
思わずたじろぐ。
多少態度に出ていたかもしれない。だが、それを汲み取られ、しかも的確に読み解かれるとは思っていなかった。
「お酒の話題の時からだいぶ発汗されていましたし、その汗の“匂い”も強かったので」
「発汗?」
ユストゥスに指摘され、ぺたり、と頭に触れる。
確かに、軽く湿った感じはある。だが、それも言われれば気付く、という程度の量だ。
加えて、汗の付いた手を鼻に近づけるが、言うほどの匂いはない。
それに気が付いたのか、ユストゥスは自身の鼻の横をとんとん、と叩く。
「ほら、私狼牙族じゃないですか。
ストレス性の汗は、少しだけ刺々しいというか、匂いがきつくなるんですよ」
「はぁ、そんなモンかいな。人間以外の種族はそれぞれの感覚が優れるてのは聞いたことあるけど、ホンマなんやな」
「その分の厄介もありますけどね。
匂いは困りますね。特に臭気。臭いのはかなり堪えますよ」
言葉と同時、顔をしかめているのを見ると、便利というよりは苦労の方が大きいのかもしれない、と思う。
だがそこで気付く。
「待ちぃな。なんで今顔歪めとんねん」
すると、彼はこちらから目を逸らす。
「……お伝えしていいものか」
「言ーとるわ!! その態度が全て物語っとるわ!!」
言いながら、首元へと顔を突っ込む。
だが。
「……いや待てよ? やったら絶対にアマミYさんから何か言われとるよな?」
普段から首元に身を寄せている従者はいるが、その彼女から不快を示すようなことは聞いた試しがない。
そのつぶやきに対して。
「え? 別に私体臭のことなんて口にしてませんよ?
あくまで、ストレス性の発汗がひどいですね、って話しかしてませんけど?」
そう言われ、思い出す。
「……ホンマやな。じゃあなんでワシ見て顔逸らしたんや」
「だから、さっきから『ストレス性の汗は臭くて嫌いだ』って言ってるじゃないですか」
言って、再度顔を顰めてみせる。
好悪の問題だけだったらしい。
「というわけで、私やることあるんで失礼しますね。
あ、夜食べたいものがあったら〈念話〉ください。それじゃ」
「あ、ああ……」
ロクにこちらの言葉を待たず、ユストゥスはその場を後にする。
だが、
「あ、それと」
少し離れてから、ユストゥスがこちらに顔を向ける。
「さっきのお祭りの話、お一人だとつまらないと思うんで、どなたか呼ばれても構いませんよ」
軽く笑ったのか、鋭い犬歯が顔を覗かせる。
「誰か、か……」
言われたことを反芻し、すぐに脳裏に浮かんだのはやはりというか、“現実”でも交流のある一人だ。
「なぁ?」
声を上げるが、しかしその相手は既にその場にいなかった。
ユストゥスの姿が消えて、改めて考える。
急な申し出に対して、当然のように違和感はある。
だが、思惑が全く読めない。
例えば、相手が何か腹に一物ある、と仮定する。
だが、それを何に活用するというのだろうか。こちらを利用するにしても、利用されるだけの価値を有していない……と思う。
「……まぁ、ええか」
あまり気にせず、しかし予防線を張る意味合いでも、信用に足りえる相手へと〈念話〉を掛けるべく虚空を睨む。
――●――
先程までの気楽な様子から打って変わり、ユストゥスは機敏に動く。
自分が進む正面に対して、鋭い眼光を向けながら会話に没頭する。
「至急調べて欲しい」
『何を?』
「『西武蔵坊レオ丸』という人物に関わる全て」
〈念話〉の相手は押し黙る。
ユストゥスはあまり気にした様子もなく、続ける。
「私の流儀に反する連中の参加を阻止したい。そのためには、その人の基本的な情報を知っておく必要がある。
例えば、“ゲーム”だった頃の付き合いや、参加した“レイド”。エルヴィン関連からのアプ」
ユストゥスの言葉を遮り、相手は答える。
『それくらいなら、既に調べはついているよ』
〈念話〉の相手、ガーフォードはこともなげに答える。
『やー、実はそこそこ有名人なんだよ、レオ丸さんって。
……叩けば埃どころか、余計な逸話ばかりがよく出るくらいには』
笑いを含むような声色に対し、しかしユストゥスの声色は緊張を孕んだままだ。
「ダッドリーとエルヴィンとで、脅威度を算定して。事と次第によっては、こちらの“プラン”に組み込む」
その言葉に。
“情報部門”を統括しているガーフォードですら押し黙る。
店に並ぶ人々の流れを邪魔しないよう、身を翻して進むユストゥスの思考は淀まず、会話を続ける。
「調べはついている? それならちょうどいい。
ちょうど、やってみたい実験があるんだ。後腐れないなら」
ガーフォードが言葉を遮る。
『無理だ!!』
だが。
「無理とは心外だな? キミが無理を騙るかい? 散々やらかして?」
『言い直す。相手は、《円卓》にも繋がっている』
「本当かい? なおさらちょうどいい。
こちらの本気度を示す、いい機会だろう?」
ユストゥスは嗤う。
「いいかい? 組み込まれているならまだしも、たかだか繋がっているだけだろう? なら何の問題もない。
所詮、やらかしたら切り捨てる程度の関連だ。なら、こちらが存分に使い潰してやらないと、むしろ哀れだろう?」
果たして。
ガーフォードは、
『……もしも姿を現す、というなら。
いくつか、犠牲が必要な“実験”がある。それに組み込むことなら可能だ』
「またまた、犠牲なんてオブラートに包む必要なんてないよ。率直に“実験動物”と断言しろよ。
こちらには“口封じ”の“手段”だってある」
言葉を切ったユストゥスは、再度嗤う。
「この世界で、俺を出し抜ける“人形”なんぞいない」
そして、続ける。
「少なくとも、そんな連中に“私達”は負ける気がしない」
『……数を、ものともしないと?』
「くはは。“秘匿兵器”の前で数がものになるのかい?
