いい人生だった
ザンサンは一晩、ジョンマンの家に泊まった。
二人がどんなことを話したのか、あるいは何も話さなかったかもしれないが、それは誰も知らないことである。
翌日、ザンサンはザンクを残し、ジョンマンの元を去ろうとしていた。
魔獣とジョンマン、ザンクは彼を見送ろうとしている。
とても長い別れになるか、あるいは最後の別れかもしれなかった。
「ザンク……お前は今日から、ここでお世話になる。強くなるための、辛い修行が待っている」
「はい! 頑張ります! 俺は、男ですから!」
「うん、偉いぞ。でもな……」
ザンサンは膝を突き、ザンクを見上げる姿勢になった。
「お前のお母さんがそうだったように、世の中には『男らしい男』っていうのに嫌な思いをしている人がたくさんいる。だから、あんまり、口にするのはやめなさい」
「……はい」
「大丈夫だ。お前がどんな『男』を目指しているのか知らないが、頑張っていれば自分のことを一々『男だ』なんて言わなくても済むようになる」
ザンクは、決して愚かではない。
むしろ父親に似て、優しくも賢い男だった。
今ここで伝えなければならないと、勇気を振り絞る。
「あのね、お爺ちゃん。俺は、僕は……この旅が、とっても楽しかった。お爺ちゃんが一緒だったから、とても安心できたんだ。だから……お爺ちゃんにしてもらったことができるような男に、僕はなりたいんだ」
「……そうか、俺も楽しかったよ」
ザンサンが望んでいない言葉だと知りながら、ザンクはそれを伝えていた。
ザンサンは孫の葛藤を感じ、熱く抱きしめてから離れた。
「ザンク……頑張れよ」
「……うん!」
すべての人々が、『頑張れ』と応援されることを求めているわけではあるまい。
だが今のザンクは、むしろ応援を求めていた。
過酷な日々を待つ少年の背を、ザンサンは押していく。
「ジョンマン、俺の孫を頼んだぞ」
「おう、任せておけ」
「……楽しかった。あえてよかったよ」
「俺もさ。こんなに楽しいのは、本当に久しぶりだった」
もう言うべきことはないと、ザンサンは背を向けて歩いていく。
ザンクは彼の背が見えなくなるまで手を振っていたが、ザンサンはもう振り返らなかった。
※
ミドルハマーをあとにしたザンサンは、老人とは思えない健脚で進んでいた。
正午ごろには、付近の大きな街に到着するほどである。
彼は迷いの少ない足取りで一番大きなレストランに入り、その机の上に『女性の肖像画が描かれたペンダント』を置いた。
「すまない、コース料理を『二人分』用意してくれ」
「……! 承知しました」
老人からの奇妙な依頼を受けて、ウェイターは迷わず頷いていた。
ザンサンは静かな顔で、ペンダントに話しかける。
「アークニ……お前はきっと、俺が育てるべきだった……とは言わないだろうな。お前やヤーヤと違って、俺は子育てをしたことがない。あの子がどんな風に育つことを求めても、俺の手元を離れることが正しかったんだ」
アークニは貧しいながらもヤーヤを育てきった、その点は誰もが認めることである。母としての彼女は満点であろう。
ヤーヤとランドもまた独立独歩の精神を発揮し、良い家庭を築いていた。ザンクが良い子に育っていたのが、その証拠である。
だがザンサンは、子育てをしたことがない。
そしてできる気もしなかった。
「俺は……ザンクをちゃんと叱れる気がしない。なんかもう、ランド君とかヤーヤが脳裏に浮かんで……なあなあにしちゃいそう。そんでもって、最終的にお前へやったみたいに、甘やかしそうで……」
ザンサンはアークニをひたすら甘やかした。
彼女に一切の負担を負わせず、有り余る財産で豪遊の限りを尽くさせた。
それをヤーヤは下品だとか低俗だとか、成金だとかいろいろ思うところもあっただろうが、結局否定しなかった。
いつかザンサンが帰ってきて、自分を救ってくれる。
そう信じて耐えて、心身を酷使してきた彼女には、その『配当』を受け取る権利がある。
ヤーヤですら、それを否定できなかった。
むしろザンサンが有り余る財産を持っているのだから、そのすべてをささげるべきとも考えていた。
まあその量が膨大過ぎたので、逆にどうかと思うに至ったわけだが……。
もしもザンクが同じ境遇になったとして、それはアリなのだろうか?
