魔界の住人たち
魔界の住人たち
食堂では大男のメイジ機関士兼操縦士がチョコレートドーナツとココアの朝食を取っていた。
胸板の厚さ、腕の力瘤、太い首。偉大な筋肉美の化け物だ。彼が食べるたびに、ドーベルマンのようなたくましいあごが動く。運動が趣味で、プロテインとビタミンと微量栄養素のサプリメントを欠かさない。ついでに、ドーナツに目がない。
個人の食料として買い込んだドーナツをいつも食べている。そのうえ、精神安定剤のコレクターだ。
褐色の肌をした彼は、気軽にあいさつしてくれる。
「やあ、シャーレイ君。おはよう。今朝は早いね」
「おはようございます」
挨拶を返してから、私は自分の食事を準備した。
私は保管庫から、コーンフレークのセットを取り出した。テープで止められているレーズンパックをはずして、フレークの中に入れてまぜる。テーブルのポットから出ている細いチューブをパックに挿しこんで牛乳をそそいだ。
食堂の赤い椅子にすわった。
チューブをくわえて朝飯を口に含むと、……なにか魚臭い……
感じたままに言うと、メイジ機関士が首をふった。
「猫男がまたやったかな?」
「え?」
私は驚いた。
「それじゃ、晩ごはんは……」
そこへ、船長が入ってきた。私たちと同じ青い制服を着ていた。茶色の髪を古典ビデオの姫君のように長く編んで、それを頭にまいていた。腰に拳銃のホルスターを下げていた。
ホイヤン船長は私とメイジ操縦士をちらりと見たあと、保管庫からカボチャサラダのパックを取り出した。
この人は、血の気が多いわりに菜食主義者で小食なのだ。
サラダのパックにお湯を注ぎながら、私に微笑んでくれた。
「雑用係シャーレイ・パパベル君。われらの高速郵便船、愛しきボイシアナ号は、すでに六日も動かないままだ。郵政部への宣誓『私たち郵便配達人は雨の日も雪の日も速やかに職務を執行します』に違反してしまった……」
この人の笑顔は、人も殺せる。
「この責任について、君はどう考える?」
私は魚臭いコーンフレークを飲み込んでから、できるだけかしこまって答えてやった。
「万能にして偉大なる船長の全責任である、と私は銀河的規模で考えます。第一、雨や雪は地表から見た視点であって……」
「矮小な君の責任だ!」
ぴしゃりと言い切られて、にらまれた。
「そう、君の責任だよーお」
ドーナツをほお張っていたメイジ操縦士が、横から、低くてよく通る声で、のんびり相槌をうった。また、まったりする薬を飲んでいるのかも知れない。
「船長は、黒でも白と言いくるめる人だからね。黒いカラスだって船長と五分話し合えば、自分を白いアホウドリだと思い込んじゃうから、絶対に君の責任だね」
ドーナツからはがれたチョコレートの破片が、宙に漂いはじめた。空気清浄機のゆっくりした気流にのって、吸気口に吸いこまれていく。
ホイヤン船長は、反論したメイジ操縦士を横目で見てから、食堂に設置されている肘掛つきの船長席にすわった。
見た目だけなら、小柄な彼女はとても魅力的な女性船長だ。
その気になれば――背の小さいことをのぞいたなら――恋愛ビデオの主役でもこなせるだろう。でも……
猜疑心の強そうな灰色の瞳は相手の弱点を狙ってゆっくりと動く。相手を威嚇するような赤みを帯びた茶色の髪に、嘘と屁理屈を言うのに最適な、つややかで、ふっくらとした唇をしている。
男たちをだますために透きとおるような白い肌をして陰りのない瞳をきらめかせる。女たちをだますために凛々しい額とカールした長い睫毛をもっていた。
でも、胸はない。これが恋愛ビデオに出演できなかった原因ではないかと、私は陰ながら推測している。
そのホイヤン船長が、にっこり笑ってから真顔にもどると、操縦士に向かってぶっきらぼうに言う。
「そうだな。では、我が愛しきボイシアナ号の停滞を救うため、機関士兼操縦士たるメイジ・メイワザ君。君がドライブ主任に甘い愛の言葉をささやいて、空間転移を実行してくれたまえ」
「ああ、それは駄目です。俺みたいに、ごついのには無理な話で……それはすらりと優雅な雑用係り、シャーレイ君の仕事です」
