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二話 友人 八重波 七瀬①

 教室を後にして廊下を進む。

 聞こえるのはリノリウムでコーティングされた床を歩く俺の足音だけ。立ち止まれば耳が痛くなるほどに静かで、それが嫌だから立ち止まらず歩く。

 正直に言えば俺はこうなる前のあの騒々しい世界が大嫌いだった。世界は悪意に満ち溢れ、偽善と汚濁に塗れていてさっさと滅んでしまえば良いと何時も思っていた。そんな痛々しい事を思っていたにも関わらず、実際俺の希望が叶った形でもあるようなこの世界は結構キツイ。

 我ながら勝手なものだ。

 それに時々怖くなる。

 生物が消え、人が消え、街が消え、全てを消そうとするかのように動き出した世界が堪らなくて笑い出したくなる時がある。時々頭を抱えて腹の底から叫びたい気分になる。それでもそうしない理由は俺がそういうキャラクターだからだ。

 出来るだけ軽佻浮薄けいちょうふはくに、出来るだけ強気に、何があっても深刻なポーズをとらず笑い飛ばして茶化して馬鹿にして皮肉って嘲笑って。


「君はこの世の全てを嘲笑っているように見えるよ。」


 これまでの人生で最高の褒め言葉。

 誰に言われたのか分からない。けれど俺はこの言葉が気に入っている

 だから俺はその言葉通り俺が消えるまでか、それとも世界が消えるまでか、誰にも弱みを見せず、誰にも弱音を吐かず、最後まで道化を演じようと思う。


 保健室に着く。

 一年中ヒステリーかブルーデイの最中だったような口喧しい保険医はとっくにいない。それでも一応ノックはする。これは消えてしまった保険医に対する敬意の表れなんかでは当然無く、ただ単に人が中にいると仮定した場合俺の来訪を知らせる為だ。

 そんな自分の一々理屈っぽい独白モノローグに苦笑しながらサンバ調にノックをして、中に誰がいようと最初から入るつもりだったので返事も聞かずドアを開けると、中には予想通りの人物。

「よっす」

 軽く手を上げて挨拶しても返ってくるのは無遠慮な視線。目は口ほどになんとやらの言葉通り、その視線は俺に向かって様々な言葉を語ってくる。曰く「また来た」曰く「暇人」曰く………まあ、あまり歓迎されていない事がありありと伝わってくる。が、その程度で怯むレベルの繊細な神経なんてもの俺は持ち合わせていない。というか捨てた。それにそんな非歓迎的な視線に混じって少しだけ好意の視線が混じっていることを見逃す俺じゃない。

 そうなるよう仕向けたのも俺だが。

「調子はどうだ?何か欲しい物は?何かして欲しい事は?何か言いたい事は?それとも聴きたい事は?」

 矢継ぎ早に投げかけられる俺の質問に最初こそ呆れたような顔を浮かべていたが、やがてうんざりした顔に変わり、最後には怒気に染まり、結果

「煩いっ!!」 

 七瀬の怒号が飛ぶ。が、俺はニヤリと笑う。

「七瀬よまだまだ甘いな、無視する気なら俺が何を言おうともっと徹底的にしないといけない。無視とは下手な悪口より効き目がある分使い方が難しいのは周知の事実。何しろその相手の存在を一切合財完全に認識できないという扱いをしなくてはならないわけだ。つまり本当の意味での無視という言葉は言動や行動を無視するだけでは不完全であり、その存在すらも完全に認識していない事を見せ付ける必要がある。なのに七瀬、君ときたら俺が保健室に入ってきた時に視線を合わせてしまった。その地点で君の敗北は決まっていたのだ!!」

 負けじと俺も語尾にエクスクラメーションマークを二つ付けてびしっと音が聞こえてきそうな勢いで七瀬に人差し指を突きつける。

「………ばーか」

 返ってきたのは冷たい一言だった。

 この程度で負ける俺じゃないが、ちょっと涙が出そうだ。

「………何しに来たのよ?」

 しゃがみこんで膝を抱え「の」の字を書き続ける俺に七瀬がうんざりしたような声を掛けてくる。俺は再びニヤリと笑い立ち上がる。

「フッ、七瀬よ君は本当に甘いな、こうして普段から強気な俺が少しいじける演技をして見せればあまりの鬱陶しさから自分から話しかけざるをえないと君が思うに違いないと俺が取った行動に見事に乗ってくれたな、これで俺は君から心理的優位権────」

 黙った。

 七瀬に鬼すら怯む様な目つきで睨まれたというのもあるが、それ以上に気だるそうに座っていたベッドの枕の下から出した大型ナイフ。握りの部分に鋭い鋲が何本も打ち込まれブレードの方も俺の見立てだとハードスチールの肉厚な十三層構造。獲物を切り裂きやすいよう微妙なカーブを描く片刃の大型ナイフ。自分の所が一番正しいと勘違いしていた国の軍人が格闘兼暗殺に使うような代物が取り出され、その上手馴れた動作でそれが構えられたという事実に俺は流石に黙った。

