第7話 適応しつつある身体
だが、病室に戻ろうとする春人はそこで自身の違和感に気づく。
自分の身体のはずなのにどこかがおかしい。
しかし、辛くはなく、むしろ軽い。
…俺の身体、こんなにしっかりしていたかな?…
背も高く、身体の筋肉も鍛えられているような気がする。
誰もいないエレベーターの中でボクサーの真似事のように軽く腕を振ってみる。
こころなしか、切れがよい気がする。
部屋に戻った春人は前世世界とほぼ同様のカード方式のテレビをつける。
前世ではいつからか見なくなったテレビ。
しかし、そのテレビでは見知らぬ顔のキャスターやコメンテーターが今日の出来事について話している。
「本日アマテラス自治政府は、本国であるゼフィル共和国政府高官と今後の人口政策についての意見交換を行いました」
「次の話題です。テラからの文化移植研究について今後の政府からの方針が発表されました」
「はい、本日は奇振都郊外の公園を訪れています。ここは景色もよく、休日には観光に訪れる人も…」
自治政府の直営放送や民間放送局のニュース、夕方のバラエティ番組。
チャンネルを変えていくつかの番組を流し見したが、雰囲気は前世世界の日本とそれほど変わりがない。
しかし違和感がある。旅先での遠い見知らぬ町の地元のニュースに接しているような感じである。
やがて窓の外の景色は暗くなり、夜の帳が下りてくる。
眼下では家や街灯が点き、彼方には車のヘッドライトと緑と赤の明かりが瞬きながら動いている。
やがて人工的な音と共に完全自動化された配膳車が部屋にやってくると、収容されていた配膳用の機械の腕を伸ばして手すりに渡したサイドテーブルに仕舞われていた病院食が並ぶトレイを置いていく。
「確認をお願いします」
配膳車とデータが連動されているのかベッドに埋め込まれたモニターに表示されたアバターが、病院食が無事配膳されたかの確認を求めてくる。
「では失礼します」
画面に触れてチェックを行うとアバターは流暢な日本語でそう答えて画面のなかで頭を下げ、ロボットは再び人工的な走行音をたててゆっくりと去っていく。
「こういうの、この世界では当たり前なんだな」
そう呟くと春人は患者用に調理された病院食が並べられたトレイに目をやる。
お粥状に柔らかく炊かれた見慣れた白米を恐る恐る口にする。やはり慣れた味ではない。
しかし、体がこの味を受け入れている、とでもいうのだろうか、お椀によそわれたご飯を半分ほど平らげる頃には違和感はなくなっていた。
他にも見慣れぬ秋刀魚に似た見た目の骨抜きされた焼き魚、ほうれん草と思われる見慣れた青野菜に口をつける。
悪くない。
「ごちそうさまでした」
手を合わせる。
消灯時間まで時間があるので春人は夕食のトレイを片付けると鞄の中にあった学校の課題をこなす事にしたが、ほどなく彼は頭を抱えることとなる。
このアマテラスの公用語である日本語や数学はなんとかなったが、本国であるゼフィル共和国の歴史や言語、アマテラスや銀河系そのものの地形を扱う国際地理や宇宙関係の課題に関しては全くお手上げであった。
聞いたことの無い固有名詞、歴史上の人物、近代だけでも数万年分の歴史。
「今が…紀元12645節4056年。…紀元一節が一万年、あわせて一億年以上の歴史かよ。
5節2554年にセルフサード帝国の遠征艦隊と共和国の外郭艦隊が接触。共和国に対して旧リフラート連邦からの亡命者の引き渡しと帝国への恭順を要求。
帝国との交渉は決裂し、以後約1000年にわたる帝国との戦争が勃発。途方もないな」
春人は前世の記憶を手繰り、習った歴史を思い出す。
「1500年前って確か日本だと飛鳥時代位だっけ。
……結衣に教えてもらうか」
妹に教えてもらうのは情けないが、全く分からないので誰かに教えてもらうしかない。
問題は教えてもらわなければならない事がどう考えても一般常識レベルの事で年下の妹に教わるような内容ではない事である。
「どう言おうか」
そこで春人はさっきのやり取りを思い出す。
彼女はこちらを記憶喪失だと思っている。
そのふりをして聞き出すか。
いや、しかし。
こちらを心配そうに見ていた結衣の顔が春人の脳裏に蘇り、胸が痛む。
真剣にこちらを案じている女の子の気持ちを利用するのか?
答えがでないまま消灯時間がきたので課題を切り上げ、春人は布団のなかで考える。
自分がなぜこうなったかは分からない。
だが、いつ訪れるかわからない破局に備え、不安に満ちていたあの日々に比べたらなんと穏やかなのだろう。
しかも、
「妹か」
時任結衣。
自分のことをかいがいしく世話してくれたあの女の子。
これが自分の妹でなかったら間違いなく好きになっていただろう。
これからはあの子が近くにいる毎日になるのだろうか?
だとしたら、
「悪くないかもな」
布団のなかで春人は思わずにやりとしてしまう。




