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二十九話 幕間② 彼女達の事情

 暗く、軽い鬱話です。読まなくても問題はありません

 真柩絆の朝は(おそい。

 勿論コレは彼女が低血圧であるという事も要因の一つとして上げられる。しかし、それは要因の一つでしかなく、真柩絆が朝起きられない理由。

 その理由は───


「アギィッガッガガガッガッッ」

 声というよりは、音だった。

 一人の少年がうずくまっている。

 錆びたガラクタを無理やり駆動させたような断続的な音が彼の口から漏れ出ていた。

「あれ?教えてくれないの?」

 そんな蹲る少年に場違いなほどに明るい声が掛けられる。

「ねえ、私の事が好きなんでしょ?何でもするって言ってくれたよね?………そっか未だ足りないんだね?」

 少女がスレッジハンマーを持ち上げる。頭部が4.5kと大の大人でも振り回すのには結構な膂力の必要なシロモノなのだが、とある事故の影響で全身の感覚自体が鈍く、痛みに関しては殆ど何も感じない彼女にとってその程度の重量は障害になる事も無く。

「何処が良いかな、両腕だとバランス悪いから今度は足にしようか?」

 無慈悲な一撃が少年の大腿部に振り下ろされる。

 濡れ雑巾をブロック塀に叩き付けたような、そんな音には程遠いが、かといって表現しようにも困る。重く、湿っていて、酷く嫌な想像を喚起させる音が聞こえる。

「さあ、教えて?」

 顔中から体液を吹き出し泣き喚く少年の髪を掴み、少女、真柩絆は自分に向けさせる。焦点を失い茫漠とした目を覗き込みながら真柩は問いかける。

「痛いってどういう事?」

 少女の問答は少年が少年だったモノに変わるまで終わらない。


 何人になるのだろう?

 少女は今日も得られなかった答えにがっかりしながら少年だったモノを引き摺る。

 何時もそうだ、男の子は私の為なら何でもするなんて言うのに、一人もちゃんと答えを返してくれない。女の子は親身に聞いてくれる振りをするだけでやっぱり教えてくれない。

 もしかして、私はそんなに難しい事を聞いているのだろうか?

 廃墟の中、手慣れた動作で少年を分解し、気休め程度にはなるかと有機肥料生成用バクテリアを塗すと、半壊した地下室へと放り込んでいく。

 何時か私も痛みを知る事が出来るのだろうか?

 裸の上に直接来ていた血塗れの合羽を脱ぎ捨て制服に着替えながら少女は独り言ちる。

 痛みが分かればまた家族と一緒に過ごせるようになるのかな?

 傷跡だらけの身体を見ながらそんな事を考える。と同時に、多分それはもう無理だろうと真柩絆は理解もしている。

 眠たい目を擦り乍ら彼女は帰途に就く。

 もう少年の事など記憶の片隅にも無く、名前も顔も声すら思い出せない。そもそもそんな思い出すなんて事すら浮かんでこない。

 真柩絆は眠りに就く。

 何時か痛みが解りますように。

 何時か私にも好きな人が出来ますように。

 無垢なる願いである。


 少女は無造作に放られた紙幣に手を伸ばす。

 まだ幼いと表現してもあながち間違いではない身体には汗が浮かび、そこら中に痣が見て取れる。手枷、足枷の跡、鞭による蚯蚓腫れ、極々軽度の火傷の跡。そんな跡が彼女の体中に刻まれている。

 のろのろと手の感触だけで彼女は紙幣の数を数える。その枚数が行為の前に提示された金額を示す事を確認し、彼女は安堵の息を漏らす。

 気が付けば少女の周囲は狂っていた。

 まず父親が失踪した。自慢とは思った事も無いが警視庁刑事1課に努め周囲からは極め付きの堅物と、娘である少女の目から見ても時折木石か何かの類ではないのかと思われていた父が失踪した。当然そんな兆候は、少なくとも少女には思い当たることも無く父はある日を境に帰って来る事が無くなった。

 ただ、少女だけが知っている事がある。

 父が帰ってこなくなってから少ししたある日、父の書斎で彼女は妙な物を見つけていた。免許証。当然父のモノではない。何故ならそれは何枚もあった。誰一人と同じ人物の写っていない無数の運転免許証。彼女はソレに酷く忌まわしいナニかを感じこっそりと処分した。この時彼女が以前より話題になっていた連続殺人事件の事をもう少し知っていたら果たしてどうなったのだろうか?それとも彼女は何処かで気が付いていて処理したのかもしれない。


 次に母が帰らぬ人となった。

 元来控えめな人で出しゃばる事が無く、言ってしまえば極度の引っ込み思案な人だった。そんな母は父の失踪を機に宗教に狂った。古き海の神を奉ずる新興宗教、(魚還教)へと、お布施と称し家の金品は消え、事ある毎に見知らぬ神に祈り、懺悔し、そんな痴態を冷めた目で見る子供たちを普段の引っ込み思案は何処に行ったのか狂ったように詰り喚き、最後には家を捨て教団本部に住み込み、挙句の果てには集団自決を起こし、母はこの世から去る事ととなった。教団本部は劫火に飲まれ、帰ってきたのは申し訳程度の黒いナニカの欠片だった。


 兄は気が付けばいなかった。

 父が帰ってこなくなり暫くは居たと少女は記憶している。ただ、母が少女の主観では壊れだした頃からその記憶も曖昧になり、母の件でひと段落付き、気が付けば兄は疾うにいなくなっていた。今となっては少女にとって兄が本当にいたのかどうかすら定かではない。


 かくして少女は一人になった。

 家は少女の気が付かぬ前に売られ、その資産は少女の養育費と言う手前で見も知らぬ親族の手へと渡っていた。

 ───後の事は語るまでも無い。有触れた不幸が少女に訪れただけの事だ。

 何時だって世界は理不尽で、運命は与えた物以上に全てを持ち去ろうとする。それは当たり前の事なのだ。良い事をしようが悪い事をしようが、老若男女、貴賤を問わず、運命という悪辣な存在は条理を無視し、ただ不条理を振りまく。

 

 少女は覚束無い足取りでベッドから立ち上がる。

 股間から流れ落ちる白濁した液体に酷く陰鬱な気持ちを抱えながら浴室に入り、少し熱いくらいのシャワーを項垂れたまま浴び続ける。

 何時の頃からか記憶がはっきりとしなくなってきた、体中が怠くて何をするのも億劫だ。気分は暗く昔の、家族が居た頃の事ばかり思い出す。

 少女、神和海那緒はシャワーを浴び続ける。

 爆ぜる水音に嗚咽が混じっていたかもしれない。 

 排水溝に流れ込んでいくお湯に涙が混じっていたかもしれない。

 濡れたままの身体で自分の体臭が残るベッドに倒れ込む。一瞬鼻先を掠めた饐えた臭いに、何もかも投げ捨て絶叫したくなる自分を押さえつけ頭から布団を抱え込む。

 やがて眠りが訪れる頃、少女は願う。その願いを言語化する事は難しい。それでも敢えて形を持たせるなら───

     「何か、何でも良いから、良い事がありますように。」

 


 彼が関わる直前あたりとお考え下さい。

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