分数の計算
ジョンマンは、世界中を巡った経験を持っている。
彼の基準からすれば、己の強さは二軍である。
自分よりも強いものがいても、まったく不思議に思わない。
特に、国外から呼んだ実力者なら、むしろ自然とさえ思うだろう。
(まあ俺自身が、ド田舎の町でFランク冒険者をやっているわけだしな……)
ジョンマンは新しい近衛騎士隊長と、とりあえず会うことにした。
ただでさえ近衛騎士隊長になる要件を断っているのに、このうえ断ればオーシオや自分の両親に負担が行くと考えたが故であった。
今日も今日とて、三人の弟子と一緒に新しい近衛騎士隊長を待っている。
「一応聞くけどさあ……俺より弱かったら、近衛騎士隊長をさせない、とかは言わないよね?」
「いえいえ……叔父上もわかっていらっしゃると思いますが、父と同水準でも十分なんです」
「だよなあ……」
現在ラックシップがやったことで、一番大きな被害を与えているのは、ダイヤモンドレオの防具をばらまいていることだろう。
しょっぱいながらもスキルを習った者達がこれを着ているのだから、かなりの問題にはなっていた。
「ダイヤモンドレオの防具は、この国で手に入るものの中では最上級です。それを着こめば、街のチンピラでも強者に変わります。それが大勢いれば……一人前の冒険者ごときでは歯が立たない。その被害が、かなり大きいんです」
「奴らから奪えばいいだろう」
「それはそうなんですが……まず倒せている数が少ないんです」
「……やっぱこの国じゃあ、ヂュースクラスもそうそういないか」
町一番の冒険者、ヂュース。
彼はラックシップ自らミドルハマーに来た時、その部下を一息に数人倒していた。
これは相手がまだスキルを習得していなかったこともあるが、それ以上に本人が強かった点が大きい。
ラックシップも褒めていたが、彼は十分強者の枠に入る。
「……あの、もしかして都会とかにも、父より強い人ってそんなにいないんですか?」
「絶対数は多いですが、割合としては少ないですね」
「?」
「貴方のお父さんは、上澄みだということですよ」
「……そっか、そうなんだ」
自分の父親が話題に出たので、コエモは思わずオーシオに聞いた。
この『国』についてとても詳しい彼女の言葉を聞いて、コエモは父への評価を検めていた。
「そりゃそうだろう。ソロでダンジョンを踏破したんだぞ? 君のお父さんは、本当に強かった。大きめの町に出向いても、強豪として扱われる程度にはな。流石に国内最難関だと苦しいが……」
大きな街には、強い冒険者ばっかり。弱い冒険者なんて、ほとんどいない。
大きな街でなら、自分の父など雑魚同然。
そういう思い込みをしていた彼女を、ジョンマンは諫めていた。
「その理屈だと、クラーノさんはもっとすごくて、オーシオちゃんのお父さんはもっともっとすごいんですね」
「……そうだよ。一応言っておくと、リョオマ君のお父さんもね」
感覚がバグってきているコエモに対して、ジョンマンは危機意識を持っていた。
現在彼女の中には、大雑把な目盛の尺度しかないのだ。このままだと大きな街に行っても……。
『え、この町一番の冒険者ってこの程度なの?!』
『え、この大きな街にいるのに、雑魚がたくさんいるの?!』
『海の外にはたくさんの強い奴がいると思ったのに、そんなことないなあ』
などの阿呆なことになりかねなかった。
まあそれを知ることも含めて、冒険の楽しみではあるのだが。
(俺が言うことじゃないが、ちょっと不安になるな……)
「ああ、そろそろ来ますよ!」
家の前でそんなことを話していると、遠くから人影が近づいてきた。
およそ十人ほどの集団であり、その中で特に目立つのは三人であった。
一人は、ジョンマンを見て嬉しそうに走ってくるクラーノ(今回の元凶)。
もう一人は、とても大柄な男。おそらく近衛騎士隊長の候補だと思われる。
そしてもう一人は、周囲の者達を引き連れる女性であった。
「ジョンマン様~~! どうもお久しぶりでございます~~!」
物凄い速さで駆け寄って、ものすごい速さですり寄るクラーノ(この国一番の女傑)。
彼女は相変わらず、目をランランと光らせていた。
おそらく彼女の眼には、ジョンマンの強さが克明に映っているのだろう。
大分、補正も入っているかもしれないが。
