血反吐の量
かくて……甚大な被害を出しつつも、ラックシップが率いる盗賊団を撤退させることはできた。
ミドルハマーの町は救われた、と言えなくはない。
しかしながら、これで何事もなく元の生活を送れるかと言うと、その限りではなく……。
※
ジョンマンは、撃退後特に何もせずに薬草採取をして、そのあとギルドに納品して、日当を受け取って帰った。
幸い、というか一周回ってというべきか。彼の自宅は町の城壁の外だったため、今回の襲撃の被害を受けなかったのである。
彼は運動をした後なのですっきり眠り、翌朝少しだけ遅くに起きて、昨日買っておいたパンを食べて……冒険者ギルドへ出勤したのである。
昨日Fランクとして登録されたばかりの彼は、当然ながら今日も薬草採取をするつもりだった。
なのだが、彼は何故か、冒険者ギルドの応接室に通された。
とはいえ、田舎町の『応接室』である。お世辞にも豪華とは言えない、ちょっと豪華で、ちょっと古い家具の置かれた部屋。
一応歓迎ムードであるにも関わらず、ジョンマンは不満そうである。
その彼の正面にいるのは、昨日の受付嬢と、その上司らしき女性であった。
彼女の年齢は、ジョンマンよりも少し下、というところだろうか。
「私はフデェノ……このギルドの責任者でございます」
「……へえ、お若いですね」
見た目が若々しい、という言葉ではない。
若いのに出世なさっているんですね、という意味での誉め言葉だった。
実際、強めの年功序列と、やや弱い男尊女卑が主流のこの世界のこの時代では、『この年齢の女性』が責任者というのは珍しかった。
「昨日は……その……ええ……夫と娘を助けてくださり、ありがとうございました。その上、街まで助けてくださって……ありがとうございます」
「夫、娘……ああ、ヂュースの奥さんで」
「はい……」
ギルドの責任者が、ヂュースの妻。
つまりヂュースは、ギルドの責任者の夫ということになるわけで……。
如何にローカルとはいえ、彼がSSSSランクなる頭の悪いランクを名乗れたのも、それが原因ではないかと思ってしまう。
もちろん、それなりの実力があることも事実だろうが。
「それから、トーラ……謝りなさい」
「はい、昨日は大変失礼をしました! アリババ40人隊に所属していた方に、大変失礼な態度をとって……ほんとうに、ほんとうに失礼しました!」
(……この町、本当に狭いな)
昨日コエモからいろいろ言われていたので、自分の応対をしたのがヂュースの娘だとは知っていた。
そのため、トーラという受付嬢が、フデェノの娘であることも当然なのだが……。
改めてその家族構成を聞かされると、世間の狭さを思い知る。
(本人から紹介されたわけでもないのに、ヂュースの家族と知り合いになっているな……)
「そのうえで……ご相談があります」
剣呑な雰囲気のフデェノと、怯えているトーラ。
母娘の正面に座るジョンマンは、白けた顔になっていた。
「特例ではありますが、昨日の貴方の働きぶりと、その功績をたたえて……上位冒険者としての認定を……」
「お断りさせていただきます」
「……理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「そちらの聡明なお嬢さんが見抜いたように、私にやる気はないので」
嫌味半分、本音半分で、ジョンマンは上位冒険者となることを辞退していた。
「そ、そんな……冒険者になったからには、ランクを上げたいものじゃないんですか!? お父さんなんか、それに執心していたのに!」
「うんまあ、そうだろうなあ……ですが、まあ、その……俺はもう、そういうのいいかなあって」
上位冒険者ともなれば、拠点を守る兵としての任務も背負うことになる。
そういう意味において、昨日倒れた者たちは任務を全うしたともいえる。
だがしかし、もう立ち上がることはできない。
「Sを……いくつつけても構いません!」
「それが交渉材料になるのは、ヂュースだけだぞ」
「そんな……!」
交渉材料が、書面に記載されるSの数。
ある意味勲章のようなものかもしれないが、この状況で大安売りされるものに価値があるか怪しい。
「俺はな……もうそういうのはいいんだよ。名誉も賞賛も、金銭も財産も……未知も冒険も探求も感動も……飽きてる」
フデェノもトーラも、『凄腕冒険者』の基準はヂュースである。
少し見栄っ張りなところもあるが、しっかりと実力があり、自分達家族にとって自慢の『父』だった。
