第十話 襲撃
翌日はからっと晴れた良い天気の朝でした。
昨夜の遅くまで飲んでいたのが効いたのか、珍しくブラトさんよりも早く目が覚めました。これ幸いとブラトさんの寝顔を眺めようと顔を近づけたら突然目を開けたのでびっくりしてしまいました。
「……おはようイリーナ」
「お、おはようございます」
少し慌てている私をちょっと訝しげに見ていましたが、その後は普通に挨拶をしてくれました。
「それじゃ今日から北に向けて動くけど、北西に行けば北の教会があるが、見てみたいか?」
「……いえ、このまままっすぐ北に行きましょう」
私は聖印をぎゅっと握り締めるとそう言いました。
「まいどありー」
宿を発った後に新鮮な野菜と果物を買い込み、あとは町を出るだけという状態になった時に。
「そうだ、港に寄って船を見ていこうか。昨日は見逃したんだろう?」
ブラトさんがそう言って誘ってくれました。子供のように楽しみにしていたのを見透かされていた感じがして少し恥ずかしくなりましたが、それでもやはり船を見てみたい気持ちは抑え切れません。
「はい、できれば見てみたいです」
「なら早速行こう」
港には手漕ぎボートから三本マストの大型船まで、さまざまな船が浮かんでいました。
「凄いです」
なんだかいつも同じような事を言っている気がしますが、初めて見る村の外は何もかもが凄くてこればかりはどうしようもありません。
視線を船から陸に移すと、まだ朝も早い時間ですがびっくりするくらい大勢の人が働いています。樽や木箱をどこにそんなに積む場所があるのだろうと思うくらいどんどん船に積み込んで行く様子があちらこちらで見て取れます。
「エリシュカが乗るのはどの船だろうなぁ」
しばらく船と船員さんたちの作業に見とれていると、ブラトさんがぽつりとつぶやきました。
「そうですね、あの船なんて可愛らしくてエリシュカさんに似合いそうです」
「いや、あれで別の大陸まで行くのは無理だろ」
そんな風にあれこれと2人でしばらく話した後に港を後にしました。いい思い出をありがとうございます。
その後、北門を抜けて北へと向けて歩き出しました。北へと進む道は海からゆるゆると離れて行きます。
「海、見えなくなってしまいました」
「そうだな、これから少しずつ寒くなっていくから気をつけろよ」
「はい」
港町を出たその日はそんな風に特に事もなく過ぎていきました。
その日は道から少しはなれたところに一軒だけぽつりと立っていた農家の納屋をお借りして一夜を過ごしました。何も無いところでの野宿を経験していると、どんな建物であっても壁や天井があるのがとてもありがたいというブラトさんの言っていた事をしみじみと実感できます。
そして翌日……。
もう直ぐ太陽が空の一番高いところにたどり着くという頃の事です。
道の遠くの方に、ここからじゃ1人という事以外わかりませんが、人影が見えました。
と、しばらくすると人影が立ち止まったかと思うと今度は猛烈な勢いで走り出しました。無論こちらに向かって。
遠くに居た時は良くわかりませんでしたが、近づいてきたら良くわかります。走ってくる速度が異常に早いのです。恐らく私の走る速度の倍は出ていると思います。しかも種類はわかりませんが鎧を着て、右手には剣を握っている状態でです。
「こいつはとんでもないのが来たな。イリーナは離れてな」
私が戸惑っていると、ブラトさんがそういうと背負っていた盾と背嚢を落とすと――いざという時に簡単に落とせる仕組みがあるそうです、腰の剣を引き抜いて両手で構えました。
私は言われたとおりに街道から離れ、念のため短剣を抜いて教わったとおりに構えておきます。
近づいてくる人影はかなり遠くから走って来ているのに全然勢いが落ちていません。
だいぶ近くなったところで改めてみると、驚くことに相手は女性でした。しかも頭から立派な角を生やしている魔族です。
そうしているうちにその女魔族――私もそうですが、がブラトさんに襲い掛かります。
