淀み
「かあさ……」
「だまりなさい……!」
(母様……ノォミィ……)
トラージュという女がどういう人間か、という説明はそこまで難くない。
若くして理事長に就任していることから、生まれが裕福なのだろう、と考えるはずだ。その通りである。
彼女は実際裕福な家の生まれであり、社会的に高い地位の仕事に就き、結婚しており、二人の子宝に恵まれている。
どう考えても勝ち組であり、恵まれており……『多少の不満』ぐらいしかない人生を送っている。
その不満は、『魔法がそんなに上手ではないこと』。
底辺だったわけではないし、落ちこぼれだったわけでもない。周囲の環境に恵まれなかったわけでもないし、不幸な事故が起きたわけでもない。
彼女は魔法使いの中では凡庸な素質しかもっておらず、真面目に努力をしても『並』程度の実力しか得られなかった。
もちろん、世間からすればどうでもいいことである。
魔法がまったく使えないとか、まったく努力していないとかなら問題だが、真面目に頑張って一人前程度になっているのなら『特徴』にもならない。
だが彼女にとっては、重大なことだった。
むしろ彼女の私情は、そこに集約されていると言っていい。
彼女はどうしても『超格好いい魔法使い』になりたかった。
それが叶わないと知って、とても気に病んでいた。
そんな彼女にとって、長女であるマーガリッティは『理想的なアバター』だった。
生まれながらに魔力が多く、また多くの魔法に適性があった。
そのうえとても向上心があり、才能を腐らせるどころか自主的にも磨くほど。
自分のおなかを痛めて産んだ子供が、『超格好いい魔法使い』になれるかもしれない。
彼女は大いに盛り上がり、マーガリッティを育てるために最善を尽くしていた。
その結果サザンカという優れた魔法使いを国外から誘致し、その彼女に多くの権限や予算を与えた。
もちろん反発もあったが、サザンカが非常に優秀な教師であったこともあり、ほどなくして鎮火していた。
もちろん、これは学園の利益、国益につながることである。
彼女の行動が、他者の不利益になったわけではない。
ただ彼女にとって重要なことは、自分のアバターであるマーガリッティを育成できるかどうか、だけであった。
もう一人の娘であるノォミィについて……。
魔力量こそマーガリッティより上であったものの、後にごく一部の攻撃魔法にしか素質がなかったことがわかり、学園の中で腐ったこと。
その後にサザンカの手で成長し、超一級の火力を得たこと。
そんなことは、彼女個人としてはどうでもいいことだった。(もちろんサザンカの成果、という意味では重要だが)
マーガリッティが『僕の考えた格好いい魔法使い』へと成長していくこと。
それが彼女の喜びであり、他のことは些細だった。
だがマーガリッティは優秀過ぎた。
ある種の矛盾と言っていいだろう、彼女は優秀過ぎて自ら学びを求めて学園を去ってしまったのだ。
向学心旺盛だからこそ、潜在能力は顕在能力になる。
だがその向学心は、自立心とイコールでもある。
マーガリッティは、ノォミィとは違う。
良い指導者に巡り合えば、きっと大成する。
トラージュはそれを知っている。いや、誰もが知っている。
だがそれでは意味がない、自分が関知しない所で成長しても意味がない。
自分の与えたもので育てるからこそ、達成感が得られる。
そうした歪みを、トラージュは持っている。
それが今、現出していたわけなのだが……。
「ちょっと、頑張った子になんてことを……」
「まま、ここは大人に任せて」
憤るリンゾウを抑えて、ジョンマンは前に出た。
彼はちらりとサザンカを見る。
(何も言えない、か。まあそうだわな)
サザンカは、自分も怒られる準備をしていた。
若く真面目な彼女は、ここで強い言葉を言えないのだろう。
だからこそ、ジョンマンがトラージュを止めようとする。
「……なんですか、ジョンマンさん」
ジョンマンの接近に対して、トラージュは不満をあらわにした。
今の彼女は、彼女にとってとても重要なことをしているのだから無理もない。
「見苦しい」
それに対してジョンマンは、率直な意見をぶつけていた。
これには、トラージュも黙らざるを得ない。
「今の試合は、とても良かった。学生同士らしい、学びを得られる試合だった。だってのにお前が見苦しい真似をしているから、後味が最悪になってるって言ってるんだ」
負けた選手を監督が打つ、というシチュエーションは、たしかに見苦しい。