二人の目がいっせいに私を見た。そういうことだ。
雑用係。つまり、私は態の良いドライブ主任のお守り役だ。断じて言おう。ドライブ装置ではなくドライブ主任だ。気まぐれで、わがままで、自分勝手なドライブ主任を、持ち上げて、その気にさせて、やる気にさせるのが私の仕事だ……そのためなら王子様にだって……
「にゃん!」
一声鳴いて、制服に着替えた猫男が入ってきた。みんなを見渡すと、保管庫から、自分用の鯖缶詰を取り出した。惑星の表面から重力に逆らって軌道上に持ち上げられた重量物は――とくに水分たっぷりの缶詰は――宇宙の貴重品だ。
どうやら今朝はご機嫌らしい。
にっこり笑うと、私のとなりにすわった。いつもどおりに、すり寄ってくる。
猫男は人肌のぬくもりが大好きなのだ。隙間とチャンスさえあれば、わざとくっついてくる。たとえ夜でも。
『灰色マルハナバチ』号の事故のあと、後遺症で治療施設に入っていたときからの癖だそうだ。一人ぼっち恐怖症と噂されている。
ぱかん。
奴はプルパックを引いて缶詰を開けと、塩をかけてフォークで食べはじめた。塩分の取りすぎじゃないかと、言ってやりたくなる。
猫男の本当の名前は、モンゴメリ・アシュトン。
ボイシアナ号の保安主任兼環境主任を務めている。見た目はふつうの人間だ。それも、長身で特別にハンサムな男だった。
サイアミーズの血を引いたような深いブルーの瞳。バーミーズのように形の良い鼻。子猫のように可愛い唇に、長毛種のようなプラチナブロンドの髪を波打たせている。体はアビシニアンのようにしなやかで、尻尾はないけれど、女の子の瞳を釘付けにする。
そして、本人は山猫のようにすばやく動き、つかまえた獲物をいたぶるのが大好きだ。
空間転移航法中に前方に現れる空間欠陥を、光子魚雷で縫い合わせるのが仕事だ。転移航法中はレーダーは使えない。目視が頼りだ。そして、奴の青い目と反射神経は船の安全に欠かせない。
ついでに船内の空気と食物の管理、惑星探査も環境主任として彼の任務になっている。
サラダパックを口に含んだホイヤン船長が、しばらくすると女性らしく、フルートの低音のような声でつぶやいた。
「……なんで、カボチャサラダが、魚臭いんだ?」
「にゃーん!」
猫男がにっこり笑って人間モードになって答えた。
「誤解です。カボチャサラダが魚臭いのではありません。ホイヤン船長殿の過剰な健康志向が野菜たちに臭いをつけているのです。肉、魚を避けようとする無意識がなせる業です。単なる気のせいでしょう。もしかしてら配水ラインにちょっと臭いがついたかも知れませんが、どうぞ召し上がってください」
「……環境主任たるモンゴメリ君。君の推理と論理には感服する。でも、まずい。どうにかしたまえ……配水ライン……おい、毛なし猫! また、やったのか!」
猫男は獲物をいたぶる表情になった。
「にゃにゃーん? 船長殿はタラはお嫌いでしたっけ? 倉庫の原料はぜんぶタラにしておきました。タラのフライこそ栄養とおいしさで究極の食糧。自慢すべき我が郷土料理にして、世界を制覇するグルメのあこがれ」
うすく笑った猫男のモンゴメリは保安主任であり、環境主任でもある。つまり、船内の空気と湿度の管理、そして一番大事な食料の生産とメニューは猫男に任せられている。
猫男は腐りかけの臭いタラのフライが大好物であり、船長は大嫌い。
深宇宙を漂う恐怖と停滞の手持ち無沙汰から、きっと猫男はいつもどおりに、食糧用元素をフードジェネレーターに全量ぶち込んで、タラにしてしまったに違いない。猫男におもちゃにされ、船長には嫌われて、かわいそうな元素たち……
猫男は承知のうえでやっている。
恒星間の空虚さは生き物を憂鬱にさせて、発作的な行動を取らせる。それだけだ。予定では二日でベテルギウス中継点に着くはずだった。いまは六日目、ステーションの糧秣合成部で仕入れた冷蔵庫の中の新鮮な食料は空っぽになっている。フードジェネレーターが作りだす、いかにもインチキな食べ物っぽいもので栄養をとらなければならない。
ホイヤン船長は状況を理解すると、船長席から決然と言った。
