一歩の価値
さて、ジョンマンの姪、オーシオである。
現在彼女はミドルハマーの宿屋に長期滞在している。
ジョンマンの元で五つのスキルを習得するため、規則正しく効率的で過酷な日々を過ごしている。
しかしながら、ミドルハマーはそこまで大きな街ではない。
そのため、そこまでいい宿屋がない。
年頃の乙女が長く滞在するには、いささか不便であった。
「ということで、君のために家を建てよう」
「……はあ?」
「大丈夫大丈夫、すぐ建つから」
ジョンマンはオーシオに家を建ててあげることにした。
それを言われたときの、オーシオの顔はとんでもないものであった。
「あの……良いのですか?」
「大丈夫大丈夫。叔父が姪の為に金を出すだけだし、それに名目上は宿舎ってことにするから」
現在ジョンマンは、二人の乙女を弟子にしている。
しかし今後、一人も増えないとは思えない。
「俺の家の近くに、でっかいのを建てるからさ。そこで暮らしてくれ」
「あ~、いいな~。オーシオちゃん、新築で暮らせるんだ~~」
「コエモちゃんもいいぞ。結構でっかいの建てる予定だからな」
「あ、あの……お気持ちは嬉しい……いえ、はっきり言って迷惑なぐらいなんですが……」
家を借りる、家を買う、というのならまだいい。
だが家を建てる、となれば話は別だった。
いくらなんでも、叔父が姪へ買うには高額が過ぎる。
「いくら叔父上がお金持ちだからって、そんなに使って平気なんですか?」
「へえ!?」
だがジョンマンは、なぜか不機嫌になった。
「じゃあ俺の財産を、他の何に使えと?」
「え、いや……」
「どのみち俺が死んだら、君とかに渡るのに……!? 生きている内にさえ、好きに使えないと!?」
なかなか見事なキレっぷりである。
「いいかい……オーシオちゃん、人はなぜ仕事をすると思う!?」
「お、お金を稼ぐためでしょうか?」
「そう、その通り! じゃあなんでお金を稼ぐんだと思う?」
「つ、使うためでは?」
「そのとおりだ!」
説教をしているというよりは、不満をぶちまけているだけだった。
「俺だって……俺だってぇ……!」
(また始まった……)
(叔父上って、悩みがハイレベルすぎて、全然共感できないのよね……)
もちろん、若い乙女たちには全く共感されなかったわけで。
「そりゃなあ! 俺は大金持ちだよ! しこたま稼いで、ため込んでるよ! でも、でも! 別に、簡単に稼いだわけじゃないんだ!」
なにせ彼の悩みは、『金がありすぎて使い終わらないこと』である。
そんなもん、共感できるものなどいない。
「一生懸命頑張って特訓して、冒険で危ない橋を渡って……すごくすごくしんどい目に合って、それでもあきらめないで頑張ってお金を貯めたのに……いざ使う段になって、何にも欲しくないんだ! 悲しすぎる!」
ジョンマンはものすごく頑張ってお金を稼いだ。
その頑張りにふさわしいほどの『なにか』にお金を使いたいのに、その『なにか』がない。
「貯まったお金を見るたびに、昔の記憶がよみがえるんだ。あの冒険の稼ぎはこれぐらいだった、あのモンスター討伐の稼ぎはこれぐらいだった……あんなに頑張って稼いだ金が、死んでいる! じゃああの頑張りはなんだったんだ!」
(わかるけど、わからないんだよね)
(寂しい人ね……)
「俺だって……俺だって! 兄貴やヂュースみたいに、子供がいれば……子供に使っていたのに……結婚、しておけばよかった……!」
五つの最上位スキルを習得し、有り余る財宝を持ち、なおかつ世界最高の冒険者集団に在籍していた男、ジョンマン。
万人が羨むものを我儘欲張りてんこ盛りにしているのだが、彼の悩みは万人が手に入れているありふれた幸福を得られなかったことだった。
万人に羨まれているのに、万人に対して劣等感を抱いているのだ。
「あのさあ、オーシオちゃん。私思うんだけど……ジョンマンさんって、結婚しようと思えば結婚できるんじゃないの?」
