もしなんてのはないんだ、有るのは・・・
ある日超巨大地震が起きた。
街は建物が倒壊、物流の流れは当然ながら滞った。
二次災害、大津波。
山より高い津波に人はなすすべもなく飲み込まれる。
助かる者は運良く山よりの高台にいた者たち
津波が来た沿岸部は生きている人はいない。それでも自然の津波は二度三度と繰り返し、まっさらな平野にトンボで地面を均すように建っていたものを流していった。
町の町長・・そんな夢をみては思った。
これが起これば、国は壊滅的な被害を受ける。
防げる手立てはあった。ただ今生きている人たちがどれほど他人を理解し分かち合おうとするかにかかっている。
想像もできないほどの大地震は来ないほうがいい。
だが、人の好き勝手で汚れ穢れをたれ流す人に気づけの夢だったのだろう。このままではこれが起きる。そう町長は確信していた。
さても、この夢を他人に言ったところで馬の耳に念仏だろう。
ホラ吹きでもしていると馬鹿にされて終わりだ。
人は信じたいものしか見ない。
町長自身もそうであったときがあったためにそれがわかる。
確信があるから町長の考えに従ってくれと言われても町民は納得しないだろう。町民側だったらそう思う。
なら、どうすればいいか・・・知ってはいる。だが、すべては助けられないだろう。
町長は自傷気味に自身の知恵のなさを呆れて、乾いた笑いをしていると、鏡を見て自覚した。
町長の考えは仮に大地震、大津波が来てからだと遅い。なにもなくなった後だから。人も物も。金さえ役に立たんだろう。使う人がいなくなるのだから。
町長の考えは愛に満たされた社会を皆で創ること。
非常時の大地震が起きたから団結しますでは遅い。
常日頃団結しておけばそもそも大地震など来ない。来れるわけがない。
人の好き勝手が自然を招いた結果であり自然を蔑ろにした人に対しての気づけなのだから。完全なる自業自得なのだ。甘んじて受けるしかない。苦しくとも身から出た錆なのだから。学びと経験が蓄積されるだけだな。
それでも良いならそうしてろと言いたいが、町長は嫌だ。
純粋にできるならワイワイやって楽しく生きていたい。
なぜ団結できぬ?
二回とも平成で大地震があったぞ?
なぜ団結から元に戻った。
なぜそこから何かを創り出そうとは思わなかったんだ。何が阻害していたのか、直接被害を受けた人々は理解しているはず。そして、気づいた人もいたはず。
それを改善しようとした人はいただろう。今も続けている人はいると信じている。
非常時にあって、常時にないもの。
伝播できなかった
阻害された
良い流れが断ち切られて
目覚めが遠ざかるものが大勢だった。
命の大切さ
生きるよろこび
死は隣人だと言う
つないだ奇跡はどこへ行った?
積み重ねた重みは重いぞ。
軽やかに生きるには
思いは手放さなればならない
阻害していた思いは何?
重いものは何?
今感じている重い思いは何?
今感じているこれがあったら良いなと思う物は何?
そんな物はすべて幻なのだよ。
そんな物はない。
金?
大地震が来て役に立ったのか?
金だけ出して、むしろ針の筵だっただろうに。
明日への不安?恐怖?
それはあなたの本当の感情か?大地震が来て役に立ったか?今生きるのに必死でそれどころじゃなかったはずだ。
そんなものあなたは本当はどうでも良いはずだ。
今を生きるこれ以上に勝る者はないと断言する。
今生きている人は明日への心配などしやしない。
明日は明日だ。あなたに明日が本当にあると思っているのか。すべては幻なのだよ。すべては今ここしかない。それ以外は全てが無だ。何もない。何もないのにあるように思ってしまっているのがあなたのあやま知だ。
そんなものは早く手放しなさい。
そして、今を生きなさい。
今を生きている人は強い。
今からぶれず苦楽を共にしているからぶれない。そこに大地震が来ようともびくともしない。
当たり前にいまを生きているだろうことは想像に難くない。
今を生きている人は感謝の思いでいっぱいだ。日々、一瞬一瞬を真剣に感じて生きている。どれだけの無礼を働いてきたのかを知っているから自ずと頭を低くして礼を尽くしている。肉体は健康だ。仕事もある。仲間もいる。生きながらえることができている。
非常時と常時、どちらも同じだ。今生活する。これが共通項。これは変わらない。
今を生きている人は執着などしていない。動くのに邪魔する物はそばにない。物は必要な分だけあれば良い。思いもまあいっかと思うだけ、感情に振り回されている生活などしない。
くよくよせず一心不乱に今何を感じているかを俯瞰して観て気づきを得ている。
大地震が来てそれが役に立ったか、役に立つのか問いなさい。
日々自身の良心に問いなさい。
良心ならばどうするか。
返ってくるのは静かな小さい声でささやくようにそっと、答えが返ってくる。
変化を受け入れなさい。
杉乃中かう 拝