女魔族が片手で打ちつけた剣をブラトさんが両手でなんとか受け止めます。両手で受け止めたのにそのまま地面に沈むのではないかと思うくらいの勢いで押し込まれています。凄い力です。
更に横に剣を倒して受け止めて空いたブラトさんの胴を、黒光りする小手をはめた左拳で殴りつけようとします。
すんでのところでそれをかわしますが、次々に繰り出される右手の剣と左手の拳の攻撃で徐々にブラトさんが追い詰められていきます。盗賊や海賊を次々と打ち倒していったブラトさんがこんなに押されるなんて驚きです。
ブラトさんは女魔族の攻撃が激しくて中々攻撃できないみたいです。と、そのとき女魔族の左拳の攻撃がブラトさんにかわされて体勢が崩れました。
好機と見たブラトさんが低い体勢から一撃を見舞おうとします。しかし私は見ました。攻撃をかわされたはずの女魔族が凄い顔で笑っているのを。
「だめです!」
必死に叫びますが、時既に遅く、ブラトさんの攻撃は女魔族の剣でいなされてしまいました。そして恐ろしい勢いで左手の拳がブラトさんの顔に吸い込まれていきます。
私は最悪の予感にぎゅっと目を閉じてしまいました。
「ちょっとは腕を上げたかなぁ」
「やっぱりまだまだかなわないか」
そんな会話に目を開けると、女魔族の拳はブラトさんの顔の直前で止められていました。
そしてお互い武器をしまうと抱き合って笑い声を上げます。
「2年ぶりだなぁブラ坊」
「坊はもう止めてくださいよオリガ姉さん」
「前から言ってるだろ、オレから一本取ったら止めてやるって」
「そんなこと言ったら団長と副団長以外全員坊やじゃないですか……」
「だははっ、まぁそうなるな。ところで……」
女魔族、オリガさんというのでしょうか。その方はこちらをちらりと見ます。
「ああ、お互い紹介が必要だな。この人はオリガと言って前に属していた傭兵団の先輩だ。この通り魔族で、それと意外にも魔法も使える」
「意外は余計だ」
オリガさんがブラトさんの頭を軽く小突きますが、ブラトさんはとても軽くとは思えないほど痛がっています。
「いてて、相変わらず馬鹿力なんですから。それでこっちがイリーナと言って俺の今の雇い主です。これから北の国まで護衛する事になっています」
「ふーん」
そういいながらオリガさんはブラトさんを放り出すと、今度はこちらを上から下まで眺めるようにしてきます。
「ブラ坊はこういうのが趣味だったのかい」
「……人の話を聞いてました?」
「冗談だよ冗談。しかしまぁ魔族の護衛とは意外な依頼を受けるもんだ」
「え……」
角を見られたわけでもないのに私の正体を言い当てられてしまいます。
「なんでわかったんですか?」
「臭いだよ、同族は臭いでわかるんだ」
「そうなのか?」
ブラトさんがお前もわかるかという顔で聞いてきますが、私は頭をぶんぶんと振って判らない答えました。
「どうやらオリガ姉さんがおかしいだけですね」
「うっさい。優れてると言わんか」
いかにも親しげにじゃれあう2人を見ているとなんか胸がもやもやとしてきます。
オリガさん身長が殆どブラトさんと同じくらいあって体格――胸や腰の張り、も素晴らしく、見事な金髪を肩の辺りまで伸ばしていて。それに魔族の証でもある角は野牛のように立派で堂々としたオリガさんに凄く似合っています。
ブラトさんよりオリガさんの方が少し年上みたいですがなんかお似合いです……。
「まぁ、おふざけはこれくらいにして」
朗らかに笑っていた表情を急に引き締めると、オリガさんはぎゅっと私を抱きしめました。
「魔族だからって嫌な事ばっかりじゃないぞ。どういう経緯かはしらんけどこうしてブラ坊に護衛してもらって北に向かってるってだけでもきっとすごい幸運な事だ」
「はい、それはすごい感謝しています」
何の事情も話して居ないのに、きっとオリガさんには私のことがわかるんでしょう。
冷たい鎧越しの抱擁のはずなのに何故か凄い暖かさを感じます……。