「そう、ですよねえ?」
一方で、乙女たちはやはり共感できなかった。
これだけ「力」があれば、今からでも結婚して子供を作ることも夢ではあるまい。
むしろ簡単そうですらある。なぜしないのだろうか、さっぱりわからない。
※
さて、そんなこんなでオーシオ用の宿舎が建設され始めたころ……。
ジョンマンの元に、立派な武人姿の、40ほどの男性。それからその娘らしい、見目麗しい黒く長い髪の女性が現れた。
ありていに言って『とっとと帰ってくれ』と言おうとしたジョンマンだが、彼の名乗りを聞いて動きを止める。
「それがし……アラーミ・ティームと申す」
「はいはい、帰ってくれ……ん、ティーム?」
ジョンマンは、ティーム、という名前には聞き覚えがあった。
冒険を終えた後、わりと最近に聞いた名前である。
「なあ、オーシオちゃん。たしか……ティームって……」
「はい。神域時間を伝える家ですね」
「だよなあ……」
神域時間といえば、名前こそ違えども圧縮多重行動と同じスキルである。
それを習得しているということは、かなりの凄腕であることは想像に難くない。
「そのなんだ……アラーミさんは、それ絡みでいらっしゃったってことでいいのかね?」
「その通りにございます」
その凄腕が、わざわざ挨拶をしにきた。
それもそれなりにへりくだって、である。
アラーミは娘とともに、頭を下げていた。
「少々、お時間をよろしいでしょうか」
「……生活が懸かってる系?」
「恥ずかしながら……」
「じゃあ聞く」
すこしばつが悪そうに、ジョンマンは話し合いとして、家の前に置いてある椅子に腰を下ろした。
オーシオとコエモは、あわててジョンマンの家から椅子を持ってきて、アラーミと娘に座ってもらった。
「オーシオちゃんも言ってましたけど、ティームと言えば神域時間を伝えている家ですよね? 神域時間はジョンマンさんも認める、超凄いスキル……私たちが習う予定の第二スキル、ですよね」
ここでコエモが再確認する。
神域時間は、エインヘリヤルの鎧に勝るとも劣らぬスキルである。
それを家の秘伝としているのなら、さぞ栄えているに違いない。
「如何にも……それがし、神域時間を研鑽し、それを子や孫に伝えており申す。しかし……先日より、良くない流れを耳に挟んだのです」
秘伝の技ということは、逆に言って漏洩したらとても困るということである。
対策を練られてしまうこともそうだが、習得方法が漏れると希少性や優位性が失われてしまうのだ。
「どうにも、神域時間を悪用する輩がいると……それがしが現地へ赴いてみれば、白帯程度ではありますが、神域時間を使う輩が……」
「ラックシップが教えたんだろうな」
ジョンマンは圧縮多重行動を使用できるが、まだ二人には教えていない。
まずは体作りから始めるべきだという、長期を見越した判断なのだが、ラックシップにその考えがあるとは限らない。
もっと適当に……教わりたいと言った者に、初歩だけ教えて放り出している可能性が高かった。
「秘伝技術の漏洩……とは違いますが、よく似たまがい物が世にあふれては、ティームの名折れ。普段ならばそれがしが乗り込んで始末をつけるところですが……話を詳しく知って、諦めざるを得ず」
「いやまあ、賢い判断だと思うぜ」
「まこと情けない話にございます」
エインヘリヤルの鎧と神域時間。
ともに最上のスキルではあるが、戦えば必ず前者が勝つ。
まして両方を修めている者に、ティームの者が勝てるわけもない。
「それがしは、世の流れを感じ申した……今世にあふれつつある白帯者など、その予兆。真に恐れるべきは、今も力を蓄えている者……今後この国には、噂の『五つのスキル』を習得した無法者の跋扈することとなりましょう」
まさに、恐れるべき事態。
そして、止めようのない事態。
オーシオは緊張した顔になるが、その彼女へアラーミは話しかけた。