 手馴れた動作と言う事は使い慣れていると言う事。どうしてあんな凶器を使い慣れているのかは知らないが、兎に角ナイフの扱いに長じていると言う事。

 現に七瀬の身体から赤黒い殺気がちらほら見える。

「────罪って知ってるかしら?」

「ハイ?」

「罪って、概念なの。」

「………はぁ」

 器用にナイフをペンの如く指の上で回しながら七瀬がじっと俺の目を見据えそんな事を言い出す。

「人が群れとして生きるにはルールが必要。人に限らず何かが集団で生活するにはルールが必要。何故ならルールが無いと人の世は成り立たないから。だから法律という名前のルールが生まれて、そのルールに違反する行為が罪となるの。つまり罪とは人が群体として存在している時にだけ通用する概念。」

 何か、無性にイヤな予感。

「だから人のいなくなった今の世界で罪という概念を感じるのはその罪を犯した本人のみ、そして私はどちらかというと人を殺す事に対して、特に今の地点で彼方を殺す事に関しては一欠けらもそんな概念が浮かんできそうも無いんだけど?」

 七瀬がニッコリ。

 ナイフがキラリ。

「………ゴメンナサイ。」

 深々と土下座。

 頭を踏まれる。せめて靴を脱いでいてくれる事が有り難い………というか柔らかい足の裏がちょっと気持ち良いかも。悪い趣味に目覚めたら七瀬に責任を取ってもらおう。

「それで、何か用?」

 何とか機嫌も治まったらしくナイフが枕の下に戻される。それを確認して俺も背もたれに白衣がかかったままの回転椅子に座り七瀬に向かい合う。

「身体の事だよ、大丈夫なのか?」

 ぴくりと、一瞬だが間違いなく七瀬の身体が反応する。

「………大丈夫よ、少なくとも彼方に心配されるほど零落おちぶれていないわ。」

「ふーん」

 七瀬の顔を見る。

「………何よその気の無い返事は、話しかけてきたのは彼方でしょう?」

 俺の顔に苦笑が浮かぶ。

「いやな、お前との付き合いも二年近くになるけど、嘘が下手なところは始めてあった時から変わらないと思ってね。」

「失敬ね、嘘なんかついてないわよ!」

 七瀬の柳眉が釣りあがる。

 良い反応。基本的に激昂しやすい人間はからかい甲斐がある。

「七瀬ってさ、嘘つくと右耳がぴくぴく動く。」

 慌てて耳を押さえる七瀬の姿に思わず笑ってしまう。

「ウソだよ。」

 ごすっ

 意識が飛びかける。

「彼方最低!こんな状況下なのに人を毎日からかいに来て!何考えてるの!?」

 いいパンチだ。世界が狙える。

 迷いなくこめかみを的確に殴ってくるのもステキだ。

「仕方が無い、これは俺のサガだ。それに俺だって色々考えているよ、夕飯は何にしようか、明日はどうやって七瀬をからかおうか、七瀬の下着───」

 そこまで言って七瀬の視線と手の中の剣呑な刃物の光に言葉を止め、わざとらしく咳払い等を一つ。

「悪かった、少し冗談が過ぎた、この通り謝るよ。」

 深々と、卑屈なほどに頭を下げてみせる。頭なんていくら下げようとタダだから別に構わない。何となくプライドの切り売りをしているような気がしないでもないが、プライドなんて俺にとっては夏場の雑草と同じようなモノだ。

「ほら、これやるよ。」

 鞄から近所の薬局で貰って来た物を出す。

「何よ、コレ?」

「サプリメント、鉄分とビタミンB。毎日飲めば貧血も少しは良くなるだろ。」

「いらない。」

 むう、こうもあっさり言われると逆に面白い。

「無理するなよ、昨日だって倒れていただろ?」

 びくりと、さっきよりも大きく七瀬の身体が反応する。

「────どうして知っているのよ………まさか!」

「そう、倒れていたお前を見つけてここまで運んだのは俺だよ。」

 柔らかくて気持ちよかったとか、押し倒そうか迷ったとかは言わないでおこう。

「余計な事しないで。」

 七瀬の言葉はにべも無い。

「余計な事?それじゃあお前あんな冷たく固い床の上で気失ったままで良かったのか?」

「そ、それは───」

「感謝の言葉は?」

 これ見よがしにニッコリと笑ってみせる。

「クッ・・・・・・」

 七瀬が下唇を噛みながら物凄い視線で睨んでくるが気にしてはいけない。

「おやおや、七瀬サンは人に親切にしてもらったらなんていうのか教わっていないのかなぁ?」

 ぎしりっ

 七瀬の口元から歯軋りが聞こえたような気がするが、それも気にしてはいけない。

「・・・・・・ありがとう。」

 暫し俺を睨んでいたが、漸く小声でそう口に出す。本当なら「きこえんなぁ?」とかもう少しからかいたいところだが、半病人にそこまでする程鬼畜でも無いつもりなので止めておこう。そもそも七瀬からお礼の言葉が聞けるだけでも僥倖というものだ。

