船に乗る、という冒険
いよいよ出航の時が来た。
外洋用の帆船は、帆をいっぱいに広げて風を受け止める。
ドザー王国の港から、大海原へ進み始めた。
ゆらゆらと揺れる帆船の上では、英気を養った船員たちが慌ただしく動いている。
戦場の兵士もかくや、という気迫と緊張感を保っている。
一方で乗客であるジョンマン一行は、甲板の船べりで遠くに消えていく港を眺めていた。
「ああ……船が出てしまった……」
「叔父上、もう諦めましょうよ……」
いまだにうじうじしているジョンマンを、姪のオーシオが慰めている。
これから内戦寸前の国へ向かうことよりも、遠出することに不満を抱くジョンマンは、今からでも海へ飛び降りて泳ぎ出しそうですらあった。
「ふぅ……船出! 船出したねえ、オリョオちゃん!」
「どうしたのですか、コエモさん。武者震いですか?」
「将来私が書く、本の始まりだよ!」
一方でコエモは、希望の船出に胸を躍らせていた。
「私の冒険の本番はまだまだ先だけど……今回の冒険は、その前日譚的なエピソードになることが決定しているんだ!」
コエモはいずれ大冒険をし、旅先での体験を本として出版することを目標としている。
そんな彼女にとって、今回の旅は想定外の事態だ。だがそれはそれとして、一人前の冒険者として大成する前のエピソード的な立ち位置の体験になると考えている。
「世界に名をはせる女冒険者コエモ……修業時代のエピソードがコレ! 同門の少女の故郷を救うために、仲間と共に大海原へ漕ぎ出す! あああああああ! 凄い! すごくいい!」
「やはり武者震いでしたか! 海外に武名をとどろかせる……武人の誉ですね!」
ややズレた認識をしているが、そこまで間違っていないリョオマ。
実際内戦に介入するのなら、それは冒険者というより武人の方が近いのだろう。
「……その、リーンさん。お二人は、その、楽しんでいるようですが、その。気を悪くしていませんか?」
一方でマーガリッティは、リーンのことを心配していた。
彼女たちも命がけで臨んでいるのだろうが、それでも楽しげなのは不謹慎である。
もしかしたらもうすでに内戦が始まっているかもしれないのに、自分本位でいいのだろうか。
「ぜんぜん! どうせ旅をするのなら、楽しい方がいいじゃない!」
「で、ですが……」
「大丈夫! 内戦は起こらないわ! 私たちは内戦を止めるために行くんだもの!」
「もう起きている可能性も……」
「起きてないって、私は信じてるの!」
なんの根拠もなく、リーンは太陽のように笑っていた。
「内戦を止めて、ルタオからみんなで帰りの船に乗る時、楽しかったねって笑いあえる……それって素敵じゃない?」
「……ええ、そうですね」
唯一の当事者である彼女がそれを望むのであれば、自分もそれを信じよう。
今から張り詰めていても、何もいいことはない。
ごまかしともいえる合理性を盾に、マーガリッティも笑うのであった。
「……叔父上、皆の気が緩んでいますね」
理由は違えども笑いあう仲間たちを見て、オーシオは緊張していた。
そもそも船の旅、海外への旅がまず危険なのだ。
むしろ、リーンの故郷であるルタオの方が安全、まである。
「船員が不埒な真似をするかもしれませんし、他の乗客も同様です。私と叔父上で、緊張を保っていきましょう!」
「ああ、うん、そうだね」
「……どうしたのですか、叔父上」
「多分、君が思っているようなことにはならないよ。少なくとも、船の上ではね」
※
舟板一枚下は地獄、とはよくいったもの。
大海原に漕ぎ出した帆船は、港では城のように頼もしく、いかなる嵐をも跳ねのけるかのようだった。
だが実際には、大海原において木の葉のようなもの。