「メイジ機関主任。ただちに、ジェネレーターと配管を全面的に洗浄しろ。船長の権利として、タラの晩ごはんは絶対に食べないからな」
「そう、俺の仕事。配管を洗って磨く、っとね。でもね、船長。俺は出発前に何度も言ったはず、全面的にオーバーホールして、配管からの漏れも修復する。フードジェネレーターも新しいウェットタイプにして鍵をつけて自動モードにしておけば……」
「金がない」
熱くなって語りはじめたメイジ機関士の言葉をホイヤン船長が押さえ込んだ。
『愛しきボイシアナ』号は、宇宙艦隊から民間用に払い下げられた三十年まえの最新鋭艦だ。元はデリコーン級データ収集艦だった。でも古い。いまどきの宇宙船でフードジェネレーターがドライで出てくるのも珍しい。そのうえ、あちこち痛んでいる。
船長がこっちを見た。
「雑用係にして郵便主任シャーレイ・パパベル君。ただちに魔法使いを誘惑しろ。今すぐ。タラの晩ごはんを食べるくらいなら、私がドライブをいじって空間転移させてやる」
「船長が?」
こんどは、メイジ機関士が眉をつりあげた。
「ドライブが壊れちまう。あれは誰かさんとちがってデリケートなんです。調整して較正するのにどれだけ手間がかかると思ってるんです」
「にゃーん!」
モンゴメリ猫男も反対のようだ。
言い終わるのをまって、私はかしこまって答えてやった。
「魔法使い様は、このまえの操作の失敗で、ここ数日、羽をもがれた妖精のようにご機嫌麗しくないようで」
ホイヤン船長の目が私を捉えて光った。
「何のために、三百人の希望者から君を選んだ、と思っている? 魔法使いが君の写真を見て指差したんだぞ。もっと自信と自覚を持ってもらいたい」
そして、邪悪な光を両目にたたえて、つづけた。
「奴は今、ファンタジーに興味をもっている。お姫様と王子様だ。通信販売で君に買ってやった王子様の格好をしていけば、いちころだ。なんだったら押し倒しても良いぞ。船長権限で許す。結婚式の費用は会社の経費で落としてやるから――」
「いやです!」
私は断った。
あんな、安っぽい白タイツを身に着けて、かぼちゃパンツを穿いて、ふりふりひだひだの上着を着て安っぽい王冠を頭に載せて、魔法使いに頬をひっぱたかれたり、杖で殴られたりされるくらいなら、死んだほうがマシだ。
でも、私の拒絶は三人の冷たいつぶやきに出あった。
「にゃーん?」
「なんだと?」
「ふーーむ?」
猫男は弱い獲物を見つけたように鳴いた。
船長は拳銃に手をかけたようだ。
メイジ操縦士はポケットから錠剤を取り出した。赤の錠剤だ。精神安定剤らしい。
みんなの目は、宇宙っぽく液体水素より冷たく光っている。無言の圧力ってのは、これだな。
「……わかりました。やれば良いんでしょ。やりますよ。でも、やるからには、みんなも協力してください。チームワークでいきましょう」
それから、自分のことになると、急に渋りはじめた三人を説得した。
目的地のベテルギウス中継点は五十三光年先にある。ボイシアナ号の速度は秒速8.5キロメートル。このままいけば、百八十七万年後に到着する。私は腕時計の電卓を叩いて計算結果をみんなに見せた。これはかーちゃんに就職祝いに買ってもらったものだ。おもちゃみたいだけれど、意外と役に立つ。
生きている間に着きたいなら、みんなでやりましょう……でも、一人じゃいやです。
――なんで、私なら良くて、自分だといやがるんですか?――そう言ってやった。
みんな目をそらしていた。
「船を動かします。文句はなしで」
打ち合わせをして役割を決めた。十五分後に集まった。
メイジ操縦士は黒い眼帯をかけて頭を布で包んでいた。海賊だ。筋肉男には意外なほど似合っている。
猫男のモンゴメリは、化け猫だ。ロープの尻尾をつけている。でも、いまひとつ雰囲気が足りない。私は備品庫から持ってきたマジックインキで鼻の頭を黒く塗ってやった。ついでにもってきた鏡で見せてあげた。
「ふにゃん。パ、パパベル君、やりすぎではないかね?」
ついでに両頬に三本のヒゲを太く書いてやると、猫男は抵抗をあきらめたようだ。