トラージュの『私情以外の部分』がそれを認めていた。
「それともなにかい、お姉ちゃん。その子の試合ぶり以上の振る舞いを、自分で実演してくれるってのかい? それならいいぜ、俺が相手をしてやるよ」
「……いえ、それには及びません。確かに見苦しい真似をしました、申し訳ありません」
ここでトラージュは、切り替えた。
元より私情だけで動く人間に、理事長が勤まるわけもない。
彼女は不満そうに、しかし理性的に振舞い始めた。
「私どもの負けです。マーガリッティ、貴方はここに残って勉強をしなさい」
「は、はい!」
「ただし、月に一度は手紙を送るように。それから年に一度は、貴方の修行ぶりを確認しに来ます。よいですね?」
「はい!」
「それからここでの修業期間は、留学とします。それが終わり次第、学園に戻るように」
「はい!」
ここに来て、トラージュは態度を一気に軟化させた。
顔は硬いままだが、発言は保護者としても教育者としてもまともである。
「ジョンマンさん、貴方もそれでよいですね?」
「もちろん、寛大な判断に感謝しますよ」
「……負けは負けですので」
ジョンマンが受け入れたことで、話は一気に終わった。
特進クラスの生徒やサザンカは不満がありそうだが、負けた後なので何も言えない。
「……うまく調整されたものです。この結果では、不均衡や不均一を言う余地はありません」
ここでトラージュは、教育者として政治を語り始めた。
今回のルールが、どういう思惑によるものだったのかを語り始めたのである。
「サザンカ先生。あえて聞きますが、この結果を見て『相手に有利だった』と言えますか?」
「……いえ、言えません」
「そうでしょうね。こちらは一人が魔力切れ、相手は二人が負傷で戦闘不能。こちらの勝ちを主張できるほどです」
負けを認めた後での、物言い。
だが他でもないコエモやオーシオ、リョオマこそがそれを認めている。
相手の思惑通りに拘束され、魔法の直撃を受け、二人も戦闘不能になった。
その状態で、勝利の喜びに浸れるわけがない。
「だ、だったら、理事長! 勝ったって言い張ればよかったじゃないですか!」
「黙りなさい。サザンカ先生が認めたように、あのまま戦っていれば負けていました。それも、為す術もなく、です。それでこちらの勝ちを主張できると? いい勝負だった、一手の差で負けた、と認めるべきです」
特進クラスの生徒の発言を、彼女は却下していた。
「でも、相手だって勝ったと言える状況じゃあ……」
「ぐうの音も出ないほど、大差をつけて勝つ……それが起きるということは、ルールの不備を指摘されかねません。貴方の知っているマーガリッティは、それを認めるのですか?」
ジョンマンのように相手の土俵へ自ら入るのならともかく、同等同士の異種格闘技戦ではルールでもめる。
そして大差のつく決着なら、それはルールに問題があるということになる。
逆に言えば、今回のように一手の差での決着が求められるのだ。
「双方に学びを与えつつ、試合の停止が比較的容易で、なおかつ自陣を勝たせる……評価しますよ、ジョンマンさん」
「それはどうも……文句はないので?」
「蒸し返したいのですか? 火力不足だから負けた、という敗因を」
「そうですねぇ、失礼しました」
「……どうやら貴方は、高位の感知スキルをお持ちの様子。それを元に戦術を練ったのでしょう。評価しますよ、ええ」
ここでトラージュは、防御魔法を担当したカイゴや拘束魔法を担当したケエソマを見た。
その顔は硬いが、言葉は柔らかい。
「今回は残念な結果でしたが、ルール次第では大勝できたでしょう。カイゴさんがいる以上は『王』を守るタイプの試合なら絶対に負けませんでしたね」
(は、はい!)
「ケエソマさんがいる以上は『強敵をいかに早く倒すか』、あるいは『多くの敵をどれだけ早く倒すか』というルールなら大勝できたでしょう。むしろ状態異常が通じない相手を、良く抑え込んだものです」
「ひゃい! きょ、きょうしゅくです、理事長……」
ジョンマンの誘導によって、対戦相手と直接戦うルールになったが……。
それ以外の特殊なルールなら、特進クラスが快勝していたと断ずる。
その仮定で勝敗が覆ることはないが、評価がひっくり返ることはないと彼女は言った。
(相変わらずですね、お母様……本当に、母親として以外は尊敬できます)
(そんなお母様だからこそ、私は評価してほしかった……!)
