旧縁
ミドルハマーの町に、盗賊団が襲撃を仕掛けてきた。それだけならば、よくあることである。
ミドルハマーに拠点を置く、ダンジョンに立ち居ることが許された上位冒険者たちは、むしろ意気揚々と出陣する。
ダンジョンでモンスターと戦うことに比べれば、地上で盗賊と戦うなど遊びのようなもの。そのうえで『町にとって直接的な危機』であるため、報酬は通常よりも高い。
腕に覚えのある上位冒険者は、ボーナスだと思って臨んでいった。
普段なら、その認識が正しい。
だが今回は、そうではなかった。
何ゆえか、盗賊たち一人一人の武器防具がやたらと上等だった。
モンスターの毛皮などを荒く鎧状にした野蛮な物であったが、それでも上位冒険者たちの持つ高級な武器防具よりも堅く、強かった。
そのうえ、上位冒険者たちの三倍の数で攻め込んできたのだ。
装備の質、人数。どちらも大きく上回っている。肝心の腕前がさっぱりではあったが、強敵であることに変わりはない。
とはいえ、それだけなら、彼らにとって脅威ではなかった。
なぜならSSSS級冒険者である、ヂュースが在籍しているからだ。
単独で危険なダンジョンの深層に挑む彼は、単純に強い。
上等な装備をしているだけの盗賊など、彼一人で皆殺しにできるはずだった。
「が……ぐ……!」
「SSSSランク冒険者、ヂュース……だったか?」
だがその彼が、地面に倒れている。
城壁の外で盗賊団を迎え撃った彼は、数人の雑魚を蹴散らした後、その首領に切り込んだ。
その結果、あっさりと返り討ちにあったのである。
「SSSS、Sを四つも並べて、バカみたいだなあと思っていたが……大したもんだ。箔付けが必要なほど、弱いようには見えないがな」
いや、あっさりと、というのは盗賊の首領にとっても、ヂュースにとっても不適切な表現だろう。
ダンジョンを制覇した証の剣で、突撃を仕掛けたヂュース。途中で倒した盗賊の下っ端が肉片になっていることからも、その威力は明らかだろう。
たとえそれが、盗賊の首領に軽くあしらわれたとしても。
その後にカウンターで兜をカチ割る『ゲンコツ』で地面に叩きのめされたとしても。
それは盗賊の首領が強すぎるというだけで、ヂュースが弱いわけではないのだ。
「が、ぐ……!」
「よくわからねえなあ……そういうのは小物がやるものだと相場が決まっているんだが」
少なくとも、盗賊の首領はそれを認めていた。
自分に比べれば、否、比較できないほど弱いとしても、他の『上位冒険者』よりは強い。
ミドルハマーの町の規模からすれば、ありえないほどに強い。
その程度には、評価していた。
「なんでそんなに、無駄に背伸びをする?」
(お前には……お前みたいに強い奴には、わからねえよ!)
だが、その評価が、彼の自尊心を傷つけていた。
超強い敵から『まあやるじゃないか』と評価されることほど、強者を苛立たせるものはない。
(お前みたいなのがいるから……せめて肩書だけでも、偉ぶりたいんだよ!)
ヂュースは、盗賊の首領に負けたことは受け入れていた。
等身大の自分を知っているからこそ、それが『町一番』でしかないことを知っているからこそ……。
(わかってるんだよ……俺があのダンジョンを初めて制覇できた奴になれたのは……単に、あのダンジョンに潜りたがる実力者が、今までいなかっただけだってことは……! SSSSランクなんて、ローカルな称号で、街を出たら意味がないってこともな!)
彼には、人一倍の自尊心があった。
嫉妬されたい、羨望されたい、称賛されたい。そんな、人として当たり前の感情が、特に強かった。
それはそれで、彼の人生でマイナスになったことはない。
自尊心を満たすため、傷つけないために努力をしてきた。挑戦をした、結果を出せた。
だからこそ、『少々の傷』を知られても彼は周囲から信頼を得ている。
しかしそれでも、自尊心を守ろうとした者の限界にぶつかっていた。
己なりに努力をしてきた彼には、わかってしまうのだ。目の前の男が『安寧を過ごしてきた天才』ではなく『鉄火場に身を置いていた猛者』だと。
(俺が本当に冒険者なら……ハウランドのように町を出て、出世街道に乗ってたよ……できたかどうかはともかくな……!)