ホイヤン船長は、もちろん邪悪な魔女だ。濃い化粧をしてきてもらった。紫色のルージュに青いマスカラを塗りたくっていた。
でも、突き抜けていない。赤のマジックで顔の半分を唇にしてやる。黒のマジックで顔中に老婆のように皺を描いてやる。
あわてて手に取った鏡に映った自分を見て
「パパベル君。あとで覚えていろ」
船長らしく、みじかく捨て台詞を吐いた。
みんなの顔を見ていると、恒星間のピエロだ。
「シャーレイ君。君は女の子みたいな名前なのに、可愛くない」
船長がつぶやいて、猫男がうなづいた。
それは無視して、みんなに言ってやった。
「では、みなさん! このまま、ドライブ主任の部屋に行って騒いでください。あとから、私が行って、魔法使いを説得しますから」
三人は、ぞろぞろと通路を歩いていった。食堂から手を振って見送ってやる。
それから、私は船室にもどってドアをロックした。
ざまーみろ。
郵便が遅れてしまった以上、無理やり主任にされた私の責任になる。どのような理由があっても、遅れたことの言い訳はできない。手紙は、宇宙で暮らし、空間に航路を開き、惑星を開拓する人たちの士気を維持する最重要な戦略物資なのだ。
超光速通信が理論的に否定された今では、手紙は人間のつぎに重要な物資と規定されている。一刻でも早く、手紙を待つ人に届けるために高速郵便船が宇宙を飛び交っている。
それなのに、ボイシアナ号は、二日で着く予定のベテルギウス中継点に六日たっても着くめどは立っていない。ぼろ船と気まぐれなドライブ主任と船長の責任だ。
断じて私のせいじゃない。
でも、査察官に呼び出されておこられるのは私だ……
でも、船長がなんと言おうと、あの夢見る乙女の魔法使いの相手をするのはごめんだ。と思っていたら、部屋のインターホンにティプレイ・エスカ嬢本人の声が響いた。
「シャーレイ様、パパベル様。助けてください」
あわてて、ドアのロックを解いた。途方にくれたような魔法使い様が立っていた。
「朝ごはん食べようと出てみたら、みんな、おかしくなっていました」
魔法使いこと、ドライブ主任ティプレイ嬢が、床を蹴って部屋の空間に入ってくる。宙に舞った。足首までの白くて長いドレスを着ていた。空中で一回転する。
船内規則に違反して、電磁靴を履いていないようだ。かわりに透明でガラスのような靴をつま先に光らせていた。青いペティギュアは場違いな雰囲気をかもし出していた。
チャンスだ。私は答えた。ここは、その気にさせないと。
「お任せください、王女様。安全な場所があります。わたくしに付いてきてください」
背伸びして透明な靴をつかんで、魔法使いを天井近くから引きずり下ろした。手触りから履いている靴はポリカーボネートのようだ。また、得意の通信販売で無駄遣いして、すぐ飽きるものを買ったようだ。
彼女の名はティプレイ・エスカ。
小柄で黒い瞳と三つ編みの長い髪をした謎の女。気まぐれな空間転移ドライブの主任技師で計器の反応からドライブを操る黄金の指を持っている。そして、この役職は多くの恒星間宇宙船で変わり者の多さでも知られていた。彼女もその例に漏れない、と言うか典型的というか、ひどいほうと言うか、極端というか宇宙一の見本というか、つまり、かなり重症で精密部品並みにていねいに扱う必要がある。
「王女さまじゃなくて、バターカップって呼んで」
なるほど、夜遅くまでビデオを見ていて、今度はキンポウゲですか……
ドライブ主任ティプレイ嬢はマイクロビデオキューブに、すぐ影響される。
このあいだまでは古代のファンタジーを見て、自分を城に閉じ込められたお姫様と信じ込んでいた。少し前は、孤児に生まれて街角でマッチを売っていた。メイジ操縦士の話では、そのまえのまえは子猫だったそうだが、病み上がりの猫男と喧嘩してからは、七人の小人を連れて森の中で眠っていたら野獣にキスされる美女になっていたとも聞いた。
私は魔法使いの手を握るとブリッジに向かった。無重力の船内では、重さはほとんど感じない。ティプレイ主任は幽霊のように軽く、手を引かれるままに冷たい手をした妖精みたいに宙を飛んでいた。