トラージュが毒を持っていることは、二人の娘はもちろん理解している。
だが優秀な大人でもあるからこそ、二人はその点を慕ってもいる。
本当に無能で、毒しかない人間なら、それこそもっと過激なことをしていただろう。
「これで満足ですか、ジョンマンさん」
「見苦しくはなかったですよ……ま、後のよどみは一つだけでしょう」
ここでジョンマンは、マーガリッティの後ろに立った。
「マーガリッティちゃん。君の口から、はっきりと、なぜ離脱したのかを言うんだ」
「……そうですね」
マーガリッティはここに来たことに、何の後悔もない。
だが手順を間違えていたこと、意思を表明しなかったことについては後悔していた。
だからこそ、こうなっているのだ。
「お母様、サザンカ先生……特進クラスのみんな、何も言わずに学園を去って、ごめんなさい」
彼女は自分を迎えに来た者達へ、深く頭を下げていた。
「私は特進クラスに入って……サザンカ先生から魔法を習って、力をつけて行って……順調なはずなのに、もやもやを感じていったの。その理由が上手く説明できなかったけど、最近知ったわ」
自分の感情を言語化する、というのは難しい。
だが適切な単語を知れば、それを軸にして言葉にできる。
「それは、私の……成長曲線」
「やはり、ですか……」
マーガリッティの出した『成長曲線』という言葉を聞いて、サザンカは苦い顔をした。
「私には、魔法の才能がありました。魔力が多く、多くの魔法に適性がありました。ですがそれは大抵の魔法をそれなりに憶えられる、という程度です。私は順調に力をつけていましたが、そろそろ伸び悩みが始まったはずです」
およそ万人が望むであろう才能を、最高の環境で伸ばしていたマーガリッティ。
しかし彼女は、それに不満を感じたのだ。
「私が感じていたモヤモヤは……才能の限界。それはノォミィやカイゴさん、ケエソマさんをみて、より一層深まりました。私はそれぞれの分野で、彼女たちに劣る……私は、それが嫌だった。どの分野でも、負けたくない。魔法においては、どの分野でも勝ちたいんです」
その向上心を聞いて、特進クラスの面々はあっけにとられた。
まさかマーガリッティが、自分達へ劣等感を抱いているとは思いもよらなかった。
むしろ羨んでいた彼女の、その向上心に言葉もない。
トラージュはやはり、複雑そうな顔になる。
まさに理想の魔法使い、最高に格好いい魔法使い。
だがだからこそ、自分の手を一時とはいえ離れてしまうのだ。
それに対して、複雑な思いを捨てきれない。
「私は……自分の描く最強の魔法使いを諦められません!」
「やはり、そう、でしたか……」
その宣言を聞いて、サザンカは口を開け閉めしていた。
言いたいが、言えない。
若さゆえの葛藤を、若さゆえに表に出していた。
(やっぱりこうなったか……外面を取り繕えるタイプのトラージュは、しぶしぶでも納得するけども……この先生はそうもいかないか)
そしてジョンマンはそこで気を使った。
「今後の方針も決まって、マーガリッティちゃんの気持ちも分かった。これで大きな話はおしまいってことで!」
ぱんと、手を叩く。誰もが彼に注目していた。
ジョンマンはその注目を集めたまま、サザンカへ話しかける。
「で、せっかくこんなド田舎な国のド田舎まできたんだ。このまま帰るのはちょっともったいない」
「何を、おっしゃりたいのですか?」
「ぶっちゃけみんな興味があるんじゃないかな? 俺と君、戦ったらどっちが勝つのかって」
ジョンマンの言葉を聞いて、特進クラスの生徒とトラージュは内心同意していた。
ジゴマやコウソウをそれぞれの分野で倒した男と、国内最強の魔法使い。
二人が戦えば、どうなるのか。
「エキシビションマッチ、としゃれこみましょう。それを口実にして戦えば、いろいろ明かせることもあるのでは?」
「……そうですね、私も貴方に言いたいことがあったので」
あるいは満を持して、大一番が始まろうとしていた。




