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秀峰高校2年C組の教室で、及川(おいかわ)達彦(たつひこ)は一つの空席と見つめていた。


(よもぎ)の奴が遅刻なんて、初めてじゃねえか?」


既に朝のホームルームは始まっており、担任の教師が連絡事項を伝えている。だが、達彦は蓬の不在が気にかかり、教師が何を言っていても耳にまったく届いてこなかった。

そして、話をしている当の教師自身も、事あるごとに松枝(まつがえ)(よもぎ)の席をチラチラと見ていた。彼は数学の担当で、昨年も蓬たちの数学の授業を受け持っていた。なので、蓬がいかに優秀で品行方正な生徒であるかはよく知っており、今日の遅刻に関しても、蓬が寝坊したなどとは夢にも思っておらず、登校の途中で事故にでも遭ったんじゃないだろうかと不安に思っている。本当は、夜の河川敷で女子高生と乱闘するような男だが、教師受けはとても良いのだった。


結局、蓬が教室に姿を現したのは、2限目の授業の途中だった。


2限目の授業が終わって休み時間になると、蓬は達彦に話しかけた。「話がある」ということで、他のクラスメートには聞かれないよう、2人は教室の後ろの隅に寄った。


「今日遅刻だったけど、何かあったのか?」


「昨日のダメージが存外大きくてな。回復するのに時間がかかった……」


「ダメージ?」


「いや、何でもない。それはそうと、今日は生徒会の集まりをなしにしたいんだが、どうだろう?」


「いいんじゃね? つっても、蓬からなしにしようって言うの珍しいな。何か用事でもあるのか?」


「ああ、……それなんだが……」


蓬は言いよどんだ。

――言いにくいが、達彦には真実を伝えるべきだろうな。


「……実は、いい女を見つけてな。放課後、会いに行きたいんだ」


「は!?」


その予想外の答えに、達彦は面食らった。口をあんぐり開けて蓬を見ると、そこにはいたずらっぽい笑みがあった。


生徒会メンバーは、毎日集まって会議をしているわけではない。

どのメンバーも塾がある日は欠席するし、仕事の少ない時期だと週1回しか集まらないこともある。

今は、そこまで忙しい時期ではないから、今日の会議をなしにしても問題ない。


ただ、蓬は、会議の有無に関わらず、ほぼ毎日生徒会室に顔を出して、何かしら仕事をこなしている。仕事のない時は、生徒会室で勉強している。つまり、この松枝蓬という男は根っからの仕事人間なのだ。

だから、「今日は会議なくてもいいんじゃね?」と言い出すのは、だいたい達彦だった。蓬から言い出したことは、これまでなかったのだ。


だが、今日、初めて、蓬から会議をなしにしようと言い出した。

しかも理由は女!!

達彦は耳を疑うしかない。


「おいおい待て待て! いい女を見つけたって、どういうことだ!? ……いつ見つけたんだ?」


「昨日初めて出会った」


「一目惚れかよ! お前が一目惚れするなんて、一体どんな美人なんだ!? 国が傾いちゃうレベルか!?」


達彦は目をしばたたいた。

この王子様のごとき美男が見初めるほどの美貌、だと!? どんなだよ!! 想像がつかない。


「……うむ、これは一目惚れなのか? 違う気がする……」


蓬は呟くように言う。

「一目惚れ」という語句からは若者にだけ許された爽やかな青春の香りがするが、蓬と風佳の出会いは全然爽やかじゃなかった。血と汗と泥にまみれていた。まったく恋愛っぽくなかった。

あ、でも、キスはした。お、これは恋愛っぽいぞ。……一方的なキスだったが。……しかも、かなり強引に。……相手の許可なしに。……おや?もしかして訴えられたら俺は有罪か?