彼は仕事熱心であり、だからこそ町一番に上り詰め、この町にあるダンジョン最初の攻略者になったのだ。
少し嫌な言い方になるが、彼は足るを知らぬ者であった。
そして、ジョンマンは足るを知る者であった。
この場合は、褒めていない。
「一応言っておくが……俺は金には困ってないし、最悪この町を追放されても困らない。どこの国にも知り合いはいるしな……」
嫌そうに、ジョンマンは席を立った。
Fランク冒険者でしかない彼を、しかし誰も止めることはできなかった。
※
さて、ジョンマンは今日も薬草採取である。
周囲にいる他のFランク冒険者から畏怖の視線を向けられてもなんのその、鎌を振るって薬草を採取していた。
そんな彼に、声をかける命知らずが一人だけいた。
興奮冷めやらぬ若き女冒険者、コエモである。
「昨日の戦い、凄かったです! アレが最高峰の冒険者なんですね!」
「いやまあ、うん、そうだけども……」
「感動しました! いや~~もう、なんで言ってくれないんですかね~~! 父ぐらい派手なのもどうかと思いますけど、謙虚過ぎるのもどうかと思いますよ、私!」
穢れなき、少年のような瞳。
コエモはそれを輝かせて、ジョンマンに迫っていた。
やはり、大抵の冒険者はこれを喜ぶだろう。
得意満面で、彼女へ自分の冒険譚を語るだろう。
だがジョンマンは、それをさんざんやり尽くした男である。
もういいから、放っておいてくれ、という心境であった。
「も~~! おかげで私がバカみたいじゃないですか~~! ご本人の前で、実在性を疑っちゃったじゃないですか~~!」
「いやでもさ……俺が言っても、君信じなかったでしょ」
「それはそうですけども! でも、こう、鎧を着てくれたら信じましたよ!」
「軽く言うなあ……アレ、結構な代物なんだよ? 単純に強いってだけじゃなくて……リスクもあるんだからさ」
ねえねえ、鉄の剣振らせて~~と言ってくる、子供のようなおねだり。
しかしながら、ジョンマンは理性的に断った。
「もう……父なんて、私達にいっつも冒険の話を……初めての踏破者になった話を、いっつもしてくるのに……」
「いや……それは普通に凄いことだし、自慢してもいいと思うぞ。俺がいうと嫌味に聞こえるかもしれないが、本当に凄いと思っている」
「どういっても、嫌味にしか聞こえないですよ。私や姉だって、アリババ40人隊の隊員さんに舐めた態度とったって、後悔しているのに……父はきっと、羞恥でもだえていると思います」
(それ以前に、苦痛でもだえていると思うが……)
ここで、コエモはあることに気付いた。
「そういえば、ご家族に『アリババ40人隊』のことは話していないんですか?」
「話していない、っていうか、この町にいると思っていたからなあ……まず連絡すらしていないんだ」
「私の父なんて、しょっちゅう家族に話しているのに……もう一周回って薄情ですよ?」
ジョンマンの家族は、既にこの町を去っている。
それを追わないというのは彼の判断として尊重するべきだが、手紙ぐらい送るべきではあるまいか。
「信じてもらえないだろうし、信じてもらうために努力するのも面倒だし……近付いて『近衛騎士団長の俺に近付き利益を……!』とか思われるのも嫌だしな」
「あ、でもそれなんですけど、たぶん連絡しなくても信じると思いますよ」
「え、なんで?」
「母が王都へ報告をしているので……相手がセサミ盗賊団の残党であることも、撃退したのが貴方であることも、二人がエインヘリヤルの鎧を召喚して着込んだことも、どれも知られていると思います」
「……そうかあ」
再会の予感に対して、ジョンマンは複雑そうな顔をしていた。
しかしその彼の顔を見て、コエモは疑問を禁じ得なかった。
(そんなに嫌なら、街から出ればいいのに……なんでだろう)
※
セサミ盗賊団の残党、ラックシップ。
彼が率いる盗賊たちが、ミドルハマーを襲撃してから半月ほどが経過したころ。
そのミドルハマーに、国家最精鋭たる、近衛騎士団が正式に現れていた。
本来なら、15階のダンジョンがあるだけの、田舎町に彼らが来るなどありえない。
よって、尋常ならざる大混乱に見舞われるはずだが、そこまで不思議に思われることはなかった。
なぜなら、近衛騎士団の長がこの町の出身者であり……彼の弟が、そのラックシップを退けたのだから。
「久しぶりだな、ジョンマン。お前が帰ってきたと知った時……なぜ王都に来てくれないのか、と最初に思っていたぞ」
「タカリと思われるのが嫌だったのさ、兄貴。でもまあ、そう言ってもらえただけでも嬉しいよ」
