命の保証
筋肉を鍛えるには筋肉へ負荷をかけることが重要だが、効果的に鍛えるには休養も大事である。
ジョンマンの元で、ジャージ同然の姿をしている三人の乙女たちは、汗だくになって休憩をしていた。
「やっぱりオーシオちゃんが、一番ウェイトが重いね~~……」
「それは当然ですよ、健在だった父に鍛えてもらっていましたから」
三人の乙女たちは、それぞれが適正な重量での筋トレをしているため、疲労度合いは同じである。
だが元々筋肉を鍛えていたオーシオが、もっとも力が強い。
コエモはそれに次ぎ、リョオマはもっとも力が弱かった。
あくまでも三人を比較してのことであり、リョオマが一般人より弱いとは言っていない。
むしろ、何年も鍛錬を積んでいるわけではないのに、コエモの方がリョオマよりも力があるというのは、ジョンマンの指導が適切である証拠であろう。
「お二人とも、凄いと思いますだぜ! 私もすぐに追いつきたいだぜ!」
「あ、うん……頑張ろうね、リョオマ君」
リョオマなのだが、友人と話すときの若い男は語尾が『だぜ』になると信じており、その一点は守っていた。
これで男装したつもりになっている、ごまかせていると思っている。そんなキラキラした顔を、彼女はしている。
「む、むしろ私たちの方が、貴方に追いつかないといけないんですよ……貴方はもう、一つのスキルを覚えていますから……」
そんなリョオマに対して、オーシオとコエモは気を使っていた。
悪い子じゃないのだ、悪い子ではないのだ。
男装しているつもりになっていることを除けば、とても素直でいい子である。
だからこそ、二人は気を使っていた。
「私は男なのに、情けないんだぜ」
「あ、そういえば!」
それでもまだ若い乙女たちには、演技をするのは難しい。
なのでコエモは、一気に話題をかえることにした。
「ねえリョオマ君、リョオマ君は神域時間を使えるんだよね?」
「はいだぜ」
「それじゃあ神域時間の訓練方法も知ってるんだよね?」
「はいだぜ」
ジョンマン曰く、浄玻璃眼は注意力、観察力を鍛えて獲得するものだという。
であれば、神域時間はどうやって獲得するのか。
「神域時間習得の初歩は、砂時計ですねだぜ。落ちてくる砂の一粒一粒を観察できるように、集中力を鍛えるんだぜ」
「それって、浄玻璃眼の習得と同じなのかな?」
「多分違うと思うだぜ。それが上手になって行くと、砂が落ちるまでの間に心中発声ができるようにするんだぜ」
脳内時間の加速、体感時間の圧縮。
それらを意のままにできるようになる、それで初めて圧縮行動が可能になる。
まあ、わからないでもない理屈であった。
「……ねえジョンマンさん」
「お、おお!? な、なんだ?」
一方でジョンマンは、休憩時間中にリョオマの方を見ないようにしていた。
彼が以前に言ったように、婚約破棄した相手の体をじろじろ見ているのは、彼のモラルに反するのである。
だからこそ、コエモからの質問に対してびっくりしていた。
「私たちが休憩したり、休日を挟んだりしているのは、体を効率よく鍛えるためですよね?」
「ああ、もちろんだ。そうしないと効率が悪いし、体を壊すからな」
「じゃあ……その間に第二スキルと第三スキルの練習ができるんじゃ?」
体を休めている間に、他のことをする。
そっちの方が効率が良いのではないか、という疑問であった。
「俺が嫌なんだが?」
「……そうですよね、すみません」
しかし返答もシンプルであった。
休憩中や休日中も、ぎっちぎちにスケジュールを組む、というのは頭を使う。
また指導をする本人も休めないのだから、そりゃあやりたくあるまい。
ジョンマンが三人に指導しているのは、あくまでも厚意、暇つぶしなのである。