「いえいえ、どう致しまして。七瀬の為なら火の中水の中。」

 優雅に一礼したのに憮然とした顔でまた睨まれる。

 あー楽し。

「これで七瀬は俺に貸しイチな訳だ。」

「──頼んだことじゃ無いわ。」

「甘い、御汁粉よりも羅漢果らかんかよりも甘い!そんな言い訳は通用しない、俺にお礼を言ってしまった時点で七瀬には俺に対しての貸しが発生する。というわけで早速返してもらおうかな。」

 立ち上がり素早く七瀬に詰め寄る。

 形的にはベッドに座っていた七瀬を押し倒す形だが、まあ良いか。

「ちょっと!何する気よ!!」

「いいから、口を開けて。」

 枕の下に突っ込まれた右腕を見逃さず、手首の部分を素早く掴む。力は弱め、傷つけないように枕の下から引っ張り出す。

 予想通り、右手は既にナイフをしっかりと掴んでいる。

 それにしても細い手首。前から細いほうだと思ってはいたけどこんなに細かったものだろうか?

 多分食事はまともにとっていないだろう。間近で見れば顔色の悪さが目に付く。頬も痩せて綺麗だった栗色の髪も少し艶が失せている。一時期は蝶よ花よと育てられた七瀬の事。生活力はあまり無い。寧ろ今までもっているだけでも七瀬の場合は立派だ。

 馬乗りという形になり、両足は塞がれ、両手は押さえつけられ、それでも暴れていたが観念したらしく動きを止めて目を閉じるとゆっくりと唇が開いていく。

「────せめて…やさしくして………」

 ………こら、何を勘違いしている?

 ───しかし、そんな事を言われると───

 慌てて自分の側頭部を殴りつける。

 危ない、もう少しで鬼畜バージョンが発現する所だった。

 ま、確かに普段から気が強くて高飛車な七瀬がこう俺に組み伏せられている姿はかなりオイシイ場面であることに間違いないが………駄目だ、俺の基本的条項第三十八「和姦以外ハ由トセズ」が健在だ。

 また邪念が沸き起こらないうちに本来の目的を済まそう。机の上からサプリメントのケースを取り、鉄分とビタミンBの錠剤を数錠ずつ出して七瀬の口に含ませ、上から降りる。

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔でゆっくり身を起こした七瀬に封を開けたペットボトルの水を渡し錠剤を嚥下させた。

「どうだ?」

「………何が?」

「味だよ、そんなに不味くはないだろ?」

 今ひとつ理解できないような顔を浮かべながら七瀬が小さく頷く。

「これからは毎日自分で飲めよ、毎回押し倒すなんて面倒な真似は御免だからな。」

 まだ呆気にとられたような顔をしている七瀬の手をとりサプリメントのケースを握らせると俺は背を向ける。

「ちょ、ちょっと待ってよ。」

「何だ?」

 保健室から出ようとした俺を七瀬が呼び止める。

「じゃあ何、彼方が私にして欲しい事ってこれを毎日飲めって言う事?!」

「ああ、俺はお前が健康でいるほうが嬉しいんでね。」

「ば、馬鹿じゃないの!何考えているのか全然分からない!!」

 怒鳴ってくる七瀬に思わず苦笑を浮かべる。

「占星術的に見て───」

「…えっ?」

「占星術的に見て五月六日生まれの人間は産まれついてのお節介なんだよ。」

 これ以上理に適った説明もないだろうというほどの説明をしたのにも関わらず何故か七瀬はジト目。

「彼方…前冬の生まれだって言ってなかった?」

「そう、十二月九日産まれ。」

 枕が飛んできた。

 考えてみれば、当たり前だ。今の説明って自分が五月六日生まれじゃないと成り立たない。ぬぅイージーミス。

 ならば説明第二弾。

「ジョークだよ、お前にそれを飲んで欲しいワケは───」

「………」

「押し倒すなら健康体の方が好きなんだよ。」

 飛んでくるであろう枕より数倍酷そうな物を予測して、身構える。

 が、帰ってきたのは意外な一言。

「………ちゃんと、飲むわよ。」

 ………………オイオイ

 勘違いするぞ?


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