悪党に救いはない
ドザー王国で一番の金持ちは誰か。
それを一般人に聞けば、『ズケノス』の名前が上がるだろう。
実際にはジョンマンの方がよほど金持ちなのだが、一般認識ではズケノスということになっている。
もちろん、彼は大金持ちだ。
個人の資産という意味では、王族でさえ彼に負けるだろう。
その彼がいかに財を成したかと言えば……いわゆる高利貸しである。
金を貸して、それの利子を貪る。
甘く貸して、度を越えた取り立てをする。
弱者を食い物にする、合法的な悪党。
彼は己の『城』ともいえる巨大な屋敷を、街や村とは遠い場所に建造している。
そこには溜め込んだ財宝が、わんさかと山盛りになっている……と言われている。
だが防犯対策は万全であり、それこそ城や要塞に勝るとも劣らない。
警備員を通り越した警備兵が多数常駐しており、警備用の猛犬も何十と飼育されている。
木っ端な盗人では、侵入することもできない。
だが十分な武力さえあれば、『宝箱』に堕するだろう。
困っている悪党を助けようという者は、この世界にいないのだから。
※
ラックシップが率いる、新興盗賊団50人。
その一団が、ズケノスの館へ襲撃を仕掛けた。
彼らの前にまず立ち塞がったのは、館の外周を守る巨大な壁。
資産に物を言わせて作った、ダンジョンで採取できる建材による、堅牢極まる壁。
それをラックシップは、なでるように破壊した。
壁を乗り越えるとそこには、武装している警備兵や、凶暴な警備用の猛犬が待ち構えていた。
並のコソ泥ならこともなく倒せる兵力を、ラックシップはやはり吹き飛ばしていた。
もうこうなれば、むき出しの館が残っているだけ。
そこにあるであろう、多大な財宝。
それを求める盗賊たちは、ドアや窓を蹴り破って中に入っていった。
「くっくっく……若いねえ」
恐怖を忘れる万能感と、良い意味での飢餓感。
それに満たされた盗人たちを、まるで子犬でも見るように見送っていた。
彼自身は、のんびりと、ゆったりと、あくまでも歩いて、入り口から入っていった。
※
きゃあきゃあと、逃げ出す侍従たちの声が聞こえる。
げらげらと、追いかけまわす盗人たちの声が聞こえる。
その館の中を、二人の男が走っていた。
当然、どちらも盗人である。
「おい、なんでついてくる? お前も他の奴と同じように、適当に略奪すればいいだろう」
「いやいや、ここまでのお館に入って、適当ってのはもったいないだろう?」
片方は若い男性であり、もう片方はそれよりも少し年上であった。
その二人は、豪華な絨毯の上を、土足で駆け回っている。
彼らは、と言うよりも若い方の男は、明らかに何かを探していた。
「ラックシップ様にこの館を襲おうって提案したの、お前だったんだろ? そりゃあここにはたんまりと財宝があるんだろうが……お前に何か狙いがあるんじゃないか?」
「俺の目的は、最初からズケノス本人だ。奴を討つために、この盗賊団に入ったぐらいだ」
若い男の顔は、憎悪と激怒に染まっていた。
「俺の両親は……奴に搾取されて、そのまま死んだ。俺の妹も……!」
「へえ、そういう理由か」
「だから、俺についてきても意味がないぞ。俺は最初から、宝物目当てなんかじゃないからな」
「まあそういうなよ……この手の金持ちはな、自分の懐にこそ、一番のお宝を隠しているんだ」
少しだけ年上の男も、にまにまと笑っている。
双方ともに、危機感や恐怖はなかった。
無理もないだろう、二人とも最上位のモンスターであるダイヤモンドレオの防具を身に着けている。それだけでなく、強力な武器も持たされていた。
仮に侍従から反撃を受けても、あるいはズケノスに襲い掛かられても、まったく問題にならない。
まさに、パワープレイ。最強の盗賊団に属していた男、その傘下に入った恩恵そのものだった。
「好きにしろ……俺は、奴を殺せればそれでいい!」
「じゃあ俺は、その懐を……?」
がたん、という音がした。
その音がどんなものなのか、二人が考えるより早く、二人は奇妙な浮遊感を味わう。
つまりは、落とし穴であった。
二人が走っていた廊下の床が抜けて、深い穴に落ちていったのである。
二人は落下のさなかで、それを悟った。
「く、くそ! 館の中に、罠だと!?」
「まあ落ち着け! 俺らは最上位の防具を身に着けているんだ、高いところから落ちたって死にゃあしないさ」
空中で手を伸ばし、落とし穴の壁に指をひっかけて、何とか減速しようとする。
そのさなかでも、二人はまだ余裕を持っていた。
無理もないだろう。仮に落とし穴の底に槍や針が敷き詰められていたとしても、二人には問題がないのだから。
だが二人を待っていたものは、『液体』だった。
それも、途方もない刺激臭のする液体であった。
「あ、あぎゃあああああああ!」
「く、クソ、酸……いや、胃液か!?」
その落とし穴の底には、食虫植物型モンスターの消化液が貯めこまれていた。
言ってはなんだが、そこまで強力なものではない。それなりの装備があれば、防ぐことは容易だ。
もちろんダイヤモンドレオの毛皮には、なんの意味もない。
しかしそれは、浴びせかけられた場合の話であって、消化液のプールに落とされた場合はそうではない。
