表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

第3話


 翌日の昼休み。

 昼の練習を行う卓球部員たちを排除して、地下体育館にある卓球場へと集合した。周囲には僕と京子の試合する噂をかぎ付けたらしい観客の姿が窺える。それも一人や二人ならまだしも、明らかに二十名以上が集まっていて、対外試合をよくやる巨大な地下空間には、観客席で野次を飛ばす男や、黄色い歓声を上げる女子までいた。観客と化した卓球部員に混じって先生もいた。みんな、暇なんだなぁ……。


 まぁ、そうだろうね。今更こんな決まりを固く守り通す人は多くないと思う。考えようによっては、告白の後押しや遠回りな拒絶にもなる。告白されて上手く断りきれない男とか、真正面から告白できない女子の為に設けられた措置として使われることが多い。対戦を申し込んで勝てば良いのだから。申し込まれた側も同様である。


 もっとも、それは成績優秀な者に限った話で、不十分な者は先程の通りだ。


 まだ会って間もないから、京子の事を深くは知らない。けれど、僕に告白する時、顔を真っ赤にして、勇気を振り絞るように告白して、今も振り向いて貰おうと、わざわざ試合を申し込んだ。正直、出来た良い子だと思う。今時珍しい、純情な子だ。


 でも、僕は。為すべきことを為すまで、余所見してはいけないんだ。


「おい秋人! 話は聞いたぜ、オメェ美少女の告白拒否ったそうじゃねぇか!」


 どこからともなく現れた政宗が余計なことを言った。周囲の冷たい目線が向けられる。


「……そうだよ。試合で勝てば付き合うことになるんだ」つまり負ければ問題ない。

「あ? また面倒事を持ってきたのかよ? お前いつも難儀な方へ突っ走るな。しかも自分から。ひょっとしてマゾか? ドMか? そうなんだろ? だろだろ?」

「帰っていいよ?」


 むしろ煉獄冥府に逝って欲しい。そしてもう帰ってこないでくれ。

 しかしこの男が審判なので強制退去は不可能だ。ちっ、この野郎。命拾いしたね。


「じゃあ面倒だから一気にルール説明すんぞ。……先に十点とったら勝ち。サーブは二本交代で、デュースの場合二点差とった方が勝ち。まぁ授業とかでよくやるルールとおんなじだから、適当に気楽にやってくれ」

「すっごくやる気失せる解説だね。どうもありがとうそして帰れ」


 僕の勝利条件は『先に京子に勝たせること』だ。運動面での成績が不十分な僕が勝つ可能性は限りなく低い。万が一京子が手を抜いたとしても、負ける自身は十分ある……! ふふ、この勝負、負けたも同然だね!


「さっきから何をニヤついているのかね? 試合前だぞ。シャキッとしたまえよ」


 と、ちょっと不機嫌そうな紅蓮が現れた。


「あ、紅蓮。どこ行ってたの?」

「地下の卓球場は熱がこもりやすいからな。空調を整備していたのだよ」


 紅蓮と試合開始前の談笑をしていると、着替えを終えた京子が現れた。体操服を着ている京子は、やっぱりというか、胸がアレなので、薄い生地の体操服の上からでも、かなりの大きさであると判断できる。何を食えばあれだけグローアップするんだろう。


「京子、さっき先生に聞いてきました。秋人くんは運動の方はからきしですが、勉学方面ではとても優秀な成績を残しているので、例外として許可する、だそうです」

「ふぁ?」猛烈に嫌な予感。「そ、それってつまり……」

「京子が『勝利』すれば、秋人くんは京子と付き合うことになります。……わざと負けても、ダ・メ・で・す・よ?」

「おぉぉオオオオオオオい! 許可した奴誰だァアアアアアアッ!」


 終わった……。普段の行いが悪いせいなのだろうか。いや、むしろ良いからこそじゃないのかな? だとしたらやっぱり最悪だ。文化系の僕がスポーツで勝てるわけがない。


 いや、ちょっと待て。よく考えたら、京子が運動系部活の特待生とは限らない。あんな小柄な体躯を生かせるスポーツというと、なんだろ、陸上系かな? でも、悪いけどそうは見えないなぁ。筋肉はそれなりっぽいけど、手足は細い。……勝機はある!


