負け犬の遠吠え
二人の乙女が里帰りしている間、ジョンマンは自宅でぼ~~っとしていた。
金と時間に余裕のある男なので、悩む暇が尽きないのである。
「……やっぱまだ早かったかなぁ」
「いつまでそれをぐだぐだ言ってるんですか? もう教えた後じゃないですか」
「そうだけどもさあ……なんかもう、後悔が後悔を呼んでさぁ」
深く悩むジョンマンに対して、正面に座るコエモは呆れ気味である。
「……ていうかさあ、コエモちゃん。君は実家に帰らないのかい?」
「ええ~~……そんなことしたらどうなるか、わかりませんか~~?」
年頃の娘が、年長の男の家にいるのはいかがなものか。
もう何度言ったのかわからないが、いくら何でも慣れ親しみ過ぎではあるまいか。
「父は絶対に『なに、お前がエインヘリヤルの鎧を装着できるようになっただと!? な、生意気だな、お前には百年早い!』とかそんな感じで、ちょっと正当性がある感じで怒鳴ってきますよ」
(ヂュース……お前が哀れだ)
ジョンマンの視点からは、ヂュースは立派な父親であった。
命がけでダンジョンに潜り、家族の生活を支える。
街の危機には率先して立ち向かい、力尽きるまで戦う。
そして自分が戦えなくなっても、娘だけでも逃がそうとした。
そこまでの父親でも、酷いことを言われなければならないのだろうか。
(いやまあ……あいつも結構みっともないところはあったけども……それに、一緒に暮らしていたら美点が目立たないもんかもしれないけども……家族ってやっぱり難しいな)
「それから母と姉は、絶対に『エインヘリヤルの鎧を装着できるようになった!? じゃあ今すぐに冒険者として登録して働きなさい!』とか言いますよ。というか、もう言われたし」
「なんだ、言われたのか」
「言われましたよ~~……それはもうがっつりと! でも断りました! 私はまだまだ修行中だからって!」
理解のない母や姉に憤慨しているコエモ。
なお、母や姉は理解のないコエモに憤慨しているものと思われる。
「なんでも、ギルド職員が総出で薬草採取をしているそうですよ。薬屋からのノルマが、全然こなせないからって」
「ふ~~ん」
「それにダンジョンからの生産物もないからとかで、ギルドに収入が入らないんです。なんかジョンマンさんの注文からの手数料が主な収入源になってるそうですよ」
「ええ……」
この世界にも一応は通信販売がある。
カタログを開いてご希望の品を選び、それを冒険者ギルドに依頼。
冒険者ギルドはクエストとしてその依頼を発注、そのクエストを引き受けた冒険者がダンジョンに潜ってそのアイテムを入手。
それを現地の冒険者ギルドに納品し、そこから更に輸送されて依頼人の元に届く流れである。
普通の物流と大差ないので、当然手数料が発生する。
自分の町で賄えるのなら安く済むが、別の町の冒険者ギルドに依頼しなければならない品なら、それはもう手数料が跳ね上がる。
依頼する側からすれば迷惑な話だが、引き受ける側からすれば有難いだろう。
それが定期的なら、なおさらである。
ジョンマンは高たんぱくな食事を乙女たちに食わせるため、この町の冒険者ギルドに発注をかけているのだが、その手数料が主な収入源になっているというのは笑えない。
「……で、ジョンマンさんは薬草採取だけでもやる気出しませんか?」
「出さない、俺はのんびり生きると決めている」
「ジョンマンさんからすれば、草むしりするのも、この町のダンジョンからアイテムを採取するのも同じぐらいの手間じゃないんですか?」
「俺が薬草を採集しているのは、やりがいがあるからだ。お金のためじゃない!」
「……凄い理論ですね」
やりがいがあるという理由で、高い能力があるにもかかわらず、薄給の仕事に就く。
これが逆やりがい搾取であった。
「ところで、薬草採取で得られるやりがいって何ですか?」
「何にも考えなくてよくて気が楽になる」
「……それ、やりがいって言いませんよ」
「金では買えないんだよ、何にも考えなくていい時間ってのは」
「……ジョンマンさんが言うと、別の意味を感じますね」
「いや、意味は一緒だと思うが……」
「そうですね、違うのは余裕ですよね。普通の人は、お金が欲しくて必死なんですよ」
「俺にもそういう時代はあった……もう過ぎ去った……」
「あ、はい」
