暇つぶし目的の就職
実家を自宅として購入したジョンマンは、ほどなくして家具をそろえた。
旅の間着ていた服は、一部の思い出の品以外全部捨てて、新しくそろえた。
普通なら、かなりの出費である。
だがジョンマンは、まったく困っていなかった。
「……思った以上に減らないな」
アリババ40人隊は、当然ながら黒字経営であった。
冒険の度に巨万の富をため込み、もはや巨万に巨万が上乗せされていた。
もちろん必要経費も膨大であったので、それが全部残っていたわけではないのだが……。
それでも解散の際には、全員に『末代まで遊んで暮らせる』だけの富がいきわたっていた。
二軍とはいえ構成員だったジョンマンも、同じである。
彼の手元には、大判小判がざっくざく、という『千両箱』がいくつもあった。
凡俗ならば、刺激を求めてこれをばらまくだろう。
だがそういうのは現役時代にやり尽くしており、いまさら大金をばらまいて遊ぶ気などなかった。
高潔とか謙虚とかではない、飽きたのである。
「さあて、どうするか」
40歳というのは、世間一般において、まだまだ必死に働く年齢である。
だがそれは働きたいからではなく、働かないと死ぬからである。
自分のためにも、家族のためにも、社会のためにも、働かなければならないのだ。
では、もう一生働かなくていいほど金をため込み、なおかつ遊ぶほどの情熱がない男はどうするのか。
安全欲求も生理的欲求も、社会的欲求も承認欲求も、自己実現欲求も、果ては自己超越欲求さえ満たした男は……。
燃え尽き症候群に陥り、その上で暇を持て余した男は、故郷で何をするのか?
※
ミドルハマー、中央通り。
そこには一軒の、よく賑わう建物があった。
いわゆる冒険者ギルド、職業斡旋所である。
ジョンマンは、そこの受付を訪れていた。
「すみません、以前ここに登録していた者なんですけど……登録カード、無くしちゃいまして」
「そうですか、紛失ですね……最後に仕事を受けたのはいつですか?」
「25年前です」
「はいはい、にじゅう……ええっ?!」
受付をしている若い女性は、自分が生まれる前に登録をしていたという中年男性を見て、なんで今更と驚いていた。
まあ、無理もない話である。
「そ、そんな昔の記録は残っていませんよ! もう一度登録し直してください!」
「あ、そうですか……じゃあそれで」
「一応申し上げておきますが、再発行する場合はFランクからのやり直しですからね。半年の間、昇格試験を受けられないですからね」
「あ、はい」
「はっきり言いますけど、一日まじめに働いても、食べていくのも厳しいですからね!」
「あ、はい」
「冒険者とは名ばかりの、しょぼくさい労働ですからね! ダンジョンに入ること、近づくことも厳禁ですからね!」
「あ、はい」
冒険者ギルドの受付嬢は、それこそ受付嬢の領分を大きく超えた『説教』をしていた。
あとで文句を言われないための仕事の説明、というよりも本人のやる気を確かめるためであろう。
ジョンマンがまったく反発しなかったため、やる気がないのだと諦めたのだ。
実際、まったくない。これっぽっちもない。ただの暇つぶしとして、労働強度の低い仕事を選んだだけである。
(このオッサン、駄目ね。まったく……25年も何をしていたのよ)
(とか思ってるんだろうなあ……)
受付嬢の態度を見て、ジョンマンは彼女の心の内を想像した。
(まさか俺がアリババ40人隊の元メンバーで、有り余るほどの金をもっていて、暇を持て余してここに来た、なんて想像するわけねえよなあ)
言っても信じないだろうなあ、と察して苦笑いをするジョンマンである。
「Fランクの仕事は、大したものではありません。ですがそれができなければ、昇格試験は受けられません!」
「あ、はい」
「そんな返事をする人が、上に行けると思わないことです! 遅くから始めた分、やる気を出すべきなのです!」
(もう、世界の頂点を極めた後なんだがなあ……)
「まだ何も成していない貴方が、なぜそんなにやる気がないんですか!」
(もうやることがないくらい、何もかもを成した後なんだがなあ……)
彼女の熱意が『一般常識』の範疇において、まともであることを彼は認めていた。
だがそれはそれとして、まったくひっ迫していないので、やる気などみじんもなかった。
「今この冒険者ギルドにいる誰よりも、貴方からはやる気が感じられません! 同じFランクでも、もっと必死ですよ!」
(人を見る目は確かだなあ……)
娘ほども年下の女性から、しかも上司でも何でもない受付嬢から、ぼろくそにこき下ろされている。
その姿を見て、周囲の冒険者からは失笑が漏れていた。