現在二人は、未だ復興のさなかにあるミドルハマーの、その中央通りで話をしていた。
近衛騎士団長であるハウランドは、当然ながら軍服だった。金属鎧の完全武装、などではない。儀礼用の、フォーマルな服装であった。
彼の背後には、同じ服を着た騎士たちが整然と並んでいる。
「でもまあ……真面目な話、兄貴は出世する奴だとは思っていたけどよ……まさか近衛騎士団長様になってるとは驚きだ。しかも王族のお嬢様と結婚して、親父やおふくろも呼び寄せて、面倒を見ているって? バラ色の人生だねえ~~、あやかりたいぜ、マジで」
「何を言う、お前だって立派じゃないか。アリババ40人隊と言えば、世界に名だたる冒険者たちだ。その武名は、この国にもとどろくほどだよ。そこに所属していたお前のことは、とても誇らしく思っている」
如何に血を分けた兄弟とはいえ、仕事着のハウランドが、Fランク冒険者であるジョンマンと対等に話すことはあり得ないことだ。
実際、ハウランドの部下たちは複雑そうな顔で、二人を交互に見ている。
だがしかし、これは必要なことだと、誰もが認めていた。
そう、この町の住人達さえも。
「……今回、この町の住人から報告を受けた。信じがたいことだが、セサミ盗賊団の残党がこの地に流れ着き、チンピラどもを束ねていると……そうだな」
「ああ、奴自身もそう名乗っていたし……あれだけ強い無法者が他にいるとは考えにくいな」
ハウランドが何をしに来たのか、ほぼ全員が理解している。
話し始める前から、分かりきっていた。
「その盗賊団だが……他の村々や、小さな町へ襲撃を仕掛けている。お前が守ったこの町以外は、凄惨なる有様だったらしい」
このミドルハマーも、防壁を含めて多大なダメージを負った。
人的被害も、バカにならない。
だがそれでも、他の町よりは被害が小さい。そんな言葉を、町の住人たちは納得していた。
あれだけの化け物が暴れれば、それは何でも叶うだろう。
「それで? なんで命を賭してでも殺さなかった、って怒りに来たのか? 昔みたいに?」
「いや……まったく怒っていない。あえて言うぞ」
背後に部下がおり、周囲には被害を受けた町民がいる。
そのうえで、ハウランドは……。
ジョンマンよりも少しだけ年上で、表情に威厳と迫力のある彼は……。
「お前は正しいことをした」
ジョンマンがラックシップを見逃したことを、心から肯定していた。
「話に聞いた限りでは、奴もお前も『エインヘリヤルの鎧』を身に着けて戦ったそうだな。そのうえで互角であり……ラックシップは退く判断をして、お前はそれを許した。とても、賢い」
「おいおい、嫌味か? そのせいで他の町が襲われているんだぞ、と怒らなくていいのか?」
「怒る気はない、私でもそうしていた」
その言葉は、町民達にも届いていた。
そんなことはない、殺してほしかった……という思いを抱く者たちもいる。
だがそんな彼らですら、頭の中では納得していた。
「勝てる保証がない戦いで相手が退くのなら、無理に追うべきではない。悔しいことだが、何よりも優先すべきは町を守ることだからな」
「守れてねえけどな?」
「そういう謙遜はしないほうがいいぞ? 嫌味にしか聞こえない」
重みをもって、ハウランドは断じた。
「『エインヘリヤルの鎧』を着た勇士同士の戦いは、超絶の物だ。戦闘痕が残っていたので見させてもらったが……やはり、あのまま戦っていれば町が滅びていただろう」
町民も、本当はわかっていた。
ぶっ殺してやりたいとか、ぶちのめしてほしいとか、そういう思いはあった。
だが『頼むからどっかに行ってくれ』という気持ちだってあった。
ジョンマンとラックシップの戦いを見たからこそ、ハウランドの言葉を否定できない。
「おいおい。実の弟だからって、忖度のし過ぎじゃないか?」
「文句は言わせないさ。お前には、命をかけてまで戦う義務はない」
「……そう言ってもらえると助かる。もうそういうのは、嫌なんだ」
年齢で言えば、ハウランドの方が上だろう。
だがそれでも、疲れ振りで言えばジョンマンの方が上だった。
「そんなお前に言いたくないが……ラックシップ率いる盗賊団の討伐に、お前も参加してほしい」
「……勝算があれば、参加してもいいさ。でも、そんなもんないだろう?」
「ある」
ハウランドは、覇気を込めて答えた。
「ラックシップと互角の戦いを演じたお前と、この国一番の騎士である私が手を組めば、確実に勝てる」