蓬は、今更な不安を感じ始めた。


「どんな女なんだ!? 付き合い始めたのか!?」


「…………残念ながら、まだ付き合ってはいない。なかなかワイルドでな、手懐けるのには苦労しそうだ」


「王子様が手懐けるのに苦労するって、どんな女だよ……。

 まさか人妻!? くっそそういうことか!! いいぞ苦労しろ。そして散々遊ばれた挙句に捨てられろ」


「お前、妄想たくましすぎじゃないか? 相手は人妻じゃない。同い年だ」


「なんだ同い年かよ。くっそつまらん」


「つまんなくて結構。俺の恋愛はサーカスじゃない」


「サーカスも恋愛も失敗したら喜劇だがな。そして恋愛では、同じ演目で二度舞台に上がることはできない」


さも「オレは今とてもいいことを言った!」とばかりに胸を張る達彦を、蓬は軽く睨んだ。


「お前はなんなんだ? 恋愛アドバイザーか?」


「その通り。この及川達彦のアドバイスは貴重だぞ」


「いや、達彦のアドバイスは要らない。だいたいお前、彼女ができても長続きしないだろう? そんな奴のアドバイスなんか信用できるか」


「それには言い返せないな……。まあ、いいさ。それで、その麗しの女性はどんな方なんだ? 名前は?」


「……他人の個人情報については秘匿の義務がある」


「今日、実は喫緊の案件があって、会議しないといけないなぁ。副会長権限で、生徒会メンバーは全員召集だなぁ」


「生意気言ってすみませんでした全部白状します」


「そうだろうそうだろう。で、名前は?」


「……そこを聞くのか?」


「……どうして言いたくないんだ? スリーサイズならともかく、名前だろ? オレに知られても、不都合ねえだろ」


達彦が訝しむと、蓬は重々しく口を開いた。


「…………嵐山(あらしやま)風佳(ふうか)だよ」


「……は!?」


「かの<百花繚乱>のヘッドに昨日会ってな。そして、惚れてしまった」


そう言って、蓬は頬を微かに紅潮させながらはにかんだ。


「…なん、だって?」


達彦の目は点になる。

蓬がこんなにも真っ直ぐに、誰かを好きになったこと自体、達彦にとっては衝撃なのだ。なのに、事はそれだけに留まらず、その恋慕の相手は、まさかの、<百花繚乱>のヘッド嵐山風佳だという。


「何がどうしたら、そういうことになるんだああああああっっっ!!!」


達彦の雄叫びに、クラスメートたちはギョッとした。


「ご乱心か?」


「ちげえよ! ああくそ! 何から言ったらいいか分からん!!」


「生理痛がひどいなら保健室行けよ」


「蓬ってそういう冗談言う奴だっけ!?」


「今日は陽気な気分なんだ」


「よく分かった! お前は恋に落ちてることはよく分かった! 恋は病とはまさに言い得て妙! で、その女のどこに惚れたんだ?」


達彦が蓬と出会ったのは高校に入学してからのこと。

以来、友達として親しくやってきたし、共に生徒会メンバーになってからは十分な信頼を互いに築いてきた。

この1年の付き合いで、達彦は蓬の人となりが分かってきた。誰もが羨む器量を持ちながら、女に興味を示さず、動じないこと山の如し。それが蓬だった。


そんな男が、初心(うぶ)を丸出しにして、1人の女に夢中になっている。

口元はだらしなくたるみ、瞳にはキラキラ星が流れている。まるで見てられない。


蓬をここまで虜にするとは、嵐山風佳とは一体どんな女なんだ!?

器量がいいだけではあるまい。これまで蓬に言い寄ってきた美人はたくさんいたが、そのどれにも当の蓬はなびかなかった。

嵐山風佳のカリスマは本物だったということか! 100人もの女子高生を魅了して<百花繚乱>というグループを築いただけではなく、秀峰高校の王子様 松枝蓬までをも陥落させるとは!

