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高速郵便船

   高速郵便船



 目を覚ますと、猫男が私にくっついていた。

 私の寝袋の外から腕と足をからみつかせて、すやすやと眠っている。

 横にある安心しきったような寝顔が可愛い。でも、男どうしなのだ。

 遠慮しておく。

 船長に言われたとおりに、私は寝袋の中で脚をまげて、思いきり猫男の腹を蹴とばしてやった。

「んにゃ!」

 猫男は悲鳴をあげながら、一気に床まで飛んではずんだ。その反動を利用して空中で姿勢を変えると船室のドアの開閉ボタンを押した。横に開いたドアの縁に足をかけるとはずみをつけて、通路をめざして逃げていった。無重力の中で羽のない天使のように宙を飛んで出ていく。彼が着ていたピンクのネグリジェと、そこから突き出たふくらはぎが目に焼きついた。

 ふーーー。今朝も猫男が私の船室に忍びこんで来た……鍵はちゃんとかけていたのに。

 もう、こんなことが三日もつづいている。

 私は安眠用の拘束スリングをといて寝袋から抜け出した。

 私が使っている個人用船室は、二部屋あって、ひとつは住む部屋、もう一つは寝る部屋になっている。入り口のロックをはずさないと他人は入れないはずなのに。

 乗組員のプライベートを保護するためだ。それなのに……船長は、ボイシアナ号の停滞に、だいぶいらついているようだ。

 また、こんないやがらせをしてきた。

 

 眠い目をこすって噴射式シャワーを浴びる。船室のくぼみを利用して作られているけれど、古い船では、けっこうな贅沢装備だ。

 あたたかい水のジェットで、クリーム石鹸の泡を落として、エアの流れで体を乾かしているあいだ、つくづく、自分の才能のなさを恨んだ。

 ――――もし、父と母が、もっと頭が良くて体力があってスポーツができて明るく積極的で、リーダーの資質があって規則を守れて、きちんと早起きできる人間に、僕を生んでくれていたら、いまごろネイビーブルーの制服を着た宇宙艦隊の士官にもなれたのに。

 でも、現実は厳しい。

 私には、ぼろ船の雑用係兼郵便主任が、せいいっぱいだ。

 それでも、三百人以上の希望者の中から、ただ一人選ばれた。

 ハイスクールを追い出された私が、船員募集の広告を見て、ためしで応募してみたら、受かってしまったのだ。

 家で晩ごはんを食べているときうちあけたら、父も母も、そして、ちかごろ、私と目を会わせようとしない生意気な妹も、笑って信じなかった。出発するまぎわまで冗談だと思っていたらしい。

 でも、静止軌道への打ち上げロケット場でのお別れでは、三人ともテレビ画面のむこうで

「宇宙船の人は変わり者が多いから、気をつけなさい。みんなとなかよくね」

「いやなことがあったら、いつでも帰ってこい。でも、遅刻はするなよ」

「兄ちゃん、早く帰ってこないでね」

 と、両親は妹の両側に立って、妙に深刻な顔で見送ってくれた。


 可愛い息子が宇宙にでる。父も母も心配だろうけれど、内心では喜んでいたはずだ。

 なにしろ、高速郵便船の船員だ。これからの宇宙時代には前途有望な職業だった。女の子からも注目の的になれる。たとえ、下っ端の雑用係でも。

 それうえ、ぼろ船だろうが三年勤めれば、二級船員証がもらえる。船長の推薦状があるなら、その半分の時間で資格受験の権利が手に入る。

 実務期間をこなせば、あとは努力と勉強次第で――必要ならコネとカンニングも使って――技能資格がとれる。

  

 知的な香りに満ちた環境主任。

 小惑星をひらりとかわす操縦士。

 黄金の指を持ち、空間の魔法使いと呼ばれるドライブ主任。

 無骨な指でスバナを握る機関士もカッコいい。

 船の位置を特定する、勘と度胸のスキャナー。

 

 何にだってなれるはず。

 それなのに……

 それなのに……


 ……それなのに、私が胸を躍らせて乗り組んだ高速郵便船『愛しきボイシアナ』は、はっきり言えば魔界だった。  

 船長は心の邪悪な魔女で、操縦士は装備マニアで薬にいかれていて、ドライブ主任は情緒不安定な、なりきり妖精で、保安主任は人の形をした寂しがり屋の猫だった。

 ため息をついてから、青い作業服を取り出して着た。胸に明るい赤で郵便マークがついている。足には磁石つきの安全靴をはく。準備完了。

 でかけるついでに、鏡のまえで、髪をなでつけた。きょうは、ちょっとふんわりした感じに仕上げてみよう。

 さて、また停滞の一日がはじまる。



 『私』は個人船室から通路に出た。まず食堂へ行かないと。

 私は早起きした。私は電磁靴の目盛りをさげて、吸引力を下げた。『私』は……これから、朝ごはんだ。

 なぜ、地球にいたときの懐かしい『僕』は、宇宙船ボイシアナ号の魔界で『私』になってしまったのか?

 宇宙にでて、その空虚さに向きあうと人は性格が変わる、と言われているけれど、『僕』の場合はちがっていた。

 ホイヤン船長が

「変えろ」

 と無理強いしたからだ。

 『僕』のほうがよっぽど良いのに、『私』が船長の好みらしい。最初のテレビ面接のときにビシリと言われた。あの時、気がついていれば、こんな船で安い給料なのに、こき使われて苦労しないですんだのに……

 もちろん、『僕』は船長の命令に反発した。一人称はどう使おうと私の勝手だ。船員の正当な権利の行使でもある。私なんてのは、とても年寄りくさい。私は『私』が大きらいだ。

 ボイシアナ号に乗り組んでからも、断固として『僕』を使っていたのだけど、そうしたら、船長しかアクセス権をもっていない個人船室の入室用暗証番号を、なぜか保安主任の猫男が知るようになった。

 八桁の暗証番号を破って、毎晩忍び込んで抱きついてくる。


 朝、起きたとき他人がとなりにいる驚き。


 そのことで私が船長に抗議をしてやると、彼女はうすら笑いを浮かべながら

「知らない、セキュリティは完璧だ。そんな馬鹿なことが起きるわけがない」

 と、とぼけられて、突き放された。

 そのうえ船長席でせせら笑いしながら

「いやなら蹴っ飛ばせばよいだろ? 問題は自分で解決しなきゃ」

 と逆ねじをくらった。

 ついでに――しらじらしく

「ええっ! 君の『僕』が気に入らないから船室の暗証番号を……船長である私が猫男に教えたって? それは関係ないよ。君は何を根拠にそんなことを……。まったくのいいがかりだね」

 と、断言された。

 ためしに、暗証番号を変えてから『私』を使うようにしたら、夜中の侵入はピタリと止まった。どう見たって船長が怪しい。

 そして、今、見栄っ張りなドライブ主任が部屋に閉じこもって、ボイシアナ号の空間転移航法を使えなくなると、また夜にはロックが外れるようになり、寂しがり屋の猫男が私に抱きついてくるようになった。

 つまり、ホイヤン船長はそういう女性で、ボイシアナ号が停滞している事情はそういうことだ。

 まあいい。とりあえず、朝ごはんだ。


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