「とはいえ、今後の近衛騎士は『五つのスキル』をすべて習得した者で構成されるようになりましょう。さすれば、世の安泰は崩れますまい」
「そう……ですね」
「それがしが案じるのは……情けないことに、我が家の安泰にございます」
もはや、技術の独占は保てない。
強力なスキルを代々継承してきた家の、特権、特許が失われたのだ。
これでは今までの繁栄は、とてもではないが維持できない。
「そこで考えたのが……貴殿との『提携』……いえ、傘下に入ることにございます」
「そこで、俺か~~」
物凄くイヤそうな顔をするジョンマン。
されど、納得しているようでもあった。
「聞くところによれば、貴殿はハウランド殿に勝利したものの……エインヘリヤルの鎧のみで戦った際には、劣勢だったとか」
「ああ、その通りだ。アレだけに関しては、俺よりも兄貴の方が上手だったな」
「貴殿は神域時間とエインヘリヤルの鎧に加えて、同等のスキルを更に三つも習得しているとか。その分一つ一つの練度は、我々専門家に劣るのでは?」
理屈は通っている。
アラーミのいうように、ジョンマンとハウランドの戦いは、エインヘリヤルの鎧だけならハウランド優勢であった。
その理由が、五つもスキルを習得しているから、というのはもっともである。
たとえるのなら……。
総合格闘家がボクシング技術でボクサーに劣るようなもの、と考えればいい。
(ジョンマンさん、怒らないかな……)
(叔父上の逆鱗に触れないといいのですが……)
だが、ジョンマンが怒る、という可能性もあった。
彼は自分の素性を知っている者から侮られることを、とても嫌っている。
この理屈が通った推論に、腹を立てる可能性もあった。
「その通りだ。神域時間と呼ぼうが圧縮多重行動と呼ぼうが……専門家であるアラーミさんには及ばないだろうよ」
心配をよそに、ジョンマンはすんなり認めていた。
不機嫌になるのが分かりやすい男なので、取り繕っていないこともすぐわかった。
「俺が安定して出せる行動回数は三回、無理して五回だな。アラーミさんはそれより二つずつ多い感じだろう?」
「……ええ、その通りです」
「俺が知っている専門家は、だいたいそれぐらいだったからな。ちなみにウチの一軍組やセサミ盗賊団の最高幹部どもは、専門家でもないのに同じ数を叩き出していたぜ」
圧縮多重行動であれ神域時間であれ、複数回行動を可能にするスキルなのだから、その行動回数で優劣を比べることになる。
凡庸なうえで専門家ではないジョンマンでは、やはり『一人前』がやっとのようであった。
「ちなみに、一番上手だったのはトム・ソーヤでな。あいつはいつも十回を安定して出せていたし、無理をしたら数えきれないぐらい動いていたぞ」
「……きょ、驚嘆を禁じ得ませぬ」
「アイツも人類最高峰の才能持ちだったからな~~……」
さすがはアリババ40人隊、ピンからキリまで良く知っている。
そして彼が他者の評価をすると、それだけで彼の自己評価もわかるというものだ。
「……叔父上が二軍、というのも納得ですね」
「やっぱ世界は凄いんだ……!」
「そ、それはそれとして……それとして! 良いでしょうか」
ここでアラーミが、話を戻す。
「ジョンマン殿。某が……ティーム家が神域時間の指導に協力すれば、より一層の発展が見込めましょうぞ」
「……」
「も、もちろん! こちらもただではありませぬ。臣従の誓いも致しますし、我が娘の中でも一番の器量よしである、オリョオを嫁に出します故……何卒、何卒……」
専門家が指導に参加すれば、より良い結果が得られそうである。
それに加えて、ジョンマンの嫁に出すというオリョオは、二人の乙女から見ても絶世の美少女であった。
普段から結婚しておけばよかったと嘆いているジョンマンである、のっかっても不思議ではない。
「これはこれで……もしかして、ジョンマンさんにも春が?」