彼は自分の背後に控えている、精強なる部下を示した。
「奴さえ倒せば、他は烏合の衆だ。精鋭たる近衛騎士団がいれば、その殲滅も容易だろう!」
その精強なる部下の中から、精悍な顔つきの若者が二人、前に出た。
兄妹らしい二人は、心なしかハウランドに似ていた。
「近衛騎士団副長の、エツーケと申します。ハウランドの息子であり……貴方の甥にあたります」
「同じく副長の、オーシオと言います。ハウランドの娘であり、貴方の姪です」
目の前にいるFランク冒険者へ、あくまでも敬意のある態度で接していた。
「今回の作戦にも、参加させていただきます。叔父上や父の補佐を、しっかりと務めさせていただきますので、どうかご安心を!」
「どうか、国家のためにご助力を」
「へえ……」
アリババ40人隊に属していた、ラックシップと互角のジョンマン。この国一番の騎士、ハウランド。
この二人が手を組み、更に才気にあふれた若き騎士たちが補佐に回るというのなら、たしかに勝算は十分に思えた。
「凄いよ……凄いよ! 我が国最強の騎士が、頭を悩ませていた大盗賊団! その因縁の相手でもある弟が帰国し、兄や甥姪と合流してこれを討つ! お芝居みたいだ!」
コエモはその光景を、他の町民と共に見ていた。
なんとも感動的な『場面』である。
ここでジョンマンが頷けば、事態は一気に解決へ、ハッピーエンドへと向かうだろう。
だが……。
「え、あれ……? ジョンマンさん、なんか……少しイラついている?」
遠くから見ているコエモでもわかる、明らかな苛立ち。
激憤ほどではないが、表に出る程度には怒っている様子である。
それはもちろん、目の前のハウランドたちも理解していた。
「どうした、ジョンマン……何が気に入らない?」
「ん……ん……」
ここでジョンマンは、言葉を詰まらせた。
何かを言おうとして、それを言うべきではないと判断して、その上で何をするべきか考えている様子であった。
ある意味大人の振る舞いであり、だからこそハウランドたちは彼の対応を待っていた。
「ふぅ……兄貴、その口ぶりからして……兄貴も」
「ああ、もちろんだ。私もエインヘリヤルの鎧を装備できる」
「まあ、そりゃそうだ。そうでなけりゃ、そんなことは言えねえわな」
ここでジョンマンは、提案をした。
「それじゃあ、久しぶりに『努力』と行こうぜ。俺と兄貴で、ちょいと試合をしようじゃないか」
「……エインヘリヤルの鎧を装備しあってか?」
「当たり前だ、そうじゃないと意味がない」
ジョンマンは、肩をすくませながら理由を言う。
「俺も兄貴も、25年ぶりだ。お互いがどれだけ強いのかわかってねえ。確認しようってことだよ」
「……まさかとは思うが、昔のことを根に持っているのか? 試合を口実にして、私を打ちのめしたいと?」
現在のジョンマンが、圧倒的な力を持つ冒険者であることは、一つの事実だろう。
だがこの町で暮らしていたころのジョンマンが、どうしようもない若者だったことも事実だ。
当時のジョンマンとハウランドの兄弟関係が、どんなものだったか想像に難くない。
「それがないとは言わない。昔っから兄貴には劣等感を抱えていたし、『努力しろ』とか『お前はやればできるんだから頑張れ』とか『あとで後悔しても遅いんだぞ』とかさんざん言われて腹も立っていたしな……でもよ、40にもなって、それをぶちまけるのはダサすぎるだろう?」
だがジョンマンの言葉は、あまりにも正直すぎた。
こうもあけすけに『そう思っているよ』と言われれば、逆に受け入れているのだなと納得できる。
「大人になったな、ジョンマン」
「そんなことはねえさ。でもな……これは冒険者としての確認だ。俺はラックシップと実際に戦って、その実力を知っている。もちろん、自分の実力も知っている。だがな、兄貴の実力は知らない」
そして、彼の疑問はもっともだった。
「兄貴の実力を確認できないんなら、俺は協力できない。命がかかっているんでね」
「否定の余地がないな」
実の息子であるエツーケなど特にそうだったが、近衛騎士の面々は大いに不快そうな顔をしていた。
それでも黙っていたのは、ハウランドがその必要性を認めたことと、ジョンマンの立場からすれば当然だと認めざるを得ないからだろう。
「では、一旦町の外に出るとしよう。流石に町の真ん中で戦うわけにはいかないからな」
「話が早くて助かるぜ、兄貴。グダグダやってもしょうがないし、ぱぱっと済ませようや」
(父上の実力を確かめたいというが……確かめるだけで済むといいな!)