議論の余地なく、ナシであろう。
「俺の財産は莫大だからな……ザンクはもう、一生、一切、まったく、働かずに生活できる。むしろ子々孫々までそんな生活もできる。お前がなんか『あの店買って』とか言ったから、いくつかの店のオーナーになって、その利益が還元されているから、もう黒字になってきてるし……ザンクがダメ人間になってしまう」
ザンクもジョンマンも、『そうしたボンボン』や『ボンボンの成れの果て』を何人も見てきた。
一切の負荷負担、義務労働から解放されていたが、まったく幸せそうではなかった。
にもかかわらず、他の生き方を知らないため、沼に沈むように生きていた。
ザンクをあんなゾンビにするわけにはいかないのである。
「……でもさあ、俺もお前もかなりのダメ人間なんだよな。ヤーヤがまともで、ランド君が超まともってだけで。そんな俺たちに『ダメ人間になるな』なんて言えるわけがねえ。いやまあ、ジョンマンも大概ダメ人間だけども、俺の知り合いの中では一番信用できると思うし、どこにいるのかはっきりしているし……」
泣き言を辞めたザンサンは、改めてペンダントを見て微笑んだ。
「最後の冒険が終わったよ。孫と一緒の、とても素敵な冒険だった。正直全然会ってなかったから、最初は孫って実感もなかったが……この旅で、家族になれたと思う。俺の格好いいところを見て、真似したいって言ってくれたよ。いつまでも続けたくなる旅だった。でも……俺の人生の冒険は、もう終わりだ」
このペンダントに、妻が描かれている。
だが彼女の『墓』は、ここにはない。
「もうすぐお前のところに帰る。もうどこにも行かない、ずっとお前の傍にいるよ。お前が俺をまっていたように、俺もお前の元で待つさ」
しんみりした空気の中で、妻との食事を楽しもうとした時である。
慌てた様子の店員が、ザンサンの元に近づいてきた。
「お、お客様! も、もうしわけございません! しゅぐに、すぐに退店を!」
「ん、どうしたんだ?」
「賊が食事に来たのです! 急いで逃げてください!」
ザンサンがふと周囲を見ると、大慌てで店から客が出ていっていた。
きょとんとするザンサンは、緊張感のないことを口にする。
「これから妻と食事をするつもりだったんだがな……仕方ない、そいつらを片付けるか」
「う、腕に覚えがあるとしても! 絶対に辞めてください! 信じられないかもしれませんが、相手は……」
元アリババ40人隊のメンバーであるザンサンは、賊如きあっさりと退治できるつもりだった。
それを店員は止めようとするが、もう遅かった。
ザンサンとさほど年齢の変わらない男が、意外にも行儀よく店に入ってくる。ドレスコードもばっちりであった。
「おいおい、そんなに逃げなくてもいいだろ? 盗んだ金だが、カネも払うし、堅気の客に迷惑はかけねえよ。ちょっと嫌なことがあったんで、気分を変えるためにシャレた食事をしたいだけなんだ」
セサミ盗賊団元幹部、ラックシップである。
巨大なクラゲを守護霊に持つ男の入店に、ザンサンも反応した。
「ん」
「お?」
二人はしばらく見つめ合った。
店員たちがうろたえていると、ラックシップが先に自分の手を打った。
「あんた、あのバカ結婚式の新郎か!」
「そういうお前は……セサミ盗賊団の幹部とかだな!?」
「そうそう! なんでこんな辺鄙なところに、新郎殿がいらっしゃるんだ? あ、ジョンマンの奴に会いに来たのか!」
「そうなんだよ~~! あ、店員さん! コイツ、俺の知り合いだから、同じテーブルでいいぜ。同じコースを、三人前に追加してくれ」
「は、はい……!?」
ラックシップとザンサンは、シームレスに食事の体勢に入った。
店員たちは混乱するが、こうなったら料理を振る舞うしかなかった。
貸し切り状態の店の中で、二人の隠居人は食事を楽しむようである。
「そのペンダント、あの新婦か?」
「ああ、一緒に食事をするところだ」
「同席して悪かったな。今からでも、俺が別の店にいこうか?」
「気にするなよ。あの時の出席者なんだ、アイツも喜ぶ」
「ならいいが……」
(いや、二人ともどっか行ってくれ……)
二人ともテーブルマナーをしっかり守っているが、まず法律という物を守ってほしい。
店員たちは怯えながら前菜やドリンクを配膳していく。
「お前ほどの男がいて、嫁が死んだってことは……贅沢のし過ぎか?」
「それならまだよかったんだが……俺の傍を離れて娘夫婦のところに遊びに行ったとき、賊に襲われてな」
「やっぱり賊は最低だな」
「ああ、最低だ」
(皮肉なのか……?)