「いい話だと思いますが……?」
二人の乙女が見守る中、ジョンマンの出した答えは……。
「ええぇ~~……」
すごくイヤそうな顔で、イヤそうな声を出していた。
その顔と声で、オリョオが青ざめるほどに、素のままに嫌そうだった。
「ジョンマンさん、なんでそんなに嫌そうなんですか!? いつもいつも、結婚しておけばよかったって言ってるじゃないですか!」
「そうですよ、相手さんに不満がないなら、それでいいじゃないですか。今からでも、子供が間に合いますよ!」
なんでいきなり変節したのか、と驚く二人。
しかしジョンマンの中で、まったく矛盾していないのだ。
「あのさあ……俺はね……昔結婚しておけばよかったと思っているのであって、今から結婚したいわけじゃないんだよ……」
「?」
「?」
若い乙女には、わからない理屈だった。
オリョオもまた。首をかしげている。
「そ、そういうことでございましたか……」
だが、アラーミだけは理解できる様子であった。
「そうなんだよ、アラーミさん。俺はね……今から女の人と恋愛関係になるとか、新しい家族を作るとか……やりたくないんだよ。そんな気力が残ってないんだよ……」
恋愛も結婚も子育ても、冒険と言えなくもない。
その冒険をする気力が、彼の中に残っていなかった。
「今から夫になって父親になるとか……無理、絶対無理……」
三人の乙女には、あんまり理解できないことだった。
だが少なくとも、その疲れ切った顔からは、父親になろうという気概が感じられなかった。
「あと……これ言っていいのかなあ……いや、言っておくかぁ……」
技術的な誤解についても、しっかりと語っていた。
「アラーミさん。貴方と俺では、技術体系が全く違う。正直、あんまり意味がないだろう」
「それは我らの方が優れている、という意味ではないのでしょうね」
「ん……戦う相手が違うというか、前提が異なるというか、なんというか……」
「言葉を選んでくださるのはありがたい。しかし、ここで言葉を濁すより、確かめていただきたい」
当たり前だが、ジョンマンはティーム家の者に会うのは初めてだ。
彼らの流儀である神域時間と、交戦経験がない。
にもかかわらず、いろいろと決めつけられては面白くない。
「貴殿の習得した圧縮多重行動と、我らの伝えてきた神域時間。どう違うのか……どちらが優れているのか! 実際に確かめたい!」
「……そう、言われると、退けないな」
この試合は、冒険と呼ぶほどのものにならない。
そう判断したジョンマンは、相手の要望を聞き入れていた。
幸いと言うべきか、今は家の外にいる。
この場で戦い始めても、問題はない。
二人は自然と立ち上がり、三人の乙女から離れていった。
「オリョオ……わかっているな? こうなった時のことも、話しているはず」
「はい、父様……もしもの時は、この戦いを目に焼き付け、家に持ち帰ります」
「なんか面倒なことになったが……複数回行動同士の戦いがどうなるか、よく見ておくといい」
「はい、叔父上!」
「わ、わかりました……どうなるんだろう?」
よく見ておけ、と言われた二人だが、言われてみればどうなるのかわからなかった。
ラックシップとジョンマンは互角であったため、二人で戦う分に差はなかった。
複数回行動のできないハウランドと戦ったときは、ジョンマンが一方的に打ちのめしていた。
では優れている者と劣っている者が戦うとどうなるのか。
そして、ジョンマンの勝算はなんなのか。
「一応言っておくが、俺は圧縮多重行動以外は使わないぜ」
「ありがたい……ではそれがしも、神域時間のみで戦わせていただきます」
総合格闘家が、ボクサーに対して、ボクシングだけで戦うと言っているようなもの。
それで絶対の自信を維持できる理由は何か……一番知りたいのは、ティームの者であろう。
「アルフー・ライラー……ワー・ライラー!」
「タケット、メット、カーラット!」
