現在地
ジョンマンの姪、オーシオ。
現在彼女は、故郷である王都に向かって歩いていた。
供も連れず、若い女一人。
なんとも不用心であったが、彼女は何も思っていなかった。
その足取りは、とても軽い。
最強の庇護者だった父は無意味に倒れ、その後継者だった兄は無駄に堕した。
肩身の狭かった彼女は、しかし今は自分で立って歩いている。
(そうだ……今の私は、叔父上の武威の影にいるのではない……私自身に、価値があるのだ)
王族の端くれでしかない彼女の立場は、父の失脚後とても悪かった。
それを盛り返しつつあるのは、自分の努力によるもの。
支払った労力と、それに見合う実力。それが彼女の心を強くしていた。
だがそれは、油断、慢心でもあった。
彼女は人気のない道も、特に警戒せずに歩いていた。
本来ならもっと安全な道を行くべきだったのに、余計なリスクを負っていた。
それが、当然の結果を招いていた。
道行く彼女の前に、武装した男達が現れたのである。
全員が殺気立っており、明らかに堅気ではない。
「何者か! 私が近衛騎士と知ってのことか!」
五人ほどの荒れた雰囲気の男達は、近衛騎士の服を着ているオーシオを前に引こうともしない。
むしろ、彼女をこそ狙っているかのようだった。
「そりゃあ知ってるさ……先々代近衛騎士隊長ハウランドの娘にして、ジョンマンの姪……オーシオだろう?」
「私をオーシオと知って襲うとは……命が惜しくないと見える」
「いや、惜しいね。命は大事だ、金の次にな」
男たちの中でリーダーと思しき者は、不敵に笑いながら目的を告げる。
「お前の叔父ジョンマンは……金持ちでもあるんだろう?」
「それは、まあそうだ」
元アリババ40人隊であるジョンマンは、末代まで遊んで暮らせるほどの大金を蓄えている。
その資産は、王族ですら遠く及ばないほどだろう。
「お前を捕まえて身代金を要求すれば、一生遊んで暮らせる額の金を払ってくれるんじゃねえか?」
「……成功すれば、そうでしょうね」
ジョンマンは大金を持っている一方で、稼いだ苦労も忘れていない。
無駄なことに使わないようにしている一方で、使う機会をうかがってもいる。
姪がさらわれて身代金を要求されたのであれば、ためらわず支払うだろう。
「俺達の目的はそれだ。大事な命をかけるには、十分じゃないか?」
「正気を疑いますね……叔父上には勝てないが、私になら勝てると?」
元よりオーシオは、近衛騎士であった。
そこいらの暴漢が相手なら、五人相手でもまず負けることはない。
だからこそ、彼女は自力で解決しようとしていた。
「アンタ近衛騎士なんだろう? 父親はこの国一番の騎士(笑)で、叔父はアリババ40人隊の隊員様……まあ強いわな」
その彼女を、男たちはあくまでも嘲っていた。
「おまけに王族の血が入っている……アンタには、輝く未来が待ってるんだろうねえ」
「なにが言いたい」
「未来は、未だ来てないっていうことなんだぜ?」
五人の男たちは、同時に呪文を唱える。
「ラグナ……ラグナ・ロロロ・ラグナ」
「な、まさか……!」
「ワルハラ……ヴォーダーン!」
五人の男達全員の背後に、全身甲冑が現れる。
それはまさに、エインヘリヤルの鎧であった。
それはそれぞれの男達に装着されていき……消えた。
「……な、なんだ、それ」
オーシオは、反応に困っていた。
おそらくこの五人は、ラックシップの部下なのだろう。
オーシオと同じように、略式で神と契約を果たしたのだろう。
それ自体はいいのだが……。
「言葉もないようだな……」
「いや、自慢をされても……」
五人とも、まったく鎧を装着できていない。
いや、もはや鎧ですらない。
五人それぞれ、手甲や胸当て、兜の一部など……鎧の一部しか装着できていない。
リーダーらしき男すら、片腕しか鎧に覆われていない。
半端な状態で習得した、どころではない。
下限ギリギリで習得した、ということだろう。
「もちろん言いたいことはわかってるぜぇ……こんなクソしょぼい状態で自慢されても困るって話だろ?」
「……そうだ」
「ジョンマンやラックシップ様……それからお前の父親と比べれば、ショボショボだって話だろう?」
「そうだ」
「わかってるよ、そんなこと」
肩をすくめながら、男たちは嘲笑した。
それこそ、まさに暴漢、悪漢である。
「でもな、俺達はこれでいいんだよ。未熟なんてとんでもない、完熟さ」
「なにをばかな……」
「今この瞬間、お前より強ければそれでいいんだよ」
そしてその言葉には、それなりの説得力があった。
「お前は強くなるんだろうさ。ご立派な指導者の下で、真面目に鍛えてるんだからな。五年もすれば五つの基本スキルを全部覚えるだろうし、十年後にはジョンマンやラックシップ様の域に達するかもな」
