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二十六話

 

 八重波七瀬は退屈だった。

 ぼんやり頬杖を付き窓の外を眺める。

「八重波、聞こえないのか八重波?」

 そんな声に七瀬は顔を教壇の方に向ける。

「八重波、そんなに俺の授業は退屈か?」

 現代社会教師の射場イバがいやみったらしく問いかけてくる。

「ハイ、非常に退屈です。」

 七瀬はそう短く答え、再び視線を窓の向こうに向ける。

 射場は何か言いたそうに二、三度口を開け閉めしたが、そのまま授業に戻った。


 七瀬は孤独だった。


 孤立ではなく、孤独。この違いは中々に大きい。

 資産家の娘として生まれ、何不自由なく暮らしていたかと思えばそうでもなく、何かと自分の生活に口を出してくる両親に嫌気が差し、それでも学費や生活費を依存している内は大人しくしていようと思っていたものの、彼女の知らない内に結婚相手が決められていた時。七瀬はキレて随分歳の違う婚約者とやらを比喩でもなければ誇張でもなく事実半殺しの目に遭わせた。

 それが今から役一年前の出来事。

 そして、その日から八重波七瀬は孤独になった。

 生来の気位の高さと性格ゆえ学校に親しく話せる相手もいない。

 家に帰れば親に逆らい、色々打ち壊しにした罰として一人離れで過ごさせられる日々。

 それでも七瀬は後悔していない。

 友達がいないのは昔から。腫れ物を触るような扱いで見られる事にも慣れている。

 ただ、そうなのだとしたらこの孤独感は何なのだろう?

 七瀬は自分でも分からないその感覚に苛立つ。

 自分には親しい間柄の人間なんていない。

 家族は血の繋がった他人に成り下がった。

 使用人は使用人でしかない。

 この学校にいる人間、生徒にも教師にも、誰にも期待していない。

 私は一人だった筈だ。

 なのにこの曖昧なモノは何なのだろう?

 七瀬は自問する。

 おぼろげで曖昧で、記憶と呼ぶ事すら危うい、言い表すなら夢の残滓。そんなモノが彼女の心を掻き乱し、ささくれ立たせる。

 その微かな記憶の中で七瀬は感情豊かだった。

 笑って、怒って、泣いて、怨んで、喜んで、悔やんで、哀しんで、その誰かが隣にいた時、七瀬はテンポを狂わされ、けれどそれが嬉しかった。

 自分にどうしてそんな記憶があるのか分からない。

 七瀬は窓の外を見つめ続けながら考える。

 この記憶は何なのか、この記憶は何処から来たのか。

 そして、どうして記憶の中の自分はあんなに楽しそうなのか。

 気を抜けば零れ落ちて消えてしまいそうな記憶を掻き集め、七瀬は考え続ける。


 首を傾げる。

 気がついたら此処にいたとしか言いようが無い。

 そもそも、此処は何処だ?

 勿論此処がどういう場所なのかは分かる。俺が通っていたと思い込んでいた天中学園高等部北館四階の物置。

 どういう事だ?

 俺はさっきまで、体感時間的には今の今まで銀月亭にいた筈だ。そこで俺は終末を観測して、そうだ、そもそも世界は終わった筈だ、だとしたら、俺がいる此処は、俺という存在は何なんだ?

 物置から一歩踏み出す。窓から西日が差し込んでくる。

 階段を下りる。3年A組。

 俺が在籍していると思っていたクラス。開きっぱなしのドアから入る。窓際の席、七瀬がぼんやりと頬杖を付いて窓の外を眺めている。他には誰もいない。

 何時もの、実際には見慣れたと思っていただけだが、それでも見慣れたとしか表現できない七瀬の姿。

 世界が変わってしまう前、七瀬はああやって退屈そうに外の風景をよく見ていた。

 そんな知らない筈の見慣れた姿に色々溢れ出しそうになるが、押し留め、俺らしく軽く声を掛ける。

「元気か、七瀬。」

 ムシされた。

 その反応が何時も通りでまた、嬉しい。

「元気ですか、八重波七瀬さん?」

 無視

「息災か、七の字?」

 無視

「Bonjour七瀬?」


 ───おかしい。

 大抵は三回目位の呼び掛けで汚物でも見るような一撃昇天といった感じの目つきで見振り向く筈だが、今日は反応が悪い。

 そんなに何か機嫌を損ねるような事でもしたのだろうか?

