ブリッジ
ブリッジ
魔法使いを部屋から追いだすことに成功したみんなは、ぞろぞろと通路を歩いてきた。
海賊と化け猫と魔女と魔法使い、そして私。
全員が、ボイシアナ号を操船する中枢部、船の先にあるブリッジに集まった。
ここだけは宇宙船っぽくなっている。
馬蹄型のコンソールの中央部に操縦士の筋肉質メイジが陣取った。その右には、ドライブ主任のティプレイ魔法使い。左には保安主任のモンゴメリ猫男。その横に、空間転移中はスキャナーになるホイヤン船長がすわっている。うしろの船長席は空いたままだ。みんなシートベルトをつけて、針路変更の加速度と空間転移に備えた。
ホイヤン船長が正面の大型ディスプレイに、前方の宇宙を映し出した。
漆黒を背景にして、星が満ちている。いつものとおり、ぞっとしない風景だ。
私は、魔法使いのとなりで機関助手になる。別に全自動にして計算機任せにしてもかまわないのだが、資格の関係もあって今は手動になっている。
「出力九十パーセント」
機関士を兼ねている海賊野郎が命令した。それからあわてて、片目を覆っていた黒い眼帯を取った。
私はコンソールのスライダーを動かして、核融合炉の出力を上げた。
「ウェストリーさんには会えました?」
魔法使いティプレイ主任の気をそらさないように声をかける。
「うん」
この人も、ふだんはいいかげんな性格だけれど、コンソールを前にすると人が変わる。そっけなく答えられて、話がとぎれた。
その間に、燃料タンクに積んでいる水素が核融合反応でヘリウムに変り、その熱をもとにして電磁流体発電機が大量の電力を生み出す。冷却ポンプのうなりが、かすかにブリッジにも響いてきた。電力は船体の八割を占める積層蓄電器にたまっていく。
数字とグラフがゆっくりと上がっていく。
「充填率八十パーセント。転移可能です」
私は操縦士に報告した。
「船体速度8.5キロ」
メイジ操縦士が、読み上げた。もちろん秒速だ。そして、推定速度でもある。船の速度が遅すぎて、深宇宙では速度の測定手段が限られている。
ドライブ主任の魔法使いがつぶやいた。
「任せて、まかせて、まかせて、来てる!」
コンソールのまえで、左手はトラックボール、右手はスティックを握っている。ディスプレイには大小四重の円がくるくると踊っていた。楕円になったり、直線になったりしている。ドライブ主任は計器に目を走らせながら、四つの円の動きを止めて、中心をまとめていく。
ボイシアナ号の船体先端に装着された空間解析機がドライブ主任に手ごたえを伝える。
指と数値と手ごたえで、頭の中に二十三次元空間を描いて、その弱点を突いていく。ドライブ主任が魔法使いと呼ばれるゆえんだ。
ドライブ主任の細い指がボールを激しくあやつり、分解能を上げていった。四つの円が震える。
「最大解像度。いきそう……いくわ、いくわ、いくのよ」
「了解」
ティプレイ主任の泣き出しそうな声に、メイジ操縦士はスイッチカバーを跳ね上げた。
空間転移器の準備完了。
「いっちゃう!」
ドライブ主任の声で、起動スイッチが押された。
貯まっていた電力は一気に空間解析機に送り込まれる。ピコスペースβ型空間解析機は転移機に機能を変えた。
りゅいん!