オーシオには未来がある。
未来に向けて、今を頑張っているのだから。
だがそれは、未だ来ていない、先の話だ。
今の彼女は、そこまでに達していない。
「でも今のお前は違うだろ? 大事に大事に育てられている分、今はまだ土台作りの最中だろう? 今この瞬間なら……付け焼刃の俺達でも倒せるはずだ」
じりじりと、男たちは間合いを詰めていく。
「モチベーションって大事だよなあ、計画性って大事だよなあ……俺達はこのタイミングの為に準備をしていたんだよ!」
「なるほど……バカはバカなりに考えているようだ」
オーシオは、目の前の相手を褒めた。
これは悪事の計画としては、それなりに筋が通っている。
五人で襲おうとしていることも含めて、計画的な犯行と言えるだろう。
「だが……偵察を怠ったな。私は大事に育てられているが……その大事にも、いろいろあるということだ!」
だがしかし、今のオーシオには勝算があった。
「ラグナ……ラグナ・ロロロ・ラグナ」
「は……!?」
「ワルハラ……ヴォーダーン!」
彼女の背後に鎧が現れ、彼女の体に装着されていく。
それはやはり完全とは程遠いが、体をしっかりと守る鎧になっていた。
その習得度は、目の前の五人を大きく超えている。
「う、嘘だろ……大事に育てられているお前が、デメリットのある鎧を……その段階で!?」
「そうだな……当初はもっと育ってからの予定だった。だが私にも事情があってな、こうして早期に授かったのだ」
もしもエインヘリヤルの鎧を授かっていなければ、この場で未来が途絶えたかもしれない。
それを思うと、オーシオはジョンマンの指導に感謝せずにいられなかった。
(まず強くなるべきだ……か。その通りでしたよ、叔父上。もしも他のスキルから習い始めていたら、詰んでいたかもしれない!)
襲撃者たちの考えは、間違っていない。
なぜならジョンマンと同じ考えだったからだ。
「さあかかってこい……この近衛騎士、オーシオが相手だ!」
底辺とはいえ、エインヘリヤルの鎧を装備する者同士。
第一スキルを習得してから初の実戦に、彼女のテンションは上がっていた。
しかし……。
「嘘だろ、予定が、計画が……ぎゃあああああ!?」
「り、リーダー?! あ、ぎゃああああ!!」
「俺もぎゃああああ!」
「おがああああああ!」
「に、逃げないと……ああああああああ!」
目の前にいた五人は、等しく自滅していた。
簡単に勝てるとふんで襲おうとしたのに、相手はすでに自分達より強くなっていた。
彼らは彼らなりに努力して苦労して、今の力を手に入れた。
にもかかわらず、もう永遠に好機は訪れない。
彼らが絶望したのも、まあ仕方が無いと言えなくもない。
いや……言えないだろう。
「……なるほど」
神の怒りに触れて、再起不能となった五人。
その惨めな姿を見て、オーシオは自分の習得したスキルの危険性を再認識していた。
「不完全な状態、それこそこの五人のように一端のみ装備しているだけの状態でも、全属性への完全耐性はあるはず。それだけの有用性があっても、伝承が途絶えたのは……こうなるからか」
それこそラックシップのように、部下がどうなってもいいと思っているのならともかく、まともな指導者なら一定の段階に達するまで教えないだろう。
なんなら、一生教えないというパターンもありそうである。
「あ……が……」
「それにしても、叔父上が父を軽蔑した気持ちが……今更ながら、わかってしまったな」
絶望して自滅した者を見ていると、これはないな、という気持ちでいっぱいになるのであった。
※
奇しくも、時を同じくしてリョオマ……オリョオも同じように襲われていた。
修行の成果を実家に示そうと向かっていた彼女の前には、弩を構えている男が五人と、リーダーらしきやせた男が立っていた。
「ラックシップの部下の一派、と名乗っておこうか。まあ奴は下のものを管理しようとしていないので、お互いにまったく仁義はないのだがね」
その痩せた男は、鎖でつながっている二つの金属の輪を投げて渡した。
見る者が見れば、手錠であるとすぐにわかるだろう。
「それを自分で使って、両手を拘束してもらおうか。そうすれば、こちらとしても余計な危害は加えない」
「私を捕らえるおつもりですか……では私が何者なのか、わかっているということですね」
「もちろんだ……ティーム家の、リョオマ……いや、オリョオか」
「!」
自分の本名と仮の名前、その両方を言い当てられて、彼女は顔を堅くした。
(私の本名と偽名を知る者は、私以外にいないはず……一体どうやって!?)