「おいおい、あのガッツのなさはなんだ? やる気が感じられねえ」
「ここでなにおう、と言うんなら見どころもあるんだがなあ」
「ああいうのは、こっちが気を回してやってもすぐに諦める」
「自分で自分が劣っているって認められなくて、周囲が悪いって言って、それで数日で来なくなるんだぜ」
ある種の洗礼に対して、ジョンマンがどうしたものかと思っていると……。
冒険者ギルドの扉を開けて、一人の男が入ってきた。
「お、なんだ。ずいぶんと騒がしいな?」
その男の登場で、場の空気が一気に変わる。
それを感じ取ったジョンマン自身も、そちらを向いた。
「……ん、おい、お前もしかしてジョンマンか?」
「ヂュース……?」
25年前にこの町を出たのだから、当時の知り合いがいても不思議ではない。
だが互いに憶えているとなれば、それはもう奇跡のようなものだろう。
ジョンマンからヂュースと呼ばれた男は、やはり同年代の男性であった。
素人から見てもわかるほど威厳があり、この冒険者ギルドにいる他の冒険者とは一段も二段も格が違っていた。
「おい、あのオッサン……ヂュースさんのことを呼び捨てにしたぞ」
「多分若い時の知り合いなんだろうが……身の程を知らねえな」
「今はもう、身分が違うってのにな」
冒険者たちも、ヂュースに対して畏怖の念を向けている。
ヂュースに対して呼び捨てをしただけにも拘わらず、ジョンマンに呆れてさえいた。
「なんだお前、今更帰ってきたのか。外に出てボロボロになって、夢破れて帰ってきたってか?」
「ああ、まあな。ヂュースはずいぶん出世したみたいだな」
「ふ、ああ、まあな」
実際、ヂュースはジョンマンの友人であった。
幼いころには一緒に遊んだし、子供になってからは喧嘩をしつつ将来の夢を話し……。
ジョンマンが家を出る前までは、一緒にFランク冒険者の仕事をしていたのだ。
「今の俺は、この町一番の冒険者。そのランクは、SSSSだ!」
「へえ、一番……えすえすえす……なんだって?」
誇らしげに、自分のランクを明かすヂュース。
聞きなれない単語に、ジョンマンは思わず聞き返していた。
「お前も知っていただろうが……この町にあるダンジョンに入れるのは、Dランク以上の冒険者だけだ」
「Eランクはたしか、ダンジョンの一階から出てきたはぐれを退治する仕事だもんな」
「だがそのDランクも、一階までしか入ることが許されない。一層深くなるごとに、モンスターは数や強さを増していくからな。そして……地下10階以降は、道がとんでもなく狭くなる。ソロ以外では入れないが、ソロで太刀打ち出来るモンスターの強さじゃない」
「だから10階以降は未探索なんだったな。それで?」
「俺は、そこに踏み入った唯一の冒険者だ」
とんでもなく自慢げに、史上初の偉業を誇るヂュース。
これを聞いて、ジョンマンは素直に驚いていた。
「え、マジで?」
「大マジだ。それどころか、そのさらにさらに奥……このダンジョンの底、最奥部15階に到達したのさ!」
ヂュースは誇らしげに、ダンジョンの入り口に彫られている『ダンジョンシンボル』と同じ印が刻まれている大剣を見せた。
それはダンジョンの最奥に初めて到達した証であり、冒険者にとって憧れである。
「その成果を認められて、俺はSSSSランクの冒険者になったわけよ。どうだ? 凄いだろう?」
それを見せびらかすヂュースは、ちらちらとジョンマンを見ている。
「ああ、凄いな。最初は何事かと思ったが……もう好きなだけSをつけていいと思うぜ」
ジョンマンは、素直に褒めていた。
ダンジョンの初踏破とは、それだけの偉業なのである。
「それだけか?」
「な、なんだよ……?」
ここで、露骨にヂュースは白けた。
「お前ら、コイツを見ろ」
彼はここで、周囲に話しかける。
「この男はな、ジョンマンという。あの! このミドルハマーの誇りの! 近衛騎士団長、ハウランド様の弟だ!」
ジョンマン自身も最近知ったことを、高々と喧伝する。
やはりジョンマンの兄は有名人であるらしく、冒険者たちも受け付けも驚いていた。
「ハウランドに、弟がいたのか? そんなの、会ったことがないが……」
「いや昔、家を出た不肖の息子がいたとかなんとか……」
「そうか、だから知り合いなんだな……」
「近衛騎士団長の弟が、Fランク冒険者とか……ウケるな」
驚いたうえで、笑っている。
彼らは『近衛騎士長様』の汚点を見つけて、それが嬉しくて笑っているのだ。
これにはさすがに、ジョンマンも少しむっとする。
(全員、ぶっ殺してやろうかね)
ふと、ちらりと、どうでもいい考えが脳をよぎった。
