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十四話 友人 八重波 七瀬③


 どうやら、終わりが近いらしい。

 教室に一旦戻った俺はそう自覚せざるを得ない。

 目の前には空っぽになった青いプラスチックのたらい。隅の方にピンク色のどろっとした液体が僅かにこびり付き、後は何も無い。

 梧も消えたようだ。

 指折り数えてみる。

 真柩死亡。神和死亡。黒限死亡。國嵜消失。御巫消失。防人木化。梧蒸発。

 残りは俺と、八重波七瀬。


 するべき事は一つしかない。

 俺は保健室に向かった。

 リノリウム張りの廊下を歩き、いつもの様に軽く、今日はタンゴ調にノック。返事が無いのもいつもの事なのでカラカラと開き戸を開ける。

「───おや?」

 七瀬の姿が無い。

 三台並べられたベッドの上は綺麗に片付けられ寝ていた形跡も無い。窓が少しだけ開いて日に焼けて黄ばんだ厚手のビニール製カーテンが揺れている。

「おーい、七瀬やーい。」

 軽く呼びかけながらベッドに近寄る。

 ガツンッと後頭部に強い衝撃が走ったのは、そんな時だった。

 成す術も無く倒れふせ、ぼやけていく視界の中、布で何重にも巻いた金槌を持つ七瀬の姿があった。

 七瀬は嬉しそうに、困ったように、笑っていた。


 目を開ける。

 後頭部が疼く様に痛い。

 日に焼けて少し黄ばんだ天井。

 周りを囲む遮光カーテン。

 独特な消毒薬の匂い。

 背中に当たる柔らかな感触。

 この風景にも感触にも覚えがある。

 つまり、俺は今保健室のベッドの上にいるのだろう。

 それはさておきだ。

「七瀬よ。」

「なにかしら?」

「幾つか質問していいか?」

「どうぞ、答えられる質問なら答えてあげても良いわ。」

 俺の寝ているベッドの端に腰掛けた七瀬が薄っすらと高圧的な笑みを浮べる。

「一つ目だ、何でこんな真似を?」

 視線を腕の先に向ける。

 手首の辺りを白いロープで縛られ、その端はベッドの支柱に縛り付けられている。足も同様だ。身動きできないことも無いが、手足はほぼ動かすことが出来ない状態。

「一応言えば俺にSMの趣味は無いんだが?」

「その点なら大丈夫よ。私もあんな下品な性癖は無いから。」

「お前な、その言い方は全世界SM愛好者の皆さんに失礼だと思わないか?」

 七瀬が疲れたようなため息をつく。

「あのね、どうして私がSMなんて行為を愛好するような下種な連中に気を使わないといけないの?」

 酷い言い方。

 SMだって一つの愛の形だと前真柩が力説していたぞ。

「第一、もうそんな事言ったって怒る人もいないでしょ?」

 ………その通りだ。

 怒るのがいないんだから何を言っても良いのかという問題じゃない気もするが、一々論じる事でもないので流そう。

「質問はそれだけ?」

「そうだな……ってオイ?」

「何よ?」

「お前まだ一つ目の質問に答えてないだろ?」

「SMは嫌いだって言ったでしょ。」

「それは質問の答えになってないだろうが!」

 素早く振り上げられた七瀬の手がきらりと光る。

 慌てて首を捻ると、今まで頭のあった位置に例のナイフの鋭い刃が枕に深々と突き立つ。

「殺す気か!?」

「ちゃんと手加減したわよ。」

 枕に深々と刃が食い込む力加減をコイツは手加減と呼ぶのか?

「顔面を貫通したかも知れないけど、脊髄には届かない程度に加減したわ。」

「顔面貫通する地点で手加減とは言わんわ!」

「煩い、質問するならもっと分かりやすく聞きなさいよ。」

 チクリとナイフの刃先が俺の眉間を刺す。

「分かった、理解した、了解。だから、とりあえずソレを退かしてくれ。」

 七瀬がどこか残念そうにナイフを何処へとも無くしまいこむ。

「…意気地なし。」

「この状況下でナイフ突きつけられて平気なヤツってそれはそれで大問題な気がするけどな。」

「どうでも良いわよそんな事、それより早く質問したら?」

 脱線させたのはお前だろうが!