悔しくて、悔しくて、たまらない。
彼が大事に守ってきた、己の自尊心。
それに対して、鉄槌が振り下ろされている。
「お、お前……」
「ん?」
「お前こそ、なんなんだ……!」
かろうじて動く、首から上。
それを動かして、ヂュースは相手の姿を再確認する。
「お前みたいに強い奴が、なんで盗賊なんてやっている……!」
ヂュースの疑問は、すでに倒されているミドルハマーの上位冒険者、全員の疑問だった。
「俺をこうもあしらえるってことは、少なくとも近衛騎士クラスはある……!」
「少なくとも、ね」
「そのお前が、なんでこんな、ちんけな町を襲うんだ」
その問いは、城壁の向こうから戦況を見守っている、街の住民たちにも聞こえていた。
絶対的な強者であるはずのヂュースが敗れ、その最後が近づく姿から、目が離せなかったのだ。
「……まあ、いいか。俺の素性を教えてやろう」
既に、結果は出ている。
ヂュース以外の上位冒険者たちも、装備がいいだけの盗賊たちによって倒されている。
他の下位冒険者や一般人など、まったく問題にならない。
「俺はラックシップ……セサミ盗賊団の生き残り、残党だ」
「!?」
年齢は、ヂュースよりも少しばかり年上だろう。
その年齢の男が『伝記』で語られる組織の残党だと名乗る。
平素なら、それこそ先ほどの冒険者ギルドでの会話なら、大いに笑ってバカにするだろう。
だが圧倒的な実力を前にすれば、実力を示した後なら、その言葉には意味が宿る。
「は……はあ? 嘘でも、もう少しましなのを言え!!」
「いや、事実だ。こんな田舎の国では真に受けていないようだが、アリババ40人隊も、セサミ盗賊団も実在した組織だ」
それがもしも事実なら、街のケンカ自慢が、プロ格闘家に挑んだようなもの。
最初から勝ち目など、まったくなかったことになる。
「俺は幹部の一人でね……それなりには強かった。例の本には名前すら出てこないし、実際最高幹部の方々や首領とは実力が突き放されていたが……それでも、お前らよりは強いのさ」
まさに、侵略性外来種。
別の生態系から現れた、強大過ぎる怪物。
この男が残党にすぎず、負け犬で、そして最高幹部でも首領でもないとしても。
そんなこととは何の関係もなく、この『狭い生態系』に甘んじてきた者たちでは抗えない。
「その俺が何をしに来たかと言えばだ……豊かな余生を過ごしたい、と言えば分かるか? 俺達セサミ盗賊団とかかわりのなかった、辺境の国で……何にも脅かされることなく、のんびりとした生活を送りたいのさ」
彼我の実力差は、余りにも絶望的。
鯉しかいない池に、鮫が放り込まれたようなもの。
「どう思ってくれてもいいぞ? おとぎ話の負け役が、みっともない真似をしていると思ってくれていいぞ? でもなあ……まあそのなんだ……今更セサミ盗賊団の復活とか、そんなバイタリティが残って無くてな」
その鮫が、とても疲れていて、志の高さを失った後だとしても。
鮫が、鮫であることに変わりはない。
「だからこうして、しょっぱい悪事をしているのさ」
「……!」
「まったく、昔の自分が見たらなんというか……くくく……」
自分の卑小さを、自嘲できる。
それを素直に、周囲に明かせる。
そしてそもそも、盗賊だ。
老害と言えば、老害だろう。
だがほんの十年ほどで彼と同じ年齢になるヂュースは、それに羨望さえ覚えた。
「だが、まあ最悪でもない。若いころに培った力のおかげで……残りの人生を豊かに過ごせそうだよ」
自嘲さえできない、自分の弱さや小ささを引け目に感じ、自嘲もできない自分に比べて……。
「さて、君はもう再起不能だろう。ここで殺した方が、情けというもの。死にたまえ……」
人間を殺すには過剰すぎる、人道に反する域の超威力の攻撃。
それがまさに、倒れて動けないヂュースの頭上で構築されている。
ヂュースが全力を振り絞って、一発も撃てないであろうそれを、このラックシップはこともなげに撃とうとしていた。