やろうと思えば、一瞬で皆殺しにできる。死んだことも気付かない、無痛の殲滅が可能だ。
いや、なんなら非効率な振る舞いだってできる。
全員の顔と名前を憶えて、一人一人ぼこぼこにして、苦しませてから殺して、それを最後の一人になるまで繰り返す。
そして邪魔する奴も、皆殺し。隠す奴も、皆殺し。
そして何もかも終わった後で、素知らぬ顔で生活する。あとで咎めてきた者も、皆殺しにする。
それができるだけの実力は、備わっていた。
(アホクサ)
自分の想像に、ジョンマンは失笑した。簡単にできすぎる、すぐ終わる。文字通り、暇つぶしにもならない。
自分の歩く先を横切ったアリをわざわざ全部潰して、巣にお湯を流し込むようなものだ。
その滑稽さに、失笑をしたのだ。
「ああ、そのなんだ、お嬢さん。Fランク冒険者はFランク冒険者らしく、しょっぱい労働に勤しむから……仕事を紹介してくれ」
あくまでも冷淡に、そして業務通りにこのギルドを出ようとする。
「え……」
「ほら、SSSSランクの冒険者様がいらっしゃるんだからよ、待たせちゃ悪いだろ」
「そ、そうですね……では、町はずれの森で薬草の採取を……」
「了解」
同年代、あるいは自分よりも若い冒険者たち。
彼らからバカにされながらも、ジョンマンは一人寂しく、孤立しながら去っていく。
しかしその姿に、弱弱しさはまったくなかった。
※
城壁の外、薬草が採取できる森に入ったジョンマンは、薬草採集を行っていた。
雑草や毒草をかき分けながら、薬効のある草を刈り取り、それをかごに入れる。
なんともシンプル極まる、単純作業。これが上達したとして、モンスターを退治する腕が磨けることはないし、トラップを見分ける眼力が得られるわけでもない。
ただ退屈なだけの仕事に、彼は従事していた。
「……」
矛盾した話だが、退屈しのぎにはいい仕事だった。
誰とも話す必要がなく、自分のペースでこなすことができる。
もちろん実入りは少ないが、暇つぶしで小銭が入ると思えばまあ悪くなかった。
これが金持ちの余裕、というのなら、一周回って羨ましがられる境地であろう。
それを満喫している彼は、少しばかり上機嫌になっていた。
(あ~~……すげえ楽。なんにも考えなくていいな、コレ)
長期間の冒険で、スリルに飽き飽きしていたジョンマン。
彼はこの『のどかな採集』にリラックスをしていた。ポジティブに考えれば、潮干狩りの行楽のようなものかもしれない。
「あの、すみません……お仕事中、よろしいですか?」
だがしかし、そんな時間に割り込んでくる者がいた。
腰をかがめて作業していた彼に、一人の冒険者らしき女性が話しかけてくる。
「……あんま良くないから、手短にな」
「す、すみません……」
年齢は、先ほどの受付嬢より少し年下だろう。
当然ながら、ジョンマンからすれば娘のような年齢である。
ジョンマンがこの町を出た年と、だいたい同じかもしれない。
「私はコエモと申します。先ほど、父と姉が不愉快な思いをさせてしまったそうで……」
「父……と、姉?」
「ヂュースは私の父で、受付をしていた者が私の姉なんです」
「ああ……っていうか、アイツら親子だったのか……」
身の内を聞かされて、ジョンマンは納得した。
なるほど、身内があんなことをしていたら、とんでもなく恥ずかしいだろう。
「っていうか、アイツ結婚して子供もいるのか……」
「ど、どうしました!?」
「いや……男として負けた気がして……ていうか、負けていることを知って……へこんでる」
自分がアリババ40人隊として大冒険をしている間に、幼馴染は結婚して子供を作っていたのだ。
人生に優劣をつけるのは不毛だが、負けた気にはなっていた。
「こう言ってはなんですが、私は父を凄く尊敬しているんです。町一番の冒険者ですし、初めて踏破した人ですし……父としても、とても尊敬しています。でも……」
一方で、コエモも浮かない顔であった。
謝罪に来たのだから当然だが、ヂュースに対して思うところがあるようである。
「さすがに、貴方にマウントを取ったり、お兄さんのことを引き合いに出してバカにするのはおかしいじゃないですか」
「それはそう」
自分の父のおかしなところに気付けるというのは、教育の成功であろう。
なお、父の背中を見せるという意味では失敗している。
「父は、貴方のお兄さんに劣等感を覚えているんですよ。自分以上に出世して、国中に勇名をとどろかせていますからね……正直、面白くないと思います」
「それもそうだな」
「でも……気にしすぎだと思うんです。あんなふうにイライラしていたら、かえって自分の評判を落とすと思います」
「それもそうだな」
「父も十分凄いんですから、堂々とするべきです」