二人は同時に、複数回行動の準備に入った。
二人とも、小刻みに揺れているように見える。
そして、同時に動いた。
観戦しているコエモとオーシオは、ただそれだけで頭痛を覚えた。
目で追えないはずの情報を、無理矢理脳に流し込まれていく。
それはもはや攻撃に等しいが、見取り稽古という意味では最高だろう。
ジョンマンとアラーミが何をしたのか、二人は無理矢理とはいえ理解できたのだから。
ジョンマンとアラーミは、共に三回は普通に攻防をした。足を止めて、打ち合ったのである。
だがそこでジョンマンの攻撃が止まる……あるいは急激に緩やかになり、アラーミの攻撃が二度、ジョンマンに直撃した。
「ててて……くらったな」
「……専門家ではない、とのことでしたが、見事な練度です。同じ回数の間に倒せるかと思いましたが、複数回行動の戦闘に慣れておられる様子」
ジョンマンは、普通に撃ち負けていた。
行動回数が二回少ない分、二回攻撃を受けていた。
無防備なところに、二回のクリーンヒット。
これが実戦なら……アラーミが武器を持っていたのなら、勝負ありであっただろう。
「そ、そうか……こうなるんだ……」
「流石はティーム家……叔父上を押していますね」
「父様と普通に打ち合えるなんて、素晴らしい使い手です……!」
とはいえ、そこまでもつれ込んだこと自体に、アラーミやオリョオは驚いていた。
ラックシップから付け焼刃で教わった者は、無理をしても二回が限度。
それもでたらめでいい加減な動きしかできなかった。
だがジョンマンは、しっかりと攻防ができていた。
彼がスキルを使いこなしている証拠であろう。
「さて……それじゃあ圧倒させてもらう。覚悟はいいか?」
「……!!」
調子を合わせてやった、と言わんばかりのジョンマン。
これから本気を出すと意気込む彼に、アラーミは身構える。
「オリョオ! 決して見逃すな!」
「はい!」
ジョンマンは、アラーミと調子を合わせることができていた。
それはつまり、複数回行動の専門家に対して、きちんと理解しているということ。
そのうえで必勝の気構えがあるのだから、次の一手で負けても不思議ではない。
だからこそ、アラーミは娘へ見逃すなと叫んでいた。
「いくぜ」
「……こい!」
ジョンマンとアラーミは圧縮された時間の中で、同時に『一度目』の動きを始めていた。
だがその一度目が、さきほどと明らかに違っている。
ジョンマンの拳の速度が異様なほど速く、それに比べてアラーミが遅かった。
「1、だぜ」
ジョンマンの拳は、アラーミの顔を打っていた。
ただそれだけで、アラーミは吹き飛んでいた。
大きく後ろへのけぞり、たたらを踏んでしまう。
「父様……!?」
「な、なんだ……今のは……身体能力を強化するスキル?! いや、その気配は、まるでない……!」
如何に複数回行動スキルを極めても、攻防の中で戦闘不能になれば意味はない。
それこそアラーミが先に言ったように『同じ行動の中で倒すつもりだった』を、逆にやられていた。
ジョンマンがその気なら、のけぞったところに二度までの畳みかけができただろう。
「やめるか?」
「いや……いや、まだ!」
それでも、アラーミは仕掛けた。
負傷を隠そうともせず、ジョンマンに対して攻撃を仕掛ける。
アラーミの一度目は、お返しとばかりの、顔面への打撃であった。
それに対してジョンマンは……後ろへ大きく下がって避けた。
本当に、ただそれだけだった。ジョンマンは一回目の行動回数を、一歩下がることで消費した。
「な!?」
「え?!」
だがその一歩を見て、アラーミとオリョオは瞠目する。
ジョンマンはただ一歩バックステップをしただけなのだが、それだけで10m以上も下がっていたのだ。
それを見ただけで、アラーミは追撃しようという気力を失っていた。
「一応言っておくが……俺は身体強化系のスキルは一切使ってねえ。これは俺の、素の身体能力だ」