それをみて、盗賊たちは恐れつつも笑い……。
彼の仲間である上位冒険者たちは絶望し、ミドルハマーの人々は顔を手で覆う。
「!!」
だがその攻撃は、撃たれることはなかった。
それまで油断していたラックシップは、突如目を見開いて大きく飛びのいた。
そして彼の頭があった空間を、高速回転する何かが通過する。
そのなにかは、ただ空を切り、楕円軌道を描きながら『放った者』の元へ戻った。
さながらブーメランのように手元へ戻ったそれは……なんと、草刈り用の鎌である。
誰がどう考えても、ブーメランのように戻ってくる武器、道具ではない。
だが実際にそうなっているのだから、投げたものがどれだけ無茶かわかるというもの。
「……ジョンマン?」
「お前、凄いのに絡まれてるな」
こともなげに、戻ってきた鎌をつかみ取ったのは、Fランク冒険者になったばかりのジョンマンであった。
彼がヂュースを救ったのは見るからに明らかだが、彼が半端に有名だからこそ、誰もが困惑している。
「あ、アイツがジョンマン……ハウランドの弟で、若いころに家出して、最近戻ってきたっていう……」
「近衛騎士長の弟だ、強い……のかな?」
「いや、あの鎌さばきを見ただろ? きっと強いんだよ!」
「だ、だけどな……SSSSランクのヂュースを、あっさり倒した奴に……セサミ盗賊団に勝てるのか?」
大した曲芸ではあったが、やったことは鎌を投げただけ。
ジョンマンがラックシップを引かせても、そこまで大きな希望は抱けなかった。
そうした外野を置き去りにして、ジョンマンとラックシップは互いを見合った。
にらみ合った、ではない。そういう威嚇や警戒ではなく、もっと軽いものであった。
その間に、ジョンマンと一緒にここへ来た、コエモがヂュースへ駆け寄る。
「と、父さん! 大丈夫……じゃない、酷いケガ……」
「お、俺のことは見捨てて、逃げろ……相手は、セサミ盗賊団の残党らしい……」
「こ、こんな時に冗談言わないでよ! お父さんも言ってたじゃん、こんな奴ら本当にいるわけがないって!」
「俺の怪我を見て、同じことが言えるのか……現実を受け入れろ。少なくとも、俺より圧倒的に強いんだよ……!」
常人ならばすでに死んでいるはずの、重傷ぶり。
にもかかわらず、ヂュースは『父』であった。
「ジョンマン……よくもここに、娘を連れてきたな……遠回しな嫌がらせか?」
「……そうだな、悪いことをした」
「いや……いや、いい。もういい、とにかく娘を連れて逃げろ!」
その言葉を聞いて、ジョンマンは硬直した。
「俺のことはいい……娘だけでも逃がしてくれ!」
「……俺からすれば、いや、誰が聞いても」
ずず、と。
ジョンマンは、倒れているヂュースと、彼に寄り添うコエモの前に立ちふさがっていた。
「SSSSランク冒険者様の、素敵な名言だぜ。ヂュース」
「い、嫌味か、てめえ!」
「嫌味で、お前を褒めるもんかよ。おとなしくしていろ、本気で死ぬぞ」
「お前は、Fランク冒険者だろうが! 身の程を弁えろ!」
ランクの表現方法はともかく、ヂュースは本当にミドルハマーで一番強い男だった。
その彼が手も足も出ずに負けたのだから、冒険者として復帰したばかりのジョンマンがどうにかできるわけもない。
そんなことは、誰からも明らかだった。
「おいおい、Fランク冒険者だと! マジかよ……こんなにかっこよく登場して、Fランクとか……すげえな、威厳だけならSSSSSSSSS……Sが一杯だぜ!」
「まったくだ、Fランクが格好をつけるなよ! オッサンなんだからよ、秘めた力の覚醒やらなんやら、信じてるわけじゃねえだろう?」
「信じているんなら、それはそれで痛いけどな! 俺達の腹筋に、大ダメージだぜ!」
そう、ラックシップの部下である、上質な武具を持つ山賊たちも同じであった。
彼らは大いに笑って、ジョンマンたちに近づいていく。
