中級者にありがちな失敗とその予防
ジョンマンの弟子たちがミドルハマー付近にあるダンジョンで修業を始めて一か月経過した時期のこと。
コエモはミドルハマーにある実家に呼び出されていた。
呼んだのは彼女の実父であるヂュース。
かつてはミドルハマー一番の冒険者であったのだが、現在は負傷により引退している。
そんな彼をコエモは割と舐めていた。
親子であるということ、互いの距離が近すぎたことも影響しているのだろう。
自分の父は確かにすごいのだろうけど、そのすごいは一回キリなのだ……などと軽く見たのだ。
こと冒険者としては完全上位互換であるジョンマンに弟子入りしているから、というのもある。
しかしそれも最近はなくなってきた。
いざ自分がミドルハマーのダンジョンに潜ってみれば、思ったことがまったくできていない。
知っているのと体感するのはわけが違う。
コエモは父に対して適正な尊敬や評価をするようになっていった。
だからこそ、だろう。
そもそも呼び出しにすんなり応じたこと自体が、彼女の心境の変化と言える。
以前なら呼び出されても返事すらしなかったはずだ。
「いきなり呼び出して、どーしたの、お父さん」
「お前に前置きをしても仕方ねえ……俺の目的を先に言うぜ」
自宅で二人っきり、対峙している親子。
とんでもなく真剣な顔をしているヂュースは目的を切り出した。
「俺はお前が将来書く本に登場したい! だからそのために、お前に有益なアドバイスをすることにしたぜ!」
「書く気失せるな~~……」
「この日のために、しっかり本を読んでアドバイスの仕方を勉強した……全部をやるのは俺には無理だと判断して、できるだけわかりやすく話すことにしたぜ」
「そこまでガチなんだ」
ヂュースはメモ用紙らしき紙の束を取り出して、コエモに説明を始める。
事前に台本を作って、順序良く話すつもりらしい。
実際のところ、自分の知識や経験を相手へわかりやすく教えるというのは、台本なしだと難しい。
いったん紙に書いて整理しないと、話が飛び飛びになってしまうこともしばしばだ。
実際本人もそれを理解しているようで、汚く書かれたメモを確認しつつ説教を始めた。
「お前たちは今、浄玻璃眼とかいうスキルの練習をしているんだろう。俺はそれが使えないが、どういうスキルなのか見当はつく」
「……まあそうだよね」
まじめにスキル習得を目指している彼女からすれば、スキルを習得していない父から『アレってこういうのだよね』と言われるのは不満がある。
しかし今自分が練習していることは、父の後を追いかけるようなものだ。
自分よりもスキル習得に近いというのもわからないでもない。
「お前らもあのダンジョンに潜り始めて一か月……そろそろ慣れてくるころだろう。並行してヒヨコのオスメスを見分ける修行もしているんだろ?」
「うん」
「そろそろ慣れてくるはずだ」
凄腕冒険者であったヂュースは、過去の経験から警告を出す。
「お前たちは初心者を卒業して、中級者になる。そして失敗が増える」
「……え、なんで?」
「あの呪われたお姉ちゃんは大丈夫だろうが、他の奴らはお前も含めて失敗が増えるだろう。それは経験が溜まって予測を始めるからだ」
「浄玻璃眼は予測が極まったものだって習ったけど?」
「その予測が間違ってるんだよ」
まじめに勉強をした結果、自分で使いこなせない内容は諦めた。
だがそれはそれとして語彙は増え、説明能力は上がっていた。
「ヒヨコの鑑定もだんだん慣れてくると『アレ、オスとメスで触った時の感じが違うな』とか、そういう性器以外の差があると気づくようになる。だがそんなもんは個体差だの傾向みたいなもんだ。性器を見ずに選別すると失敗するんだよ」
理屈はわからないでもない。
確かに自分でもずっとヒヨコのオスメスを探っていくうちに、手に持った時の感触などで違いが分かるようになってきている。
そしてそれが確実ではない、というのも納得できた。
しかしそんなに重要なことか、とも思う。
それが顔に出ていたのだろう。ヂュースは狙い通りの顔をしてやがる、とニマニマしながら指摘した。
「これがヒヨコのオスメスなら大したことじゃねえ。これが薬草と毒草ならどうだ」
説明を聞いたコエモは、あ、と過去の話を思い出した。
「そういえば薬屋さんから苦情が来たことがあったよね。納品した薬草の中に一つ、珍しい毒草が混じっていたって。その時はお姉ちゃんもお母さんも謝りにいったよね」
「当たり前だ。薬屋が客に毒を売るところだったんだぞ」
「……今にして思えばヤバいよね」
「当時の時点でそう思ってほしかったけどな」