体が引きつるような感覚が襲ってきた。二十三次元から十七次元への空間転移が行われた。中央表示画面に外部が大きく写した出される。十七次元の星どもが偽りの光で偉そうに輝いていた。
「にゃにゃん!」
猫男の声と指で光子魚雷が、空間欠陥に向けてつづけざまに二本発射された。
正面の大型ディスプレイに発射された二つの光点が動いている。その先の左手の奥は、ゆるぎない闇。空間欠陥だ。ボイシアナ号がここに飲まれたら、どこに行くか、まったくわからない。
空間欠陥から帰ってきた船は、まだいない。
発電機は、空間復元にそなえて電荷を充填していく。私の目の前のディスプレイにその様子がグラフで示された。まだ二十パーセント。
私は正面の大型ディスプレイに目を走らせた。光子魚雷の爆発で画面が白くなっていた。空虚な空間欠陥が光と酸化マグネシウムの粒子で満たされた。しばらく、無力化されるだろう。猫男が得意そうに鳴いた。ひげがおどっている。
「にゃーーーーん!」
スキャン中の船長が猫男に声をかけて、念をおした。
「やったか! ちゃんとビデオに記録しておけ。金になる」
空間転移航法中に危険を及ぼす空間欠陥をつぶすと、艦隊航路部から奨励金がでる。ボイシアナ号みたいな弱小郵便船には貴重な資金源だ。
充填率四十パーセント。
ホイヤン船長は、ディスプレイとにらめっこで恒星のスキャンを続けていた。十七次元の星のなかから、本物の二十三次元の輝きを選り分けていった。
「第一ポイント確定」
すぐ
「第二ポイント確定」
でも、第三がなかなか決まらない。船長のまえのディスプレイは、記号と数字が下から上に流れていた。
空間転移航法は――簡単に言えば――三次元の空間を二次元に縮退して、ふたたび三次元に復元する航法だ。たとえるなら、地球を透明なボールとしたあと、北極の上から見て、そのまま上から押しつぶす。北極と南極は重なり合う。北極のシロクマが寝返りを打ったところで空間を復元すれば南極でシロクマとペンギンがいっしょに遊べるというわけだ。
ほんとうは二十三次元なので、弱い力とかファイバー束とか、ゲージ幾何学とかいろいろあるのだけれど、簡単に言えば、そういうことだ。
空間を復元するには三つの星のデータが必要になる。絶対座標にもとづいて、船の進行軸を決定する。
目の前にある光点は十七次元のうそつき星。もしかしたら銀河系から十億光年離れた場所の系外銀河に含まれる星かも知れない。北極の氷と南極の雪が交じり合ったような状態なのだ。
ホイヤン船長のスキャンが、恒星の明かりに次々と照準を合わせていく。
恒星のスペクトル型だけがたよりだ。無数の星の輝きを選り分けていく。
発電機は順調だ。
「充填率八十パーセント。復元可能です」
私は報告した。
ホイヤン船長はスキャン領域を変えたようだ。これは勘と経験だけがたよりだ。
そして、口惜しいことに、ホイヤン船長は若い名スキャナーとして知られていた。宇宙艦隊の第一線恒星間輸送艦のスキャナー長でも務められる……はずなのだが、いろいろあって……今は古びたボイシアナ号の船長になって郵便を運んでいる。
画面が止まった。
「第三ポイント確定」
「了解」
船長の声にメイジ操縦士が応えた。船の仮位置が決まった。
空間の復元だ。
「やるわよ。やる! やっちゃうから、誤差ゼロよ、見ていなさい」
ドライブ主任が空間解析機の四重の円を整えた。
操縦士はスキャナーのデータから進行方向を決めた。方位角、速度、復元のタイミング、すべてが操縦士の指示にしたがって船の準備を整えた。
液体酸素と液体水素の炎が噴かされた。ボイシアナ号が描く円運動の加速度が襲ってきた。船の進行軸が計算機と合致した。スラスターが噴射されて、回転モーメントが打ち消された。
船体に埋め込まれているセンサーは、等速直線運動をしめしはじめた。
「十秒前……九、八、七……」
あとはピコスペースβ型空間解析機に電力を流し込んで、宇宙を巨大なニュートリノと仮定したヒッグス粒子の間隙を突けば元の空間に戻れる。
突然、私のまえのディスプレイに赤い文字が浮かんだ。緊急事態が発生した。
アラートは積層蓄電器の異常をしめしていた。過熱だ。ぼろ船の悲しさ。
「区画Dに異常、充填率七十一パーセント」
「迂回しろ」
メイジ機関士の命令で、私は予備回路に切り替え、異常ユニットを切り離した。
「……四、三、二……」
計算機は非情に時を告げる。電力の充填は間に合わない。
