彼の物語
世の中には、『都合が悪くなっても、男なら泣くな』という言葉を非難する風潮がある。
実際、間違っていない。
男を特別扱いせず、女が相手でも『都合が悪くなっても泣くな』と教育するのが正しい。
なぜなら、すべての大人が泣かないことを求められているからだ。
嫌なことがあったらすぐに泣く大人は、男だろうが女だろうが最悪である。
であれば、すべての子供に対して『都合が悪くなっても泣くな』と教えるべきだ。
自分以外の成人へ求めるものと、子供に求めるものを区別するのはおかしなことだ。
大人になったら誰もが自然と大人の振舞ができるようになる、というのはバカの考えである。
躾、教育、指導。
いずれも必ずしも成果につながるものではないが、やらないよりはやった方がいいし、やらないものが『なんでこんなこともできないんだ』と怒鳴るのは筋が通らない。
同様に、泣いている子供へ『貴方は弱くてもいいの』ということが必ずしも正しいとは言えない。
弱い大人になれば周囲に負担がかかる。それを良しとするのは、単なる甘えであろう。
また当人としても……。
※
ザンサンの孫、ザンク。
魔獣に連れられて人里離れたところにたどり着いた彼は、魔獣を見上げていた。
「うう……お、俺は、男だから、強くならないと……」
『それさあ、辞めなさいよ。なんの意味もないからさ』
とても軽い調子で、魔獣はザンクをたしなめた。
『アンタ、なんで強くなりたいの? 男だから強くなりたい、ってわけじゃないでしょうが』
彼女自身、生まれた時から女である。男だったことは一度もない。
だがそれなりに経験はある。すべての男が等しく強さを求めているわけではない、と知っている。
いや……もしかしたら、誰もが強さを求めているかもしれない。
しかし、辛さや苦しさに耐えるほど、強く求めているわけではない。
大体の人間は、そこまでして強くなりたいわけではないと、強さへの想いを捨ててしまうのだ。
『半端な気持ちで『強さ』を求めてもいいことないわよ』
アリババ40人隊基準の『強さ』となれば、そこにいたるまでの苦労は想像を絶する。
あるいはその手前であったとしても、『弱くていい』と育てられてきた少年にとっては重荷だ。
「……生まれた時から強いお前に、そんな気持ちが分かるのかよ」
『あ、ああ。アタシね、呪われてこの姿になったの。昔はアンタと同じ年頃のガキだったわ』
「! か、家族は、それを知ってるのか?」
『家族はアタシを忘れたわ、生まれたことも忘れてる。これも呪いね』
「へいき、なのか?」
『諦めて受け入れたわ。冒険って、そういうものでしょ?』
「強いな……俺は、耐えられないと思う」
『ただバカってだけな気もするわよ』
少年は魔獣を見上げて、しばらく言葉を貯めこんだ。
「俺は……僕は、前から強くなりたかったんだ」
特に理由もなく、強さに憧れる少年は存在する。
そのうちの一人であるザンクは、胸の内をぶちまけた。
「父さんや母さんが死んだときに、強くなりたいって思ったわけじゃないんだ。でも……あの時しか、言えないと思ったんだ。最後だから、言わないとって、思ったんだ。言わないのに、強くなろうなんて、できないと思ったんだ」
『なんで?』
「母さんは、強い男が嫌いだったんだ。だから、それまでは、怒らせたくなかった」
不幸なことに。
強い男を嫌悪する女性は存在する。
ちゃんとした理由があるのなら、それを否定することは難しい。
「お母さんに言わないといけないって、思ったんだ」
『なんで?』
「母さんが死んだ後に強くなり始めるのは、卑怯だって思ったんだ」
だれにでも、欠点はある。
立派な大人になろうとして、良き妻として、良き母になろうとして、実際にそうなれたヤーヤにすら欠点はあった。
「俺の……僕の母さんは、僕が弱くて泣いていたら……嬉しそうに笑うんだ! 父さんも、それを止めなかった……」
彼女の生い立ちを想えば、仕方ないことなのかもしれない。
だが彼女は、男らしくない息子を見て、心底から喜んでいた。
「本当は、イヤだった! ……でも」
弱くて泣く息子を喜ぶ彼女は、間違いなく歪んでいた。
だがその過ちは、死の間際で父により正された。
「父さんも母さんも、最後に笑ってくれた……」
ザンクはヤーヤの人生のわき役でも小道具でもない。
母親と父親に送り出された、一人前の主人公である。
「言ってよかった……」
「それは偉い」
呪いを調節して人の姿になった魔獣は、幼さのない姿で少年を抱きしめていた。
「褒めてあげるわよ、アンタ頑張ったわねえ」
「な、え、あ?」
「なに、照れてるの? キモっ! ガキのくせに~~!」
「だ、あ、え?」
「いいからいいから! ありがたく役得を味わいなさいって! 本当は金をもらってもやらないんだからね」
死に行く両親へ、教えと違う道を行くと宣言する。
苦しみながら逝く親を更に苦しめかねない言葉を口にすることが、いったいどれだけの勇気を必要としたことか。
それを自分の意思で成し遂げ、両親から祝福されたのならば、これから先の人生も大丈夫だろう。
「これから死ぬ親にそんだけでっかいことが言えるんなら、どんな苦労も乗り越えられるでしょ」
「それは……」
「それともなに? そこまでしておいて、思ったのと違うからやめる、とか言うの?」
「言わない!」
言わない、言えるわけがない。
泣き言も弱音も、言えるわけがない。
自分の『強くなりたい』にたいした理由がないとしても。
強い理由がある『強い男が嫌い』を押しのけて表明した夢なのだ。
もうそれだけで、大志である。
「だから、泣かないんだ……!」
「ま、あれよ」
魔獣に抱きしめられながらも、抱きしめ返そうとはしない少年。
その強がりを、魔獣は除いてやった。
「偉そうなことを言ったけど、誰も憶えてないってのは……キタわ」
彼女がジョンマンの元へなかなか来なかったのは、故郷に一度向かったからではある。
だがそれを差し引いても、とても遅かった。
みっともない姿を見せたくない彼女は、折り合いをつけるために時間を要したのだ。
「寝るときに寝るのも冒険、泣くときに泣くのも冒険よ。親が死んで、悲しいなら……何歳でも、男でも女でも、泣いていいのよ」
「あ、うああああ……!」
少年は魔獣を抱きしめて、年齢相応に泣いた。
だがそれは、泣き虫だからではなく……。
泣いていい時に泣いているだけのことだった。
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