彼女にとって震天動地の状況であるが、それでも彼女は毅然と振舞っていた。
「私を捕らえて、実家から身代金を?」
「実家? ああ、まあ、そっちからでも引っ張れそうではあるが……お前の師匠であるジョンマンのほうが、よほど金を持っているだろう」
「ジョンマン様に……私を捕まえたと報告するつもりですか!?」
迷惑をかけるわけにはいかないが、正体を知られるわけにもいかない。
オリョオは、戦闘態勢に入る。
今の彼女は男装を解き、ティーム家の普段着……はかま姿になっている。
動きにくいように見えて、しかし隠匿性も高い。
下半身の動きを周囲に悟らせないことで、より神域時間を使いこなせるようになっている。
「おっと……やめておけ。お互いのためにな」
だがリーダーである痩せた男は、あくまでも冷淡だった。
「私たちを見て、なにか気付かないか?」
「その小刻みな振動……まさか!」
「ああ、そうだ。我らはすでに、複数回行動を修めている」
複数回行動の準備態勢に入っているという、並んだ六人の男達。
彼らはとても冷静に、そして冷淡に彼女を見つめていた。
「もちろん、白帯程度の代物だ。生まれた時から修めているであろうティームの者に、到底及ぶとは思っていない」
ティーム家が神域時間……複数回行動の本家であることは、それこそ昔から有名である。
ジョンマンに弟子入りしていることとは何の関係もなく、オリョオは最初からそれを一人前の域まで修めており、それは全体にとって当然のことであった。
「実際に学んでみると、大変だったよ。修行そのものも非常に地味だし、発動させることも困難だ」
「当然です」
痩せた男は、白々しく称賛した。
それに対して、オリョオはあくまでも緊張を示している。
「だが……目的は達成できた。複数回行動の弱点を把握し、それを突く戦術も構築できたからね」
「!!」
その痩せた男の言葉は、ティーム家が最も恐れたものであった。
「具体的にどうするのかを教えよう。まず一人が君に向かって矢を放つ、君は当然神域時間で対処するだろう。だがその行動を始めたタイミングで、こちらも一人が矢を放つ。それを繰り返していけば、君は回数を使い切って撃たれるだろう」
「それは……!」
「私たちは未熟だが、君の行動に割り込むことはできる。そして複数回行動だからこそ、君が避けたとしてもそれへ狙いを定めながら撃てる」
複数回行動は高速移動と比べて、機動力に欠ける。
だが精密な動作、狙いを定める動きに関しては比較にもならないほど、複数回行動の方が優れている。
動く相手へ狙いを定めながら撃つ、ということさえ容易になるのだ。
「ついでに言うと、矢には少々の毒を塗ってある。死ぬようなものではないが、君の動きを封じるには十分だ」
「……かすり傷一つで十分ということですか」
「そうだ。とはいえ、わざわざやりたいわけではない。君がおとなしく捕まってくれるのなら、それで私たちは満足だ」
術利を知られて恐ろしいのは、相手が同じ術を使ってくるというだけではない。
相手がスキルの特性を理解し、弱点を見抜き、対策を練られてしまうことだ。
「あ……」
「ショックかね? だがそんなものだろう……ジョンマンに弟子入りした君は分かっているはずだ、神域時間は……複数回行動は、無敵ではないとね」
ティームが恐れていた状況になって、オリョオは体を震わせていた。
「馬脚……」
「なにかね?」
「馬脚という言葉の語源を知っていますか?」
オリョオは、震えながら質問をした。
だがそれは、自分が知らないから聞いたわけではないし、相手が知っていると思ったから聞いているわけでもない。
「奇妙に思えるかもしれませんが、馬脚とは『馬の脚』ではないのですよ」
「……?」
「元は芝居の言葉で、被り物などをして馬を演じている役者が、自分の脚を観客に見せてしまうことを意味します。つまり……演者の失敗を意味します」
馬脚を現すというのは、つまり『馬の足が見えている』ということではなく、『馬役を演じている役者本人の、人間の足が見えている』ということ。
整理すると、滑稽に思える言い回しであった。
「だから、何かね?」
「私達ティーム家は、先祖代々演じてきたのですよ……不可思議な技を使う、神秘の一族……そういう役を、演じてきたのです」
オリョオは、震えながら、笑っていた。
「もしも本当のことがバレたらどうしよう、と怯えながら……神経質に、秘伝としていたのですよ」
「それが崩れたのは、哀れだとは思うが……それで?」