復元の過程を一からやり直すか、電力不足でも実行するか? 安全を取るなら、工程をキャンセルして……
「行くぞ」
ホイヤン船長はスキャナー席の上で一瞬で、決断した。
充填率七十四パーセントで空間の復元が行われた。大量の電力が注ぎこまれて船内の照明が暗くなった。非常灯の赤い光がついた。
「やっちまったかな?」
メイジ機関士がうめいた。積層蓄電器の過放電は致命的だ。ヘタをすれば、全品交換になる。
しばらくすると、頭をすくめたように電力不足の嵐をやりすごしていた計算機が復活した。私はただちに点検プログラムを走らせた。
「異常なしです」
報告した。
機関士と船長は、ほっとしたようだ。
とりあえず、成功。
もとの二十三次元、現実の世界に戻ってきた。
自動受信のラジオビーコンがいっせいに飛び込んできた。
「たらったったーーーようこそ、ベテルギウス中継点へ、がんばったね、歓迎しちゃうよ、こちらは宇宙に花咲く陽気なブラボーポイント、あと一息さ、ベテルギウスは爆発寸前のご機嫌斜め。でもおしゃべりなおいらは待ってるぜ。二番ステーションで会おうぜぃ」
「るんちゃっちゃー、るんちゃっちゃー、あたいはベテルギウス中継点、誘惑する妹たちのオスカーポイントよん、お兄ちゃんたちもおねえちゃんたちも、絶対よっていってねぇぇん、サービス満点の第三ステーションを忘れないでねぇん」
「柔らかなそよ風と光あふれる宇宙のオアシス、虚空に浮かぶ緑のやすらぎ。ベテルギウス中継点へようこそ。こちらは憩いのフォックストロットポイント、お疲れ様でした、あと少しです、さわやかな柑橘系のかほりがあなたを誘う第一ステーションをぜひ訪れてください」
ホイヤン船長が手元のダイアルを調整した。ビーコンに含まれる計時情報と照らし合わせているようだ。ボイシアナ号の精確な位置が算出された。
「やった! 誤差わずかに二十五万四千百二キロ。八時間ちょっとだ。晩飯に間に合う。絶対にタラのフライは食べないからな」
「ああ、ごめんなさい、ごめんなさい。ぜんぶ私のせいです」
ホイヤン船長の歓声に魔法使いの泣き声がつづいた。
魔法使いティプレイ主任はシートベルトをはずすと、床を蹴って天井まで浮かび上がった。一回転して、透明な靴で天井を蹴るとブリッジのドアを開けて、通路に出て行ってしまった。
「船長……」
「にゃん」
海賊と化け猫が、椅子にすわったまま船長を見つめた。
「なんだ、貴様ら、その目は! ちょっと口がすべって誤差を言っただけ……」
「にゃーーん! ドライブ主任が誤差を気にしているのは、あなたもご存知でしょう? なんで言っちゃうのかなぁ?」
猫男が非難がましく、片手の人差し指を立てて、横にふっていた。
ふつうは、一回の空間転移航法で誤差百万キロメートル以内に収めれば、腕の良いドライブ主任といわれている。まえの五十光年をこなしたとき、空間転移の誤差は百四万キロメートルだった。
正確さ、から見れば、ティプレイ嬢はとても優秀なドライブ主任だ。不安定なことをのぞけば。
前回の空間転移航法で、わずか四万キロをはずしただけで、ティプレイ魔法使いは気に病んで部屋に閉じこもってしまった。おかげで、ボイシアナ号は宇宙空間で立ち往生するはめになった。宇宙の広大な暗闇では、ささいなことでも気になって、人は簡単に鬱状態になる。
形勢不利をさとった船長は、急に私のほうに同意を求めてきた。
「シャーレイ君。君はどう思う。ティプレイは完璧主義者だからな。単なる気にしすぎだ、と思うよな? そうだろう」
めずらしく、きまずい雰囲気を感じとったようだ。
「ドライブ主任は」
私は、いったん切って、船長を焦らしてやった。
「規則どおり電磁靴を履くべきだと思います」
答えをはぐらかしてやったら、灰色の瞳ににらまれた。
「だいたい君は、なんでシャーレイなんて、女の子の名前をしているんだ?」
また、いつもの話題をふってきたので、適当にかわしてやろうと思っていたとき、船長席の赤ランプが点いた。
緊急通信のランプだ。
「おい。聞こえるか? 『愛しきボイシアナ』応答せよ」
邪悪な魔女はシートを移って、船長席にすわった。肘掛の部分を操作して、正面の大型ディスプレイに相手を映した。画面には、濃紺のネイビースーツを着て、灰青色のネクタイを締めた男がしゃべっていた。襟の階級章は二つ星の中佐だ。宇宙艦隊航路部のお偉いさんのようだ。
男の表情が固まった。
「こちらは『愛しきボイシアナ』の船長、ホイヤン・パセルだ。何か用か?」
