笑う門には福来る 日は龍のじゃ、日が龍のじゃ。
真人の神代。
雲龍運龍運流、全てが一体である共同体大和の民が、荒れ狂う波や宇宙という壮大で終わりも始まりもない世界で、身を唸らせほと走る。
その姿はまるで嵐の中でも唄い踊り舞う龍のよう。
愛に満たされた世界に龍は何を想うていきておるか。
母の子宮を出た赤子龍よ。どちらへ行くやら生かすやら。
めんこいのう、真めんこいのう。
靈人方、この龍に何を学ばす。
教育による洗脳か、自由奔放なる阿呆か。それとも真学ばす善いも悪いも祀り合わせての中庸か。
子に何を教えるかでそなたの在り方がわかる。
時に叱ること大事じゃのう。
そなたが真に生きておるかは子を見てわかる。縛りつけるやり方は人を傷つけ己を傷つけておると知りなされ。よりうつる感情ではなく、腹からの怒りで叱りなされ。
時に褒めること大事じゃのう。
褒められて育つ子は笑顔笑顔に溢れておる。純粋無垢じゃ。それはそなたがよく笑って過ごしておるからじゃ。だが、親の顔うかがう子は褒めてもらえんでビクビクしておるわい。日がな叱りつけることしておるからじゃのう。かわいそうじゃ。かまってもらえんで褒めてもらえんで心の奥底で泣いておる。大人の顔色うかがう子も同じじゃ。どうしたもんかのう。
子がおるだけで幸せではないのかのう。純粋無垢な子を歪ませる教育は真の教育ではないのじゃ。
好きにさせてあげなされ。なんでも学ばせなされ。子は真を知っておるぞ。
歪ませるのは古き過去の教育ぞ。歪んだ教育は今の子に合っておらんではないか。
子の顔を見よ。真の曇りない目で見よ。笑っておるか。泣いておるか。そなたが苦行と思ってやっていた教育を子にやらせておるのじゃぞ。因果じゃのう。ここで断ち切りなされ。今ここで。
笑おうてくだされ。子が笑うてくれるぞ。
褒めてくだされ。子がのびのびと育って行くぞ。
慈しみおうてくだされ。子が抱きしめてくださるぞ。
愛あふれるうれしけれうれしけれ。
泣き笑い真尊いのう。日がな縁日じゃ、縁日じゃ。
ええ日じゃのう。めぐるめぐる善い日じゃ。今日が幸あふれる良きかな良きかな。
杉乃中かう 拝