その姿を、倒れている上位冒険者たちは見ていることしかできない。
「アイツら……かなり強いモンスターの素材を……俺達が見たこともないようなランクのモンスター素材を使った防具を着ていやがる……」
「きっと、あのラックシップって奴が倒したのか……奴が買い与えたんだ……くそ、自分の手柄でもないのに、調子に乗りやがって……」
「だが……その強さは、本物だ……アレに比べたら俺たちの装備はオモチャみたいなもんだ……!」
基本的に、武器防具の強さは素材で決まる。
紙や木で作った防具が、鉄で作った武器を止められないのと同じ理屈だ。
この世界でも、基本は同じ。
強い魔獣の部位や希少な鉱石、それらをふんだんに使えば強力なものになる。
それを装備すれば、そこいらのチンピラでも町の上位冒険者を圧倒できる。
「聞こえたかい、おっさん。俺らの武器は、この国で一番深いダンジョンの、その最奥にいるモンスター……その中でも一番強い種類のモンスター……ダイヤモンドレオの革を使っているんだよ!」
「ダイヤモンドレオの革はなあ、炎、氷、風、土、酸、石化……それから、それから……とにかくまあ、すげえ耐性があるんだぜ?」
「それを着ている俺たちが、どれだけヤバいか、わかるかい? わかるように説明できていると思うんだがなあ……?」
へらへら笑いながら、三人のチンピラが近づく。
年齢は、コエモの少し上だろうか。まだまだ、未来がある年齢だった。
しかし、ろくな未来ではないだろう。
少なくとも、まともに未来を描く力があれば、こんなことはしないはずだ。
「この国で一番強いモンスターの革を使った防具、ねえ?」
ぐい、と。
ジョンマンは手を伸ばした。
周囲からすれば、本当にそうとしか見えなかった。
だが次の瞬間、チンピラのうち一人が忽然と姿を消した。
まるでジョンマンが、彼を消滅させたかのようである。
「は、はあ?!」
「な、何をしやがった! てめえ!」
「まあ落ち着け、大したことはしていない。すぐにわかる」
慌てる、残ったチンピラ二人。
彼らはじりじりと後ろに下がり、ジョンマンから距離を取る。
すると上から、なにやら悲鳴が聞こえてきた。
元々彼らが立っていた場所に、それが墜落する。
「あ、ああ……」
「お、おい、嘘だろ……どういうことだ?」
「上に投げて、落とした。簡単だろう?」
消失していた仲間が、無残な姿となっていた。
その肉体はいびつに変形し、表情は絶望に染まったまま変わらない。
「ど、どうやってだ!」
「どうって、力任せだ」
ジョンマンはうろたえるチンピラの、ダイヤモンドレオの革で作られた兜を摑む。
そして、ただ普通に力を籠め始めた。
「あ、ああああああああ!」
「この国で一番強いモンスターの革を使った防具? その程度のものが、役に立つと思うか?」
ぐしゃりと、彼の頭部の上半分がつぶれた。
「役に立つとは思えないから、お前ごときにも配られたんだろうよ……なあ」
ただただ、圧倒的なフィジカルだった。
何が起きているのか、余りにもわかりやすい。
だがしかし、盗賊たちも、ミドルハマーの住人たちも……いや、後者の方が驚いていた。
なまじ、ジョンマンが本当の『この町の出身者』だからこそ、この現実を受け入れかねていた。
「あ、アイツ……ハウランドの弟だよな……?」
「兄も強かったが、弟も強かったのか……!」
「町を出てから25年、失意で帰って来たんじゃなかったのか!?」
そんな声が、この状況を観察していた者達から漏れた。
何が起きているのか、理解が追いつかない。
「この町の生まれ……? ああ、そういうことか。お互い運がないな」
「ああ、まったくだ」
この状況で唯一平静だったラックシップだけは、何もかも納得した、と言う顔になっている。
それに対して、ジョンマンも理解を示していた。
まるで、古くからの知り合いのように、互いの状況を把握していたのだ。
