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21:30
松枝蓬は河川敷にいた。
――洋太の情報は当たりだったな。あれが百花繚乱の集会だな。
他の生徒会メンバーには秘密で、蓬は<百花繚乱>のヘッド 嵐山風佳に会いに来たのだ。
どうして21時ではなく、その30分後に来たかというと、<百花繚乱>の集会がどんなものか見たかったからだ。21時の開始時刻と同時に来ても、集会の様子は分からないだろうと思ってのことだった。そんな蓬の目論見通り、21:30の時点で、<百花繚乱>の集会はたけなわだった。
50メートルほど離れたところから見つめる蓬の視線の先には、ターゲットである嵐山風佳がいる。
コーラの2Lペットボトルを片手に、彼女は仲間と談笑している。
「あれが<百花繚乱>か……」
それは、蓬にとってかつてない光景だった。
そこにいたのは50人くらいだろうか。
河川敷は暗い。河川の沿道には街路灯が並んでいるが、その灯りは河川敷にまで届いていないのだ。
だが、その彼女たちの周りにはいくつかの光があった。
100均で購入したようなプッシュライトが地面に置かれており、その周囲にメンバーたちは座り込んで、お菓子とジュースを広げて、喋りまくっている。
レジャーシートの代わりにコンビニで貰えるビニール袋を尻の下に敷いて、土の湿り気がスカートに染み込むのを防いでいる。
笑いが途絶えることはない。
それは、とても穏やかで微笑ましい光景だった。
不良のくせに、空になった空き缶や菓子袋を入れるためのゴミ袋まで用意されているのが、蓬には妙におかしく思えてしまって、一人で小声で笑った。
皆から「ボス」と呼ばれている女子が、<百花繚乱>のヘッドなのだろうと蓬は推測した。
「嵐山風佳のカリスマは、噂通りだな」
ここは繁華街から遠く離れた河川敷で、周辺には住宅すらない。
耳に入る音と言えば、沿道を走る車の走行音と、彼女たちの話し声だけ。だから、彼女たちが喋っていることは、蓬のいる所にまで明瞭に聞こえてくる。
「ボス―、聞いてくださいよぅ」――そう言って風佳を囲む女子高生の多いこと多いこと。
笑いを誘う失敗談、教師から言われた嫌味、彼氏との惚気、バイト先での悩みなどなど、少女たちの話題は多彩で尽きることもなく、それに耳を傾ける風佳は「そりゃ大変だったな!」と豪放磊落に相槌を打っている。
蓬はしばらく眺めていたが、やがてハッと我に返った。
俺は何をしにここに来たのか? 秀峰高校の生徒会長として、やるべきことをしに来たのだ。
しかし、やるべきことは何だっただろう?
秀峰高校の生徒が、嵐山風佳に脅し文句のようなことを言われた。
しかし、言われた方は、どうして脅されたのか、心当たりがなかった。おそらく<百花繚乱>の不興を買ってしまったのだろうが、当人たちは身に覚えがない。加えて、嵐山風佳が秀峰高校の生徒たちに何を望んでいるのかも分からなかった。――だから、こうして直々に会って確かめようと思ったのだ。
生徒会長として。
――本当に、生徒会長として、ここに来たのか?