行きつく先まで行きついて帰ってきた男である、悩みのステージが余人と異なりすぎていた。
「……ん、ところでなんですけど。私ってもう、父より強いんですか?」
「それはまあな。でも君のお母さんやお姉さんが言っていたような、ダンジョンアタックは止めたほうがいい」
「え、駄目ですか」
「君らはまだ、パワープレイができる状態じゃない。どうしてもやりたかったら、竜宮の秘法を習得することだな」
「あ~~……そうですよね、体力が続かないですもんね」
今の修行段階でも、三人の乙女はかなりの強さを持っている。
単純な数値もそうだが、全属性への完全耐性というのは対人戦以上に対モンスター戦では特に有利である。
今の彼女達なら、この町のダンジョンに住むモンスターなど、まったく問題ではない。
だがそれは、連戦や奇襲を抜きにした話だ。
ずっと鎧を維持すれば疲れるし、解除したら不意打ちや罠に対応できない。
こればかりは、身体強化と無敵の鎧でもどうにもならないのだ。
「……そう考えると、私の父はすごいんじゃ」
「ずっとそう言ってるんだけども……初の踏破者だぞ? 本当に凄いんだからね?」
伝説の鎧を着られるぐらい強くなった自分でも、父が普段からやっていた仕事をこなせない。
それを知って、改めて父を尊敬するコエモと、呆れるジョンマンであった。
※
ジョンマンの姪、オーシオ。
王宮に呼ばれていた彼女は、まず国王と一対一で話すことになっていた。
もちろん、相当に異例なことである。
だが異例なことをするに値することには、誰もが同意していた。
今現在、彼女は国家の未来を背負っていると言っても過言ではないからだ。
ドザー王国の国王、ケイス・イオー。
彼がオーシオとの密談場所に選んだのは、居城で一番高い塔の窓の前であった。
自分のひざ元を一望できる場所であり……件の『第五スキル』を見ることになった場所である。
「国王陛下、オーシオでございます」
「伯父上、と呼んでもよいぞ」
「は?」
彼女が近衛騎士であるから、面識がまったくないわけではないのだが、個人的な親交がほぼないのだ。
だからこそ、いきなり『おじさんと呼んでいいんだよ』と言われた時は思わず聞き返してしまった。
というよりも本質的に、叔父だとか伯父だとか、そんなに近い親戚関係ではない。
「陛下……いかに聞く者がいないとはいえ、そのような言葉は……あまりにも恐れ多く……」
「今後は、公の場でもそう呼んでほしい」
「……なぜ、そのようなことを」
オーシオとケイスが親密であることをアピールする。
それが国王の狙いであることは明らかだが、度を越えていると彼女は思ってしまった。
「私はここから……雷光と桜をみた」
「……私は桜を根元から見上げていました」
「そうか……アレを見たくなかったが、見ておくべきだった」
ケイスの脳裏には、あの時の『被害予測』が焼き付いている。
否、多くの国民がそれを知った。
「私は以前、ジョンマンにラックシップを討ってもらうつもりだった。嫌がるジョンマンを、根性無しだと思っていた。だが今にして思えば、二人は冷静だったのだろう」
「あの二人が本気で殺し合えば……被害は凄まじいことになるでしょうね」
「少なくとも、この国は亡ぶな」
はあ、と国王はため息をついた。
「もう全面的に諦めた。仮にジョンマン並に強い者が援軍として現れても、やつと戦うことは諦めてもらう」
「それが賢明かと……」
想定される被害の規模が、あまりにも広すぎる。
一発でも相殺しそこねれば、そのまま国家が滅亡しかねない。
そんな大戦争、国内どころか隣国でもやってほしくない。
「だがそれには、前提がある。お前があの二人に匹敵する……最低でも煩わせる実力者になり、後進を育てることだ」
オーシオは王族であり、近衛騎士である。
ジョンマンと違って、明確に国家を守る立場である。
彼女が大成すれば、国家そのものの兵力となる。
というよりも、彼女は最初からそれを目指して頑張ってきた。
「それができなければ、この国は終わりだ」
「……はい」
「重責を背負わせて、申し訳なく思っている。お前が望むなら、次の国王でも、あるいはその妻の座でも好きなだけ用意してやる」
「え……」
「蛮族の発想だが、この際構うまい。どうせお前がやってくれなければ、この国は終わるのだからな」