ザンサンやジョンマンが冒険者を無法者の一種と認識しているように、ラックシップも賊をゴミクズだと認識している。
むしろ最低だと評される賊たちを『ちゃんとした賊だなあ』と評価してすらいた。
「孫だけは生き残ったが、俺に子育ては無理なんでな。ジョンマンに預けた」
「どっちもどっちな気がするが……いや、そうでもないか。それにしても、アレだけの結婚式をしたのになあ……最後は賊に襲われて死亡か」
「逆さ。いつかは死ぬと、アイツも分かってた。もう思い残すことはないと、最後まで言っていたよ」
「そうか……あの結婚式、俺も出席したが……」
ここで唐突に、ラックシップは腹を抱えて笑い出した。
もうテーブルマナーもなにもあったものではない。
「おい、どうした?」
「死んだっていう、お前の娘! お前の娘の、スピーチ思い出しちまった!」
「……おい! まだ笑うのかよ!」
「だって、だって! 俺はあんな愉快なギャグはお目にかかったことがねえ!」
ザンサンとアークニの結婚式には、ヤーヤも出席していた。
お世話になった母へ、手紙の朗読も行っていた。
「怒りとか憎しみとか不満とかを呑み込んだ、左右非対称の血管ブチ切れそうな顔で、『私を育ててくれたお母さんへ』って手紙読んでたんだぜ!?」
「アイツは俺たちの隣に立ってて、お前たちの方を向いていたから、俺たちは顔が見えなかったんだよ。そんでもって、俺たちが見ていたのは、笑いをこらえるお前らの顔と……」
「感動の涙を流している、俺らのボスとお前らのリーダー、だろ? ははははは!」
ヤーヤは母への感謝の手紙を読んでいた。
『私を育ててくれたお母さんへ』
『私には、お父さんがいませんでした。でも私にはお母さんがいました』
『お父さんがいない私が寂しい思い、ひもじい思いをしないように、お母さんは他の人の何倍も頑張ってくれましたね』
『そんなお母さんが、私は大好きです。お母さんのおかげで、私は一人前になれました』
『私はお母さんが大好きです』
『大好きなお母さん、結婚おめでとう。お父さんと幸せになってください』
真面目な文章だったし、現実に即した文章だったのだが、娘が母親の結婚を祝福しているという奇妙な状況と、理性的な女性が激しい怒りを秘めて隠しきれていない顔をして読み上げている状況がシュールすぎた。
『なんていい話なんだ……うう! 感動で前が見えない!』
『くぅ! 何度経験しても、結婚式の感謝の手紙は最高だな!』
しかも自分たちのボスやリーダーは、涙と鼻水を垂れ流しにしながら感動していた。
それがヤーヤの神経を逆なでしているのか、彼女の血管を数本ブチ切れさせていた。
アリババ40人隊とセサミ盗賊団の幹部たちは、腹筋が崩壊して呼吸困難に陥っていた。
「いやあ、お前の娘は凄いよな。あのギャグの為に生まれてきたのかって勢いだったぜ」
「おいおいやめてくれよ。あの子は最後までそれを気にしてたんだぜ? 私はお母さんの人生のわき役でも小道具でもないんだって」
「でもさあ、アリババ40人隊とセサミ盗賊団が壊滅するところだっただろ? 俺たちをそろってあそこまで追い込んだのは、お前の娘ぐらいだろうぜ」
「確かにな……」
アリババ40人隊のメンバーとセサミ盗賊団の幹部たちは、全力で笑いをこらえていた。
彼らは知っているのだ。こういう時のボスやリーダーは、異様なほど礼儀にうるさいと。
「誰か一人でも噴出していたら、全員が笑いだして、そのまま結婚式場は大爆笑に包まれてたぜ。そうなってたら……」
「アリババもシムシムもマジギレして、お前たちを全員殺していただろうな」
『お母さんは! 昔から! お父さんが帰ってきたら、結婚式をすると言ってましたね!』
『大きな結婚式場を建てて、女神様みたいなウェディングドレスを着て! 山みたいなウェディングケーキを飾って! 世界中から王様や女王様を呼んで! 世界一の結婚式をすると言ってましたね!』
『お父さん! お母さんの夢をかなえてくれて、どうもありがとうございます!』
『おう……』
『アリババさんも、協力してくださってありがとうございます!』
『実現するなんて、夢にも思っていませんでした! ここまでしていただけるなんて、恐縮です!』
『頑張って用意した甲斐があったぜ~~!』
『セサミ盗賊団の皆さんも、国際指名手配中にも拘わらず! 幹部、最高幹部、頭目までも出席してくださって! どうも、ありがとうございます! 出席してくださるとは思っていませんでした!』
『諸外国の要人の方とか護衛の方もいらっしゃるのに、凄いですね!』
『気にしないでくれ、当然の礼節だ……ぐっ!』
〈なんでこいつら感動しているんだよ……〉
「もうさあ……あれ以来、結婚式の度に『アレ』を思い出しちまって……腹がよじれるかと思った」
「やめてやれよ。娘が可愛そうだ」
「まあそんなお前の娘も死んだか……」
もう笑うことはなく、ラックシップはザンサンを慰めた。
「俺はお前とほぼ無関係で、新しい門出を祝っただけの身だが……お前の家族の冥福を祈っているぜ」
「ああ、ありがとう。とてもうれしいよ」
縁というものは、本当に不思議である。
面識があるかどうかも怪しい男と、世界の果てで偶然再会することもある。
そして、慰めてくれる。
悪い縁ではないと、心から思える。
「……賊に嬲られた家族を見て、俺の人生はなんだったんだって思った。でも、違ったな。いろいろと意味があった。俺の人生は、有意義だったよ」
「まるで自分も死ぬみたいな言い回しだな」
「もうすぐさ。お前もだろ?」
「ああ。でもまあ、俺の人生は無意義だ。それでいい」
「それはそれで……そうだな、それでいいのさ」
ペンダントの前で、二人は乾杯をするのであった。
第一巻、好評発売中です!