ジョンマンから見て甥にあたるエツーケは、国一番の実力者となったハウランドの実力にこそ驚くべきである……と期待していた。
これが他の近衛騎士たちの、偽らざる本心であった。
※
ミドルハマーから離れた場所で、ジョンマンとハウランドは向かい合っていた。
二人からかなり離れたところに、近衛騎士団やミドルハマーの住民たちがそろっている。
この町の出身者、二人の兄弟の戦いを見届ける所存であった。
「この前の時は楽しむ余裕なんてなかったが……半端じゃなかったもんな」
「ああ、またあの域の戦いが見れるなんて……しかも試合だ、気楽なもんだぜ!」
「どっちが強いと思う? 俺としては、ハウランドに勝ってほしいが……」
「いやあ~~俺としてはジョンマンに勝ってほしいけどな~~」
(住民たちめ……勝手なことを! ハウランド様が勝つに決まっている!)
(そもそも、ハウランド様お一人でも、盗賊の残党に負けるわけがないのだ! 弟に協力を要請しているのは、必勝を期するために過ぎない!)
(とはいえ……さて、どこまでハウランド様に食らいつけるか……!)
二組の視線を感じながら、ジョンマンとハウランドは試合の準備に取り掛かる。
試合開始前の会話など、既に済ませている。ゆえに……。
「ラグナ……ラグナ・ロロロ・ラグナ」
「ラグナ……ラグナ・ロロロ・ラグナ」
二人同時に、エインヘリヤルの鎧を召喚する呪文を唱えた。
兄弟ゆえの必然か、わずかにデザインや色が違うだけの、よく似た鎧が出現する。
「ワルハラ……ヴォーダーン!」
「ワルハラ……ヴォーダーン!」
轟音と共に、二人の男は勇士の鎧を着こんだ。
その荘厳な圧力によって、観戦している者達にまで圧迫感が届いている。
「すげえよ……神話の鎧を着た者同士の戦いを、二度も見れるなんて……」
「この国一番の騎士と、アリババ40人隊の戦いか!」
「ハウランド様の鎧姿……初めて見た!」
「ジョンマン……本当にエインヘリヤルの鎧を着こなせたのか……さすがは隊長の弟」
「鎧が互角ならば、勝敗を分けるのは本人の実力……父上が負けるわけがない」
果たして、いかなる戦いになるのか。
観客たちが固唾をのんで見守る中で、二人は同時に動き出した。
「ぬん!」
「おお!」
まさに、目にもとまらぬ速さだった。
エインヘリヤルの鎧は、勇士へ力を与える。
その恩恵の一つが、圧倒的な速度。
金属製の全身甲冑を着ているとは思えない、人知を超えた速さの衝突。
鎧を着ている者同士の、格闘戦、肉弾戦。
連続する打撃の応酬は、残像だけを観客たちの目に届かせた。
それを見て、騎士たちは思わず感嘆した。
「凄い……これがエインヘリヤルの鎧を着ている者同士の戦いか……!」
「敵にもこれを使いこなすものがいると思うとぞっとする。我らでは、立ち入れない領域だ」
「どっちが勝っているのかわからないが……いや、父上が勝っているに決まっている!」
何が起きているのか、ほぼ分からない。
二人の鎧武者が真っ向からぶつかっている、それぐらいしか判別ができないのだ。
もしも彼らと戦えば、自分たちなどひとたまりもない。
これと同等の敵がいる、ということには恐怖を感じるが、味方に二人いるというのは大きい安心だろう。
そうしている間に、二人は一旦距離を取り合って、そのまま動きを止めた。
双方の鎧にはすでに傷が刻まれており、堅牢なる鎧が痛むほどの戦いだったのだと伝えてくる。
だがその一方で、両者ともにまだまだ余裕を感じさせる表情だった。
軽く息を切らしているがその程度、満身創痍からは程遠かった。
「ふぅん……さすがは兄貴、この鎧を俺以上に使いこなしているな」
「ふふふ、恐縮だ。しかし私も驚いた……まさかここまで戦えるとはな」
ジョンマンは、自分の鎧と兄の鎧。その双方の傷を確かめていた。
見比べなければわからない程度の差だが、ジョンマンは兄の方が優れていることを認めていた。