「……あ、あの、ジョンマンさん? ど、どういうことで……?」
「ジョンマン、どういうことだ。お前ら、知り合いなのか?」
近くにいるコエモとヂュースは、揃って質問をした。
一体何が起きているのか、最も近くにいるからこそ聞いたのだ。
「知り合い……ではないな。俺はラックシップなんて名前、聞いたことがない」
「俺もだ。ジョンマン……だったか? 知らんな、多分会ったこともない」
それに対して、二人は極めて素直な、そして揃った返事をする。
お互いがお互いを知っているわけではないが、それでも……。
「だが、あえて言おうか……久しぶりだな『アリババ40人隊』」
「こっちこそだ……10年ぶりだな、『セサミ盗賊団』」
二人が互いの『旧所属』を言いあったことで、何もかもを把握する。
信じられないことだが、実在するはずもないと思っていた伝説の組織の構成員が、双方の組織が解散した後に対面したのだ。
「しゅ、首領?! 俺も全方見聞録は読んだことありますけど……ジョンマンなんて名前は……その、読んだ覚えがないっす」
「そりゃそうだろうな。40人、全員言えるわけじゃないだろう? 俺だってそうだ……」
ずず、と。
ラックシップとジョンマンから、猛烈な圧力が発され始めた。
「こいつは名前の知れた一軍組じゃない……戦闘員の一人、二軍組ってことだろう」
「ああ、その通りだ。隠れたエースとか、裏方の華ってことはない。ただの、40人の中の一人だよ」
二人が放つ『斥力』に、その場のすべての物が押し出されていく。
二人を中心にして、すべての物が、者が、外側へ押し出されていく。
木はしなって、へし折れていく。壁や家は、軋んで崩れていく。空気すらも、押し出されて薄くなっていく。
「さて……今更過去の怨恨はどうでもいいが……俺ののんびりとした楽隠居生活を、邪魔できるほどかねえ?」
「さあ? やってみないとわからない」
ダンジョンがあるだけの小さな町。
その中で、『実在が疑われるほどの強者』が衝突しようとしていた。
「ラグナ……ラグナ・ロロロ・ラグナ」
「む、いきなりか。ラグナ……ラグナ・ロロロ・ラグナ」
両者は、申し合わせて、『同じ呪文』を唱える。
それは、この世界の誰もが、おとぎ話として知っている呪文。
真の戦士だけが唱えることができる、最強の鎧を呼ぶ『召喚呪文』。
「ワルハラ……ヴォーダーン!」
「ワルハラ……ヴォーダーン!」
両者の背後に、同時に荘厳なる鎧が出現する。
それこそは、戦いの神が真の勇者にのみ授けるという『エインヘリヤルの鎧』。
少々のデザインやカラーリングこそ違えども、両者ともに神話の本に描かれている鎧を、そのまま纏っていた。
「これ使うの久しぶりだな……」
「これを着て戦える程度の猛者なら……そこいらの雑魚、素手で潰せるからな」
だがそれは、二人にとって『余所行きの服』程度の認識であった。
神話の鎧を着こんでいることに、何の感慨も抱いていない。
自分だけではなく、敵も纏っていることに何も緊張していない。
つまりは、等身大。
背伸びすることもなく、ただあるがままに、当然に……最強の鎧を着こなしている。
「これが、アリババ40人隊とセサミ盗賊団……」
後ろに圧されて行きながら、コエモは感嘆していた。
神話が実在し、目の前に現れている。それに対して、感動を禁じ得ない。
一方で、彼のことを侮っていた、バカにしていた者達は血の気が引いていた。
アリババ40人隊が実在したとか、彼がその一人だったとかは、一切関係ない。
この男は、自分達を簡単に殺せるのだと、今更理解したのだ。
「くそ……くそ! なんで、なんでそれを黙っていた! 使えるんなら、なんで自慢しない、誇示しない!」
文字通り場違いとして、押し出されていくSSSSランクのヂュース。
彼に対してダンジョンの踏破を自慢していた自分が、滑稽に思えて仕方なかった。