今更になって、蓬は自分の行動に明白な理屈を見つけ出せなくなっていた。
嵐山風佳に会うのなら、他の生徒会メンバーも一緒に来るべきだった。しかし、蓬は一人で来た。他の生徒会メンバーには内緒で。
意味の分からないことをしてるな、と思う一方で、一人で来てよかった、とも思った。
河川敷でたわむれている彼女たちを見つめる自分は、一人であるべきだった。
蓬は不思議な心地だった。
彼女たちは騒ぎ続けている。蓬の目の前で。
どうして俺はあの場所にいないのか? 答えは明快だ。彼女たちと蓬は違うからだ。しかし、何が違うんだろう? その違いが、蓬には、分かるようで、分からない。分かりそうなのに、どこか曖昧。分からないが、彼女たちと蓬の違いは、消しようのないものだ。
彼女たちの笑い声はやみそうにない。俺は、あの中に突っ込んでいき、輪の中心にいる嵐山風佳と話をしなければならない。
蓬は、もう帰ってしまいたかった。
暗闇の中で一人佇んでいると、おもむろに視界が薄ぼんやりとしてくる。彼女たちの声とプッシュライトの光は泡のようで、川のにおいと混じり合いながら蓬を襲ってくる。川の水際からはかなり離れているのに、蓬は自分の頬と腕に滴が降り注いだような気がした。蓬の服は湿っていた。彼女たちのせいで……。
今ここで、回れ右して、まっすぐ帰路につければ、どんなにいいだろう。
でも、それは無理な相談だった。
ここにいる松枝蓬は、生徒会長なのだから。
意を決して、蓬は歩き出した。
<百花繚乱>のヘッド 嵐山風佳と話をするために。
聞きなれない足音に、風佳は首筋を伸ばして辺りを見渡した。
そして風佳の目つきが剣呑になると、周囲にいたメンバーたちは一斉に押し黙った。
その場にいた皆が、一様に、一つの方向を見る。そこにいたのは他でもない、松枝蓬だ。
風佳は顔に一切の表情を出していないが、内心では驚いていた。
反射的に足音のした方を見れば、そこにいたのは、予想外の人間だったからだ。
警官でもない、浮浪者でもない、若い男だ。面識はない。ただの通りがかりか?とも思ったが、即座に頭の中で否定する。通りがかりにしては、おかしい。あの男はまっすぐこちらに向かって歩いてきているし、その視線は……わたしを見つめている??
薄暗いために男の顔がハッキリ見えるわけではないが、それでも相当に整った器量だと分かる。スラリとした長身に、白皙の彫刻のような顔立ち――肉食系女子にとっては垂涎の的になること間違いなしだ。
事実、風佳の隣に座っている女子が男に向ける瞳は、不安よりも期待の色に染まっていた。風佳は溜息をついた。彼女はつい今まで「彼氏が冷たい」と風佳にこぼしていたのだ。話を聞いているときは「なんてひどい彼氏だ」と思ったが、イケメンの登場にこうして颯爽と目の色を変えているようでは彼氏に冷遇されるのも仕方ないと、風佳のその彼氏に同情した。
しかし、もちろん、ここにいるすべての女が蕩けたわけではない。
少なくとも風佳は冷静なままだし、ヤマネコは攻撃的な雰囲気を漂わせている。コウモリは無表情でいる。アニマルは、……既に下着を台無しにしてそうなアホ面を浮かべていた。
「お前、誰だ? あたしらに何か用か?」
ヤマネコが問いかけると、蓬はその場で立ち止った。
「俺は秀峰高校の生徒会長 松枝蓬だ。嵐山風佳と話したいことがある」
秀峰高校!?
風佳は驚いた。つぶさに見れば、確かに男は秀峰高校の制服を着ている。だが、秀峰高校との因縁は、決着がついたはずだ。他でもない私自身が、わざわざ秀峰高校にまで出向いて、アニマルにちょっかいをかけた4人と対面で話をしたのだから。
それなのに、これ以上、いかなる用事があるというのか?
風佳は心の中で頭を抱えた。アニマルにちょっかいをかけた4人の男どもが会いにくるなら、まだ納得もできよう。だが、突然現れた松枝蓬とやらは部外者のはず。どうしてここにやって来たのか、風佳にはさっぱり理解できなかった。
さて、何と言おうか、と思い巡らしながら風佳は口を開きかけたが、それが言葉になる前に、ヤマネコが立ち上がった。
「おい、殴られたくなきゃ、とっとと帰れ」
「……どういう意味だ?」
蓬には意外だった。ただ近寄っただけで挑発的な言動は何もしてないのに、どうしてヤマネコが喧嘩腰なのか分からなかったのだ。
そして、蓬がさも平然としていること――自分の渾身の睨みにも動じないこと――が、ヤマネコを更に不愉快にさせる。
「テメェは、知人の結婚式に数珠を持って行くのか?」
「……俺は、無礼なほどに場違い、ということか?」
ヤマネコは遭えて何も言わず、あごをしゃくってで河川の沿道を指し示した。「分かったなら、とっとと帰れ」とでも言うように。
ヤマネコは、誰よりも、この<百花繚乱>の集会が好きなのだ。皆と一緒に下らない話で盛り上がる、この週1回のイベントが、ヤマネコにとっては何よりも大切で、だからこそ蓬という邪魔者が許せなかった。しかも、その邪魔者がここに現れた理由は、とても下らないことなのだ!