「この勝負に勝とう。君の為に」

「ああ、また秋人の頭が沸いてるぜ……」


 政宗が何か言っている気がしたけど、僕の耳には届かなかった。


「京子、頑張るです! だから秋人君、手を抜かず全力で負けてくれると嬉しいです!」


 色々突っ込みどころの目立つ発言を、苦笑で流した。

 ごめんね、京子。本当に、ごめん。僕は負けるつもりは、毛頭無い。

 ていうか外野から飛んでくる男どもの嫉妬の目線が敗北を許してくれそうもない。


 ……さて、今一度、種目の確認をしよう。


 卓球とはつまりテーブルテニスであり、よく身体能力が高い方が有利との声も耳にするけれど、実はそれはあくまで上級者の世界。初心者や中級者に必要なのは技術、つまりは経験値だ。運で勝敗も左右する。文化系の僕が勝つには、運に頼るしかない。

 まぁ、『才能』があればオールマイティなんだけど。


 才能か。才能ね。

 そんなのがあれば、世の中もっと上手くいくんだろうなぁ。


 もっとも、何々の才能があるから何々をする、なんてケースは極稀な話で、それに、この学校に通う生徒は、多分、僕と同じように、才能に頼らず、努力でのし上がった者だ。

 生まれながらのスプリンター。群を抜いた身体スペック。絶対的な才能差。生まれた時から持つ、手持ちのカードの強さ。毎回ストレートをぶっ放てるくらいの、特別かつ特異な『運』。そんなのは、ほんの一握りだけだ。世界に数少ない、神の祝福を受けた、稀有な人々。それは数が少ないからこそ、群の中でも際立っている。


 君はどうなんだろうね、京子。

 果たして君は、生まれながらの勝者なのか。才能を頂く絶対的な存在なのか。


 それとも、


「試合、開始ーっ!」


 という政宗の声と同時、試合が開始した。

 まずは京子からのサーブだ。小柄な彼女は、腰を落とすと胸元まで隠れてしまう。あんな体勢じゃロクに打てないだろう。小回りは利くかもだけど、奥まで手は届くまい。


 この勝負、頂きやで! と、思っていたら、カツ、と目の前をピンポン球が通過した。

 え……? 何、今の。速すぎてよく解らなかったんですけど。


「言い忘れましたが、京子はこう見えても、中学時代テニス部で先鋒を任されていたのです。京子、戦績は未だ無敗ですよ。卓球のルールは本を読んだだけですが、」


 スゥ、とピンポン球を上空へ投げ上げて、


「テーブルテニスでも、負けるつもりはありません」


 低空を走るその球速に、身体が追いつかない。

 低い位置を飛び跳ねた球は、ネットの上スレスレを飛び越えて、左手側の台へ着地すると、僕に動く暇も与えずに、そのまま後方へ跳んで行った。

 0‐2。試合開始早々、早くも二点奪取されてしまった。


 ……おい、ちょっと待とうか。こんな話聞いてないですよお嬢さん。


 彩場京子。この子、テニス部の特待生だったのか……!


 ていうか! テニス得意=卓球上手いって公式、ありえないだろ! どうなってんだよこの娘! あんな鮮やかなドライブ回転、僕はテレビでしか見たことないよ!


「京子、腕力に自身が無いので、テニスだといつも回転かけて、相手を誘導したり、欺いたりして、勝っていました。回転に関しては右に出る者はいないと自負しています」


 自慢げに語るその顔は、もう勝利を確信したそれになっていた。


 あかん、京子、それは死亡フラグやで!