「ブラ坊!」
「はい!」
「この娘をちゃんと送り届けるんだよ?」
「無論です。言われるまでもありませんよ」
「ならばよし」
私を抱きしめたままオリガさんが、そう言ってブラトさんに念押ししています。
「北の国に行ったら国境の山を越えた先にチェカリンっていう村と町の中間みたいなトコがあるからそこに行きな。そこにオレの家があるからそこを訪ねてこれを見せてオレの名前をだしな、悪いようにはしないよ」
そういいながらはめていた指輪のひとつを抜き取るを私に渡そうとしました。
ブラトさんを見ると、優しい表情で頷いています。
「ありがとうございます」
私はその指輪を両手で大事に受け取りました。
その後腰を落ち着けてお互いの近況や経緯を話しました。
オリガさんは傭兵団の解散後にブラトさんと同じように1人で傭兵をやっていて、ひと月ほど前に家に戻っていましたが、10日前に次に決まっている仕事を受けに家を出たということでした。
容姿からして巡礼の人が言っていた女魔族というのは多分オリガさんの事でしょう。
「そうだ、港で北の国には魔獣が良く出るって聞いたけどその辺はどうなんです?」
ブラトさんがエリシュカさんから聞いた話を確認しています。
「ああ、国境の先の山道にも時々出るらしいな。残念ながらオレが通った時は出ちゃくれなかったが」
もし出てきたら狩って小遣いにしてやったのにと言って笑います。港で聞いたときには恐ろしい怪物に思えた魔獣もオリガさんにかかってはウサギと同じなのかもしれません。
「でもまぁ、脅すわけじゃないが、最近は良く出るらしいから気をつけるんだよ。できればオレも付いていってやりたいところだが次の仕事がきまっちまってるからなぁ。頼んだぜブラ坊」
そう言ってブラトさんの背中をバンバン叩きます。ブラトさんも痛そうにしながらもまんざらでもなさそうです。
半刻(約1時間)ほども話したでしょうか、オリガさんがよっこらせと腰を上げます。
「それじゃ名残惜しいが、オレはそろそろ行くぜ」
私たちも立ち上がって別れの挨拶をします。
「指輪は大切にお借りします」
「今度会うときは一本とって見せますよ」
「おう、楽しみにしてるぜ」
そう言って、私とブラトさんを一度ずつ抱きしめると手を振って港町のほうへ歩き去っていきました。
私たちはその姿見えなくなるまで見送ります。
「なんだか凄い人でしたね……」
「ああ、俺の頭の上がらない人の内のひとりだよ」
「さて、思いがけず行く当てができたな」
「そうですね」
借り受けたシンプルな銀製の指輪を眺めて答えます。
「オリガ姉の旦那さんか、話には聞いてたけどこの目で拝める日が来るとは……」
「え、オリガさんって結婚されていたんですか?」
私はびっくりして尋ねます。
「ああ、さっきはそういう話がでなかったっけ? これがまた豪快な話でな、姉さんが14歳の時に惚れてた男、今の旦那さんだが、この人に結婚話が持ち上がったそうだ」
「それはオリガさんでは無い方とですか?」
「ああそうだ。それで、そのとき旦那さんは5歳年上の19歳だったらしいんだが、結婚話を聞いたその日の内に夜這いをかけて力ずくでモノにしたらしい」
「そ、そうなんですか」
夜這いの意味が判らないほど初心ではないので、思わず赤面してしまいます。
でも、オリガさんに旦那さんが居ると聞いて、胸の中にあったもやもやがすっと溶けていくような感触を覚えました。
「あの方が好きになる人ってどんな方なんでしょうか、早く会って見たいです」
「お、なんか急に元気になったな。やっぱり女の子はこういう話が好きなんだなぁ」
少しあきれたように言うブラトさんにのその言葉に私は曖昧に笑います。
私が元気になった理由は、本当は違うのですが教えてあげません。
北の国へ行くのが少し楽しみになったそんな日。
戦闘関連の描写が続きすぎかな
がんばって今週の夏休み中に完結したいです
お気に入り追加や評価していただけるとテンション上がります