 という言葉は飲み込む。しかし七瀬。何か急に強くならないか?

「どうして、俺はベッドに縛りつけられているんだ?」

「私が縛ったから。」

「うん、だから、そうじゃなくてな、俺をベッドに拘束している理由を聞きたいと言ってるんだが理解できますか七瀬サン?」

 銀色の光が閃く。

 ずどん。

 さっきまで俺の眉間のあった位置にナイフが柄までめり込んでいる。

「ちっ」

 舌打ちしやがった。

「あのな…いい加減笑えんぞ?」

「私を莫迦にするからよ。」

「刃物を使うな!!」

「今日はそんな気分なの。」

 ………ああ、話が進まない。

 嘆息して頭を抱えたい気分だ。

 それにしても、七瀬。

 逢うのはたった二日ぶりの筈なのに、どう見ても憔悴している。

 髪は艶やかさが無い。顔色は悪く、頬もこけている。精神力だけで保っているような感じだ。

 俺の視線を真っ直ぐ受け止めていた七瀬がふっと頬を緩ませる。

 笑ったのではなく、緩ませただけ。

「だって、そうしないと────」

 七瀬がゆっくりと覆いかぶさってくる。

 体温すら感じられる程の距離まで七瀬が近寄る。

「彼方は、またどこかに行っちゃうでしょう?」

「────」

 七瀬が俺から離れ、ベッドの脇に座る。

「彼方が来なかった二日間、色々考えてみたの。」

「私っていつからこうだったのかしら?多分、昔からこうだったと思うの。高圧的で傲慢で気分屋で、孤高と言えば聞こえは良いけど、裏返せばそれは孤独ということ。」

 俺は黙って七瀬の独白に耳を傾ける。

「家族には疎んじられて、友達も出来なくて、先生からも嫌われて、幸い家が家だったから生活には困らなかったけど、だから私は孤独だったゆえに孤高を望んだ。どう?可笑しい事を言っている?」

 俺は複雑な表情を浮べた。

 そういった表情が一番相応しいと思ったからだ。

 ───俺は七瀬の過去もそれなりに知っている。勿論七瀬が自分から語ったわけも無く、俺が勝手に調べた。

 八重波七瀬。彼女もまた少し歪んでいた。

 彼女は道具だった。

 蝶番ちょうつがい、潤滑油、架け橋

 言い方は様々だが、要は生贄いけにえ

 巨大になりすぎた組織を継続させる為の人身御供。その役割が七瀬にはあった。

 だから、正確に言うのなら歪んでいたわけではなく、周囲に歪められたと言う方が正しいのだろう。

 その事実をいつ頃七瀬が知ったのかは定かじゃない。けど、だからこそ七瀬は荒れて壊して全てと決別して、孤独になった。


 七瀬の家は確かに豪奢だ。社会主義者が見たらそのまま東尋坊から身を投げ出すような代物だ。けれど、七瀬が住んでいるのはそんな邸の離れと言えば聞こえがいい。つまりは隅っこにある土蔵を人が住めるよう最低限改築した代物。

 そんな環境で、七瀬は誰にも媚びる事無く一人で、孤高に生きてきた。

 だから、俺はそんな七瀬が興味深かった。

 興味深かったから接近して、少しずつ懐柔して、惑わして、踏み込んで…実に楽しかった。

「私は一人で生きていける自信があったの。誰にも頼らないで、誰にも頼られないで、一人だけで、世界がどう変ろうと私だけは変らないで生きていけると思っていた。」

 そうだ、人は一人でも生きていける。

 辛いかもしれないし寂しいかもしれない、厳しいことも沢山あるだろう。それでも人は一人で生きていける。普通なら無理だろう。でも一人だけいた。

 誰にも深入りせず、誰の人生にも爪痕一筋の傷跡すら残さない。そうやって生きている人間を俺は知っていた。

 そして、それは七瀬じゃあ無い。

「そうよ、私は現在も未来も一人で生きていこうと思っていたのに───」

 七瀬がすっと近寄る。音も無く首筋に冷たい感触。

「彼方が邪魔をした。」

 するん

 首筋を冷たい感触が撫でた。

「………でもね、私はそれが嬉しかったのかもしれない……」

「やっぱり、私は寂しかったのかもしれない。だから、彼方が近寄って来た時、私は心から鬱陶しいと思ったのに、遠ざける事が出来なかった。多分。彼方を遠ざけたら私とこの世界の縁が完全に無くなったかもしれないわね。」