 仕方が無いので七瀬に近寄り、軽く呼びかけながら肩を叩こうと手を振り下ろす。


 ───すり抜けた。


 手の平をじっと見てみる。ついでに触ってみる。間違いなく実体がある。次いで七瀬を良く見てみる。あの保健室で泣いた七瀬と違って血色が良い。髪にも艶がある。もう一度肩を叩いてみる。手は空しくすり抜ける。

 試しに背中から抱きしめてみる。

 腕も身体も七瀬をすり抜け、俺の身体は空しく机の上に落ち着く。

「あー………つまり、あれか。」

 七瀬の身体をすり抜けたまま机に突っ伏し、俺は今の状況を考える。

 これはどっちなのだろう?

 つまり、あの時世界が終わって、俺が実体で七瀬が虚構なのか、それとも俺が虚構で七瀬が実体なのか。

 ゆっくりと立ち上がる。俺の身体か、はたまた七瀬の身体がお互いにすり抜ける。幸い一瞬視界が閉ざされるだけで内蔵系は見えなかった。考えてみれば人体の中なんて一部を除いて光が無いのだから見えないのは当たり前かもしれないが。


 つまりだ、あの時世界は終わった。コレはもう大前提だ。となると、俺が今見ている此処は何処だ?


 何となく七瀬の頭を撫でてみる。勿論すり抜けてしまうので正確には頭の少し上の空間を撫でる。

 当たり前の事だが、この世界、というか事象という物を認知するのは個々人の脳でしかない。何故なら全ての事柄は五感を通して脳を介する事で認識される。つまり世界が本当にあるのか無いのか何て事は脳を介する以上、確認する事も実証する事も出来ない。それは自分の頭の中に本当に脳があるのかどうか、そもそも自分自身というモノが在るのかどうかという問題にまで関わってくる。AI作成におけるフレーム理論では無いが、実在という事柄に関してはある程度のところで妥協して折り合いをつけるしかない。

 だから、この世界が実在しているかどうか何て事は些細な問題に過ぎないのだろう。

 寧ろ俺は喜ぶべきなのでは無いのだろうか、七瀬が生きているという事に。

 ちぱちぱちぱ

 聞きなれたやる気の微塵も感じられない拍手の音。振り向くとそこには───

「やあ、ハジメマシテ───」

 片頬を歪める様な笑みのクインが壁にもたれ掛かるように立っていた。

「始めましてって、さっきまで………」

 玖音が苦笑を浮かべながら教室を出て行く。

 俺はもう一度窓の外を眺める七瀬の姿を見てから、玖音の後を追った。



 私は振り向いた。

 立ち上がり、窓に背を向ける。

 私以外誰もいない教室。窓から差し込んでくる西日で鮮やかなオレンジ色に染まっている。

 何も変わらない、何時もと同じ放課後。開けっ放しの出入り口からは風が吹き込みカーテンを揺らす。

 ───もう直ぐ下校時刻だ。今日はどうやって時間を潰そう。

 市立図書館に寄って閉館まで古代史関連の書籍でも読もうか。

 それとも駅前の楽器店に行って新譜が出ていないか見てこようか。

 それとも銀月亭に行って───

 ───銀月亭?

 当たり前のように思い浮かんだ、知らない名前。

 ───何も変わらない、何時もと同じ放課後。

 なのに、どうして私は泣いているんだろう?

 堪え切れず、座り込み両手で顔を覆う。せめて声だけは漏れないように唇を噛み締めながら。

「………逢いたい、逢いたいよ………」

 そんな努力も空しく、私の口からは言葉が漏れる。

 誰に逢いたいのかも分からないのに、私は自分でもどうしようもない感情の高ぶりに翻弄され、泣き続けた。


 所用の為更新が遅れる可能性があります。ご了承下さい。

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