十話 後輩 神和 海那緒③
遠く波音だけが聞こえてくる中、明る過ぎるほどに明るい月明りを頼りに歩を進めながら、神和と初めて逢った時の事を思い出していた。
去年の事だ。目出度く俺は進級して、真柩が後輩として入ってきて。せっかくだから軽くお祝いでもしようと海辺にある行きつけの喫茶店、銀月亭へ行く途中。海岸の防波堤に積まれたテトラポッドの上に神和は腰掛けていた。
海を見ているのか、それとも何処か遠くを見ているのかよく分からない茫洋とした視線。
聞いてみたら「未来を見ています」と予想以上に困った答えが返ってきた。
声を掛けたのは真柩が同じクラスだと言った事からだった。
「そこの嬢ちゃん。」
不思議そうな顔で神和が振り返る。
「アメ上げるからこっちおいで。」
「………先輩、そんな戦前の子供ですら莫迦にしそうな…」
「やっぱり駄目か?」
「ハイ、知り合いじゃなかったら速攻で電波な人だと確信した上で海に落とします。」
・・・笑顔で黒いコトを・・・
「しかし、昔から婦女子ををかどわかす時は飴玉が一番だって言ってるしなぁ?」
「かどわかすって、拉致でもするつもりですか?」
「……強ち。」
「否定しろーッ!」
ナイス突っ込み。
だが真柩、手加減を覚えような。肋骨が少し軋んだぞ。
「そもそも誰が言ったんですかそんな戯言?」
「俺だ。」
「……神様、どうしてこんな人が私の純潔を散らした人なのでしょう?」
人聞き悪っ、もっと言い方があるだろうに……事実だが。
「これ、信じてもいないものを祈るな。」
「いえいえ、こう見えても私生粋の宇宙精神を信じる────」
「どこのカルトだッ!」
「・・・あの・・・」
楽しくいつもの様にエスプリに満ち満ちた会話を遮ったのは、躊躇いがちに掛けられた小さな声。神和が心底困った笑みで何時の間にか傍に立っていた。
というか、今の会話を聞いていて逃げていかないとは中々見所ありだ。
「その……楽しいコントでした。」
いや、通常の会話です。
そんなこんなで俺、真柩、神和の三人はそのまま喫茶店へと向かい、お茶をしながら色々と話し込んだ。最初は当たり障りの無い話で終わったが、何度も会ってそれなりに親しくなってくると、神和もなんというか俺と出会うべくして出会ったような女の子だった。
それが発覚したのは出会ってから暫くしたある日。
その日も三人で銀月亭に赴き甘いものでも食べようかと考えていたのだが、真柩に突然月一回のお客さんが訪れ、勿論痛くは無いがだるくてどうしようもないらしい。そんなワケで俺と神和の二人で銀月亭に来ていた。
どう見てもやる気があるようには見えない年齢不詳性別不詳の店主兼唯一の店員が作った不思議な程に美味な抹茶のシフォンケーキ。甘さカロリーともに控えめで、正直カロリーはどうでも良いが甘さ控えめが実に気に入っている。向かい合って座った神和はアプリコットパイを幸せそうに口に運んでいる。
「そういえば神和?」
「何でしょう?」
「この前さ、何を見ているんだって聞いたら「未来を見ています」って言っただろ?」
「ええ、言いました。」
「あの時から気になってたんだけど、どんな未来が見えたん?」
アプリコットパイを口に運ぶのを止め、セットのアプリコットティーを一口含み、少し考えてから、或いは迷ってからか神和がいつもの様に少し小さな声で話し出す。
「何も、見えませんでした。」
思わず椅子から落ちそうになった俺を止めたのは、それに次いで出た言葉だった。
「私には未来が無いんですから、しょうがないですね。」
微笑。
もの凄く嫌な違和感だ。
「───どうして、未来が無いなんて思うんだ?」
「・・・・・・先輩は自分に未来があるなんて本当に思っているんですか?」
微笑みを浮べたまま、何もかも見通すような淡い色の瞳が俺を貫く。
が、そこは慣れたもの。伊達に十数年を生きている分けじゃない。
「勿論、俺には輝かしい未来予想図がハッキリと見えているよ。」
「・・・・・・参考までに教えてください。」
「うむ、先ずは高校を卒業だ。」
その後、俺の未来予想図を延々と三十分程語った。
俺の素晴らしくもヒロイックな未来予想を聞いた神和は何故か渋い顔。
「・・・・・前々からそうじゃないかと思っていましたけど、先輩って悪い電波受信してませんか?」
「・・・・神和よ、人間は電波を受信も発信もできんぞ・・・・・というか俺の言う事はそんなにアレか?」
「そうですね、きーちゃんじゃないですけど知り合いじゃなかったら絶対通報していると思います。」
「・・・・・警察に?」
「公安に。」
をい
俺は思想犯か何かか?