 そんな冗談を言うほど、僕の頭はお花畑ではない。


「さぁ、ジャンジャンガンガンいきますよ!」


 言うや否や、京子は空高くピンポン球を放り投げる。さっきはやたらと縦方向に回転する高速ドライブだった。だからスピードは半端ないものの、京子の細腕じゃ大したパワーは無い。が、回転は前方向への加速の為だけじゃない。僕が回転する方向とは逆向き、つまり回転力を相殺するように、ボール表面を舐めるようにしてラケットを振るう。

 と、台上をバウンドした球は急角度で進行方向を変え、ラケットから逃れる。

 カーブしたボールは卓球台から落ち、磁石で吸い寄せられるように、横へ転がった。

 卓球部員も総立ちの、鮮やかなスピン。


 ……これはマズい。本気でやらないと、負けてしまう。

 ていうか、僕、さっきから全力を出していた。


「では次、行きますよ!」


 宣言どおり、アクセルを入れた京子は、終始全力だった。素人目にも鮮やかなフォームでスマッシュを連打。決して甘い球を打っているとは僕は思わないけれど、運動経験の差なのか、それとも僕の球など止まっているように見えるのか、悉く返される。


 途中で明らかに物理法則を違反した外道技、分裂技の『エイリアス・オメガ』だとか、高速で上下運動する『クイック・ワイパー』だとか、ふざけたネーミングにツッコミを入れる暇も無く、圧倒的な技量の前に、僕は為す術も無く広がる点差に焦りを覚え、


 あっという間に、0‐9。マッチポイント。

 激・ピンチであった。


 洒落にならない。絶体絶命だ。


「……ねぇ、政宗」

「なんだよ? 逆転の奇策でも思いついたか?」

「僕、京子と付き合ってもいいような気がする」

「諦めてんじゃねぇよボケェ!」


 そうすれば新たな道が開けると信じて疑わない。


 さて、冗談はそれくらいにして、真剣に勝利へのルートを導き出さないと。サーブ権は僕に移っている。有利か不利か、卓球に詳しくない僕には解らない。でも、どっちみち、京子はサーブだろうが返球だろうが全部回転をかけてくる。素人の僕じゃ対処できない。むしろサーブが恐い。

 しかしやらなければ意味が無い。『下手の考え休むに似たり』だ。躊躇していてもしょうがない。どうにかして、逆転しなければ。でもロクな策略が浮かばないんだよね……。


 結果として、僕は勝利の単語を浮かべることなく、サーブを放った。

 綺麗な弧を描いてバウンドした球を、京子は表面を撫でるようにして、ドライブをかけ……てない。回転をかけることを予測していた僕は、京子が打撃の寸前、ラケットを地面と平行状態から、斜に変えるのを見た。


 やばい、初球返しだ! スマッシュが来る……!

 全身のバネを総動員。来る方向は、ラケットの向きで大体予想していた。


 しかし、慌てすぎた。地面と垂直にしてしまったラケットにぶつかったピンポン球は、京子の方へ飛んだはいいものの、打ち上げたピンポン球はギリギリネットを越える軌道。しかしそれは、卓球をちょっとでも知ってる人なら誰でも確信する、超・打ちごろ。


「やっば……!」滅茶苦茶焦る僕。


 やばい。負ける。打ち返されたら、終わりだ!

 冷や汗が噴出して、京子が前進するのを見て、肩を落とした。


 が、


 かこん、と。球は卓球台を大きく跳ねて、京子の頭を上を通り、地面に落下した。

 そう。上半身を中途半端に前へ出した状態の、京子の上を、通り過ぎた。


「……?」


 違和感を覚えて、僕は気まずそうに頬を染める京子を見た。


 ……ああ、成る程。合点がいった。


「ははっ」と小さな笑みが生じた。


 次の球を用意。即座にサーブへ移行した。卓球が上手くない僕でも、狙ったところに落とすくらいなら、なんとかできる。上手く威力を抑えて、狙った位置にサーブを放つ。

 案の定、京子はワンバウンドしたそれを拾えず、悔しげに見送った。突然京子の調子が落ちたことに騒然とする観客の声が聞こえる。それはそうだ。僕だって予想外だった。

 でも、今はそこを、……弱点を突くしかないんだ!