「それにだ……何度も言うが、モチベーションは大事だ。ぎっちり練習していたら、途中で嫌になるだろう」
ああ、練習したいなあ~~という気持ちを大事にする、ジョンマン。
それは使うとすり減っていくものだとわかっているので、彼女らがこうして『もっと強くなりたい』とやきもきしていることこそ望むところであった。
「あ、あの、ジョンマン様。私からも質問をよろしいでしょうか?」
「う、うん?」
コエモの質問が終わったところで、リョオマが質問をしてきた。
目上が相手なので、素である。もう全然、男装できていない。
「まずエインヘリヤルの鎧を習得したほうがいいとのことでしたが……すでに第二スキルを習得している私は、問題があるのでしょうか」
「ないよ」
彼女の質問に、ジョンマンは即答する。
必須スキルの一つを習得していることが、悪いことであるわけがない。
「ぶっちゃけた話、習得の順番なんてさほど重要じゃないんだ。なんなら、第三スキル、第四スキルから覚えてもいい。それはそれで、メリットはある。ただ、第一スキルが一番強いから、まずそれを覚えましょうねってのが俺の方針なだけだ」
最終的に五つ全部覚えればいい、というジョンマン。
それを聞いてリョオマは安心していた。
「で、では私からも、良いでしょうか?」
「ああ、もちろん」
オーシオが質問をしようとした、その時である。
街の壁の外にあるジョンマンの家へ、走ってくる影があった。
「コエモ~~!」
「コエモ、コエモ!」
「……すみません、母と姉です」
血相を変えて走ってきているのは、コエモの姉と母。
フデェノとトーラであった。
学校にいきなり父兄が来たかのようなやりきれなさで、コエモは二人を迎える。
「どうしたの、姉さん、母さん」
「なにのんびりしているの、貴女は!」
「ちょっと、アンタから言って、ジョンマンさんに何とかしてもらって!」
どうやら問題が生じたらしく、ジョンマンにお願いしに来たようだった。
だがジョンマンへ直接依頼をしても断られるのは目に見えているので、コエモを介そうとしているのである。
「この町に納品しに来た商人さんが、護衛の冒険者さんと一緒に、ラックシップの部下に捕まってるのよ!」
「商人と積み荷、それから冒険者を人質にしているわ! ジョンマンさんを出せって騒いでいるの!」
「……姉さん、母さん。そういうのって、上位冒険者さんの仕事じゃないかな?」
コエモは常識に則って、ジョンマンへの出動要請を断ろうとした。
確かに一大事だが、Fランク冒険者に頼むことではない。
「前の一件で、全員引退しているわよ!」
「そんな簡単に後任が育つわけないでしょ!」
なお、現実は人手不足であった。
(ラックシップの部下か~~……どうしようかな~~……)
けっこう大きな声で話していたため、ジョンマンの耳にも届いている。
さすがになんとかしたほうがいいかな、と思わないでもない。
だが正直面倒だし、また後で気楽に頼まれるのもイヤ。
そう思うと、なかなか動けないジョンマンなのだが……。
「それに、商人さんたちが運んでいるのは、ジョンマンさんが注文した『食品』よ!」
「アンタたちが食べる用の、タンパク質多めの食材よ!」
「あ、ああ……あの美味しくない」
自分の注文した積み荷だという言葉を聞いて、ジョンマンは溜息をついた。
「じゃあしょうがないな」
文字通り、重い腰を動かしていた。
「アレが滞ると、効率が悪いしな」
※
ミドルハマーの町の、正面の門。
その入り口前に、馬車が止まっていた。
そのすぐ前に、ぼろぼろの商人が一人と、冒険者が五人。
彼らはそれぞれ、同数の盗賊によって押さえつけられ、その首元には鋭利な刃物が当てられていた。
「おい、さっさとジョンマンを出しな!」
「この姿勢、案外疲れるんでなあ……手が滑っちまうかもな!」
