誰もが人生の主役
ザンサンとアークニの娘であるヤーヤは、生まれた時すでに父がいなかった。
アークニはザンサンにべたぼれしており、その愛の結晶であるヤーヤを大事に育てていた。
それが容易ならざる道であったことは、言うまでもない。
娘へ不自由の暮らしをさせないために、アークニは心身を削っていた。
故郷でのザンサンがいわゆる『乱暴者』であったため、その女や娘へ手を差し伸べる者はおらず、とても辛い日々だった。
ヤーヤは母であるアークニを心配していた。
『この町は税金が高いらしい、もっと安いところに引っ越しましょう』
『税が安いところは危険なの。それにいつかザンサンが帰ってくるのだから、迎えてあげないと』
ヤーヤは賢くまともだった。
ザンサンが帰ってくるなんて思っていないし、帰ってくるとしてもアークニの期待するような展開になるとは思っていなかった。
アークニを哀れな女であると思いつつ、しかし恩義は感じていた。
彼女を幸せにすること、自分も幸せになること。
ヤーヤはそのために生きていた。
やがて、彼女はザンサンとは対極的な男を見つけた。
気弱で、ケンカなどできず、しかし勤勉で優しい男だった。
父とは違う男だからこそ、彼女は彼に夢中になった。
どうやらヤーヤには男を見る目は備わっていたようで、『彼』は彼女の事情を理解し、一緒にアークニを支える生活をしてくれるとまで言った。
さあ、結婚だ。
夫婦共働きで、子供も作って、苦労させた母の面倒も見る。
大人になるまでのあいだに一生懸命頑張っていた彼女には、それだけの能力があった。
そんな時である。
彼女の故郷に、アリババ40人隊が訪れた。
既に名声をとどろかせていたアリババ40人隊が来るということで、町は盛り上がっていた。
ヤーヤや夫は特に反応していなかったが、アークニは大喜びしていた。
『もしかしたら、ザンサンが戻ってきたのかも』
そんなわけがない、とヤーヤは思っていた。
世界最高の冒険者集団に『父なんぞ』が在籍しているわけがない。
仮に在籍していたとしても、今更母の相手をするだろうか。
彼女の考えた父、つまり『ダメな男』ならばそうなるだろう。
だがそうならなかったのである。
『ザンサン……ザンサン! 私よ、アークニよ!』
『お、アークニじゃねえか! お互い年取ったなあ!』
『私、私……貴方の子を産んでたの!』
『マジか……え、マジ?』
『ザンサン……こう言っちゃなんだが、お前責任取れよ』
『そうよ~~! 女手一つで子育てって、とっても大変なんだから! その責任を取りなさい!』
『苦労させた分、幸せにしてやれよ~~!』
『まだまだ冒険したかったが……まあ、アークニを無下にはできねえなあ』
ヤーヤのあらゆる想定をぶっちぎって、父は母の元に戻った。
アリババ40人隊に所属していたこともあって、彼には膨大な資産と度を超えた名声があった。
そんな彼が、かつての女の元に戻り愛を注いだ。
アリババ40人隊が退職金代わりにとんでもなく豪華な結婚式を催し、当人たちが全力で出席し、全力で二人を祝福した。
アリババ40人隊が去った後も、とんでもない豪邸が建って、お手伝いさんやらなんやらも用意されて、アークニはシンデレラとなっていた。
二人の結婚は美談となり、国中で羨ましがられるほどだった。
『何よコレ』
ヤーヤの心中は、察するに余りある。
自分が生まれたあとの一番つらい時期を支えることもなく、子育てなどがひと段落した後でやってきた。
普通なら悪い男だと非難されるべきであるにもかかわらず、パワープレイで押し流された。
自分が支えるはずだったアークニは、自分が一生をかけても稼ぎきれない財力で支えられてしまった。
母の人生は報われた、それはいい。
いや、まったくよくない。
彼女は、報われたが、自分はなんだったのか?
母が父を愛していた、その証明書にすぎなかったのか?