経験したことのない死に方をして、再び戦場に戻れるかい?」
『……』
ガーフォードは押し黙る。
対して、ユストゥスは続ける。
「私達の想定が間違っていないなら、数になど意味が無い。質でこそ勝負となる。
その質を揃えられない《円卓》に、いかほどのことができると?」
しかし、その言葉にはガーフォードが反論する。
『それは、まだ断言できない』
「そうだね」
ユストゥスはあっさりと首肯する。
「ただ、お前も分かっているだろう? 大したことのない仮説すら試せないなら、その組織は終わっている」
『中小企業が聞いたらこぞって反論しそうだね』
「逆だろ? 中小企業こそ、試さないで得られる利益などないと身に染みている」
現実で嫌というほど理解を重ねている外山は、返す言葉がない。
蒼瀧は続ける。
「経営者として、否、社会人として、理解がないのは終わっている。
ならば、“ゴルディアス”よろしくぶった切ってやるのがせめてもの“礼儀”だろう?」
その、暴論とも聞こえる意見に対し、やはり外山は返せない。
だからこそ、ユストゥスは語り掛ける。
ゆっくりと、優しく。
懐柔するように。
「“豚”は、肥え太らせて“喰う”に限る。違うかい?」
果たして。
『……貴方は、清く等しく“王”だね。ただし、“暴君”とか“狂乱の王”とか、不名誉な文言がつきそうだけど』
「十分だ。たった一代でも“王”として認識されるならそれは誉だろう? 第一、こんな“ちょろい”世界で“王様”になって、どこに誇れる?」
やはり外山は返せない。
「だからこそ、この“世界”で生き永らえるなんてどうしようもないのさ。
私達が戻るのに必要なら、こんな“世界”そのものを滅ぼすしかないんだよ」
『……自分を慕う〈大地人〉がいても?』
「くはは。
なぜ犬が飼い主に媚びを売るか、分かっているだろう?」
やはり外山は返せない。
それこそが、答えなのだから。
だから、
「じゃ、諸々よろしく。私は“種蒔き”に勤しむからね」
ユストゥスは話を終える。
続いて、違う相手に〈念話〉をつなげる。
「ナギ、もう一文突っ込む必要ができた」
前置きも何もなしに告げる。
『……それは俺に言うことじゃないだろう?』
「……私じゃなくて、ナギからならフロレンスに怒られないかなーって」
『……自分で、それに〈念話〉じゃなく自分の口で告げろ』
思った以上に強い口調と、断固とした決意に触れ、少しだけたじろぐ。
だが、気付く。
「うん、そうする。
……いろいろあって、ちょっと甘えてんだよな、俺」
思い出した。
かつて。
自分が怪我をして、そこそこ好きだった陸上を、そして走ることを諦めざるを得なかったことを。
その時、山県は常に近くで、声をかけてくれていたことを。
だが、それを素直に認めるのも恥ずかしい。
だから。
かつての、多少荒れ気味だった頃の口調で、当時のような感謝を告げる。
すると、相手は〈念話〉越しに吹いたようだ。
笑みを含み、そして、
『今頃気が付きましたか?』
やはり、当時の口調に戻して返してくる。
Tips:
高校生の頃、蒼瀧は足を怪我し、その影響で激しい運動が出来ない。
当時陸上部にいたため、それを非常に気にした当時生徒会にいた山県は友人連中に『走る』という言葉の使用を禁じた。
そこまで深刻に捉えていなかった蒼瀧が爆笑して、山県の彼女に怪我をした足を蹴られ、山県が平謝りした。
Tips:
蒼瀧はいろいろあって荒れていたために言葉が粗野な感じ。
山県は生徒会長で、優等生を演じていたために気持ち悪い敬語を使っていた。
「おう、鈍いのはいつも通り、ってな。
……悪かった。戻るわ」
『ええ。喧嘩なら、いつでも売れますからね』
その言葉に、苦笑を隠せない。
「おーおー怖ぇこと口走るな、生徒会長殿は?」
『おや、煽った責任はどなたにあると?』
迂遠な言い争いに、ついつい口端が釣り上がる。
「くはは!!
あー畜生、楽しいなぁ、おい!!」
『……楽しいついでに、もうひとつ面白いことを教えてやろう』
あっさりと“今”の口調に戻った親友に、上がった口端がひくり、と動いてしまう。
そんな様子を当然見ることの出来ない親友は言葉を続ける。
『……配る用のチラシだがな、ついさっき出来上がってフロレンスも配りに出た』
走っていたユストゥスは突然立ち止まってしまう。
「それを早く言えよ!! あーもう、それでさっきの縛りルールだろ!?」
そして、アキバの中心で叫ぶ。
「誰か、この底意地の悪い友人から私を救って!!」
『……おい失礼な事を言うな。俺はオマエほど底意地悪くないぞ』