「た、助けてくれ~~! 雇った冒険者ども、全然役に立たないんだ~~!」
「くそ……装備がいいだけの盗賊に負けるなんて……」
「それだけじゃない、変な技まで……」
あまりにもわかりやすい状況だが、街の人々は見ていることしかできない。
そんな中、ジョンマンと三人の乙女が、街の壁を回り込んで歩いてきた。
「あのさあ、俺の家、ここの反対側なんだよ。要件があるなら、そっちに来てくれないか?」
このシリアスな状況で、第一声がそれであった。
これには、三人の乙女もドン引きである。
「わざわざ呼ばれるのも、回り込むのも、面倒で面倒で」
仮にも世界の果て、最奥にたどり着いた男が、生まれ故郷の小さな町の、その城壁の反対側に行くのも面倒に思う。
これが時の流れかと思うと、わびしいものがあった。
「……お前がジョンマンか」
「ああ。で、一応聞くが、お前らラックシップの部下なんだって? まさかあいつの指示か?」
「そんなわけないだろうが! あの腰抜け、お前に報復しようなんて一言も言いやがらねえ!」
現在ラックシップは、この国でやりたい放題である。
だがそれでも、このジョンマンだけには手が出せない。
それも、実力という重要な点を含めて、である。
「……襲撃に来た側が、報復ってお前」
「だがな、お前を俺たちが殺せば……俺たちの名は上がる! それこそ、ラックシップ以上にな!」
「そうかなあ?」
自分を殺しに来た相手に対して、ジョンマンは首をかしげていた。
仮に名が上がったとしても、それによって命を狙われることになるだろう。
「た、助けてくれ~~! 助けてください!!」
「……おっと、商人さんと積み荷は守らないとな」
声を張り上げる商人の言葉で、ジョンマンはここに来た目的を思い出していた。
ジョンマンはそれこそ注文した商品を受け取るかのような動きで、すたすたと歩いていこうとする。
「止まれ!」
だがそれを、盗賊たちは制止した。
ジョンマンはその言葉を素直に聞いて、その場に留まる。
「いいか、良く聞け……俺達はな、あれからラックシップに頼み込んで、修行をつけてもらった」
「それで俺たちも使えるようになったんだよ。お前も使うっていう、あの神域時間をな!」
この言葉に、リョオマは顔をこわばらせた。
わかっていたことではあったが、自分達の秘伝の、劣化コピーが出回り始めている。
その現実に、打ちのめされてしまう。
「ま……お察しの通り、大したことはできねえよ。正直、初歩だけでも大変だったしな」
「けどよお……それも使い方だぜ。ここから俺たちがこいつらを殺すのに、ワンアクションあれば十分だからな!」
「お前が同じスキルを使っても、俺達の方が先にこいつを殺せるってことだよ!」
そして、その初歩のスキルであっても、彼らは使いこなしていた。
おそらく、最初からこういう形にすることを目的として、神域時間、圧縮多重行動を習得したのだろう。
その意味で、彼らはきちんと会得している。
「……なあ、素朴な疑問なんだが。まさか俺がそいつらを助けるために、おとなしく殺される……なんて思ってないよな?」
だがしかし、その作戦は、人質のチョイスが間違っていた。
「そりゃあお前……俺はコエモちゃんやオーシオちゃん、リョオマ君を助けるためなら命を差し出すが……そこの人らを助けるために、命を差し出したりしないぞ?」
これには人質たちは絶句する。
しかし町の人々からすれば、ごもっとも、であった。
「お前、アリババ40人隊だろ!? 名前が傷つくとか思わないのかよ!」
「全然。俺が仕事として引き受けて、それを放棄したならともかく……注文した商品を運んできたやつらに、そこまでの義理はねえよ」
全然関係ない人物を人質にとって、動いたらこの男を殺すとか言われても……。