「・・・浸ってるトコ悪いんだけど───」

「何かしら?」

「血、止めてくれない?」

 見るまでもなく分かる。シーツが生暖かく濡れていく感触と匂いで。

 幸い血管はそれているようだけど、痛い。

「何言ってるのよ、彼方はそのぐらいじゃ死なないでしょう。」

「死ぬわッ!」

「───別に、いいじゃない。死んだって。」

 ナイフが鼻先に突きつけられる。

「彼方が望むのなら私も一緒に死んであげてもいいのよ………それとも、この世界に何か未練でもあるの?」

 未練………?

 そんなモノ………

「無いでしょう?それならどうして彼方は死ぬ事を拒否するの、別にいいじゃない、こんな無粋な所で永らえてどうしたいの?」

「そもそもね、私は昔から彼方に聞いてみたい事があったの。」

「彼方は何を求めているの?」

「いつも人をからかって、茶化して、馬鹿にして、意地悪で、裏切り者で、そのくせ優しい、なのに時々彼方は途方も無く遠い目をしている。人が認知したら絶対にいけないモノを見てしまった目をしている………ねえ、本当に彼方は何者なの?」

「───何者も何も、どこにでもいる何の変哲も無いただの標準的な男子高校生だよ。」

 我ながら、少々白々しい気がしないでもない。

「───いいわ、そういう事にしておいてあげる。」

 漸く鼻先から引っ込められたナイフが七瀬の手の上でくるりと一回転してそのままどこかに消える。

 いや、本当何処に消した?

「ねえ、一つだけ私と約束しない?」

「何故?」

「別にしてくれなくても構わないけど、その場合彼方の失血死はほぼ確定かしら。」

 消えたはずのナイフの刃先がちくりと首筋に感じる。

「拒否権は無し?」

「あら、私は個人の意思を尊重するもの、別に断ったって一向に構わないわよ、もっともその場合死んじゃうけど。」

 顔は笑顔だ。それも滅多に浮べない悪戯めいた笑顔。小悪魔的笑顔とも言う。が、目が笑っていない。剣呑ともいえる光が熾火のように漏れだしている。

 こんな時は、妥協だ。

「えーと、どんな約束を交わして欲しいんだ?」

 生憎命と引き換えに貫き通す程の事でもない。

「簡単な事よ。」

 七瀬が俺の上に乗る。

 丁度マウントポジションを取られた形。顔面をガードできない事が実に不安だ。

 そんな俺の不安をよそに七瀬の顔が俺に近づく。

 七瀬の吐息が顔に吹きかかる。

 七瀬の体温が伝わってくる。

 目は真っ直ぐに俺の目を捉え覗き込んでくる。

「私の傍からいなくならないで。」

 あまりに真剣な眼差し。

 茶化してしまいたい。

 目を逸らしたい。

 けれど、それはできない。

「私か彼方のどちらかが消えるまで、それか死んでしまうまで、私の傍から離れないと、一緒にいるって約束して………」

 七瀬の目が潤み、涙が落ちてくる。

「………一人は………イヤ………」

 そこまでだった。

 七瀬を支えていた何かは脆くも崩れ、七瀬は泣いた。

 俺に縋り付き、それでも孤高と言う最後の矜持を守り通そうとするかのごとく声を殺して、泣きに泣いた。

 七瀬の小さな嗚咽を聞きながら、俺はぼんやりと考えていた。

 七瀬と消えるまで一緒に過ごしていくのもそう悪くは無いかもしれないと。

 血の匂いと七瀬の匂いに咽ながら。

 七瀬の嗚咽と体温を感じながら。

 俺の意識は暗転していった。


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