夢想する ○無題
最近周りが私を感知できなくなっている気がする。果たして、どちらが気薄になっているのか。あるいはどちらもか。(別の次元へ離れる現象を私が感知したか?)
これに対しての不安や恐怖、存在の認識によるさびしさというものはほとんどない。自我のそばに時折いる時もあるがほんの一瞬で真中に戻る。今まで通り身魂磨きしてゆけばそういうものは気薄どころかなくなるのだろう。
感情がなくなるわけではない。振り回されなくなる。純粋にそれこそ赤ちゃんや幼子のような純粋無垢で過ごすことができているだろうな。真ありがたいことだ。
同じ空間にいても、これほどの差が出てくるとは思わなかった。私からすれば周りにいる人の中に私の存在を感知できているのに対し(傲慢か?かわるかわる善きようかわる)、周囲の人から見れば孤独でいる私を見ていることだろう。
潜伏現象の界面に同じ形でいるのに孤独を人生を楽しんでいる私と孤独に苦しんでいる人たちというわけだから。
どちらも孤独ではない。どちらも正しくも間違いでもない。らしくある。
皆すべてが光へと向かっていることはたしかなことと実感している。
大峠の先の景色はどんなトコロだろうな。
きっと山頂から見晴らす景色のようにすずなり清き世界だろう。
そのために、今ここで身魂磨きいそしむこととする。
誰による私のために、すべての私のために。
幸あれ幸あれ。
○
あの花のように まってほしい ちってほしい
あの丘の花のように 誇ってほしい 咲いてほしい
空高く舞い落ちる 花のように よろこんでほしい
あの花が見えますか 次はあなたのばんです
立派なタネになり 清らか芽ぶく時まで
しばしのお別れです さびしくないですよ
いつもいっしよで いつでもそばにいます
ただ 会うのは しばしの時が必要です
その時までどうか 幸いでお過ごしください
時間です さようなら
また出会えるでしょう また来世で
お会いしましょう
杉乃中かう 拝
自分で慰められてる
・・・なんだかなあ(ほろ泣)