よく似ている毒草Aと薬草Bがあったとする。
わかりやすい見分け方があって、それによって薬草Bを採集し納品していたとする。
これはそこまで難しい話ではない。
だがめったに見ない毒草Cの存在が混じると一気にややこしくなる。
毒草Cの存在を知っていても、めったに見ないため意識から消えてしまう。
さらにAとBの見分け方が通用しないため、混入しやすくなってしまう。
さすがに薬屋なら成分の抽出などでわかるだろうが、その場合は製造に使った器具を全部洗浄するか交換しないといけなくなるだろう。
何より『おい……薬草に毒草が混じってんぞ!? 他にも毒草が混じっているのか!? 作った薬は大丈夫なのか!?』となってしまう。
「これはな、ダンジョンに潜る時も同じなんだ。いつもならゴブリンがいる、ってところにいないことがある。いると思い込んで行動して、いないってなって驚くことがある。逆に普段はいないところに隠れていて奇襲されるってこともある」
「お父さんは大丈夫なの?」
「そりゃな。お前らとは経験値が……サンプル数が違う。なにより俺は『絶対にいる』って場所を意識するんじゃなくて、『絶対にいない』って場所を意識してる。そのあたりが大事だな」
「へ~~……」
「あとは相手の知能を知ることも大事だ。ネズミ捕りは時々場所を変えないといけねえが、ゴキブリを捕る罠はいつも同じ場所でいいだろ。ゴブリンは犬猫並みに頭が回るが、ナメクジは本当にバカだ。そのあたりも考えろ」
「ふむふむ」
「……メモとれよ」
「あ、そっか!」
「そんでもって困ったときとかにそのメモを見てだな、苦境を打開して……本に書いてくれ!」
「本にするかどうかはそのピンチが来るかどうかだけど、メモはするよ!」
「ピンチにならなくていいから本には書いてくれ!」
本当に勉強の成果はあったが、そもそも目的が果たされるかどうかはまた別の話である。
ーーーもしもコエモが有名になったのなら。ヂュースにはコエモの子供時代のことを本にして出版するという方法があるのだが……そのことに彼が気づくかは微妙なところだ。
※
コエモが実家に帰ってアドバイスを受けて翌日。
コエモを含めたジョンマンの弟子たちはチョクシンと共にダンジョンに潜っていた。
相変わらず暗い道であり、松明の灯もすべてを照らせているわけではない。
にも拘わらず、一行は順調に奥へ進んでいる。
毎日潜っているわけではないが、それでも一か月も通っていれば慣れもする。
恐怖を抱くこともなく、すたすた奥へ歩いていく。
そしてある程度の場所に来ると、ごく自然に全員が足を止めた。
「それじゃあ行きますね……!」
十回以上もこなしてきた掃除を彼女は実行した。
曲射する攻撃魔法によって四方八方の『死角』へ飛んでいく。
もはや誰もが慣れていた。
それぞれの面々は、どこまで来たら足を止めるのか、マーガリッティがどんな軌道の魔法を使うのかわかっている。
それぞれの脳内には、彼女がこのようなことをする、という焼き付きが成立していた。
(なるほど、これが浄玻璃眼の原理なのですね)
(俺の眼でも軌道の予測が描けるようになってきましたわだぜ)
何度も同じこと、それも意識して行う意味のあることを繰り返してきたからこそ、五人は自分たちの上達を実感していた。
一方でコエモは自信満々になっている他の面々を見て、父からの言葉が実際に起きていると認識していた。
(あ~~……これが中級者の油断かあ~~)
現在のコエモは正しい意味で俯瞰の視点を得ていた。
自分の仲間たちが『ルーティン』で行動していることに気づいていた。
同じ作業の繰り返しをしていて、それで脅威が完全に取り除かれている、と思い込んでいる。
嫌な話だが、重箱の隅を楊枝でほじくるような視点に立てば、彼らの振る舞いが正解から遠ざかっているとわかる。
予測が単なる惰性や思い込みに落ちている。
友達に対して向けていい思考ではないが、仲間であり同業者でもある相手には適切な考えだった。
「ちょっと、コエモ。アンタ気づいてるわね?」
「え、あ、うん」
「黙ってなさい。一回は痛い目を見た方が、あいつらのためでもあるのよ」
(そう……どうせ死なないしな)
魔獣やチョクシンはコエモ以上に俯瞰していた。
むしろコエモが今気付いていることを遅いと考えるほどだ。
そして成功して当然という惰性の中での失敗こそが、心に大きな教訓をもたらすとも知っている。
三人が見守る中、五人は順路通りに、掃除が済んだはずの横道を通り過ぎて行った。
そのときである。
横道の奥、つまり攻撃魔法の有効範囲の外に潜んでいたゴブリンたちが動き出した。