これでは、道化もいいところだ。
「なんでって言われても……そりゃあ、苦労して覚えはしたが……使えるようになったのは、もう十年以上前の話だ。それに……アリババ40人隊では、使えて当然だったからな」
その問いに、ジョンマンは平然と答えていた。
「使えない奴は、戦力外だった。アリババ40人隊は、そういうところだったよ」
「セサミ盗賊団でもそうだったな。幹部になるための必須スキル……そのうちの、一つに過ぎなかったぜ」
これには、ラックシップも同意する。
この鎧が最強であることは、誰も否定していない。
最強の鎧が標準装備であったというだけ、みんな着ていたというだけ。
「それに、これもな。アルフー・ライラー……ワー・ライラー! グリムグリム・イーソープ・ルルルセン! コキン・ココン・コンジャク・コライ!」
次いで唱えられたのは、聞いたこともない呪文だった。
またその呪文によって、何かが起きたように思えない。
しいて言えば、ラックシップの体が小刻みに揺れたことぐらいか。
「おいおい……いきなり全開かよ! アルフー・ライラー……ワー・ライラー! グリムグリム・イーソープ・ルルルセン! コキン・ココン・コンジャク・コライ!」
それに合わせて、ジョンマンも同じ呪文を唱える。
やはり同じように、小刻みに揺れているだけだが、それは双方にとって開戦の合図でもあり……。
「~~~~~~~~!」
「~~~~~~~~!」
溜めに溜まっていた、力の解放であった。
鎧を着こんだ者同士が、全力でぶつかり合う。
肘で、拳で、足で、膝で。
盾も武器も使わず、鎧同士の格闘戦を演じる。
その衝突の、威力や威風には恐れおののくが……。
それ以上に異常なのは『濃度』であった。
「な、なにこれ……」
二人は、時に足を止めて打ち合い、時にすれ違いながらぶつかり、時にもつれあいながら蹴り合っていた。
攻撃、移動のどちらも高速なのだが、なぜか目で追えるのだ。コエモだけではない、傷を負っている上位冒険者たちも、壁に隠れている一般人たちも、あるいは盗賊たちも。
全員が、二人の攻防を視認出来ていた。ただ見えているのではない、情報として認識できるのだ。
何が起きているのかわからない、のではない。
何が起きているのかわかることが、不可解極まりないのだ。
それが錯覚ではないことが、脳の痛みが教えてくれる。
二人の衝突を見ているだけで、脳が悲鳴を上げて、激痛を訴える。
さらに眼球や耳からも、出血を起こしていた。
まるで、処理しきれない情報を、無理矢理脳に押し込まれているようで……。
「こ、これが……『アリババ40人隊は全員が、とある技術を習得している。常人が一度動く間に、何度も動ける』ってことなの?」
認識できるのに、理解が及ばない。
二人が一体どれだけの時間を戦っているのかも、時間感覚の狂いから把握できない。
だがしっかりとわかっているのは、戦う二人にまったく疲労や消耗がないということ。
この超絶の戦いを演じながらも、それは短距離走程度の疲労さえないのだ。
「……これが、アイツの普通なのかよ」
どちらも無理などしていない、平然と戦っている。
これが平然、平静なのだとしたら……自分はどれだけ場違いなのか。
その二人は、揃って自分へ賞賛を口にしたが……。
それがどれだけ、上からの言葉だったのか。
下々の者にしては頑張っている、という意味だったのか。
強要される理解の中で、ヂュースは脳を破壊されていた。
「ふうう~~……」
「はああ~~……」
周辺の木々、建造物、地形をめちゃくちゃにしながら戦っていた二人。
皮肉と言うべきか、彼らはまったく傷を負わずに戦いを終えていた。
揃って息を吐いているが、疲れている様子はない。
「なるほど、確認できた。これは勝てる保証がない」
「……つまり?」
「そちらの顔を立てよう、俺は撤退する」
そして、口から出た言葉は、意外なものだった。