『私は、母さんの人生の、脇役じゃない……! あんな奴、お父さんだなんて思えるわけがない!』
彼女は、父を嫌悪した。
周囲の全員が『そうだろうね』と受け入れていた。
母が救われたのはいいが、自分が父に救われるなど御免だ。
父と母とは関係のないところで、父と母よりも幸せな家庭を築いてみせる。
夫はそれに同意してくれた。
目もくらむような財宝をつかみ取りできるにもかかわらず、それをしなくていいと言ってくれた。
彼女は『夫』と結婚し、故郷を離れた。
裕福な暮らしをしている父や母から支援を受けることはなく、しかし貧乏とは言えない、豊かな暮らしを築いていた。
そして、子供が生まれた。
ザンクという父に似た名前にしたのは、周囲がそれを望んだからであり、同時に『お前は父とは似ているが違う』という一種の意趣返しでもあった。
幸いにも。
ザンクは、夫に似て、弱い子供だった。
力が弱く、気が弱く、いつも泣いていた。
父のように、力が強く、気が強く、いつも泣かせていたら、彼女はどうしていたのかわからない。
『お母さん。みんなが僕をバカにするんだ。お前は男らしくないって、泣き虫だっていうんだ』
『ザンク、貴方はそのままでいいのよ』
彼女の愛情は本物だった。
息子と夫に等しく愛を注ぎ、幸せな家庭を築いていた。
アークニが来た日に、町が賊に襲われるまでは。
賊に襲われた町がどうなったのか。
およそ、万人が想像する『悪事』がそのまんま行われた。
なんの意外性もない、普通の悪事だった。
罪が、犯された。
一部の人々は教会に逃げ込み、立てこもった。
なんとか身を守れていたが、それは相手に信仰心があったからではなく、物理的に堅牢であったから。
運がよかったのは彼らぐらいで、気が強い者、口が強い者はただ力が強い賊によって倒された。
稼ぎがある者、貯めこんでいた者も、等しく奪われた。
そんな中でアークニは、ボロボロになりながら、勝ち誇っていた。
『あの人が来る、必ず助けに来る。あの人が来たら、お前たちは地獄行きだ』
『ははははは! そりゃ怖いな!』
アークニの言葉を、賊たちはまったく真に受けなかった。
だからこそ逆に、強く否定しなかった。
ヤーヤだけは、心中で否定していた。
『アイツに救われるぐらいなら、地獄に落ちた方がマシだ』
そして、助けが来たのは最悪のタイミングだった。
ヤーヤが死んだ後なら、ヤーヤはザンサンの助けが来たことも知らずに死ねただろう。
ヤーヤが助かるタイミングなら、あとあとで和解できたかもしれない。
ヤーヤやアークニ、夫が手遅れになったタイミングで、ザンサンは町に来た。
『全員、死ねると思うなよ』
賊たちは百人以上いたが、今度はいじめられる側になっていた。
人数はおろか、人質すら意味を成さないほどの実力差。
ザンサンは瞬く間に賊を抑え込み、立てこもっていた人々を開放し、近くの街へ医者を呼びに行かせた。
家族へ応急処置を済ませたあと、彼は賊を痛めつけに行った。
『冒険者をやってるとな、手の施しようがないが、なかなか死ねないってケガを負う奴も見ることになるんだ。それが役に立つ日が来るなんて、思いもしなかったよ』
賊たちは救命処置、蘇生さえされながら、痛めつけられた。
街の中には賊の悲鳴が響き続けたが、それを咎める者はいなかった。
そうして、一日が経過し……。
人々へ治療が行き渡ったあと。
ヤーヤ、ヤーヤの夫、アークニに最後の時間が訪れた。
難を逃れていたザンクは、祖父にしがみ付きながら、自分の両親たちへ最後の会話をしようとしていた。
『母さん、父さん。僕……強くなるよ』
泣きながら決意表明する息子の言葉を、ヤーヤはまったく望んでいなかった。
『僕、男だから。お爺ちゃんみたいに強くなるから』
ふざけた話である。
何もかもすべて、父が、ザンサンがなんとかした。
愛した息子まで父に倣うというのなら、自分は何から何まで間違っていたということになる。
これでは自分は、最後まで、母の人生のわき役だ。
そんなこと、絶対に許さない。
私は母の人生のわき役、小道具ではない。
私の人生の主人公は、あくまでも自分だ。
『そうか、好きにしなさい。どんな道を選んでも、僕は君の味方だよ』
しかし、自分の『理解者』であるはずの夫は……。
ランドは、死に行く中で、自分の求めない言葉を初めて口にしていた。
『いや、まて、ランド君! 応援していいのか!? 俺が言うのもなんだが、強くなる人生なんてロクなもんじゃないぞ!?』
『いいんです、お義父さん。すべては、僕が弱かったからこその結果です。僕が強ければ、こうはならなかった』
『何を言ってるんだ!? 君が弱いからこうなったなんて、そんなのおかしいぞ!?』
父に賛同したくなかったが、ランドよりは正しかった。
街の衛兵というわけでもないランドが、自分の弱さのせいだ、というのはおかしい。
『なんかこう、自慢に聞こえるかもしれないが! まともに家族を養いながらの強さなんて大したもんじゃないんだぞ!? その程度の強さでなんとかなるなら、この町の戦力で何とかなってる!』
『そんなハイレベルな話じゃありませんよ……僕に強さがあれば、そもそも、この町にいなかった』
悲しいことに、ランドはヤーヤの理解者だった。
ヤーヤ本人よりも、ヤーヤを理解していた。
『僕はヤーヤさんを愛していました。だからこの町に引っ越すことにも従いました。ですが、子供が生まれた時に思ったんです。ザンクのためを思うなら、もっと安全な町に引っ越すべきじゃないかって。お義父さんと一緒に暮らすべきだって。それが一番だって』
『それは……まあ、そうだろうが……それは、無理だろう?』
『僕もそう思いました。でも僕が強ければ、ヤーヤさんを説得できていました。子供のために、恨みを捨てようって……』
とても薄情な話だが、この町に引っ越さなければ、こんな事態にならなかった。
ザンサンと距離をとるとしても、町を変えるべきではなかった。
『ヤーヤさんを説得しようともしなかった僕が、ヤーヤさんといっしょに死ぬのは当たり前のことです。よろこんで、彼女と一緒に死にましょう。でも……ザンクには、ザンクの人生があるんです』
ヤーヤが選んだ、愛した男は、まさに理想の男性であった。
『ザンク。君の人生は、君が主人公なんだ。君の後悔のないように生きなさい』
ヤーヤは、言葉に詰まった。
息子の人生においてすら自分が主人公であらんとして、息子を脇役にしようとしていた自分を恥じた。
『ザンク……お母さんは、貴方を愛しているわ』
そして、最後の会話を、厳かにまとめた。
『貴方がどんな生き方をしても、貴方を愛し続けるわ』
それは誰に恥じることのない、主人公の言葉だった。
幸せな家庭を築いた女の、誇り高い最期だった。