「いやあ、そんなには久しぶりじゃないんだが……あとな」
「はい?」
「浄玻璃眼のコントロールができるようになったなら、そんな強めで使い続けるな! マナー違反だぞ」
そうして自分を測られ続けることに、ジョンマンは怒っていた。
「叔父上、それはどういう……」
「浄玻璃眼で強く観察するっていうのは、わかりやすく言えばお前を全く信用していない、ってことだ。浄玻璃眼でじろじろ見られていたら、いい気分はしないんだよ」
「それはまあ……そうですね」
「お城に入る時とかも、ボディーチェックはされるが、ずっと常にまさぐられ続けるわけじゃないだろう? それと同じだ」
「わかりました、ジョンマン様! このクラーノ今後は控えさせていただきます!」
相変わらずテンションの高いクラーノ。
はっきり言って、相当うざったい。
「ごほん……あまりクラーノを咎めないでください。浄玻璃眼を強く使って欲しい、というのは私からの依頼でもありますので」
話始めたのは、クラーノに続いて現れた女性であった。
周囲の若い戦士たちに守られた彼女は、ジョンマンに礼をする。
「私はこの国の姫……ミラキヨと申します。一応、貴方との親戚にもなりますね」
「じゃあ……オーシオちゃんの、母方の親戚と」
「はい、そうなります。とはいえ、私の母はそこまで格が高くないので、同列などではないのですが……」
「親戚付き合いが大変そうだな……はあ」
おそらく立会人、見届け人のような立場なのだろう。
ミラキヨは、今回の状況を話し始めた。
「こちらの方は、新しい近衛騎士隊長となられるお方……ティガーザ殿。遠く、ガオッカ王国で筆頭騎士を務めておられたそうですが、この度我が国へいらしてくださったのです」
筋骨隆々たる大男は、ティガーザというらしい。
見るからに強そうな彼は、やはり新しい近衛騎士隊長のようである。
紹介された彼は、ジョンマンのことをじろじろと見ている。
それこそ、品定めするかのようだった。
「我が国はもちろん歓迎したのですが……一応、一応、実力を確認する必要があるでしょう?」
「それはまあ、そうでしょうね」
「なのでクラーノを呼んで、見てもらったのです。すると彼女は……」
ミラキヨは、嫌そうにクラーノを見た。
「はい、私はもちろん正直にお答えしました! この方はとても強い、とんでもなく強い。間違いなく、近衛騎士隊長が勤まる実力者だと!!」
クラーノは、得意気に応えた。
その回答に、問題があったとは思えない。
「その後で……その、父が……ではラックシップやジョンマンと比べてどうか、と」
「私は正直に答えました! 話にならない、力の差がありすぎる、と!」
ヒーローを見る少年のような瞳で、クラーノは酷いことを言っていた。
「……よく帰らなかったですね」
「手紙と比べて、だいぶ違いますね……」
「寛大な方ですねだぜ……」
三人の乙女たちは、もうこの時点でティガーザを褒めていた。
自分達が同じ状況でこれを言われたら、即国に帰ってもおかしくない。
「いや? 俺だって最初はそのつもりだった。なんでド田舎まできてやったってのに、んなことを言われなきゃならねんだってな」
ティガーザの第一声は、わりと乱暴な口調だった。
だが、とてもまともな感想である。
「このド田舎に、俺より強い奴がいるわけねえんだ。もう帰ろうかなと思ったらよう……はははは!」
ここでティガーザは、田舎者を笑いだした。
「アリババ40人隊? セサミ盗賊団? ド田舎の奴は、空想と現実の区別もつかないのかよ!!」
それを言われてしまうと、クラーノ以外の全員が納得してしまった。
なんだかんだ言って、正常な感覚である。
なんなら、そのド田舎ですら、アリババ40人隊やセサミ盗賊団については空想だと思われていたのだ。
それをよそから来たものが聞けば、田舎者は信じてるんだなあ、としか思わない。
「もうぶっちゃけ、この国で騎士をやる気はないんだが……その勘違いをしている奴は正さないとな」
「む」
ここでジョンマンは、顔色を変えた。
怒ったのではない、もっと根本的な理由である。
「ほれ」
ここでティガーザは、軽く掌を突き出した。
軽くといっても、彼の基準である。
もしも常人に当たれば、吹っ飛んで気絶する……下手をすれば死ぬ威力であった。