<百花繚乱>の仲間に入れてくれ、と頼みに来たのならヤマネコも機嫌を損ねない。だが、蓬は秀峰高校の生徒だ。アニマルにちょっかいをかけてきたアホ連中がいる高校の生徒だ。この蓬という男は、風佳に話があると言ったが、それもアニマルの件に絡んだことだろう、とヤマネコは思った。そんな下らない用件で大事な大事な集会にお邪魔されたとあっては、興ざめもいいところだ!!
ヤマネコは、これ以上ないくらいに腹を立てている。
「ふむ、無礼については詫びよう。なら、日を改めるとして、いつどこに行けばいい?」
蓬はヤマネコを見ようともせず、風佳に近付いた。
「テメェっ!!」
すぐにここを立ち去るだろうという期待を裏切った蓬に、ヤマネコは激昂し、その肩に手をかけた。
ヤマネコは、この男を殴ってやろう、とまでは思っていなかった。
ただ、瞬間的に湧きあがった怒りのあまり、蓬をどついてやろうと思っただけだった。
だが、ヤマネコの手が蓬の肩に触れた瞬間、ヤマネコの体は宙をクルリと回って、地面に仰向けに転がった。
「ぐっ!」
地面に体を打ち付けた衝撃で、ヤマネコは呻いた。
<百花繚乱>の副首領であり、喧嘩も滅法強いヤマネコが一瞬で倒されたことに、その場の誰もが瞠目する。
「おい。きさま、どういうつもりだ?」
風佳は立ち上がった。
続いて、他の面々も立ち上がり、その一部は走り去っていく。殴り合いになりそうな雰囲気を察知したら、足手まといになりそうな喧嘩の弱い者はすぐ逃げるのが<百花繚乱>のルールなのである。
その場に残った<百花繚乱>の面々は、いずれも喧嘩の自信のある者たち。
数分前まで盛り上がっていたこの場所は、今や一触即発の緊張に満たされた。
彼女たちの敵意に満ちた視線を受けて、蓬はやわらかに微苦笑を浮かべる。
「これは間違えたな。つい反射的に投げ技をかけてしまったが、本当は友好的な話をするつもりだったんだ」
「バカ言え、どこが友好的だ」
――つい反射的に投げ技をかけてしまった、だと?
冷静な顔つきを崩さずにおきながら、その言い訳はないだろう。この男は明らかに確信犯だ。意図的に、ヤマネコに投げ技をかけ、<百花繚乱>に喧嘩を売ったのだ。
風佳は蓬をジロリと睨むが、それ以上に、ついさっき地面に転がされたヤマネコは蓬を食い殺さんばかりの勢いで怒り狂っている。
「交渉は始める前から決裂のようだな」
「ふざけるな、交渉なんぞ始める気もなかったくせに」
風佳は鼻を鳴らして、嘲るような笑みを浮かべた。
コイツ、自分が誰に喧嘩を売っているのか分かっているのか? この街の若者すべてが怖れる<百花繚乱>だぞ?
「きっかけはどうあれ、先に手を出したのはきさまだ。……全速力でここから逃げるか、わたしらにリンチにされるか、どっちがいい?」
「それは素晴らしいジョークだ。こうして可憐な女性に囲まれているというのに、自分から家に帰る男がどこにいる?」
熱に浮かされたような自分の口調に、蓬は内心驚いていた。
学校ではその理知的な美貌から王子様とまで呼ばれている蓬が、これまで決して崩れることのなかった理性を失おうとしていた。
動物的な衝動が血管の中を暴走している。蓬の視界は白ばみ、唇の震えは次第に激しくなっていく。
「俺は招待状もなしに訪ねてきた無粋な男。君たちの手荒い歓迎は、喜んで受けるつもりだ」
キザったらしいセリフは揚々と述べる蓬に、ヤマネコはついに殴りかかった。
そうして、夜の川辺の乱闘が始まった。