旨い話、マズい話
さて……冒険者にもっとも必要なスキルはなんであろうか。
モンスターに殺されない技術? それは正しい。
接近に気付く技術、隠れる技術、逃げる技術、どちらも備えてしかるべきである。
ぶっちゃけて言えば、モンスターを倒す技術よりも優先度が高い。
だが、一番ではない。
仮にダンジョンから生きて帰ってきたとしても、それだけではなんのために入ったのかわからない。
ダンジョンに入るのは、日々の糧を得るため、利益を得るため。
つまり、ダンジョン内という極限状態で、価値のあるものを選別しなければならない。
光っているから持ち帰ったら、ただの光っている石でした。
強そうなモンスターの角だったけど、なんの役にも立ちませんでした。
そうして赤字を出し続けて、装備を消耗して更新ができず、そのまま借金だけ残して引退。
良くある話である。
まあダンジョン内で食い殺されるよりはマシと言えなくもないが、借金を返す日々が明るく楽しいわけもない。
それを避けるために、冒険者を育成する施設では、金目の物を見分けるための知識や経験を学ぶこととなる。
収入に直結する重要な勉強なのだが、まあ楽しいものではない。
※
アカホアコウ冒険者養成塾。
国内最大のダンジョンを有する、アカホアコウだからこその施設と言っていい。
ここでは極めて専門的な、冒険者として大成するための技術を学ぶこととなる。
たいへんな倍率を誇るこの塾には、当然ながら意欲の高い生徒が集まっている。
特に戦闘訓練については、並々ならぬ士気を誇っていた。
なのだが、当然ながら、面白く思わない授業もあった。
とても伝統的な『見分け』の授業である。
生徒達には、二つのキノコが配られる。とても小さい、一口サイズのキノコである。
生徒に配られるキノコは二種類あり、片方は無害でそのまま食べても問題ないキノコ。もう一つは、毒はないがすごく不味いキノコである。
このキノコを配られた生徒は、図鑑などとにらめっこをしながら、この二つのキノコを見分ける。
見分けは四種類あり、『両方無害』『両方有害』『片方が有害で片方が無害』となる。
そこまでは普通だが、授業に緊張感を持たせるために……無害だと判断したキノコは生徒が食べる、間違っていたら有害とわかったうえで食べる、というルールがある。
この訓練の重要なことは、ただ見分ける練習をするだけではない。見分けることの難しさ、その失敗が自分に降りかかることを学ぶという意味がある。
今日も今日とて生徒達は、嫌々ながらもキノコの授業を受けるのだが……。
ここ最近、これを真面目にやらない生徒が増えてきていた。
「はあ……俺にも浄玻璃眼があれば、この授業で悩むことないんだけどなあ……マジで不味い上に、ちゃんと食べないといけないもんな……」
「実際、浄玻璃眼を持っているクラーノさんは、一度も外したことが無いんだって!」
「いいよなあ、天才は……」
「ねえねえ、聞いた? アリババ40人隊やセサミ盗賊団では、全員が浄玻璃眼を使えたんだって!」
「知ってる知ってる! この前ここのダンジョンに来たラックシップも、ミドルハマーとか言うド田舎にいるジョンマンも、どっちも使えるんだって!」
「天才だけが生まれ持つレアスキルじゃなくて、練習すれば誰でも使えるスキルなんだと!」
「すげえなあ……世界って、広いんだなあ……」
普段は真面目な生徒たちが、私語をまったく慎んでいない。
勉強で大事なのは、モチベーションである。
ここで強く注意をしても、彼ら彼女らのやる気は戻るまい。
それに加えて、教師自身も同じ気持ちになっていた。
(やはり……頭を下げてでも、聞きに行くべきか?)