別に、となるのが普通ではあるまいか。
「それに、だ。お前達、勘違いをしているぞ」
「何が、だ!」
「そりゃあな、俺が圧縮多重行動を使ってお前達に襲い掛かったら、お前たちはそれに合わせられるよ」
ジョンマンと盗賊たちの距離は、かなり離れている。
ここからジョンマンが圧縮多重行動で間合いを詰めようとすれば、その瞬間に盗賊たちは人質を殺せるだろう。
それは、確実である。
「でもなあ、俺がお前たちを倒すのに……スキルなんて使うと思うか?」
次の瞬間である、ジョンマンの姿が消えた。
手が消えたとか、足が消えたとかではない。
全身が丸ごと、一瞬で移動していた。
それに盗賊たちが気付いた時には、ジョンマンはすでに、商人の喉元にナイフを突きつけている盗賊の前に現れていた。
「ぎ、ぎゃああああああ!」
そして、そのナイフを指ではじいた。
手で掴んでいたはずのナイフは一気に吹き飛び、もっていた盗賊本人の顔に突き刺さる。
「なあ!」
「お、おま……」
「ひ、ひと!」
当然ながら、他の盗賊たちの、すぐそばにジョンマンはいる。
彼があしらうように一人片づけたことで、他の者達も慌てるが……。
「使ってみろよ……ラックシップ直伝の、圧縮多重行動を。まあ、使えないだろうがな」
ジョンマンは、何もしなかった。
白けた顔で、盗賊や人質になっている冒険者を眺めている。
「練習で、相手が合図をしたうえで、狙って狙って……それでもたまに失敗する。そんな腕前でも、習得した、と言い張れる。初心者によくある……低レベルな勘違いだ」
目の前に、ジョンマンという化け物がいる。
目の前に、そのジョンマンに倒され、うずくまり泣き叫んでいる盗賊がいる。
この精神状態で、習得したてのスキルを発動させることなどできない。
「ああ~~、冒険者諸君、俺から薫陶をやろう。圧縮多重行動は、たしかに強い。だがとても繊細で、使いどころの難しいスキルでもある。なにせ、タイミングが難しい」
ここでジョンマンは、極めてゆっくりと、拳を振りかぶった。
「そのタイミングを間違えたら、死ぬ」
直後、その振りかぶった腕だけが消えた。
そして、盗賊の一人が吹き飛んだ。
人質となっていた冒険者は、崩れ落ちることもできないまま、その場に立ち尽くす。
「使うのが早いならまだしも、遅いと攻撃されてそのまま終わりだからな」
「な……な……」
「つまり……スキルそのものの習得が難しいだけじゃない、戦闘で使えるのは上級者のみ」
ジョンマンは呆れ切った顔で、人質と盗賊を見ていた。
「ましてや、俺のように……速度域が違い過ぎる奴には、使用しようと思うこと自体が間違っている」
直後、残った盗賊の、全員が吹き飛んでいた。
極めて単純に、速く動いただけである。
まさに、スキルを使うまでもない。
ジョンマンがその気になれば、雑魚に一度も行動させないまま、三度以上も動くことができる。
「す……す……凄いです! さすがジョンマン様! あの『馬脚』を、完全に克服していらっしゃる!」
この活躍に、誰よりも興奮していたのはリョオマであった。
彼女は専門用語、隠語を出しつつ解説する。
「ティーム家において『馬脚』とは……一歩以上の間合いでの戦いのことなのです! 奇妙に思えるかもしれませんが、一度に五回動けるティームの者も、五倍の速さで動けるわけではありません」
複数回行動の特徴は、見ている者全員がそれを目で追えること。
異様で奇妙で神秘的だが、それをわかっている敵からしてみれば、むしろありがたいことであろう。
消えるように早く動く、ということができないからだ。
「だからこそ、ティーム家はそうした弱点の露見を防ぐために、技術を秘伝としたのです! それは逆に言って、その弱点を克服することこそ、我が家の悲願でした!」