しばらくの沈黙の後、やっと中佐が応えた。
「生きてたのか……」
「よけいなお世話だ」
歯切れの良い船長の返事。
「いや、すまなった。謝罪する。私は艦隊航路部長ダビーだ。君たちのあとからに出航した『ゆるやか伝書鳩』と『あったか極楽鳥』が、まだ着いていない。緊急に航路の点検に向かった『るり色はちどり』とも連絡が取れない。航路状況について何か情報を持っていないか?」
灰色の髪の男は早口で問いかけてきた。
「……すまない。何もない」
「にゃん!」
化け猫が強く鳴いた。船長はつづけた。
「そういえば、転移の直後に、でかい空間欠陥があった。光子魚雷、二本で塞いでおいた。奨励金をよろしく」
「……そうか、ありがとう……ホイヤン船長、中継点に着いたら、ぜひ航路部に寄ってくれ」
返事も待たないで、男は通信を切った。
安定していた航路で三隻がロストか。だいぶ慌しいようだ。
操縦席でやり取りを聞いていたメイジ操縦士が暗い表情で船長につぶやいた。
「『ゆるやか伝書鳩』って、セレッシャル・エンベロープの高速輸送船でしょう。十六核融合炉、四十センチクラスの百二十八スキャナー船ですよ。『るり色はちどり』は複眼自動スキャナーに六十四光子魚雷搭載艦ですぜ。『あったか極楽鳥』といえばブリン船長だし……みんな、やられたのか……」
そういうとポケットに手を伸ばした。また薬の時間のようだ。
ボイシアナ号は三核融合炉、十センチクラスの六スキャナー十二光子魚雷船だ。 三世代まえだが、艦隊所属艦の特徴で船の大きさの割りに光子魚雷を多く持っている。
空間欠陥に飲み込まれなかったのは、幸運に恵まれていたというか、魔法使いの気まぐれで助かったのか、と思っていたら
また通信がもどってきた。
航路部長が映った。
「それと、ホイヤン船長……船を降りるまえに、その、つまり……」
「なんだ?」
「顔を洗っておいたほうが良い、と、思うよ。私の心からの忠告だ。以上」
また、さっくりと切れた。
私の背中に目は付いていないけれど、船長が私を見つめているのがわかった。
機関をチェックするフリをしてみたけれど、背後の殺気は消えない。
あきらめて、振り返ってみると顔の半分がマジックで赤くなっている魔女が、とても落ちついた声でしゃべった。
やっぱり、この人、本気になっている。
「航路部長に、この顔を見られてしまった。シャーレイ・パパベル君。私に恥をかかせてくれたな。機会があったら、射撃の的をやってくれないか?」
「だいじょうぶですよ」
私はなだめた。
「どうせ、みんなおかしいんだから、だいじょうぶですよ。すぐ忘れちゃいますよ」
「忘れなかったら?」
「だいじょうぶです。私が責任をとります」
言ってから、しまった、と思った。ホイヤン船長は冷たく微笑んだ。
メイジ操縦士は針路を決めると、減速にとりかかった。私は食堂からドーナッツとココアを持ってきてあげた。
もしかすると、怒った船長が本当に……私に遊泳服を着せて、耐貫通性のテストをやらされるかも……そうなったとき、止めてくれそうな操縦士は仲間にしておかないと。
なぜなら、ホイヤン船長は、いつでも、趣味は拳銃射撃、と公言しているからだ。
お嬢様が通うことで有名なパロディア陸軍女子学校にいたときから、腕をきたえていたらしい。あそこは全寮制の女性士官学校だ。もともとは、殉職した兵士や警官の子供のために設立されたのだけれど、定員に足りないときは、高い寄付金を払えるお金持ちの女の子も入学できる。
規則が厳しいので、親たちは安心するらしい。
礼儀作法と一般教養、そして射撃は必須科目。成績優良な生徒には、拳銃射撃が許される。船長は、それが自慢らしい。
深宇宙の航路帯で、暇なときは遊泳服を着こんで外に出て、プラスチック球体の標的を射って遊んでいる。
「無重力の弾道にもなれたよ。でも音がしないのは、つまらないな」
と帰ってくると言っていた。
厳密には、この行為は航行規則六十四条――廃棄物の宇宙空間への投棄はするべからず――に違反している。
私がいちど注意したら、
「男のくせに、細かいなぁ」
と反論された。
ティプレイ主任は
「ホイヤンは昔から射撃だけは得意なのよね」
と笑う。
二人は同じパロディア陸軍女子学校の出身で同級生だ。いろいろおもしろい話がありそうなのだが、二人とも同盟を組んで、私たち男には秘密を守っていた
ただ、ホイヤン船長は、学校中の先輩たちからラブレターをもらっていた、という噂を中継点の整備ヤードで、私も聞いたことがある。