防具は防具であって、ダイビングスーツではない。
ダイヤモンドレオの毛皮、それ以外の部位がみるみる溶けていく。
「ち、ちくしょう……ラックシップ様……た、たすけ……」
抵抗の余地など、どこにもない。二人の盗人は、何もできずに胃液の中へ消えていった。
それを助けるものは、どこにもいない。
なぜなら彼らは、悪党なのだから。助けを乞うこと自体が、間違っている。
※
現在襲撃を受けている館だが、その主であるズケノスは実に余裕を保っていた。
自分の仕事部屋で、優雅に茶を飲んでいる。
その顔には、余裕の笑みが浮かんでいた。
「世界を股にかけた盗賊団の残党……強いんだろうねえ、多分。エインヘリヤルの鎧を着こなすことができるし、大抵の罠は突破できるんだろうねえ」
彼我の実力差を理解したうえで、老齢の、やせた白髪の男は笑っていた。
「だがねえ、それは『よし戦うか』って気分のときだろう? 常日頃着ているわけじゃない、襲撃の際中であってもな……」
館の中に、度を越えて危険な罠がわんさかある。
ありそうな話だが、強盗をしている最中では意外と気付けないものである。
「いやあ、羨ましいよ。エインヘリヤルの鎧を身に着けられるものは、ただそれだけで強い。変な話に思えるが、鎧を着なくてもダイヤモンドレオを捻り殺せるとか……だからこそ、こんなちんけな館を襲撃するときに、一々身に付けたりしない……はははは!」
エインヘリヤルの鎧を装着できるものを、一番簡単に倒す方法。
それは装着していないときに倒すことであろう。
「強いからこそ、油断する……油断するから、簡単に殺せる……無敵の鎧を着れる、最強の勇士……恐れるに足りん。なあ、キラーよ?」
「おっしゃる通りかと」
ズケノスの隣には、都市迷彩の服を着た男がたたずんでいた。
彼こそは、殺し屋。名前のない、雇われた殺し屋である。
いままで幾度となく命を狙われたズケノスの、その身を守り続けた男であった。
金で買った忠誠心、と言えるが……逆に言って、相応の給料によって買い取った忠義であった。
「侵入した賊のほとんどは、罠にかかって死んでおります。館内の騒音は、我が幻術によるもの……もはや生き残りは、一人いるかいないか」
「いたとしても、お前で簡単に殺せる……それだけのことよな」
「はっ……」
皮肉と言うべきか、当然というべきか。
宝のある部屋には、人間の悪意に満ちた罠が仕掛けられている。
そこを狙わずに駆け回っていた二人こそが、最後まで生き残っていた盗人であり……。
彼らが聞いた喧騒は、幻聴に過ぎなかったのだ。
「もし万が一、例の残党が生き残ったとしても……厳重に術で守ったここを、見つけることはできませぬ」
「そうなれば、奴は諦めて帰るだろうな。残念ではあるが、それはそれで仕方ない。命が無事なら、なんとでもなる」
これが、リスクマネジメント。
予算が十分にあるということは、それだけ防衛に予算を割けるということ。
彼は自分の命を、財産を守るために最善を尽くしていた。
「ま、殺してもいいことはないしのう……お主にも、無理はさせられん」
「恐縮です」
そう、二人は知っているのだ。
結局のところ、安全圏の確保こそが、他の何よりも優先されること。
どれだけ強固な鎧でも、どれだけ鍛錬を積んだ体でも、危険地帯にいる時点で『安全』を保障することはできない。
余所行きの服であっても、たるんだ体であっても、安全圏にいれば問題にはならない。
「住居の本質は……安全圏の確保……それも、住む者にとってのな……」
安全であってこそ、笑える。
安全圏にいないのに余裕を持つなど、それこそ油断というものだ。
だが……。
「ここか」
それは結局のところ、強さというものを見誤っているからに過ぎない。
「おうおう、いたいた……ボスモンスター、発見~~……くくく」
余裕を体現するような男が、扉を蹴破り入ってきた。
言うまでもなく、ラックシップその人である。
「お前がこの館の主だな? ははあ……こんな顔か、いやあ、どこでも金持ちは、同じ顔だな」
獲物の前で笑うなど、まさに油断以外の何物でもない。
だが圧倒的強者は、彼我の実力差を理解していた。
「な、ば、バカな! なぜこの部屋が分かった! 外観からも、内部からも、ここは見えないようになっていたはずだ!」
「ん~~……」
驚きのあまり呼吸困難になる主をかばいながら、名もない殺し屋は相手に問いただす。
それに対して、にやにや笑いながら、ラックシップは応えた。
「俺は、セサミ盗賊団の幹部だ。この手の館を攻略する技術ぐらい、もっていて当然じゃないか?」
「~~~~!」
当然すぎる理屈だった。
ここに来て、ズケノスも殺し屋も慢心を悟った。
館が襲われているのなら、まず館から逃げるべきだった、と。
脱出しようともしなかった時点で、彼らもまた油断していたのだと。
「ラー、ホホ、ホラー、ババウス!」
名もなき殺し屋は、最後の抵抗を試みる。
魑魅魍魎の幻覚を生み出し、それに紛れながら毒のナイフで切りかかる。
(この毒ならば、肌に触れるだけでも致命的となる……耐性があっても、すこしは動きを鈍らせられる!)