一方でハウランドは、自分の弟の成長に喜んでいた。
「こんなことを言ったら怒るかもしれないが……」
「おいおい、それなら言うなよ」
「いや、言わせてくれ……本当に強くなったな、ジョンマン。兄として、とても嬉しい」
自分も同じ鎧を身にまとっているからこそ、弟がどれだけの研鑽を積んできたのかわかる。
ただ強いことを喜んでいるのではなく、そこに至るまでの鍛錬を讃えているのだ。
「あれだけ大きな口を叩いておいて、兄貴より鎧を使いこなせていない俺を、か?」
「そんなことは気にしていない……あんなもの、ただの軽口だからな」
「そうか……はぁ」
兄貴風を吹かされていることに、露骨に嫌そうにするジョンマン。
彼は鎧を着たままため息をつくと、兄へ一応の確認をする。
「兄貴、一応確認させてくれ。本気で戦ってくれているか?」
「もちろんだ。騎士団長として、忖度はしていない。私はお前と本気で戦っている」
ハウランドの言葉を聞いて、騎士たちはやはり顔をこわばらせた。
本気で戦っている国一番の騎士に対して、目の前のFランク冒険者はなんとか対抗できているのだ。
ある意味当然のことだが、嫉妬を禁じ得ない。
「そうか……ならもう確認は不要だな」
「わかってくれたか?」
「ああ……こんなことを言ったら怒るかもしれないけどな」
ジョンマンは、心底から見下した目をしていた。
「弱すぎる、話にならない」
ハウランドは、それが本心からの言葉だとわかった。
だからこそ、意味が分からなかった。
軽口や冗談、現状を認めたくないからこその『事実と反する言葉』ではない。
ジョンマンは本気で、ハウランドが弱すぎると思っているのだ。
「この程度の実力で、よくもあいつと戦う気になったもんだ。先に俺のところに来てよかったと思うぜ、マジで」
「それは、どういう意味だ?」
「あいつらに聞いてみな」
本気で困惑しているハウランドに対して、ジョンマンはミドルハマーの住人たちを示していた。
ハウランドも、他の近衛騎士たちも、ミドルハマーの住人たちを今更見る。
彼らの顔は……困惑だった。
「おい、おかしいぞ……あの時と、全然違う」
「ああ……ラックシップと戦ったときのジョンマンは、もっとこう……意味が分からない感じだった」
「それに、鎧にも大して傷がついていなかった……」
「ジョンマンは、本気を出していないってことか? それでハウランドの奴は本気を出しているってことは……!」
ジョンマンが、手を抜いている。
それを住民たちは見抜いていたのだ。
それこそ素人でもわかるほど、ジョンマンの方が手加減をしているのだ。
それを聞いて、騎士たちは困惑する。
ハウランドも、余計に意味が分からずに戸惑っていた。
「これを言ったら怒ると思うが、もう一度言わせてもらうぜ。弱すぎる、話にならない。兄貴と組んであいつと戦うって話は、無しだ。足手まといにしかならない、いない方がマシだな」
「だ、だから、それは、どういう意味だ!」
「兄貴を説得する必要なんてないだろう? それともなにか? 実証が必要なのか?」
ジョンマンは、面倒くさそうに、ハウランドへ構えることを促す。
「兄貴、構えろ。もうちょっとだけ本気を出してやる」
「!」
「『一瞬』でぼこぼこにしてやるよ」
ジョンマンが本気だとわかるからこそ、ハウランドはとっさに防御の体勢を取った。
最強の鎧で完全武装している、この国最強の騎士。
その彼が攻撃を捨てて亀の体勢に入ったのだから、もはや金城鉄壁というほかない。
しかし……。
「アルフー・ライラー……ワー・ライラー!」
新しく、呪文を重ねるジョンマン。彼の体が、小刻みに揺れた。
その直後、彼は目に見える速さで移動する。
いや、目に見えない速さであるはずなのに、全員の目にその動きが見えていた。
「1」
見えているはずなのに、まるで捕らえられない。