難破や転覆こそしないものの、不規則に、上下左右に揺れていた。
船員たちは、それこそ戦場さながらに大奮戦。
大自然を相手に、大航海、大冒険を演じていた。
それこそ本に書けるような内容であったが、肝心の執筆者であるコエモはダウンしていた。
「お、おげええええ……もう、胃液しか出ない……」
「こういう時は真水を飲むのがいいんだけど、都合よく雨でも降らないと難しくてねえ。ちょっと我慢していなさい」
「ううう……これも、冒険……でも、本に書いたら数行にしかならなそう……」
揺れ続ける船の中の、倉庫のような『客室』。
その中で多くの乗客たちが、悲鳴を上げる気力もないままに寝そべり、体調不良に耐えていた。
平気なのは船員たちと、ジョンマン。そしてマーガリッティとリーンであった。
「あの……ジョンマンさん、なぜ私は平気なのでしょうか? ドザー王国へ来るときの船でもずいぶん揺れましたが、その時は倒れていたのですけど」
「マン・マミーヤ! 私もそうだったわ! なんで平気なのかしら?」
「そりゃあ君たちは、半端とはいえ『竜宮の秘法』を会得しているからねえ。内臓や神経を鍛えているんだから、この程度の『環境』には余裕で耐えられるよ」
過酷な船旅もまた『環境』に他ならない。
竜宮の秘法は派手な効果こそないものの、自己の健康に関わる広い範囲へ影響を与える。
否。そもそも健康の先にこそ、健康系のスキルがある、と言えるだろう。
もちろんジョンマンにとって、何の問題も起きない。
「夜も普通に眠れるし、体がだるくもならないだろう? あの『規則正しい生活』の成果さ」
「こんな効果もあったとは……驚きです」
「マンマ・ミーヤ! 修行の成果……素敵!」
「私もそっちから習っておけばよかった……」
「せめて、エインヘリヤルの鎧の次には習得するべきでした……」
「不覚……不覚……」
スキル習得の差、スキルツリーを伸ばし方の違いを、全身で思い知る姉弟子三人。
冒険では普段以上に健康が重要なのだと、有意義な教訓を得ていた。
「船員たちはみんな忙しいし、乗客たちも程度の差こそあれどしんどそうだろ。これなら安全だな」
「そうですね……はやく穏やかな海になってほしいです」
「バカ言え。凪の海はどんな嵐よりも怖いんだぞ? 無風に比べれば今なんて天国みたいなもんさ、早く進むしな」
「そうですか……」
大自然の中では人間がいかに卑小なのかを思い知りつつ……。
やはり旅の経験者であるジョンマンを頼もしく思うのであった。
※
およそ十日後、船は次の港に到着した。
ドザー王国の者たちからすれば初めて新しい島に着いたわけなのだが、三人ともそのことに心を置く余裕がなかった。
船から降りれば、この地獄から解放される。
その一心で耐えてきた彼女たちに、さらなる地獄が襲い掛かってきた。
「じ、地面に立っているのに……揺れます……なんで」
「どういうことですか、ここは港のはず……」
「不覚……不覚……前後、不覚……」
「海が荒れていたからな、平衡感覚がバカになっているんだろ。まだしばらくはこの調子だな」
「大丈夫ですか? 肩をお貸ししますか?」
「私を頼ってくれていいのよ、三人とも!」
船から降りても、いきなり復調とは行かなかった。
それこそ数日は休養が必要であろう。
しかし、さらなる地獄が襲い掛かる。
「乗る予定の船がもうすぐ出航するってよ。次の便は半月後だから、乗るしかないぞ~」
宿で一泊する余裕もなく、一行は次の船に乗る。
これを運がいい、すぐに乗れるんだ、と思える余裕はジョンマンにしかなかった。
(船に乗るんじゃなかった……)
今更ながら、ドザー王国の三人は船に乗ったことを後悔したのだった。
まったく、冒険は簡単ではない。