もはや理解してもらえたと考えて、ジョンマンは種明かしを始める。
「エインヘリヤルの鎧について専門家じゃねえ二人は、エインヘリヤルの鎧を『超強い鎧』としか思っていないだろう。それは間違っていない。だが、その習得条件に関しては、ちゃんと知らないはずだ」
総合格闘家がボクサーに対して、ボクシングで勝てる可能性があるとすれば……。
両者のウェイトに、大きな差があった時であろう。
「人間界の武器が意味をなさなくなるまで鍛えられた、勇士としての体を得ること。それが、エインヘリヤルの鎧を習得する条件だ。俺に限った話じゃない、兄貴もラックシップも……その条件を満たしている。その肉体を持つ者が使用する場合、複数回行動もまた尋常とは違う様相を見せる」
人間の格闘技で関節技や投げ技が強力なのは、人間並みの頑丈さと人間並みの腕力しかないからである。
もしも相互に人間を越えた腕力と頑丈さがあれば、格闘技はまた別の様相を見せるだろう。
「勘違いしないでほしいが、複数回行動の専門家である二人が、弱いとも思ってねえ。鍛錬を積んでない、とも思ってねえ。だが俺たち『エインヘリヤルの鎧』の使い手は……そしてそれを目指すものは、その鍛錬の度合いが度を越えているのさ」
「す、スキルではなく、肉体の鍛錬だけで、その身体能力を得るなど……体が壊れるはず!」
「そうだ。だからこそ、兄貴みたいな天才でもなければ、習得できなかった。だが、俺が世界で得た、合理的で安全な鍛錬法があれば……その危険性を下げることができる」
つまりは、スポーツ医学。
合理的な休息、正しいフォームによる筋トレ、そして指導者の補助。
それがあれば肉体改造も、ある程度まで危険度を下げられる。
「もう分かっただろう。俺のようにエインヘリヤルの鎧を使える者と、そうでないものでは……一度の行動の速さや重さがまるで違う。それじゃあ指導はできないはずだ」
「……おっしゃる通りの、ようだ。では一度目は……その点も含めてそれがしに合わせてくださったと……」
打ちのめされているアラーミ。
その彼へ、ジョンマンは敬意を示す。
「俺も……昔は、その、なんだ……こういうスキルを、専門家から習った身でね。その時は、いろいろと失礼なことをしたもんだ。今じゃあ、後悔している」
別の家とは言え、同じ技術の専門家である。
不義理な真似は、したくないようだった。
「俺のやり方がまずくて傷つけたんなら……謝りたい」
「いえ……それがしの力量が足りなかっただけのこと……」
ここでアラーミは、頭を下げた。
「傘下に入れていただきたい、臣従を誓いたい……という言葉は、撤回させていただく」
鼻血を流しながらも、彼は気高く敗北を認めていた。
「どうか、弟子にしていただきたい。私ではなく……未来ある、ティームの若者に、指導を」
「構わないぜ、人数は絞ってほしいけどな」
円満に終わったところを見て、オーシオもコエモも安堵する。
今までろくなことにならなかったので、相手を再起不能にしないまま終わったことが嬉しかったようだ。
「よかったね、オーシオちゃん! また誰か引き篭もりになるかと思ったよ!」
「そうですね。ですがこれは、アラーミさんの度量もあってこそ……これも叔父上のいう、次に進める者の心ということですね……父上になかったものです」
「そ、それは言わない約束だよ……私の父もそうだからさ~~……嫌な気分になるじゃん」
今回の件が円満に終わったのは、ジョンマンが凄いからではない。
自分の培った技術が通じないことを認められる、アラーミの心が凄いからであろう。
セリダックやハウランドを見る限り、大人には難しいことだとわかっているのだ。
あんまり、いい教材とは言えないが。
「なんて……速さ! なんて、美しい速さ!」
一方で、オリョオはジョンマンの『一歩』に見惚れていた。