「むぅ」
ジョンマンはそれを回避しつつ、前蹴りを打った。
カウンター気味の一撃は、ティガーザを大きく後ろへ下がらせる。
「お見事です、ジョンマン様!」
「え?!」
「あ?!」
二人の攻防を見ることができたのは、それこそクラーノだけである。
他の誰もが、何も見えていない。
彼ら彼女らに見えたのは、ジョンマンの後ろへ猛烈な風が吹いたことと、ティガーザの体が大きく吹き飛んだことぐらいである。
「なあ兄ちゃん。これはちょいと、ご挨拶じゃないか? 反撃したことを、悪いとは思えないぜ」
「く、くくくく!」
ジョンマンは、ティガーザを兄ちゃんと呼んだ。
ジョンマンが40歳なら、目の前の彼は30歳ほどだろう。
年下をたしなめる言葉遣いに、ティガーザは笑っていた。
「いやあ、悪い悪い。手加減をしちまった……オッサン、アンタ結構強いな? この国一番の強者ってのは、本当みたいだな」
ジョンマンに腹を蹴られたティガーザは、それでも平然としていた。
その彼を見て、ジョンマンは少しばかり眉を寄せている。
「本気で蹴ってコレか……確かに強いな」
「ええ?!」
ジョンマンやラックシップは、この国で一番強いモンスターであるダイヤモンドレオを、たやすく素手でねじり殺すほどの筋力を持つ。
そのジョンマンが本気で蹴って、ティガーザは平気だという。
それならば、素の身体能力に限れば、二人よりも上と言うことになる。
「御姫様方、坊ちゃんたち。下がってな……俺も少し本気出すわ」
「みんな、急いで下がれ。俺も……大分本気を出す」
二人の空気がいきなり切迫したことで、他の全員が慌てて下がる。
もはやこの二人を止めようとは、誰も思わなかった。
「サーガ・ガ・サーガ! タイガ・ガ・サーガ!」
ティガーザが呪文を唱えると、彼の体は膨れ上がり、虎のような体毛が生え始めた。
それは明らかな、身体能力強化スキルである。
「フゥック!」
先ほどよりも格段に強くなった姿を見て、ジョンマンはその正体を口にする。
「……ビルド山脈に住まう、強大なモンスター霊虎。それを素手で、一切のスキルを使わずに狩ることで得られるスキル……虎狩りの霊験か」
「お、詳しいねえ?」
「そのなかでも、防御に秀でる霊験を得る……フック山での会得か」
「ド田舎なのに詳しいなあ、おい」
ジョンマン以外の誰も知らないスキルであった。
それを言い当てられて、ティガーザは嬉しそうに笑う。
「で、オッサンはどれぐらい魅せてくれる?」
「ラグナ……ラグナ・ロロロ・ラグナ、ワルハラ……ヴォーダーン! アルフー・ライラー……ワー・ライラー! グリムグリム・イーソープ・ルルルセン! コキン・ココン・コンジャク・コライ!」
ジョンマンの唱えた呪文は、極めて長いものであった。
それを聞いて、コエモが声を上げる。
「あの時と一緒だ! ラックシップと戦ったときと、同じ呪文だ!」
「で、では……叔父上は、そこまで本気だと?!」
「ど、どうなるでしょう……だぜ」
第一スキルから第四スキルまで、つまり八割のスキルを発動させたジョンマン。
彼はとても冷静に、油断なく構えていた。
「おっ……それがエインヘリヤルの鎧か? 眉唾だとは思ったが……本当に使えるんだな。こりゃあますます、さっきの舐めた態度を詫びないと……なああ!」
圧倒的な速さで、ティガーザは飛び出した。
最初こそそれを視認できたのは、やはりクラーノだけである。
だがその次の瞬間、全員の脳に適切な情報が突っ込まれていく。
ジョンマンが、複数回行動を開始した証であった。
「これは……神域時間!」
そしてその時間の中で動けるのは、やはりリョオマだけである。
他の誰もが、無理矢理脳に情報を突っ込まれるだけで、何もできなかった。
「1、2、3!」
その間に、ジョンマンは完ぺきなカウンターを三連続でたたき込む。
やはりティガーザは防御もできず、大きく吹き飛んでいた。
複数回行動が終わった後の通常の時間の中で、誰もが息を呑んだ。
やはり、ジョンマンは強い、と。
「さすがジョンマンさん!」
「いえ、喜んでいいのでしょうか……これではまた引退してしまうのでは……」
「そ、それは困りますねだぜ!」
「……まだです」
だがやはりクラーノだけは、現状を正しく視認していた。