「秋人よ。一つ聞いても宜しいか? 何故彩場の調子が落ちたのだ?」

「簡単だよ!」僕は叫んだ。「卓球台ってのは意外に広いんだ! 右サイドに寄っていたら左サイドへ打たれた球にラケットは届かないし、スマッシュを警戒して後ろに下がったらネット間際に落ちる球には間に合わない! 小柄な京子が僕の打つ球を打ち返すには、縦横無尽に走り回らないといけない。でも京子には一つ弱点があったんだ!」

「それは、何だね?」と紅蓮が問う。

「紅蓮が言ったろ? ……地下卓球場は、熱がこもりやすいんだって!」


 それは、つまり……室内温度が上昇し易いということ。

 だから、文化系部活所属だった僕は、滝のような汗を流し、現役運動部の京子は、先ほどまで涼しい顔でラケットを振るっていたけれど、今じゃ呼吸が乱れている。


 そして過酷な運動量にともない、かなりの量の汗が流れて、濡れた体操着の上からは、下着が見えかかっていた。淡い水色の、レースをあしらわれた、清楚な感じの一品。

 今は僕からの方、真正面からしか拝めないけれど、このままだと観客席が総立ちするという危険性がある。正直な話、自分に好意を寄せてくれている女の子のあられもない姿を衆人環視に晒すのは耐え難い話だけれど、勝つ為には手段を選んでいられない。


 たとえ、変態の汚名を着せられようともね!


「男として最低だと俺は思うんだが」


 否定できなかった。


 ……それに、もう一つ理由がある。それはさっきの打ちごろボールを返さなかった時、ふと思い至ったのだ。彼女の小柄な体躯ゆえの、弱点を。

 もしネット間際に落ちたボールを拾おうと腕を伸ばせば、小柄な京子は必然的に上半身を台の上に乗せる形になる。

 それは、つまり、どういうことか、簡潔に述べると、


「君が打ち返すには、腕を伸ばさないとおけない。……胸を誇張する形で!」


 打球が山なり軌道を描いて、ネット間際に落ちる。唇を噛んだ京子は、やや迷った様子を見せてから、脚のバネを使って、落ちてくる球を拾った。するとどうだろう。発育した京子の胸が、卓球台に押し潰されて、大きくなった、ように見えた。まるで水密桃だ。


 おお、と野郎どもの歓声が上がった。野太い声の大合唱である。

 ていうか、コレ、遠回しなセクハラではなかろうか?


 そんな事を意に介さないほど、僕のテンションはかつてないほど高調している。


「わはは! さぁどうする京子! まだやるなら相手するよ! エロリズム上等!」

「あ、秋人くん! なんかちょっと外道入ってませんかっ!」


 やばい、僕、なんだか人として最悪な方向へ向かっている気がするよ!

 でもなんだかそれでもいいやって思う辺り、本格的にダメダメかもしれないね!


 しかし京子はさすがスポーツマン、いやスポーツウーマンか、まぁどっちでもいいけれど、かなり強い精神力を持ち合わせているようで、ブラが透けようが胸が揺れようがおかまいなしに動き始めた。その原因は、京子の友人らしき人達が、下心丸出しで身を乗り出していた男達を退場させ始めたからだろう。京子に声援を送っている彼女達は、きっと、京子の想いを知っているのだろう。だから声を張り上げて、エールを送っている。


 ……いや、きっと違う。京子は周囲に最早意識を割いていない。ただ一心不乱に球を追い求め、打ち返す。それこそまさに機械のように心を冷徹にし、ただ黙して球を打ち返すマシーンのように。球威も球速も、先ほどと何ら変わっていない。