アリババ40人隊に所属していた、怨敵であるはずのジョンマン。
彼を前にして、大して悔しくもなさそうに退く。
その判断は……いや、意外でもなかった。
「今更、命がけで戦うのはごめんだな」
「同感だ、退いてくれて助かる」
見ているだけだった『その他大勢』からしても、両者の実力は均衡している。
どちらが勝ってもおかしくないし、勝つとしても消耗するか大怪我を負うだろう。
ラックシップがそれを嫌がるのは、ある意味当然だ。彼の言動からすれば、むしろ自然である。
「お前ら、帰るぞ」
「ま、待ってください、ラックシップ様! ほ、本当に帰るんですか?!」
「ああ、そうだ。俺はのんびりやりたいんでな、今更頑張りたくもない」
「な、仲間が殺されてるんですよ!?」
とはいえ、ラックシップの部下も当然のことを言う。
ヂュースも数人を殺しているし、ジョンマンも同じだ。
これで帰るというのは、逃げではないか。
「仲間の仇、なんてなまっちょろいことは言いませんけど! でも、これじゃあ俺らが舐められます! 今までさんざん、SSSSランクなんて名乗っている奴に追い返されて、屈辱を味わっていたのに……!」
「それもそうか。帰りたくない奴が一人でもいるのなら、まだ戦わないとな」
盗賊団の頭というものは、部下に対して威厳を示さなければならない。
ただここで退けば、それは彼の威厳を失うことにつながる。
それに対してラックシップは、エインヘリヤルの鎧を着こんだままの手で、抗議してきた部下の頭に触れた。
「え?」
次の瞬間、その頭が消滅した。轟音を放ち、微塵と霧散したのだ。
言うまでもないが、ダイヤモンドレオの兜をつけたままの頭が、綿毛のように消えたのである。
それはつまり、死亡である。
「他に反対の奴はいるか? 相手をしてやるぞ?」
なんでもなさそうに、ラックシップは訊ねた。
その言葉には威厳が溢れている。
改めて、『その他大勢』は理解した。
エインヘリヤルの鎧がどれだけ強力な鎧であるのか、それの打撃がどれだけの殺傷能力を持っているのか把握したのだ。
ラックシップは、その武威さえあれば威厳を保てる。
当然の理であった。
「さ、帰るぞ~~」
緩く去る姿をみて、ミドルハマーの人々は安堵を覚えつつ、しかし先ほど粛清された男への共感もあった。
幸運にもジョンマンが戦ってことを収めてくれたが、それでもすでに重傷者が出ている。
それも、この町の稼ぎ頭、主戦力たる上位冒険者、そしてヂュースである。
彼らが再起不能になっていることは、遠目にも明らかであった。
その首謀者を逃がしていいのか、思わないでもない。
しかし……。
(ありえないとは思うが……もしもラックシップがやったように、あの鎧で攻撃されたら……!)
そのラックシップと互角に戦えたジョンマン。
彼に対して『追いかけて戦え』など、誰にも言えなかった。
「ふぅ……もう終わったみたいだな、俺は薬草採取に戻るよ」
「え、ええええ!?」
「いやもう、俺も面倒ごとは御免でさあ……さっきまで頑張ったんだから、それでいいだろう」
そして実際、彼は元の仕事に戻り始めた。
Fランク冒険者として、薬草採取をしようとしているのである。
ある意味真面目なのだが、誰もがそれに疑問を抱いてしまう。
なぜこれだけ強いのに、バカにされるような仕事に就くのか。
「あ、あの……な、何でですか!? ジョンマンさんは、とっても強くて、アリババ40人隊のメンバーなのに……なんで、自慢しないんですか? 馬鹿にされても、平気なんですか?」
「平気じゃないさ、すこしはムッとする。でもまあ……」
代弁するように、コエモが尋ねた。
それに対してジョンマンは、なんでもなさそうに笑った。
「貶めたいだけの奴に反論しても、疲れるだけだろう?」
それは、強さだった。
心の強さ、というほかなかった。
その大きさに、コエモはほれ込み、ヂュースは打ちのめされるのだった。