指導をする教員、中年の男性。
彼もまた若き日にはダンジョンに潜っていた、元冒険者である。モンスターとの戦闘で重傷を負い、前線を退いた身ではあるが、やはりアカホアコウの塾で授業を受けていた。
このキノコの授業も、当然受けている。文字通り、苦い味が口によみがえるほどだ。
(俺もなあ……それを先に知りたかったなあ……)
生徒がやる気を出さないことに、納得と共感しかない。
彼自身とて、もっと早く知りたかった。
訓練次第で、浄玻璃眼を習得できる。
生徒の意識がそちらに向いても、とがめられることではない。
(学びは常に更新するべき……少なくとも、真偽は確かめたいな)
かくて塾の教員を務める男性は、浄玻璃眼の習得方法について調べることにした。
彼とて指導者、生徒へ不毛な努力をさせたいわけではない。
自分が辛い目にあったのだから、生徒にも同じ目を合わせたい……なんて考えていないのだ。
「まずはクラーノを頼るか……あいつは復帰を目指して、鍛錬を再開したらしいしな」
※
さて、クラーノである。
国内最高の冒険者であった彼女だが、その生活はダンジョンを中心にしている。
ダンジョンにほど近い宿舎、その中の一室で彼女は生活している。
もちろん、それなりには広い。たとえるのなら、すこし高額なマンションであろうか。
その一室で、彼女は訓練を積んでいるという。
教員の男性は、ノックをしたうえで、その部屋に入っていた。
「クラーノ、入っていいか?」
「先輩ですね、どうぞ……」
「おう……おおっ!?」
入って早々に、度肝を抜かれた。
彼女の部屋の中に、うすい赤の煙が立ち込めていたのである。
一体何事かと思って、うろたえてしまった。
「おいおい、クラーノ! お前、なんかヤバい薬に手を出していないよな?」
「見えている、ということですね、先輩」
「ああ、この煙、なんだよ……ってうぉ?!」
その部屋の中にいたクラーノの両目は、燃えるように光を放っていた。
普段からほのかに光っている彼女の眼だが、今は明らかに光が強まっていた。
「なんだ、何をやってるんだ、お前!」
「なにとは……浄玻璃眼の訓練です。訓練法は、ジョンマン様に習いましたので、しっかりと訓練をしております!」
「そ、そうか……」
「なにせ私、ジョンマン様から頑張れと言われたので!」
「おう……」
どうやら、訓練をすると目の光が強くなるらしい。
ある意味当たり前の話なのだが、前情報なく見ると驚いてしまう。
「で、目が光っているのはその訓練だとして……この赤い煙はなんだ? 何の関係がある?」
「これは……私の視界ですわ」
「は?」
赤い煙はなんですか? 私の視界です。
正直、まるで意味が分からない。
彼女自身も、どう説明していいのかわからない様子でさえあった。
「そうですね……以前先輩からも言われましたよね、お前は世界がどういう風に見えているんだ、と」
「ああ、お前はなんでも見抜けるからな。だから……って、これはそういうことか?」
「はい。私はいつも、世界がこういう風に見えています。今先輩が見ているものは、具体的には気流ですね」
気流を視覚できるようにすれば、煙のようになる。
なるほど、わからないでもない理屈だった。
よくよく観察すれば、窓や扉の前では出入りをしており、部屋の隅では停滞をしている。
これが空気の流れの視覚化なのかと、彼は感じ入っていた。
「これが見えれば、隠された扉や、あるいはガスなどの罠も見分けられるわけです」
「それはわかるが……いや、凄いな」
「練習を積んだ結果、常人にも見えるように『着色』し『維持』できるようになりました。はあ……さすがはジョンマン様! その教えは、とても素晴らしいものですわ!」
そういって彼女は、全方見聞録を両手で掴み、恭しく掲げていた。
もちろん、ジョンマンの名前が全く書いていないことは、彼女も承知である。
それでも彼女は、まるで信仰の対象であるかのように、まばゆく見上げていた。
「……凄いじゃないか、これなら仲間へ情報が共有できる。弱点を看破した場合も、そこに色を付けられるわけだしな」