複数回行動ができるティーム家に足りないのは、圧倒的な速度。
それを目の当たりにしたからこそ、リョオマは彼にほれ込んだのだ。
「肉体を強化するスキルをまったく使わず、あの速さ……凄いです、憧れます!」
「……それなんです」
ここで、オーシオは先ほど質問しようとしていたことを、思い出していた。
「叔父上もラックシップも、たしかに強い。隙がまったく無い強さです」
第一スキル、エインヘリヤルの鎧。
第二スキル、圧縮多重行動。
第三スキル、浄玻璃眼。
どれも強力で、合わさればなお強力なスキルたち。
「ですが、その根源はやはり……素の強さ」
「それは、そうだね……」
コエモも、それに賛同する。
素の身体能力が高さこそ、もっとも重要な要素。
それが欠けていれば、他のどんなスキルも無意味となる。
「もしも……その、素の強さを越える者が現れれば……叔父上やラックシップは、どう戦うのでしょうか?」
「素の力? でもジョンマンさんは、肉体を極限まで鍛えていて……」
「はい。ですが……身体能力を底上げするスキルは、エインヘリヤルの鎧だけです」
オーシオとて、隙のない強さは望むところ。
弱点のない、欠点のない、短所のない強さこそが、彼女の求めるもの。
だがそれは、一点突破の前には脆いのではないか。
「おそらくですが、私たちが知らない第四、第五のスキルも……身体能力を底上げするものではない。もしも、極限まで体を鍛えたうえで、複数の身体強化スキルを会得している……より純粋な戦闘特化型と戦う時……叔父上は、どうなるのか……!」
身体能力の差こそがもっとも重要だというのなら、それを突き詰めてこそ『強さ』なのではあるまいか。
もちろん隙だらけで、搦め手には対抗できないのであろうが……それでも搦め手が使えるわけでもないジョンマンは、勝てないのではないか。
父の最強神話に裏切られた彼女は、叔父の強さに疑いを抱いてしまっていた。
※
ラックシップの拠点にて……。
多くの配下へ、気まぐれに指導をする日々。
それが意外と楽しく、充実していたラックシップ。
彼は多くの部下をぶちのめした後で、それを眺めながらどっかりと腰を下ろしていた。
「ラックシップ様、お飲み物をどうぞ」
「おっ気が利くねえ」
その彼へ、グラスに入った飲み物を持ってくる女性がいた。
実に色っぽい体をしており、表情もまた湿度がある。
そしてそれを強調する服を着ており、如何にも男が好みそうな姿の女性だった。
「こちら、遠い外国から仕入れた美酒でして……」
「ははは、能書きはいいさ。旨けりゃなあ」
彼女の説明を無視して、ラックシップはそれを飲み干す。
「ああ、旨いなあ……酒の名前を、聞いておけばよかったなあ……!?」
最初こそ上機嫌だった、ラックシップ。
しかし突如としてけいれんをはじめ、地面に倒れる。
「お、お、おま、おまえ……お前……さ、さけに、なんか、もりやがったな……!!」
因果関係は、余りにも明らかだった。
最強無敵に思えた男が倒れた姿に、倒れていた部下たちも驚愕する。
だが、納得するしかない。
「……エインヘリヤルの鎧は、あらゆる毒を弾く。でも、体の中に入った毒からは守れない。浄玻璃眼は、あらゆる毒を見抜く。でも、常に発動させているわけじゃない。仕事中ならまだしも、くつろいでいる時は使っていない」
一切の媚びを捨てて、酒を飲ませた女性は見下ろしていた。
「て、てめえ……俺に、なんの、恨みが……!」
「決まってるでしょう! 貴方が部下にして、見捨てた男の……女よ!」
ラックシップは来るものを拒まず、部下にしている。
盗賊として押し入る時も、連れていくことをためらわない。
だがそれは、命の保証をしないどころか、なんなら見捨ててもいる。