ジョンマンやラックシップに『国王にしてやろう』と言っても、なんの価値も感じず、何もしないだろう。
だがそれは二人が異常なのであり、オーシオにとってはありえないほどの報酬であった。
「もちろん、お前が望めば、だ。私自身、国王という仕事の大変さはわかっている。この仕事をしつつ近衛騎士の仕事をしろというのは酷だしな……とにかく、なんでも用意することはわかっていてほしい」
国王は、時代の変化を理解していた。
「これからは、誰でも国を滅ぼせる時代が来る……それを防げるのは、対等な個人だけだ」
「はっ!」
オーシオは、この使命にやりがいを感じていた。
国家の命運を、自分が背負っている。
自分の鍛錬に、大きな意味がある。
オーシオは全力で拝命していた。
※
国王との話し合いを終えたオーシオは、興奮気味に歩いていた。
今の状況を喜ぶことはできないが、それでもやりがいは感じられる。
(もしも頑張らなくていいと言われていたら……ゾッとする)
戻ってからも頑張っていこう。
そう思えるだけのやる気を、補充することができていた。
そんな彼女の前に、影が現れた。
正しく言えば、直接姿を見せず、影だけを見せるものがいた。
「陛下との会話……楽しかったようだな」
「……兄上」
オーシオの兄、エツーケであった。
オーシオは声だけの兄を察知して、眉をひそめていた。
「まさか、聞いていたのですか?」
「そんなことをすると思うか? お前の顔を見れば、何を言われたのかすぐわかる」
興奮していたことを自覚しているオーシオは、顔を赤らめて羞恥していた。
それを振り払うように、兄の影へ叫んだ。
「何が言いたいのですか、兄上!」
「お前は本当に、あの領域に達せると思っているのか?」
その言葉は、彼女が言われたくなかったことであった。
頑張る意味がないと、努力の意味を疑う言葉であった。
「父上の時点で、すでに人の域を超えていた。だが叔父上はそれを遥かに超えている……それこそ、神の域に達しているだろう」
「……そうですね」
「それを、努力でどうにかできると思っているのか?」
「叔父上自身が、努力で獲得しているとしてもですか?」
「だから言っているだろう、努力だけで達せると思っているのか、と」
素直さのかけらもない、斜に構えた言葉。
だがそれは、彼女の中にあった疑心を刺激するものであった。
「叔父上が、私達を騙していると?」
「そう考えたほうが自然だろう? 噂の第四スキルまでは教えても、適当な理由をつけて第五スキルだけは教えない……ありそうなことじゃないか? それでやきもきするお前たちを見て、笑うつもりなんだろう」
オーシオ自身、ジョンマンの強さはこの世のものとは思えなかった。
努力をしているだけで、たどり着けると思えないものだった。
「そもそもだ、そっちのほうがいいんじゃないか? あんな力を、誰もが手に入れられる世界のほうが、よほど狂っている。特別な人間、選ばれた人間だけの力であったほうがいいと、誰もが思っているんじゃないか?」
エツーケの言葉はどれもが彼女の心の隅に刺さるものだった。
それに対して彼女は……。
「で? 兄上はどうしたほうがいいと?」
「そ、それはだな……」
「兄上自身は、この一年何をしていたのですか?」
「わ、私は……」
「その姿を、見てもよろしいのですか?」
エツーケの気配が、少し弱まった。
彼は妹に己の姿を見せまいと、彼女から離れたのだ。
「他人に文句をつけるだけで、何もしていないものを恐れることはない。そうおっしゃっていたのは、他でもない兄上であり父上です。それを兄上自身が裏切るはずもない、であれば……この一年、何かをしていたのでしょう」
「……」
「私はこの一年、国家のために鍛錬を積みました。兄上はどうなのですか」
彼女は、離れていく気配に近づいていった。
それを感じ取ったのか、エツーケは走り去っていく。
それはまさに、今の己を恥じる気持ちの現れであった。
「兄上……叔父上は仰っていましたよ。負けて、それを深刻に受け止めて、それでもなおさっさと立ち上がる者こそが優れていると。兄上が姿を見せないことが……その証明に思えます」
悲しいことに、オーシオはほとんど動揺しなかった。
痛いところを突かれていたのに、兄が言っていると思うとまるで痛くなかった。
それは彼女が強くなった証であり、彼が弱くなった証拠でもあった。




