三話 友人 八重波 七瀬②
俺が八重波七瀬と出遭ったのは高校に入って直ぐの時だった。
極簡単に言えば彼女はお嬢様だ。肉体面は長い栗色の髪に整った顔立ち、出る所は出て引っ込む所は引っ込んだメリハリのあるプロポーション。世の女性の嫉妬を集め男性の独占欲を煽る。そんな外見。
精神面は高飛車で自己中心的、傲岸不遜、反抗的で孤高。さらに物質面から見れば羨むのが馬鹿らしくなるほどの、社会主義者なら首を括りたくなるような裕福な環境に育った七瀬は見事なまでにテンプレなお嬢様という存在だった。
他からは一線を越えた存在。群れず一人孤高であった七瀬。それだからこそ俺の好奇心がそそられた。今までの、我ながら短い割には少々濃い目だと思う人生のメモ帳を紐解いてみれば「孤高」というタイプの人間は大きく二つに分類できて大抵そのどちらかに属している。
一つは本当に一人が好きで愚かな大衆や愚昧な愚民風情とは口を利くのも、同じ空気を吸うのも汚らわしいと、要は選民思想に思いっきり偏った勘違いナルシストタイプ。この場合下手に近寄ると馬鹿を見るだけなので、遠くから間接的、あるいは遠隔的に俺はからかう。そしてもう一つは孤高を装いながら本当は人を求めているタイプ。誰かに見て欲しい、満たして欲しい、構って欲しいと思っているのにそれが表に出せず孤独の道を歩み内へ内へと思索を進める内に人格がねじれ曲がるタイプ。 しかし、後者の方は基本的に人間関係に不慣れなだけか、それとも対人コミュニケーションに不器用なパターンが多い。そんな人間を上手く惑わすと俺にとって絶好の遊び相手になる。もっともここで匙加減を誤るとべたべたに依存される可能性が高いのでそこは要注意だ。
人にも物にも執着や依存が出来ない性質でよほど気に入ったモノ以外は、一度手に入ると直ぐに捨てたくなる。
よく言われる喩えだが、崖に咲く花は手が触れられないからこそ美しい。手に入れば多分俺は握りつぶしてしまう。
そんな八重波の気性を察した所で早速行動を開始。
最初は礼儀正しく慎重に少しずつ、何とか解れてきた所で友人という所を強調して、時に一緒に行動し、時に軽く傷つけ、時に優しく時に冷たく、俺を信頼させる反面信頼させないように調節して、俺の思惑が悟られないように、じっくりと時間を掛けて作品を作り上げるマエストロの如く調整を行ったお陰で今の七瀬がいる。俺にとっては実に良い遊び相手だ。
気が強く反抗的で短気で手が出やすく、それでいて少し甘くすると簡単に靡く。そんな彼女が消えてしまったというのならどうしようもないが、下手な病気なんかで倒れるような事があっては困るので今日はああいうものを渡したが………うむ、気分は少しブリーダー。
保健室を後にして腕時計を見る。学校内には時計もあるが一々教室をのぞくのも面倒で家から適当に探し出して持ってきたものだが中々使い勝手がいい。俺の親父の頃は皆していたというのも頷ける話だ。
時刻は十時半を回ったところ。昼には少々どころか大分早い時間だが、屋上に向かうことにする。偶には日光浴でもしながら緑茶でも啜ろうかと思ったわけだ。携帯用ガスボンベは学校の倉庫から持ち出してきてあるし、途中家庭科室に寄っていけば携帯用コンロも薬缶に急須も、水はコンビニから貰ってきたものが、お茶だけはこんな世界になって直ぐに御茶屋から貰ってきた少々高級なお茶。日光浴でビタミンEを合成しながらカテキンを取ろうという算段。
うん、とても健康的だ。