「お前が見捨てなければ、あの人は……あの人は!」
「が、が……ご、ごぼぉ!」
「もう何も言えないみたいね……!」
ラックシップは、いよいよ倒れて、顔も上げられなくなった。
その頭を、彼女は踏みつける。
「これはあの人の恨みよ……お前を信じて裏切られた人の……その恨みよ!」
誰も、何もできない。
ありえないことが、起きている。
ただ、見ていることしかできなかった。
「何か言ってみなさいよ……命乞いでもしてみなさいよ! 止めろって言ってみなさいよ! セサミ盗賊団の幹部を舐めるなって、言ってみなさいよ!」
彼女は、復讐の達成に酔い、大いにののしっていた。
そしてラックシップは……ついにけいれんさえしなくなり……。
「いいぜ」
普通に立ち上がった。
「え?」
「いいぜぇ? 命乞い、してやるよ。解毒剤をくれ~~、死にたくない~~!」
ラックシップは小ばかにするように、道化を演じていた。
「やめてくれ~~、頭を踏まないでくれ~~、無抵抗の俺をいじめないで~~!」
「な、な……な……なんで……」
にっこりと笑って、嘲った。
「セサミ盗賊団の幹部を、舐めるなよ?」
「なんで、毒を飲んだのに、平気なのよ!?」
「ああ、蛇の毒だろう? 見覚えもあったしな」
「は、はあ?!」
心底から愉快そうに、無知な暗殺者に手品を明かす。
「まず前提だがな、俺も……多分ジョンマンも、常に浄玻璃眼を全開にしているわけじゃねえ。だがお前みたいなのを警戒して、魅了や毒物に関しては発見できる感度で使っている」
「……酒に混ぜた毒に、気付いていたの?」
「ああ。そのうえで……俺にもアイツにも、毒は効かねえよ」
酒に混ぜた毒に、ラックシップは気づいていた。
だがそれでも彼は、きちんと飲み干していた。
それが証拠に、彼の顔色は、少しばかり青ざめている。
これは、演技ではない。
「コキン・ココン・コンジャク・コライ!」
だが、その多少の効果さえ、彼が呪文を唱えると同時に、消えてなくなった。
「え……!」
「体の中に入った毒への対応なんて、ある意味じゃあ体の外から入る分より重要じゃないか? それこそ、考えるまでもないことじゃねえか?」
部下たちは、そして暗殺に失敗した女は、改めて理解した。
この男には、隙が無い。隙が無さすぎる。
そういう強さを、この男は獲得している。
「わ、私を、殺すの? それとも、辱める気?」
「いや? 正直、もうそういうのも面倒でね……」
ラックシップは、自分を殺そうとした女の肩を、優しく叩いた。
「お前ら、好きにしていいぞ?」
彼は拠点全体に聞こえるように、そう伝えた。
それはつまり、彼女の権利を放棄するということであり……。
彼女に何をしてもいいと、許可を出したのだった。
「……!」
「ま、いいじゃないか。俺が言うのもどうかと思うが……」
さすがに、今すぐに群がってくることはあるまい。
だが彼女が、安楽な夜を迎えることはあり得ない。
「最初から無理だったとはいえ、俺を殺そうとしたんだ。殺されても文句を言う気はないだろう?」
「……ラックシップ!」
「お前の男もそうさ。俺の部下になったら、俺に守ってもらえて、好き放題に奪える生活が来ると思っていたんだろう? 俺に何も差し出さず、体よく利用するつもりだったんだろう? 死んで当然だ」
そしてラックシップは、相変わらず、何にも怯えない日々を過ごすのだ。
「……お前にも、お前にも! いつか必ず、報いが訪れるわ!」
「それこそ、今更だ」
被害者気取りの半端者に、ラックシップは笑う。
「セサミ盗賊団の幹部を、舐めるなよ? 殺される覚悟、酒に毒を混ぜられる覚悟が……俺にないとでも?」
「!!」
「くっくっく……この国は、平和だねえ」
この国の平和を乱している男からの、最上級の皮肉であった。




