38:その頃の夜人くんは
「失礼します!!」
頭を下げてから道場に入る
今日は稽古の日じゃないんだけど、毎週やっている習慣みたいなんもんだ
「はいよ~って夜人じゃないか。今日は稽古の日じゃないぞ~?」
「師範…いえ葵さん、今日は相談があってお邪魔しました」
「相談~…?私にぃ?」
「はい」
「止めとけ止めとけ。相談なんて繊細な事は私には出来ん。他を当たった方が良いぞ」
「いえ娘を持つ母親としての意見を聞きたいなと思ってまして」
「……ま、私の意見なんて話半分にしとけよ?じゃあ入りな」
そう言って俺は道場の脇にある事務所へ通された
まぁ、事務所とは言っても兼倉庫みたいな感じで机とソファーしかない様な部屋なんだけどね
「で、相談ってのはどんな内容なんだい?」
ソファーに腰かけるや否や本題に話を振って来るあたりが葵さんらしいなと思う
だがまぁ、棗さんがいつ帰って来るかも分からない状況であればそっちの方が俺も都合が良い
「えぇ、友人が進路で迷ってまして…母親としての気持ちを教えて欲しくて…」
「進路ぉ~?てことは棗と同じ年か月ちゃん位の年の子のことか…」
正直棗さんその人の事だが…そこは敢えて伏せておく
良くも悪くも裏表がない葵さんだからな…ポロッと棗さんに漏らしても可笑しくない
「えぇそうです…縁があって友達になったんです」
「ふ~ん…ま、そこは良いや。で、進路ってのは何に悩んでるんだ?」
「実は彼女にはある才能があるんです。ただ専門職というか…普通の学校に進学するとどうしても学びが浅くなっちゃうんですよ」
「じゃあその専門の学校に行けばいいじゃないか」
「そこで問題なのが、彼女の親御さんが自営されているんですよ。その自営している業種が彼女の才能とは真逆な業種でして…」
「あぁ…何となく分かった。その子は親の事業を継ぐための学校へ行くのか、才能ある方の専門の学校へ進学するのかを悩んでんだな?」
「そうです。加えると、明言されてませんが彼女は自身の才能がある方に打ち込みたいという気持ちが潜在的にあるみたいで…」
「じゃあそっちの道に進めば良いじゃないか?」
「でもそうなると親の事業を継ぐことが出来ませんよ?」
「良いんじゃないか?」
俺の質問に葵さんはあっさりと回答する
その表情には何を悩んでいるんだ?という意志がありありと込められていた
「夜人、覚えておくと良い。どんな経営者だろうと自分の会社をどうするのかは修正、変更はあれども着地点は見据えているものなんだよ」
「そうなんですか?!」
前世込みでも自営で働いた事が無い俺には衝撃的な意見だ
「そうだ。自分の代で会社を畳むつもりの者、優秀な者を経営陣から後任に指名するつもりの者、自分の直系親族に後を任せるつもりの者と大まかに言うと経営者はどれを選択するつもりなのかは必ず決める。そうでないと晩年にしわ寄せが来て自分自身の首をしめるからな」
「成程…」
言われてみれば確かに…
自分だけが生活できる様にするのであれば自分の周りだけに気を配ればいいし、経営陣から指名するつもりであれば社内競争を促すし、直系親族からであれば早い段階で示唆するものなのかもしれない
「だからその娘は先ず、親がどういうつもりなのかを確認するべきだな」
「分かりました。…因みに葵さんはどうするつもりですか?」
「私か?私はどちらでも良いな。元々生徒も然程多くは無いが食うには困らない程度の人数だからな。棗に継ぐ気があるならばそれでも良いし、無いのなら畳んでも良い」
「そうなんですね…」
「あぁ、夜人が継ぐのならばそれでも良いぞ」
「は、はははは…」
何となく遠慮しますとは言えずに俺は笑って誤魔化すしかなかった