圧倒的な速度の拳が、防御の隙間を通ってハウランドの頭を打つ。
この一撃に、ハウランドは耐えていた。
仮にヂュースが、この町一番の冒険者がこれをくらっていれば、原形をとどめることなく塵になっていたであろう。
それを受けても耐えられるのだから、やはりハウランドは強いはずだった。
だが、体勢を整えるより早く、二撃目の拳がハウランドの顔に入る。
「2」
間髪入れぬ、という表現が確かなのかあやしい。
人知を超えた速度の攻撃は、全員の前でハウランドを更に痛めつける。
「3」
そして、最後に上段蹴りが当たっていた。
隙が大きく、だからこそ強い一撃。
それが体勢の崩れていたハウランドに入り、彼は地面に倒れた。
時間の感覚で言えば、たしかに一瞬の出来事であろう。
だがそれは、全員にとって数回行動した分の時間が経過したようなものだった。
「な? 話にならないだろ?」
「ぐ……ジョンマン、これは……お前は……」
地面に倒れたハウランドは、鎧を着たまま身を起こそうとする。
しかし頭部をしたたかに打ち付けられた彼は、立ち上がることもできない。
その上で、何が起きたのかを確認しようとしていた。
「ティーム家だけが使えるという、神域時間……それを、お前が、なぜ使える!?」
「お、なんだ。流石に知っているのか?」
「答えろ! これは秘伝技術のはずだ! どうやって盗んだのだ!」
ハウランドの言葉によれば、ジョンマンの不可思議な技は、神域時間と言うらしい。
つまりは既知の技であるが、それをジョンマンが使えるのはおかしいのだ。
「なんのことはねえさ、海の向こうで習った。まさかこの広い世界の、長い歴史の中で、そのティーム家とかいう家以外に、この技術を会得した者が一人もいないとは思ってないだろう」
その理由は、世界の広さ、その一言で説明できた。
あまりにもシンプルな理由に、ハウランドは、他の騎士たちは言葉を失う。
「まあ俺が教わった名前は圧縮多重行動とかだったがな……そんなことはどうでもいい。兄貴、コレ使えないんだろう?」
「……そうだ」
「それが、俺と兄貴の差だ。エインヘリヤルの鎧に限っては、兄貴は俺より上だろうが……それだけじゃな」
倒れている兄を、弟は見下していた。
「もうちょっと説明するとな、アリババ40人隊でもエインヘリヤルの鎧以上の防具はなかった。そのことは本当だ、最強の鎧だよ。でもな、それだけじゃ話にならない」
世界のすべてを見てきた男は、国一番の騎士に軽蔑を隠さない。
「アリババ40人隊において、エインヘリヤルの鎧も、圧縮多重行動も、必須スキルの一つでしかない。全部が使えて当然、一つでも使えなければ戦力外……意味、分かるよな? この結果で明らかだよな?」
「つまり、お前のいう本気とは……」
「ああ。俺は五つの必須スキルのうち、二つしか使ってない。つまり、まだまだ全然本気じゃない、極めて具体的に……四割の力しか使ってない」
この国一番の騎士ですら、ジョンマンが四割の力を出すだけで瞬殺できる。
世界の広さを体現する男に、この国の住人たちは恐怖しか感じない。
「兄貴もエインヘリヤルの鎧を使いこなしているから、そこにたどり着くまでどれだけの研鑽があったのかわかるだろう。だから、それだけでも俺を褒めたな」
「……」
「兄貴自身も、そこに至るまで血反吐を吐くような修行をしたんだろう。俺も、それは、わかる。いくら兄貴が天才で優秀でも、だからって努力しなくてもたどり着ける……なんて境地じゃない」
「……」
「でもな、足りねえ、全然足りねえ。俺は兄貴の想像の、五倍以上の血反吐を吐いている。圧縮多重行動も、他の技術も、使いこなすのにエインヘリヤルの鎧を使いこなすのと同じぐらいの修行が必要だった……」
「……」
「俺の五分の一しか頑張ってねえ兄貴が、その俺に向かって『怒るかもしれないが褒めさせてくれ、よく頑張ったな』だと?」