無駄な抵抗だとわかってはいたが、それでも彼は希望を持って突撃した。
だが……。
「グリムグリム・イーソープ・ルルルセン!」
その幻覚は、まさに打ち破られた。
幻術に紛れた殺し屋を見つけたのではない、幻覚そのものが消し飛んだのである。
スキルを発動させたラックシップは、燃えるように光る眼で殺し屋を見つめていた。
「な……!」
「俺でもな……さすがに幻術の類は使えない。多分だが、あのジョンマンもそうだろう。お前は、俺たちの下位互換というわけじゃない」
エインヘリヤルの鎧を着れるだけのハウランドは、ラックシップやジョンマンの下位互換であろう。
それに対して、目の前の殺し屋は、ラックシップやジョンマンでも使えない技術を習得している敵だろう。
「が……対策はとれる。当たり前だよなあ?」
五つの必須スキルを習得している者に、搦め手は通じない。
なぜなら五つの必須スキルの中には、搦め手を打ち破るものもあるからだ。
ぐちゃりと、殺し屋は殺された。
それこそ、彼も悪人なのだから仕方ない。
失意の日々さえ、送ることが許されない。
「さて……」
「ひ、ひい!」
残ったのは、ズケノスとラックシップである。
その戦力差は、もはや比較する意味がない。
「どうするね、お金持ち?」
「ああああああ!」
ここで武人ならば、肉体を恃みにするであろう。
だが大金持ちである彼は、金にすがるしかなかった。
「こ、ここに! ここに! わ、私の、普段から持っている金貨の袋がある!」
「お、それで?」
「これ……こ、ここ、これ……」
ズケノスの言葉は、まさに異様なものだった。
「これは、見逃してくれ!」
「はあ?」
巨大な袋を抱えた老人は、命乞いの値切りを始めたのである。
「これ以外の全部をくれてやる! だから、コレは、見逃してくれ! 私を、殺さないでくれ!」
これが商取引なら、そこまでおかしくはない。
彼自身の命を、この屋敷にあるであろう多くの財宝で買う、というのなら適正かもしれない。
だがこれは略奪なのだ。全部奪われて殺されてもいいのに、なぜか値切りまでしている。
だが、その値切りが、彼を窮地から救っていた。
「はははは! いいね、面白い。老い先短いご老人を殺すのは、俺も気が引けたんだ。その財布を持って、どこへでも逃げるといい」
「い、いいのか?」
「ああ、気が変わらないうちに、早く逃げな」
「~~~!」
ズケノスは、這う這うの体で逃げ出した。
彼の残りの時間、働かずに過ごせる程度の金が詰まった袋を抱えて、彼は走っていった。
その彼の末路を思って、ラックシップは笑った。
「言いそびれたが……逃げる時の作法ってもんを、あの爺さんは知らないようだったな」
せめて、最後の財布は置いていくべきだった。
老人は、最後の最後で、判断を誤ったのである。
※
「はあ……ぜえ……た、たすかった……助かった……!」
さて、ズケノスである。
老齢の彼は、息を切らしながら、財布を抱えて逃げていた。
陥落した自分の屋敷を背にして、高級な服を泥だらけにして、逃げ惑っていた。
「大丈夫だ、他の街にも資産はある……まだまだ、私はやり直せる」
彼は、一種の高揚に包まれていた。
強大な存在から生存を許されたからだろう、人生が上向いているとさえ感じていた。
だからこそ、道を行く一般人を見つけた時、ついつい……。
「お、おお! ちょうどいい! 悪いが、近くの街まで連れて行ってくれ!」
「お、おい、どうしたんだ? ずいぶん慌てているが?」
「私は、ズケノス! 館が盗賊に襲われてしまってな……なんとか逃げてきたところなのだ!」
自分はズケノスであると正直に名乗り、その証明ともなるであろう大金を見せた。
「私を安全なところまで連れて行ってくれたら、この金貨を一枚……いや、二枚やろう! どうだ、悪い話じゃないだろう?」
彼は、判断を誤った。
彼はまず、高級な服を脱ぐべきだった。
可能な限りみすぼらしい格好をして、金を持っていると臭わせず、同情をさそう振る舞いをするべきだった。
「……ズケノス、だと?」
「あ、ああ、そうだが……なんだ、その顔は……」
彼は、自分が悪党である、ということを忘れていた。
悪党に、救いの手が差し伸べられることはない。
「おい、まて……まて~~!」
ズケノスの末路は、まさに因果応報……。
道を行く一般人からさえ恨まれていたが故の、どうしようもない死であった。