「或いはMJ12」
・・・・またマニアックな。そのうちイルミナティとか黄金の夜明けとか言い出さないだろうな?
「・・・・・そうですね、先輩、さっき言った事に少し付けたししても良いですか?」
「どうぞ。」
「あの時、私には本当に未来が見えませんでした。」
「うん。」
「それに、やっぱり私には未来がないと思います。」
微笑。
違和感。
「でも、先輩やきーちゃんに逢えた事は私にとって予想外で、とても嬉しいです。」
笑顔。
そう、笑顔はこういう時に見せるべきものだ。
それから後は何事も無かったかのように他愛も無い話を交わしながら甘味を食べ、日が落ちる頃俺と神和は帰途に着いた。
前々から気になってはいた。どうみたって内気で引っ込み思案なのに何とか、無理をしてでも明るい人格出しているように見えた。そんな風に振舞えば振舞うほど神和の姿は何処か歪んで乖離していて、当然と言ってしまえば嫌な事だが、友人の類なんてものは俺と真柩のみ。
それに度々体に痣をつくってきたり痛々しく包帯を巻いていたり。思えば何となくそんな予感はしていた。
そして決定打は今日の言葉。
「私には未来が無いんです。」
その神和の言葉がどうにも気になった俺は少し神和について調べてみた結果、実に色々出てきてしまった。色で言うなら灰色どころか真っ黒。或いは真っ赤な危険色100パーセント。
まず、父親が犯罪者。罪状は───主に殺人。それも一人二人どころか約五十人。つい最近まで世間を騒がしていた連続殺人犯。
次にその事と関係してかどうかはさておき、母親が某カルト教団に大嵌り。多額の喜捨をした後、教祖とともに、掻い摘んで言うと他の多くの信者とともに集団自殺。
そして兄、相次ぐ家族の問題に神和をほったらかしてとっとと精神を壊し、失踪した臆病者。
身寄りの無くなった神和は母方だか父方だか得体の知れない遠い親戚に引き取られたものの、かなりの虐待があった様子────肉体的にも精神的にも、性的にも。
その後、神和を引き取った偽善者夫婦は謎の出火により自宅で焼死体として発見。偶々外出中だった神和は無事。
その後一人暮らしをしている。
………生活費もどうやらあまり褒められた事では稼いでいない様子。
調べれば調べるほど陰鬱になりそうな、まるで不幸の見本市のような女の子。それが神和海那緒だった。
哀しいかな、未来が無いなんて自分から言い出すのもよく分かる。
だから、俺は少しだけ力を貸す事にした。
少しだけでも状況が好転するよう。少しだけでも未来があると思えるよう。
そう、神和海那緒は笑顔が可愛い女の子なのだ。
父親が殺人鬼?
関係ない。
母親がカルト信者?兄が精神薄弱?
総て関係ない。
そんな莫迦者達の為に笑顔を消す理屈は無い。
だから俺は少しだけ神和に力を貸して……
「………けど、結末はコレか………」
海に着いた。
潮の匂い。柔らかい波音。青白い月明かりの下で黒々と海がうねっている。
「神和、お前の言った通り未来は無いのかも知れないな。」
シーツを少しずらして神和の顔を見る。
綺麗な顔だ。光の加減かうっすらと笑っているようにも見える。
もう一度しっかりと神和の体を包みなおし、海に入ろうかと思っていたところで、俺はソレを見つけてしまった。
「………何か未練があったか?」
返事は無い。
「…………真柩?」
体中から流れた血は海に洗われたようだ。透き通るように青白い肌が月光に揺らぐ。
どうしようか迷ったが、とりあえず二人を抱えて海から上がる。
さて、どうしたものだろう?
取りあえず真柩の乱れた髪を直し、顔に付いた砂粒を払う。さっき俺が海に葬った時と同じ、安らかな寝顔のような顔のまま。
まるで、今にも起き上がってくるような─────
黒限を思い出した。
………材料は、在る。
腕の中の神和を見下ろす。
新鮮な血液も、それを保持する為の布も。
………どうやら少し疲れているようだ。
そんな事をしても意味が無い。一度死んだら終わり。
海の家を漁り新品のシーツを持ち出す。丁寧に真柩の体を包む。二人の体を抱えて海に入る。
「二人一緒なら、少しは寂しくないだろ?」
どちらにでもなく話しかけ、手を離す。
今度こそ沖の方に攫われていくのを確認して、海から上がる。
膝が震えている。
何だか妙に疲れて砂浜に座り込む。
着ている制服が冷たくて重い。襟の辺りは塩がざらざらしている。
「流石に少し疲れた?」
突然呼びかけられ、のろのろと首を上げる。
「よぉ………お前も暇人だな。」
クインが立っていた。