「ええ。攻撃の軌道なども、練習すれば可能になるとか……」
「お前はやっぱり……」
「ですが、さすがはジョンマン様! あの方は罠などを見るだけではなく、文字通り見破ることもできるとか! にらんだだけで虚飾をはぎ取り、幻覚や変身術を使用不能にすることもできるとか! やはりステージが違います!」
「……うんまあ、凄いと思うよ」
実際、この技術が普及すれば、社会自体が変革しかねない。
今までは浄玻璃眼を持っている者との情報共有が難しかったが、今後はスキルを持つものが一人いるだけで、全員が浄玻璃眼を持っているも同然となる。
現在の彼女に限っても、有用性はうなぎのぼりだろう。
コレの更に先があるというのだから、ジョンマンを崇拝する気持ちもわかる。
「ところで……お前が現役復帰を決めたのは嬉しい。そのお前に聞きにくいんだが、肝心の習得法は習っているのか?」
「習得法? つまり後天的に浄玻璃眼を身につける方法ですか?」
少なくともジョンマンは、生まれながらの浄玻璃眼持ちではない。もしもそうなら、彼の人生はまた違っていただろう。
であれば、彼は訓練によって浄玻璃眼を獲得し、天才であるはずのクラーノを越えた域にまで達したのだ。
「聞いてません」
「ま、まあそうだろうな……」
先天的に獲得しているクラーノに対して、彼がわざわざ教える必要がない。ましてクラーノが、自主的に聞く理由がないのだ。
これには、教員も納得するほかない。
「それじゃあ……聞いたら教えてくれると思うか?」
「今のあの方も、立派なメンター! 先輩もきっと、大いなる学びを得られると思います!」
「おう……」
ラックシップを見て、すっかり性格が変わった彼女。
そこからさらにジョンマンを見て、さらにさらに性格が変わっていた。
根っこにある勤勉さは変わっていないが、けっこう言動に影響が出ていた。
「だってあの方は、世界最高の冒険者集団、アリババ40人隊のメンバーなんですもの!」
「……そうだな、その通りだ」
とはいえ、何がおかしいというのか。
ジョンマンこそ、世界最高の冒険者集団の一員。
本来ならば冒険者の頂点として、世界中の冒険者から崇拝されてしかるべき人物だ。
あるいはアリババ40人隊の活躍していた地域では、実際にそうなっているかもしれない。
よって……クラーノが崇拝する気持ちは、教員にもよくわかる。
「クラーノ……俺達は、結局冒険なんてしていなかったのかもしれない」
「どうしたんですか、先輩」
「アカホアコウのダンジョンは、たしかにこの国で最大のものだ。ここに潜れるものは、選ばれた者だけ。俺もその一員だったし、相応の実力もあった。だが……とっくに踏破され、調査のされたダンジョンだ。そこに何度も潜っていた俺たちは……冒険をしていたと言えるか?」
ミドルハマーにはSSSSランクを名乗る、ソロで15階層まで踏破した冒険者がいるという。
10階層までしか調査されていなかったが、彼は独力で残りの5階層も踏破し、最奥の宝を得て帰還したのだ。
これは、冒険したと言えるだろう。謎に包まれていたダンジョンの奥に、未踏の地に踏み込み、最奥にいたり、帰還したのだから。
彼がこのアカホアコウの地で活躍できるとは思えないが、それでも十分尊敬に値する。
羨望に、嫉妬に値する。
彼と比べてさえ、自分は惨めだ。
まして、世界最大のダンジョンの最奥から生還した男に対しては、もはや同業者を名乗ることが恥ずかしいほどだ。
「……そうですね。私にとっての冒険は、アカホアコウのダンジョンに入り、その仕事に慣れた時点で終わっていたのかもしれません。成し遂げた冒険など、実のところ一つもないのかもしれません。他の人の功績を、なぞっていただけかも……いえ、そうなのでしょう」
とても冷静に、クラーノは認めた。
命の危機はある、そこに踏み込んで帰還する実力はある。
だが、冒険ではない。最初は冒険だったかもしれないが、今はもう冒険ではなくなった。
「……クラーノ、俺も敬意をもって、崇拝に近い気持ちで、彼に会うよ。きっと、それが正しいんだ」
彼女の言動に引いていた教員は、それを恥じた。
彼女が正しい、そう信じて。