あの動きができる者が、全力で戦えばどうなるか、彼女にはわかってしまったのだ。
ジョンマンを相手にして晒してしまったように、複数回行動の専門家は基本的に足を止めて戦う。
一歩も一撃も、行動としては一回にカウントされてしまうため、接近戦での打ち合いが最善だからだ。
だがその一歩があれだけの機動力を出せるのなら、それこそ神域時間は新しい領域に達せるだろう。
「私も、あの美しい速さを……手にしたい!」
自分こそがジョンマンの弟子になりたいと言おうとした、その時である。
「あ、でもあのオリョオって子は止めてくれよ」
ジョンマンが、少し困った顔で条件を出していた。
それを聞いて、オリョオは動きが止まる。
「そ、そうですか? あの子は器量だけではなく、腕前もなかなかなのですが……」
「結婚相手として紹介された子を、弟子にするのはちょっと……っていうか、女子ばっか集めると俺がやりづらいし……男の子にしてくれないかね」
「わ、わかりました。そのように……」
「そ、そんな~~……」
オリョオの夢は、一歩目から破綻したのだった。
※
それから数日後、ジョンマンの家の隣に寮が完成した。
ちょうどその日に、ティーム家から弟子が来るという。
三人はそろって、その『男子』を迎えようとしていた。
だがその話題は、やはりオリョオになっている。
「あの、ジョンマンさん。オリョオちゃんは、とっても弟子入りしたそうでしたけど……かわいそうじゃないですか」
「婚約破棄した相手と付き合うようなもんだろう? 嫌だよ、そんなの……すげえ、やりにくい」
「ジョンマンさんって、そういうところ真面目ですよね~~……生粋の冒険者なのに」
(コエモちゃん……いくらなんでも失礼ですよ……まあそう思いますけど)
真面目であってほしいとは思うが、真面目であることを疑問に思う。
それが思春期の乙女であった。
「……そりゃあ俺だって、若いころは大概だったさ。だけどな……アリババ40人隊には、クソみたいな親の元で育った奴もいたんだ。若いころはともかく、最近になると、アイツが話したことを思い出してなあ……」
ジョンマンは、良くも悪くも、世界というものを知っている。
それは決して幸福なことばかりではない。
「クソな親になるぐらいなら、子供なんて作らないほうがいい……女性に対して、不義理はしないほうがいい。そう思うようになっちまったのさ……つまんない男だと思うかい?」
「あ~~……その、偉いというか……ありがたいというか、それでいいと思います」
「だろ? だから、君たちのお父さんであるヂュースや兄貴にも、その点では負けていると思っているんだ。あいつらは、親としてはちゃんとしているからな……」
自分の結論に、うんうん、と頷くジョンマン。
それを聞く二人の乙女は、再起不能になっている自分の父へ、何かしようかなとも思い始めていた。
「お待たせしました!」
その時である、ティーム家からやってきた『男子』が、三人の前に現れた。
「リョオマ・ティームと申します! よろしくお願いします!」
「……ああ、うん」
顔は、完全にオリョオだった。
オリョオと同じぐらい長い髪を、うしろで束ねている。
体形は非常に女性的で、男子には見えにくい。
女性の胸をサラシでむりやり潰しているかのように、胸部が膨らんでいた。(つまり、隠せていない)
クオリティの低い男装をしている、ハイクオリティの男装女子がそこにいた。
「これからお世話になります、師匠!」
希望とかで胸が膨らんでいる彼女は、バレていると思っていない顔をしているのだった。
(叔父上、これはこれで、切り替えが早いということなんでしょうか?)
(わからん……いや、たしかにこの図々しさは、大成すると思うが……)
(どうしよっか……)
サンタはいるよ、と信じている女子に、いないよ、と言えるだろうか。
まあ要するに、そういうことであった。