達彦は、まだ見ぬ<百花繚乱>のヘッドに、畏れすら抱いた。


「どこに惚れたか、か……。難しい質問だな。……敢えて言うなら、野生なところか」


「野生ってなんだよ? 生肉でも食いだすのか?」


蓬の脳裏に一瞬、狩ったばかりのイノシシにかぶりついている風佳の姿が浮かんだ。


「それはそれで面白いと思う」


「……お前、器デカいな」


「彼女の真の魅力は内面にあるからな。例え生肉が好きでも構わない」


もちろん、風佳は外見も魅力的だ。蓬は、昨晩の彼女の肢体を思い返した。

肩に届くくらいの黒髪。スッキリとした目鼻立ちと彼岸花のような唇。……あの唇は柔らかかったな。

無駄な贅肉がなく、闘いに慣れたしなやかな四肢。胸や尻は強調的ではないが、覆いかぶさった時の感触からすると、十分な存在感があった。

だが、その(カラダ)よりも、蓬の関心は風佳の雰囲気にあった。

仲間の悩みを鷹揚に受け止め、繊細に対処する包容力。決して手放さなかった闘いにおける計算高さ。

そして何よりも、拳を構えて対峙した時に感じた、烈火のごとき純真無垢な激情。

――彼女を手に入れたい。


「野生な女ね……。ま、頑張って手に入れてくれ」


「言われずとも」


「もし付き合うことになったら教えろよ。オレも会ってみたい」


「達彦に会わせるのは嫌だな」


「おいなんでだよ。今日の会議なしにしてやるんだから会わせろよ」


そうは言いつつも、実のところ達彦は、真剣な蓬の気持ちを見てしまったせいで、嵐山風佳に対する興味を半ば失ってしまったいた。

大事な友人の想い人を、慰み半分で詮索するのは、気が引けるのだ。


「それじゃあ、これからずっと会議はなしにするのか?」


「まさか。生徒会長としての仕事はまっとうする」


「それを聞いて安心したぜ」


達彦は心底ホッとした。

昨日までの蓬は、職務怠慢とはほとほと縁のない人間だったが、今日の蓬は一味……どころか十味くらい違う。今まで通りに生徒会長としての任を果たしてくれるかも、不安に思ってしまうくらいに。その不安が杞憂に終わって良かった。


「蓬の想いが彼女に届くことを祈ってるよ」


「ありがとう」


休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴ったので、蓬と達彦は話をやめ、各々の席に戻った。

まだ教師は来ていない。

ざわめく教室の中で、達彦は一人、溜息をついた。


「困ったことになったな……」


蓬に好きな人ができたのは、喜ばしいことだ。それは間違いない。


「喜ばしいんだけどね。……現実は、そう簡単じゃねえからな」


どこか悟ったことを言う達彦の目に浮かぶのは、蓬に時折熱い視線を送っている津霧(つぎり)(あおい)の憂いた表情だ。

葵が蓬を好いているのは周知の事実だった。

しかし、葵と蓬は、付き合うまでには至っていない。蓬は恋愛には鈍感だし、葵さえも自分の気持ちを自覚しているのか微妙なところだ。

達彦と砂芹と洋太は苦笑交じりに、想いを募らせる葵を見守ってきた。無粋な介入はせずにいたが、特に砂芹なんかはやきもきしていた。――早くくっついちゃえよ、と。


葵が務める庶務(しょむ)は、いわゆる雑用係みたいなものだ。仕事は地味なくせに骨が折れるが、葵は苦労もいとわず頑張っている。それも単に、蓬に認められたいがためだと、達彦と砂芹と洋太はとっくに気付いていた。そして祈っていた。そのいじらしい心意気が早く蓬に伝わることを。


だが、葵は間に合わなかったようだ。

蓬には、好きな人ができてしまった。

しかも、その相手は<百花繚乱>のヘッド嵐山風佳。信じられないことに。


昨日、洋太から<百花繚乱>の集会の情報がもたらされたとき、蓬はかなり興味がある様子だったが、まさかみんなに黙って一人で<百花繚乱>の集会に行くとは思わなかった。

その早まった行動だけでも意外なのに、更に加えて、そこで蓬が恋に落ちるなんて誰が予想できようか。


「こりゃ、砂芹と洋太で、緊急集会だな」


達彦が携帯を開くと、蓬からメールが来ていた。着信は数秒前。

それは生徒会メンバー全員に対するグループメールで、今日の会議が開かれないことを伝えるものだった。

――仕事の早い奴だ。

達彦は感心しながら、砂芹と洋太にメールを送った。


件名:「緊急集会!」

本文:「蓬に女ができた。本日の放課後、駅前のミスタードーナツに集合せよ!」


砂芹と洋太からの返事はすぐに来た。

2人とも、授業が終わり次第、すぐに集合場所に駆けつけてくれるそうだ。


「やれやれ。会長の知らないところで、副会長は苦労することになりそうだ」


達彦は、携帯電話をカバンにしまいこんで、伸びをした。



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