「今の打撃で、そこまでのダメージは負っていません」
「そういうことだ、下がってなさい」
殴ったジョンマン本人もまた、まだ決着がついていないと言っていた。
それに応えるように、ティガーザは起き上がる。
「いやあ~~……手抜きして吹っ飛ばされるとか、みっともないにもほどがあるな」
その姿を見て、誰もが目を疑っていた。
今の今まで、ジョンマンであれラックシップであれ、一度の攻防で実力の差をわからせてきた。
それが、今回は違っていた。
「エインヘリヤルの鎧を身に付けられる上に、いろいろと補助スキルの重ねがけをしているな? そりゃあ強いわな」
明らかに、効いていない。
ジョンマンからのクリーンヒットをもらったにもかかわらず、平然と起き上がって話をしていた。
「しかも……まだ全力じゃない、そうだろう?」
「ああ、まあな。だが、兄ちゃんほどじゃない」
ジョンマンの双眸は燃えており、彼の能力を測っていた。
その視界で抽象化された映像には、彼がダメージを受けていないことだけではなく、本気など全然出していないことが映っていた。
「わかるのかい、凄いねえ! ド田舎にも、強いのがいるもんだ……」
ここで観客たちは理解する。
ジョンマンやラックシップがそうであるように、このティガーザも複数のスキルを会得しているのだと。
だからこそ、余裕を持っているのだと。
「もう流石に、恥ずかしくてかなわねえや。手抜きをして無様を晒すなんて、さすがに耐えられねえ……全力で行くぜ?」
「好きにしな、兄ちゃん」
「おうよ!」
持てるスキルをすべて出すという、ティガーザ。
他の誰もが、何をするのか見守っている。
「サーガ・ガ・サーガ! タイガ・ガ・サーガ! スコツフ!」
「サーガ・ガ・サーガ! タイガ・ガ・サーガ! タンハー!」
「サーガ・ガ・サーガ! タイガ・ガ・サーガ! ブゥォイ!」
異様なことに、ほぼ同じ呪文を三回唱えただけだった。
だがそれの意味するところは、全員がすぐに理解しる。
「身体強化スキルの……重ねがけ!」
オーシオの言葉が、真実であった。
ティガーザの体は、更に肥大化し、更に分厚くなっていく。
「ビルド山脈は四つの山からなっている。そのすべてで、虎狩りを成せば……超人の力を得る」
「おうよ! これが俺の全力……4分の4だ!」
一段階強化したティガーザでさえ、四段階強化したジョンマンより上のようだった。
ならば四段階も強化されてしまえば、その差はさらに広がるばかり。
それはそのまま、ジョンマンが普段やっていることの裏返し。
「こ、こんなに力の差が広がったら……絶対に勝てない」
オーシオは、恐れていた現実を目の当たりにしていた。
「あのお嬢ちゃんの言う通りだぜ……でだ、オッサンの温存しているスキル……多くてもあと一個だろう?」
「まあな」
「俺は計算とか苦手だから、細かいことはわからねえんだが……分数の計算だ」
巨大な虎と化したティガーザは、心底から愉快そうに笑った。
「4分の1しか本気を出していなかった俺に対して、5分の4も力を使ったオッサンはダメージを出せなかった。ここからお互いに本気で戦うとして……どっちが勝つと思う? なあ、どっちが勝つと思う?」
「……ジョンマンさん、使うのかな。第五スキルを」
「使ったところで、勝てるんでしょうか……叔父上は、勝てるんでしょうか」
「ジョンマン様……」
不安そうになる乙女たちと違って、喜びさえ覚えている女性が一人。
立会人である、ミラキヨであった。
彼女はジョンマンよりも強いものがいることで、嬉しそうにしている。
「ティガーザ殿は、だいぶ機嫌がよくなりました……これなら、彼が近衛騎士隊長になってくれるかもしれません。それに、ジョンマンと互角であるラックシップも、もちろん倒してくれるでしょう……!」
明るい未来を、彼女は見ていた。
それを聞いて、彼女の護衛たちも笑う。
そして……。
「クラーノ、貴方の眼も間違っていたようですね。このままなら、ティガーザ殿が勝ちますよ。それこそ、勝負にならないほどにね!」
「なにをおっしゃいます、姫様」
ティガーザの全力を見ている者達を、クラーノは否定した。
相変わらず彼女の眼には双方の実力が見えている。
「ジョンマン様が勝ちますよ、勝負にならないほどの圧勝でね」