いまさら健康になんか気を使ってもしょうがないのだが不思議なものでこんな世界になってから俺はかえって健康に気を使うようになってしまった。昔より身体の調子が良いのがなんとも皮肉だが、消えてしまうまで皆を元気にからかうとしよう。
家庭科準備室から食器棚の鍵を持ち出し薬缶と急須を取り出す。急須はともかく薬缶はどれも底が焦げ年季たっぷり感に溢れている。その中でも出来るだけ見た目と中身が綺麗なのを選び家庭科室から出たところで俺は動きを止めた。
「やあ、元気?」
「ああ、今の所な。」
「ふーん、ま、ぶっちゃけキミの体調なんてどーでもいいや。実際ボクは少し機嫌が悪いわけだしね。」
「そりゃご愁傷様。」
「まったくあの連中は性質が悪いよ、確かに今回はボクの負けだからしょうがないけどね。」
白銀色の髪、真っ白を通り越して蒼白の肌、猛禽類より柔らかな金色の瞳、真紅の唇、隙無く整いすぎた顔。細い身体を包むタイトな服装。そんなのが当たり前のように俺の隣に立って、当たり前のように話しかけてきて、当たり前のように一緒に歩く。
「で、誰?」
「あれぇ、ボクの事忘れちゃった?」
悪戯めいた笑み。
自慢じゃないが俺の記憶力は普通じゃない。
普通以下だ。
但し、それは一般事項についての事だ。人をからかいおちょくる事が生甲斐であり信条であり存在理由としている俺は一度会った人間は氏名年齢性別まできっちりと覚えているのが一つの自慢だ。
特に女性に関しては俺のこの記憶力は百パーセントに限りなく近いとまで言い切る自信がある。どうせからかうなら男よりも見目麗しい女性の方が数倍面白い。
なのに、そんな俺がこんな美人を思い出せない!
働け俺のニューロンよ!こんな美人を忘れるなんて一生の不覚だ!!
頭の中を微弱な電気信号が駆け巡り脳内のソフト、ハードを全て隈なく検索する。
「悩んでるトコ悪いけど、初対面だよ。」
ばふぅ
口から変な息が漏れる。
俺が、この俺がからかわれた。
「いやいや、オニイサン中々楽しいね。」
白髪美人がけらけらと笑う。
………うん、美人だから許す。気を取り直して───
「フッ麗しいお嬢さん、是非とも貴方のお名前をお聞かせ願えませんか?」
生憎バラの花は無かったので薬缶の蓋を差し出しながら気障な紳士風に口走ってみる。
「あら、紳士的な方、ポッ」
「ポッ」と口で言いながら頬に手を添え優雅に薬缶の蓋を受け取る。実にノリの良いヤツ。是非とも親しくなって俺の遊び相手の一人になってほしい所だ。
「フフフフ、キミ中々楽しいけどボクも少し用があるから是で失礼するね。後コレ貰ってもしょうがないから気持ちだけ頂くよ。」
薬缶の蓋が返される。
銀髪美人が廊下に面した窓を開ける。
「そうそうボクの名前だったね、玖音って言うんだ、字はね玖音の玖に玖音の音。」
「成程、くいんのくにくいんのいん・・・・・って分かるかいっ!」
掌にメモをするふりまでしてノリツッコミをしたにも関わらず、顔を上げると「くいん」と名乗った銀髪美人の姿は無かった。
左右を見回す、誰もいない。間近な教室を覗き込む、誰もいない。まさかなと思いつつ「くいん」が開けた窓から下を見る。そこには別に赤い花が咲いているわけでもなく、当然誰もいない。ていうかここ三階だから誰かいたら困る。
釈然としないものが残る。しかし考えてみればこの半年で世界はすっかり狂っているのだからそれほど気にする事でもないだろう。
そう決めて窓を閉めようとしたが止めた。折角良い風が入ってくるのにわざわざ閉める必要も無い。この窓だって誰かに開けてもらうのはこれで最後かもしれない。
開けっ放しの窓からは蝉の声なんて微塵も聞こえてこなかった。