「……そうだな、そう思うよ」
さっきの振る舞いは、株を暴落させるものだった。
その点において、二人は共感する。
「独り者の俺から見れば、結婚して子供がいるってだけで羨ましくて仕方ないね」
「多分父は、それを羨ましがられても喜ばないと思いますよ」
「そうかもしれないけどねえ、俺には無理だったからねえ……」
「え、そうなんですか」
「そうなんだよ……」
「な、なにかあったんですか……!」
「何もなかったんだよ……」
この世界、この時代において『大人なのに結婚していない、子供がいない』というのは特定の状況を除いて異常である。
よってコエモが『死別したんだろうか』と思っても不思議ではない。
「俺の素性は軽く聞いているだろうが……若いころに街を飛び出してね、さんざん無茶をしたんだよ。結婚とか子育てとか、している暇がなかった。おかげで故郷に帰ってきた今は、一人ぼっちで暇を持て余しているというわけさ」
「……この町を出た、ですか」
ここでコエモは、好奇心をそそられたかのような顔をした。
「それって、どれぐらい遠くですか? この国を出て……海の向こう側とかにも行ったんですか」
「ああ。船に乗って、いろんなところに行ったよ」
いろんなところに行った、という雑な説明をする。
実際には、この世界のあらゆる場所で冒険をしたのだが……。
(まあ、誰も信じねえよな……)
それを言うほど、彼は愚かではなかった。
「私、海の向こうに興味があるんです! まあ、海自体見たことがないんですけど、それこそちゃんとした大冒険がしたいんです!」
そして年長者の貫録を見せるべく、なんとも楽しそうな彼女の話に付き合っていた。
「このマルコ先生が書いた『アリババ40人隊ー全方見聞録ー』を読んで、大冒険の大航海に憧れたんです。まあ、フィクションだとわかるんですが……」
(本当に信じられていなかった……)
盟友の書いた自分たちの冒険譚が、まったく信用されていないという現実には打ちひしがれていた。
まあ誰でも知っているような、伝説の武器とか神話の呪文とか、災害のモンスターとかが出てくるので『各地の伝説の再編』と思われても不思議ではない。
「本に書いてあるようなこと、現実に起きるわけないですもん!」
(いやまあ、盛っているとは思われるかもしれないけども……『この物語はフィクションではありません』とは書いてあるはずなんだが……)
「でも、夢があるじゃないですか。アリババとその仲間の40人が、時に巨大な組織と戦ったり、国家間の戦争に介入したり、巨大なモンスターを討伐して料理したり……素敵だと思います」
全然真に受けてもらっていないのに、あこがれの対象にはなっている。
その複雑なようで単純な状況に、彼はどう思っていいのか迷っていた。
「中でも、セサミ盗賊団との戦いは凄いですよね! 最大最強の敵とのバトル! ま、まあ冒険者っぽくはないんですけど……派手で!」
「アレに憧れるのなら、俺の兄貴みたいに騎士になったほうがいいと思う」
アリババ40人隊が世界を股にかけた冒険者たちならば、セサミ盗賊団は世界を股にかけた犯罪者集団であった。
どちらも名声は同等であったが、アリババ40人隊が文字通りの『小さな組織』であるのに対して、セサミ盗賊団は下部組織も含めれば万単位の構成員がいたとされる。
両者の、最大にして最後の激突は、最後のダンジョン攻略と比べても劣らぬだけのイベントであった。
「そんなことないですよ、現実の冒険者だって盗賊とかとも戦います!」
(アリババ40人隊も、実在した冒険者なんだが)
「私の父も、この町が襲われたら撃退しているんですよ! それに、他の街から応援を要請されることだってあるんです!」
何気ない言葉を聞いて、ジョンマンは驚いた。
「……なあ、そんなに盗賊がくるのか?」
「え、はい。なんか最近は、ならず者が集まっているらしくて……」
「ふうん……俺が故郷に帰ってきたのは、世界の中では治安が良かったからもあるんだが……」
「すぐよくなりますよ! 私の父もそうですけど、貴方のお兄さんもいるんですから!」
「それも、そうか……」
治安が悪化しているのか、と不安になるが、それはすぐにぬぐえた。
それこそセサミ盗賊団でもあるまいし、国家がその気になればどうとでもできる。
自分のようなものが、一々心配する必要はないのだ。
「国家さえも脅かす、セサミ盗賊団……みたいなのが現れるなんて、それこそフィクションだよな」
「そうですよ!」
二人が話をしていると、森の外、街の方角から音が聞こえてきた。
それは穏やかなものではなく、明らかに喧噪……否、戦場の怒号に思われた。