「……」
「上から目線で褒められた俺の、その気持ちがわかるか? 兄貴の想像の、五倍は怒っているぜ」
「そ、そんなつもりじゃ……なかった」
「なあ兄貴、怒るかもしれないが言わせてもらうぜ」
ハウランドも、同じだった。
自分の弟が、ここまでの化け物になっているとは、想像もできなかった。
「たかがドザー王国とかいう長閑で退屈でちっぽけな国の中で、一番強いってだけの分際が、世界最強の冒険者集団アリババ40人隊の隊員に向かって……強くなったな、だと?」
彼の心は、ぼっきりと折れていた。
「弱いのは仕方ないけどよ、せめて想像力は働かせようぜ」
「あ、ああ……!」
ハウランドは、エインヘリヤルの鎧を着ている状態で、そうなってしまった。
「あ、ああああああああ!」
「……なんだよ、絶望までしたのか」
最強を誇るエインヘリヤルの鎧だが、相応に重いリスクが存在する。
それは、鎧を着ている時に心が折れると、勇士の資格を失ったとして、鎧が装着者を蝕み破壊するのだ。
ハウランドはもちろんそれを知っていたが、それでも心が折れてしまっていたのだ。
「自分よりも弱いと思っていた奴に、まるで歯が立たないと悟って……その程度で心が折れたのか? そんな弱っちい心で、この鎧を召喚していたのか? はっきり言って、軽蔑するな」
たとえ負けたとしても、どれだけ打ちのめされたとしても、心が折れなければ鎧は装着者を見放さない。
その程度のことは、勇士として戦場に立てばいくらでも起きることだからだ。
それでもなお心が折れないと言い切れる者だけが、この鎧を召喚し、圧倒的な力を振るうことが許されるのである。
「ち、父上……!」
「だ、大丈夫ですか、父上!」
鎧が消滅し、血だらけのハウランドが地面に倒れている。
その表情はうつろで、心身ともに粉砕されていることが明白だった。
その彼へ、息子のエツーケと、娘のオーシオが駆け寄っていた。
だがしかし、手の施しようがないほど、彼の体はボロボロだった。
ただ、嘆くことしかできない。
「……叔父上!」
「なんだ、ここまでしなくてもいい、か? 兄貴の心が折れて、自滅しただけだぞ?」
「あれだけ自尊心を折っておいて……!」
「それで折れる方が悪い。エインヘリヤルの鎧を使うとは、そういうことだ」
エツーケは、その言葉を聞いたことがあった。
他でもない、今倒れている父自身が、よく言っていたのだ。
『父上、私にもエインヘリヤルの鎧を教えてください!』
『お前にはまだ早い、この鎧を使うには……どんな状況でも、どれだけ絶望的でも、決して折れない心を持つ必要がある。それを持たない者が使えば……いずれ破滅するだろう』
その父親自身が、破滅に至っていた。
誰が死んだわけでもない、国が滅びたわけでもない。
ただ力の差を思い知って、煽られただけで、心が折れた。
それは確かに、心が弱い証明だった。
「なぜ、ですか」
だからこそ、エツーケは別の切り口から攻めた。
「なぜそれだけ強いのに、それだけの技があるのに! 奴を、ラックシップを逃したのですか!」
「それ、もう言ったぞ」
だがそれは、見当違い極まる言葉だった。
「アイツもセサミ盗賊団の幹部だ。五つの必須スキルも、俺同様に全部習得しているよ」
「!!」
「もう一度言うぞ……俺とあいつは互角だ。もし全力でぶつかれば、どっちが勝つのかわからない」
「そんな……」
「良かったじゃないか、アイツと直接戦わずに済んで」
改めて、ミドルハマーの住人たちは理解していた。
先日自分たちの目の前で起きたことが、どれだけ凄まじいことだったのかを。
世界最高の基準からすれば、この国一番の騎士すら『最低水準』にさえ達していないと。
「王様なり誰なりに、好きなように報告すればいい。ジョンマンやラックシップは強すぎて勝てない、と言ってもいいし……私たちが弱すぎて話にならない、とでもな」