もちろんその分遠くから移動してくることになり、接近には相応に時間がかかる。
だが相手の背後を突く、という意味ではむしろ良かった。
すでにクリアしたはずの場所から襲われる、という状況に陥っているのだから。
コエモが、ああ~~と声を出しそうになるが……。
ゴブリンが狙った相手はオーシオだった。
ある種必然である。彼女はルーティンとはいえ、しんがりとして後ろを歩いていたのだから。
「……いたっ?」
七人の中で、魔獣の完全体を除けばもっとも頑丈なオーシオ。
彼女の頭には背後から石製の棍棒がクリーンヒットしたのだが、棍棒の方が壊れていた。
なんだなんだと振り向いてみれば、棍棒の柄をつかんで呆然としているゴブリンがいるだけだ。
「くっ……!」
反射的に、ハエを払うようにゴブリンを殴るオーシオ。
もちろん一瞬で殺せたのだが、それでも彼女の顔はゆがんでいた。
もとより近衛騎士として戦術を学んでいた少女である。
索敵範囲の外側から奇襲された、ということに奇襲された後だからこそあっさり気付いた。
だからこそより一層、屈辱に震えていた。
生真面目な彼女にとって、既知の失敗例を自分がそのままなぞったことがつらかったのだ。
「え……ええ!? ど、どうしたんですか!?」
「ゴブリンがいた……私、ちゃんと魔法を使いましたよね?!」
「どういうことですわなんだぜ!?」
「これはきっと、ゴブリンなりに学習して……」
自分の愚かさに気づいたオーシオは、愕然としながらも他の四人へ状況を説明しようとした。
当然ながら、全員の足が止まっている。
今も松明は燃え続けており、上には煙が昇っていた。
その灯と煙によって、天井を這っていた人食いナメクジの群れは獲物が来たと理解した。
天井を這うことをやめ、自由落下しながら下の五人へ襲い掛かろうとする。
「はい、油断の上塗り。もういったん帰りましょうか、反省会はそのあとよ」
それを魔獣の腕が薙ぎ払った。
ナメクジの体液が大量にぶちまけられ、五人は自分たちがまたもナメクジに襲われそうになっていたと察して青ざめる。
「うわあ……」
大恥をかきながら来た道を戻り始める五人を見て、コエモはすっかり青ざめていた。
父からの根拠を示されたうえでの具体的な助言がなければ、あの五人と同じく嫌な思いをしていたはずだ。
(父上……父上!)
そして同じく、オーシオもまた父親の言葉を思い出していた。
※
オーシオがまだ幼く、父と兄がまだ元気だった時。
父親は大きな地図を広げて、二人に見せていた。
「この道を進軍するとしよう。どこから奇襲されると考え、どのように偵察隊を送る?」
「うむむ……僕はここだと思います! なのでこのようなルートを……」
「私はここですね! だからこのルートで偵察を……」
地図の読み方を習っていた兄妹は、それぞれに敵がいそうな場所を示した。
それに対して父親は険しい顔をして首を振る。
「二人とも、根本的に間違えているぞ。敵が隠れやすい場所、あるいは進行上いられると困る場所はすべて偵察しなければならない。そうでなければ偵察の意味がない」
特定の一か所から奇襲される、というのは思い込みに過ぎない。
戸締りで玄関だけカギをすればいい、というぐらい間抜けだ。戸締りをするからにはすべてのドアを施錠する必要がある。
奇襲されうる場所はすべて偵察しなければならない。
「そして十分な偵察ができないのならば、その場所を行軍してはならない。他のルートを選ぶべきだ。もちろん時と場合によるが、余裕があるのならそうするべきだ。そして……」
ここで父親は、父としてではなく近衛騎士長の顔になった。
「自分のとる最善の行動に対して、自分が敵ならばどうするかを考えろ。偵察隊が通り過ぎたところで分散配置していた戦力を結集させ、油断したところを襲うというのも手だ。これは偵察隊を出していないときよりも油断しているということだな」
この時の父が格好良かったため、オーシオはよく覚えている。
「偵察は必要だが、偵察したからといって安全になるわけではない。偵察した場所を絶対視したその時……お前たちは破滅する」
※
自分は破滅しなかった。
それは鍛錬の成果だ。
だがそれさえも彼女の心を追い詰めていく。
(『まず強くなれ』か……叔父上の言葉はいつも正しい……私が失敗することを前提に鍛えてくださっていたのだから……)
勇壮であるはずの彼女は、しかししっかりと失敗を受け止めて帰り始めるのだった。
本作がコミカライズされました。
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よろしくお願いします。




