言葉は神
日本語は 話せばわかる 曖昧さ
言祝ぎ給え 神の境界
神の境界線は曖昧なもの
それは与える愛
日々愛を持って接し未熟なものをよしとする
好き嫌いの間には数多くの好き嫌いがある
花は好きかと言われてこう感じたから好きと嫌いとに別れるものだ
それは個性
今いる状態で好き嫌いを判別するだろう
それはエゴの視点
日本語は場を整える
日本語は時を唱える
日々神と愛を語り神を讃える視点は神の共感であり共視
いうところの真中、天御中主神
毎日草花と語らえばなんとなくでも伝わる曖昧さがある
日本語で表してしまえるのは曖昧さがつながりを作っていると言える
人の揚げ足を取るのか人の言う言葉の意味を深く理解しようとする心とには
やはり今の状態によって決まる
それは寂しさか喜びか
子どもが注意を惹きつけたいと思う思考
親の深い愛で子を包む思考
私が言うものは曖昧であろう
曖昧であるから考える余地がある
私が感じることは君がどこかで感じていること
どこかとは内と外か
好きか嫌いか
真か偽か
善いか悪いか
正しいか誤りか
これらはエゴの共感共視
日本語はトキトコロを伝えている
エゴに振り回されるのは苦しい
神坐り居ればすべてが神だと言っている
神の共感共視を持て
そういう思考がある
身魂磨きが本意の要
日本語は言祝ぐ言語である
すめらすめら
かわるかわる
うれしうれし
たのしたのし
ありがたいありがたい
愛する愛する
杉乃中かう 拝