「貴方が言ったように、私たちがジョンマン様の弟子に入ったのは、その弱点を補うため……他の四つのスキルを学び、完全なる強さ……速さを得るためでした」
「それは簡単ではあるまい?」
「ええ、そうです。私自身、一つに関しては修めているのではっきり言えますが……残り四つも同じ難易度なら、一年かそこらで一丁前になるわけがない。貴方の想像したとおりにね」
スキルとは、人間の技術や能力の延長線上にあるもの。
運動不足の者が身体強化能力を得ることはできないし、注意力散漫なものがいきなり注意力を上げるスキルを得ることもできない。
まず運動不足を解消、まず注意力を上げなければならない。
だがそれはつまり……スキルを習得して一気に強くなるのではなく、その前段階から徐々に強くなっていくことを意味している。
「ですが、初歩であっても意味がある。それを知っているのは、貴方たちも同じでは?」
「!!」
「複数回行動の弱点を知っているのは、私も同じですよ。むしろ、貴方たち以上にね……!」
オリョオは鍛えた身体能力をもちいて、高速で後ろに下がった。
もちろんジョンマンほどの速さはないが、達人というわけでもない襲撃者たちはそれに対応できない。
「ラグナ……ラグナ・ロロロ・ラグナ」
弩の矢が届くのか怪しい、安全な距離。
そこに立った彼女は、呪文の詠唱を始める。
「ワルハラ……ヴォーダーン!」
背後に現れた鎧を装着し、構えをとっていた。
「エインヘリヤルの鎧……ばかな、もう習得していたのか!?」
「ええ……元はこれを披露するために、帰る最中でした……ふふふ……ふふふ!」
オリョオは、震えていた。
彼女は恋人に出会ったかのように、歓喜に震えていた。
「はしたない女だと、笑ってくださって構いません……私は、正直、期待していたのです。貴方たちのように、複数回行動の弱点を突こうとした襲撃を……期待していたのです!」
ーーー護身術、合気道、空手、柔道。
それらの道場では、素手で戦う術を、身を守る術を教える。
だがしかし、その指導者は口酸っぱくするほど、ある一つの指導をする。
危ないところに行くな、襲われたら逃げろ。
という、意味不明なことである。
だがこれには、一つの理由と、一つの必然性がある。
まず理由についてだが、普通に危ないからである。
護身術を練習したから、実際に暴漢に襲われてみて、技を使ってみたい。
そんなことをやるのは、シートベルトやエアバックの性能を確かめたくて、自分で交通事故を起こすようなものだ。
百害あって一利なし、自殺行為である。
そして必然性についてだが……。
言わないとやってしまう、なんなら注意されてもやってしまうからである。
「その期待どおりでした……貴方達は複数回行動を学び、その弱点や対処法を考え、実際に目の前に出してくださった。本当に、本当に、嬉しかった……対策への対策を思い描いていた私にとって、千載一遇のチャンスです……!」
鎧を身に着けたオリョオの目は、歓喜の輝きを放っていた。
殴ってもいい相手を見つけた、武術を習いたての悪ガキのような心の表れだった。
「辛い修行に耐えることで、私は理想とする速さに近づきつつあります……神秘のベールを必死に守ろうとする強者から、真の強者へ変わりつつある……それを、実戦で実感したかった……!」
この時、ラックシップの部下たちは失敗を悟った。
まずそもそも、この女を狙うべきではなかった。
仕上がりのいい刀を手にした剣豪のように、新しい弓矢を買った狩人のように。
この女は、戦いに飢えている。
「ジョンマン様の元で培った身体能力を、授かったスキルで強化する。それによって私の機動力は、大幅に上がっている。それに一人前の複数回行動が合わさればどうなるか……体験してくださいね」
今の彼女は、浄玻璃眼が無いためタイミングが完全ではないし、竜宮の秘法を修めていないため体力も不十分。
だがそれでも、雑に強いエインヘリヤルの鎧と繊細な強さを持つ神域時間が合わさったことで、まさに神域の機動力と速度を得ていた。
「タケット、メット、カーラット! さあ……私の成長を、実感させてくださいまし……!」
襲撃者たちは、最善の行動をとった。
武器を捨てて、背中を向けて、逃げ出したのである。
もはやクールぶることも、悪役ぶることも放棄して、命だけを求めて走っていく。
だが走り出した一瞬後、彼女はすでに六人の背中に追いついていた。
「逃がしません……お付き合いくださいね?」
※
ーーー彼女は無事家に帰り、成果を報告することができたのでした。
めでたしめでたし。