 それでも。僕には彼女が、楽しそうに笑っている気がした。


 そうか。そうだよね。


 君はきっと、『頑張れる人』なんだね。

 何度挫けても、何度でも立ち上がれるような、純粋で強い心を持った、真っ直ぐな子。


 それを叩き潰すのは容易い。でも僕は、この子と真剣に、対等に戦ってみたい。


 君と正々堂々戦って、勝利したいんだ。


 だから、僕は目で追い求める。視覚で、極限にまで研ぎ澄まされた感覚で、追う。


 眼と神経に、全ての力を注ぐ。額に力が寄り、腕の感覚が鋭敏化する。

 腕の中を何かが迸り、小さな痛みが全身と頭を襲ってきた。

 それを瞬時に堪えて、頭痛を覚えるほど、瞳に更なる力を込めた。


 球が、……見えた。


 見えている。


「え―――っ?」と驚愕する京子の真横を、球が通過する。


 僕が打撃したピンポン球が、風を生むスピードで舞い飛んだからだ。


 ……別段、特別なことをしたわけじゃない。ただ、ドライブ回転をかけたピンポン球を打ち返した。勿論、ただ打ち返すわけではなく、前へ前進する回転力を相殺するように、表面を撫でるようにして、打ち返した。それこそ、さっきまで京子がやっていたように。

 初心者でもできる、回転がかった球への対処法。

 ぶっつけ本番じゃ難しいかもしれない。でも、京子のあまりに速すぎる球速に目が慣れた今なら、見える。どんなに速くても、何度も放てば、身体が慣れてくる。


 それが、……体感速度ってやつだ。


 さぁ、反撃といこう。サーブ権が京子に移り、戸惑いつつもサーブを行う。困惑しつつも綺麗な回転をかけたピンポン球を、打ち返す。あっさりと、いとも容易く、簡単に。これにはさすがの京子も目を剥いた。追い込まれた僕の意外な反撃に、戸惑っている。


「ううむ、秋人がおし始めたぞ! そんなに目先の胸ニズムより勝利が大事かね!」


 他に言いようがないのかお前は。


 最早僕にドライブもスピンも効かない。球速に慣れれば、どんな回転がかかっているのか看破できる。それの対処法を、瞬時に選べる。単純だけど、確実な勝利へのルートだ。

 彩場京子、敗れたり。

 かつん、と撥ねるピンポン球を、僕は全力で打った。









 試合終了。

 結果は、十二‐十。僅差で僕の勝利である。


「うわぁああぁぁああああぁああああん! 京子、負けてしまいましたーっ!」


 号泣する京子。告白してフラれ、自信を持って勝負を挑んだはいいが、運動部でもない文化系の僕に反撃されてしまい、二度もフラれた少女の図。……罪悪感が沸いてきた。


「ごめんね。でも僕、京子のことは嫌いじゃないよ」

「じゃあ、京子と付き合ってくださいよぅ……」

「それとこれとは話が別」


 また泣かせてしまった。女の子は扱いが難しい。


「で、でも、京子は諦めませんっ。いつかまた、勝負してくれますか……?」

「やだね」


 だって疲れるんだもの。


 あはは、と笑ってそう言うと、京子は突然顔を真っ赤にして、両手で頬を押さえて唸り始めた。はて、なにか変なことでもしたのかな。むしろ変なことしているのは、僕の傍でさっきから『おおレア顔だ』とデジカメのシャッターを切ってる紅蓮だ。うっとおしい。

 勝って笑う僕と、負けても笑みを見せる京子に、観客席から拍手が送られる。あれほど殺気を放っていた男連中も、よくやったと言わんばかりの表情を浮かべ、京子の友達らしき子達も、残念そうな顔で、拍手してくれていた。


 勝っても負けても、笑顔でいられる、今のこの想い。勝敗にかかわらず、胸を満たすこの充実感を、久しく忘れていた。昔はこの感じが好きで、勝っていた頃もあったなぁ。

 どうして……、鳥海はこれを知っているはずなのに、捨ててしまったのだろうか。


 でも。それは、僕が言えることなんだろうか?


 考えてから後悔して、僕はちょっとだけ、鳥海のことを意識しているのに気付いた。それが何を意味するのか解らないけど、少なくとも、今日帰ったら、昨日までと同じような生活になるとは微塵も思っていなかった。それでも僕は、今のこの、心地良い疲労に身を委ねて、明日から、いや、今晩から面倒な毎日になりそうだなぁと、考えていた。


 しかしまぁ。これで何か変わったのだろうか。或いは何も、変わりないのか。


 大きな溜め息は、青空にすらも届きそうになかった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